第51話 逃れられない

 初めに動いたのは男と女の二人だった。


 どちらも我先にと踵を返して一目散に駆け出したのだ。残りの三人が呆気に取られてついていけないくらいに。この二人がいちばん聡かったけれど、賢くはなかった。


 金髪が黒布の下で軽く笑ったのが解った。

「はいはい、おつかれさん」

 その掛け声とともに二人の背を切りつけた。血飛沫が舞う。うわあと思った。うわあと思う前に金髪は血飛沫をよけながら振り返った二人の首を短剣で切り裂いた。さらに多量の血が噴き出る。それは路地裏の建物壁について、つうと垂れた。光が入らないせいで黒い雨の跡のようにも見える。思ったより粘度があるんだなと他人事のように思った。

 喉笛まで届いたのか、二人は声を上げる間もなく倒れ伏していた。もうぴくりとも動かない。


 金髪はもうそれには一瞥もくれず前に駆け出し、他に逃げようとした三人の退路を断った。逃げ道を探していた三人は、今まで共にいた二人があっけなく死体に変わったことに恐怖し、目の前にその殺人鬼が現れたことに戦慄し、半ば発狂でもするように足を止めた。

「こ、殺さないで……」

 それは懇願だった。ただしい懇願だった。

 誰もが死を恐れる。恐れないのは狂人だけだ。そして彼らは金髪を恐れているんじゃない。正確には、金髪が齎す死を恐怖しているのだ。

 ――死を恐れるのは本能的に定められているんだ。

 かつてアベルはこう言った。そうして生物は種を保っていくのだと。だから死を恐れるのは当たり前のことで、くれぐれも忘れるなよ、と。


 だからおれが死を恐れるのは当たり前だ。

 だから死を齎すことを恐れるのだって当たり前だ。


「どうする、おっさん」足止めした三人を指さして金髪が問うた。「こいつら、命が惜しいらしいぜ」

 その問いに対しての茶髪の返答は実にシンプルだった。そうか、と一言いらえた後、彼はそのまま手前にいた二人の首を落とした。文字通りあっという間もなかった。

 ごろんと首が転がり、一拍遅れてその骸が崩れ落ちる。

「うひゃー容赦ねえな」

 金髪が緊張感に欠ける声で零した。不本意だけれど、それは同感だった。何も殺すだけなら首を落とさなくてもよかっただろうに。

 茶髪はいつも通り淡々と返した。そこに罪悪感だとか申し訳なさだとかは微塵も含まれていない。

「戦場じゃあこれが常識だよ。若者は知らないだろうけれど」

「知らねーよ、ここは戦場じゃねえし」

「それはそうだ」

 はは、と二人は先程までと同じトーンで笑った。まるで穏やかな世間話。今起こっていることの重大さとの乖離に混乱する。

 四人の男女が大量の血を流して倒れていて、そのうち二人は首がない。残りの一人は恐怖に気絶して倒れている。それを目の前に、二人の男が呑気に歓談している。二人とも多かれ少なかれ返り血を浴びているのに、全く気にしていない様子だ。

 この光景の地獄さたるや。

 アベルがいればこの異常さを分かち合えたのになと思った。この地獄を分かち合いたいのではなく、理解者が欲しかった。金髪と茶髪がおかしいはずだけれど、このままではおれが異常者のように思えてくる。


 異常か異常でないかは多数決が決めることだ。マジョリティが正しい。そうやって歴史はつくられてきた。マイノリティは排斥されるか、マジョリティに刃を向けて悪者になるか。結局は淘汰される。生き残るには、自分の意見を大人数に賛成させてマジョリティにすることだけだ。

 そして今のおれはその術をもっていなかった。


「さあて兄弟、仕事の時間だ。やり方は見てて分かっただろ? あとはお前の好きな武器で殺すだけ。まあ首を掻ききるのが一番簡単かな、一番人気の方法だ。声の出るところをぶっ潰せば悲鳴だって出ねえし」

「悲鳴はだめなのか」

「そりゃそうさ、悲鳴はうるさいだろ? うるさくて不快だし、他の獲物が警戒してやってきてくれなくなる。そうなりゃ厄介だ。こちらから潜伏している奴らを探し出さなければならないんだからなあ」

「……なるほど」

 これはいかにラクをして人を殺そうとしか考えていない。まあラクに仕事を遂行したいという気持ちはわかる。ユートピアにいたころは如何に当番の仕事をラクにこなすかということばかり考えていた。

 それがまさか人殺しの仕事も同じだとは夢にも思わなかった。

「ほらそいつがお前の初仕事だ」

 ほれ、と指さした先には恐怖のあまり気絶した男が一人。ぞくりとした。もういいだろと思った。だってその男はもう十分に恐怖と絶望を味わったはずだ。


 少年、と茶髪に呼びかけられてはっと我に返る。

「お前さん、意外と理屈っぽい性格をしているんだね。難しいことなんて考ないほうがいいよ、むしろ殺してやるのが優しさだと思えばいい」

「優しさ?」

 人殺しと優しさはいちばんかけ離れている言葉のように思えた。答えが欲しくて茶髪を見上げる。でも彼は口を閉ざしてしまって、答えはすぐに得られなかった。きっと自分で考えろということなんだろう。また考え込むと、茶髪は苦笑した。

「はは、私は考えないほうがいいと言っただろう? 私の命令に従えないのかい」

 話し方には幾分か笑いが含まれていたけれど、茶髪の目は少しも笑っていなかった。

「……いえ」

「そうかい、素直な少年でよかった。痛めつける労力が省けた」

 ははは、と笑いながら言うけれどまったく冗談に聞こえなくて笑えない。口をつぐんでいると、茶髪はやわらかく眉を下げて答えた。その仕草だけ見ると、いかにも親切な紳士のようだ。年を取るごとに内面が外見に表れるというが、外見だけで人は判断できない。

「まあ今回のは私が質問に答えなかったのが悪かったかな」

 そう前置いて話し出した。

「殺すのが優しいってのは意外と当たり前なんだ。ほら、この気絶している男を考えてごらん。この男は仮に生き延びても仲間は全員死んでいる。その絶望はきっととても大きいだろうね。私たちが予想していたよりもはるかに」

 一拍置いて茶髪はふっと遠くを見つめた。


「ひとりだけ生き残る孤独は想像を絶するよ」


「……そうか」

 なんとなく、この茶髪が一人で生き残ったことがあるように感じた。それは彼が言っていた戦場での出来事かもしれないし、その他の出来事かもしれない。そうでなければ、茶髪のような育ちが良さそうな男がアサにいるはずがなかった。逆鱗に触れてうっかり殺されそうなので、死んでも口には出せないけれど。

 その時。


 ぱんっ。


 金髪が勢いよく手を叩いた。

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