第53話 ものさし

 振り返る。空から降ってくる人影が視界に入った――。


「いけ、兄弟」

 金髪ののんびりした声と、おれが短剣を振るったのがほとんど同時だった。反射的に身体が動いていたのだ。意思よりも先に。

 人影が自分と同じくらいの年の少女だと認識する前に、おれは彼女の背を切りつけ、その返しで首を掻き切っていた。たぶん即死だっただろう。少女は自重のまま地面にべしゃりと崩れ落ちた。

「ひゅーやるう」

 金髪の呑気そうな声に、一瞬現実味が遠のく。夢を見ているかのような曖昧な感覚に襲われ、しかし血の垂れる感覚に意識が戻る。

 

 ――おれはなにをした?


 目の前には少女だった骸がひとつ。見開かれたその瞳に光はない。目を逸らしたくなる。しかし、逸らしてはいけない。それが義務だ。

「おいおい、あんまりマジになるなって。もっと気楽にいけよ、これはただの命令なんだから」

 金髪の声にやっとおれは顔を上げることができた。少女の虚ろな瞳が視界から消えて安堵して自分がいて、自己嫌悪が湧き上がりそう。

「……どういう、意味」

「だから、考えすぎるなってこと。あのさ、これは仕事なんだぜ? ひとつひとつ感慨に耽っていたら仕事が終わんねえし疲れるだけだ」

「……人殺しなのに?」

「そうだ、オレらは人を殺した。でもそれがどうした? 肉屋は豚や牛を殺し、魚屋は魚を殺し、オレらは人を殺す。それだけだって」

「グロテスクだな」

 率直な感想を告げると、金髪は何が可笑しいのかははと声を上げて笑った。

「グロテスクう? 面白え感想だな。たしかに人殺しは褒められた話じゃねえけど、オレらは命令で人を殺しているだけだ。恨みで人を殺すほうがよっぽどグロテスクだと思わねえ?」

「……たしかに?」

 このままではおれがおかしいような気がしてきて、なんというか少し焦った。思考が塗り替えられていく感覚。ユートピアを出てこのかた、さまざまな普通が普通でなくなっている。おれの中のものさしが滔々と変わろうとしていた。

 それはとても恐ろしいことだった。けれどそれは真っ当な感性のはずだ。だって、アベル曰く「変化を恐れるのは人の常」だから。


「まあ、最初はグダグダ考えちまうよな。気持ちはわかるぜ、兄弟」

 金髪が馴れ馴れしく肩を組みながら言う。けれど今だけはその重みがありがたかった。ああ。そんな思考は毒だ。他者の存在に安心するなんて。寄りかかる場所も無いのに。

「でもいずれ馴れるさ。考えることがバカらしくなってくる。しまいにはどうやって早く仕事を終わらせるかってことしか考えられなくなるのさ」

 だって、と金髪は茶化すふうでもなく、かといって諭すふうでもなく淡々と言った。

「やっぱこれはただの仕事なんだからさ。仕事に意味を求めるなら、その答えは金だ。生きていくには金が必要で、だからだからみんな働くのさ。オレもおっさんも」

「……」

「そうやって世の中は回っているんだって」

「……おれはずっと、仕事も金もない世界で生きてきた。だからそれが……よくわからない」

 それは嘘偽りない率直な感想だった。本音ともいう。

 ――今、おれは何を喋った?

 思わず口を抑える。意図せず本音というものがまろびでたことに息が詰まるほど驚いた。身の上話なんて誰にも話した事がなかったし、未来永劫話すつもりもなかった。混乱する。今隣に立っているのはアベルじゃない。肩を組んでいるのが金髪で、向こうに佇んでいるのが茶髪だ。今日出会っただけの他人。なのに、どうして。人を殺した時よりも明確な恐怖が湧き上がって思考が一瞬停止する。

 考えろ、考えろ、でも言葉は出てしまった、戻れない。じゃあ、どうすればいい。

 アベルならわかるのだろうか、と思考が現実逃避を始める。ああいやだ。こうなるためにおれらは道を違えたはずじゃないのに。


「ふーん。ま、みんないろいろあるよなあ」


 金髪の言葉にはっと顔を上げる。おれの肩に腕を乗せている金髪の表情はわからない。でも金髪の雑な言葉になんだか救われた気がした。不本意にも。

 「みんな」という言葉はとても便利である。誰しも「みんな」の中に含まれると安心する。波風を立てるな。長いものには巻かれておけ。

 それは集団生活を営む生き物の性らしい。あの狂ったユートピアで誰も声を上げないのが不思議だと言ったら、アベルがこう返したのだ。誰も彼もが我を通して意見ばかりする奴だったら、集団としてまとまらないだろうと。何も思考を放棄しろというわけではない。考えた上で「みんな」に含まれることを協調というのだ。これも集団生活を営む上で必須の能力だ、そうアベルは言った。協調と従属を履き違えている奴が多すぎるけどな、とも。


 とりあえず、きっとおれは安心したのだ。ユートピアで育って明らかに普通から外れていたので、その先にあるのは排斥だけだと思っていた。それなのに金髪によって「みんな」に含められて、無意識に安心してしまったのだ。その安堵が正しいかはわからない。


 ふと茶髪を見ると、やはり彼は壁際に立って瞑目し、だんまりを決め込んでいた。かと思えばおれの視線に気が付いたのか目を開けた。やはり隙が無い。

「さて若者たち、そろそろ撤収するとしよう。今日の仕事はおしまいだ」

 いよっしゃ、と金髪は顔を覆っていた黒い布を外した。

「その布は、顔を隠すためだったのか?」

 問うと、金髪はわらった。

「その必要はねえよ、だってオレの顔を見た奴は全員死ぬんだからさ。だからおっさんはつけてねえだろ。これは顔を隠すためじゃなくて、血の臭いを嗅がないようにするためさ。オレ血の臭いが嫌いでさ、嗅いだらうぇってなっちまうんだよ。だいぶ慣れたけどな」

 言いながら金髪は、自分の手やら服やらについた血をその黒い布で念入りに拭った。拭い終わるとその布を丸め、石畳に転がっている死体たちの方に放り投げた。その様子を見るに、本当に血が苦手なんだなと思う。

「はは、もしかしてこの仕事向いてないんじゃなか、先輩」

 おれが笑いながら冗談を飛ばすと、金髪はにやりと笑った。

「言うじゃねえか、兄弟」

 なんだか嬉しそうな声音だったのでおれも満足した。満足してしまったのだった。

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