第46話 一触即発
おれと茶髪と金髪の三人は、あの仄暗い地下室を出て地上を歩いていた。物見遊山なら嬉しいのだが、もちろん仕事のためだ。アサとして、フローのような反逆者たちを殺す仕事。
これが初めての仕事だったけれど特に高揚感は感じない。どちらかというと足枷でもついているような心地だ。決して陰鬱な気持ちというわけではないけれど。
夜はまだまだ深い。頭の上では星がうるさいくらいに瞬いている。そう、星はいつだって綺麗だった。今日は雲もなく、ひときわ美しい星空が広がっている。ユートピアでアベルと大地に寝そべって見上げた夜空も、こうやってきれいだった。そんな穏やかな夜もあった。あった気がする。過去は美化されがちで、その記憶だって願望が生み出した捏造かもしれないけれど。
でもそんなことがどうでも良くなるくらい、空に散らばめられた星は自由に、力強く瞬いていた。鮮烈に憧れてしまうほどに。
ただ一つ残念なことがあるとすれば、その肝心の夜空が建物たちに切り取られてしまっていることだ。路地裏を歩いているから仕方がないのだが、あまりにも勿体ない。満天の星が見たかったなと思い、音もなく溜息を洩らした。
それを見逃してくれなかった金髪がおれの肩に腕を乗せながら話しかけてきた。
「おーい兄弟、溜息なんかついちゃって、緊張でもしてんのか?」
金髪はおれの事を兄弟と呼んでくる。初めてそう呼ばれたときは困惑したものだ。思わず「兄弟にしては容姿が似ても似つかない」と言ったらこう返された。
「ばかだな、親しみを込めて呼んでんだ。オレの故郷ではそういうしきたりだったのさ」
その時うっかりおれが金髪の故郷に思いを巡らせてしまったから、兄弟という呼び方を断る機会を失ってしまった。
少し後悔したけれど、わざわざ断るほどのことでもないなとも思った。だからそのままおれは金髪の兄弟になった。なってはいない。
金髪が軽い口調でぐいぐいと体重をかけてくるのでおれはわざと眉を顰めた。
「あのさ、重たいんだけど」
「おいおい、口の利き方がなってないな? ちったあ先輩を敬えよ?」
はっと金髪が笑いながら言ったので、わざとらしく首を傾げてみせる。
「さっき茶髪が二等級以下に階級の差はあまりないと言っただろ? その方が、わだかまりがないとも。なら、あんたを敬う理由がない」
頭を下げたら負けだとアベルは言った。なめられても負け、見くびられても負け、下に見られても負け。アベルはいつだってその勝ち負けに拘っていた。今ならその意味がわかる気がする。要するに、自分を安く見せるなということだ。
「お前な――」
簡単に煽ると案の定、金髪は眉を顰めて口を開いた。口調こそ穏やかなものの、空気はぴりぴりしていて一触即発の雰囲気だ。それを茶髪の豪快な笑い声が遮った。
「はっは、情けないな三等級。後輩に口で負けているじゃないか」
茶髪が諫めると思ったのにただの野次に回っていて、何なら火に油を注いでいた。金髪は煽られるがままに怒りを露わにする。笑ったり怒ったり忙しい男だ。彼はそのまま眉を顰めて怨嗟の言葉を吐いた。
「このクソガキ……」
それは今まで何度も言われてきた言葉だった。言われ慣れて、つゆほども感情が動かなくなった言葉。悪戯をしたとき、暇つぶしに馬鹿な大人たちを煽った時。誰もがこういった台詞を吐いては、またおれらにねじ伏せられていった。もはや彼らがどんな顔をしていたかも覚えていない。
今対峙している金髪もその中に埋もれるんだと思ったら、少し虚しい気がした。虚しさなんて覚える暇もなく時間だけが過ぎていくのだろうけれど。そうして時間が過ぎていく中で、やがて霧が溶けるように彼等の存在を忘れていくのだ。
おれはふっと口元を歪めて、吐息を洩らした。
「ああ、そんなに怒らないで」
この言葉と整った微笑みがいちばん相手を怒らせることはアベル共々熟知している。掌の上で踊るように、金髪はぎっとおれを睨んだ。けれどその瞳に怒りは浮かんでいない。それも知っている。これは茶番だから。
けれどそこでようやく金髪の瞳が煙水晶の色をしていることに気が付いた。フローと同じ色だ。偶々だろうけれど。この街に来ていちばんよく見る色だから。
「あ? 怒ってねーよ。生意気な後輩を躾けるだけさ」
「後輩と思ってくれるなんて、光栄な話だな」
「……歯ァ食いしばれよ、ガキ」
金髪の口から低く放たれたその言葉が嚆矢だった。さあてお手並み拝見。
ふっと視界から金髪が消えた。
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