第47話 止まない警鐘
ふっと視界から金髪が消えた。速い。
かと思うと、即座におれの顎に向かって拳が飛んできた。下から上へ。
そこまで速くもなかったけれど、当たれば確実に脳にくる打撃だ。難なく躱したけれど、覚えず首筋が震える。本能的な恐怖だ。こういった感情が湧き上がるなんて珍しいなと、どこか他人事のように思った。
――次はどこにくる?
脳内で警鐘が鳴る。ぐわんぐわんと頭の中がうるさい。ユートピアの鐘の音を濃縮して間近で聴いているような音。うるさいけれど、思考は冴えわたっていた。手先の感覚までも研ぎ澄まされる。ああ、少し伸びてきた前髪が邪魔だな。その先で筋肉がたわめられるのが見えた。
――足だ。
頭が理解するよりも先に体が動いていた。
そう、それでいい。おれは手足なのだから。難しく考えている暇があれば動け。動いて、動いて、動け。警鐘の音がユートピアの鐘でも、この街の鐘でもなんでもいい。きちんと生存本能が働いているならそれで。
金髪の攻撃は意外にも、今まで対峙してきた誰よりも強いものだった。マスターの方が強かったのかもしれないけれど、もう記憶は薄れた。喉元過ぎれば熱さを忘れる、過去の熱より今の熱の方がよほど重要だ。
殴ってきたかと思えば、今度は蹴り、かと思えば身軽に宙返りをして勢いよくおれの頭を狙ってくる。のべつ幕なしの攻撃だった。
でも、おれよりは弱い。
だって、彼の一挙動が見えているから。
蹴りを繰り出すためにたわめられる脚も、重心の動きも、すべて見えている。動きが見切れている限り、おれが負けることはなかった。攻撃も当たらなければただの障害物なのだから。
もちろん反撃する余裕はあったけれど、こちらから攻撃はしなかった。これがおれらの勝ち方だったから。勝手に相手が自滅するのを待つのだ。その方が、相手に敗北感という敗北感を与えられるのだ。
そんな残酷な考えを初めに思いついたのはアベルだった。おれは『頭脳』の言う通りに実行しているだけ。アベルが喧嘩を売り、買った相手をおれがそうやって打ちのめす。これを繰り返していくうちに、この反撃しない戦い方が身に染みついてしまった。ただそれだけ。そこに善も悪も存在しない。
避けて、避けて、避けて。呼吸が乱れないように最低限の動きで避ける。それに焦れたのか、金髪はぴたりと動きを止めた。おれも止まる。ネックレスが揺れてちゃりと音を立てた。シルバーの煌めきを見ながら、その価値はいくらだろうかとぼんやり思う。
「おい、なに遊んでんだ」
顔を上げる。目の前には金髪。煙水晶の瞳。それから彼は一切の笑みを消して言った。
「殺す気でかかってこいよ」
その場の温度が瞬間的に下がった、と思った。脳内の警鐘がひときわ大きくなる。全身の肌が粟立つ。獲物か、狩人か。その瀬戸際に立っているのだった。
――下手をしたら、喰われる。
そんな圧が金髪から放たれていた。今までの空気とは段違い。これが、アサ。思わず口角が上がる。叩きのめす相手は強ければ強いほどいい。何でも『いちばん』が面白いのだから。
「……言われずとも」
そう言って、おれは随分と久しぶりに反撃を仕掛けた。これでも、相手を叩きのめすのは得意中の得意だった。大人たちよりもずっと小柄だったときから、壁やら床やらを利用して彼らの動きを封じてきた。体格差なんて関係ない。むしろ小柄な方が動きやすかった。
ユートピアでは技が身体に染みつくくらい、この方法で何人も組み伏せた。マスター以外なら誰もおれの敵ではなかった。この技のおかげで悪戯ばかりしても生き延びられたのだから、これは半ば自負。
すっと息を吸って、吐く時に相手の間合いに飛び込む。躊躇なく、風に紛れてごく自然に。
何の脈絡もない行動に、金髪もその他大勢と同じように狼狽えた。それが命取りだと理解できた者は今までに何人いたのだろうか。またもや口角が上がる。そこはかとない高揚感。ああ、生きているんだ。髪の毛一本まで感覚が研ぎ澄まされたような、そんな錯覚ですら湧き上がる。金髪はまだ動かない。動けていないのだ。身体が歓喜に震える。
気を引き締め、すぐさま金髪の首元を狙って手刀を繰り出す。意識を奪えばその時点で勝ちだ。さっさとけりをつけたい。無駄な労力は割きたくなかった。
金髪は急遽自分の間合いに入ってきたおれを素早く見上げる。その反応の良さは褒められたものだけれど、おれの思惑通り、首元ががら空きだった。
――もらった。
その時おれは勝利を確信した。慢心ではない。事実だ。だって、おれの右手が金髪の首に当たったのを感じたから。だって、おれの左手と右脚が金髪を壁に押し付けて身動きを封じたから。あとはこの手刀で金髪が意識を失えば、完璧だ。完璧だった。
「待った! 降参、降参!」
意識を失ったと思っていた金髪が急に大声を出したので驚く。失態。しかし彼は意識を失っていないだけで、身体は完全におれの支配下にあった。ぴくりとも動けないのだろう、壁に押し当てられたまま、金髪は降参の意をおれに告げた。これでおれの勝利が確定した。おしまい。あの手刀が上手く入らなかったのは完全に誤算だったけれど、勝ちは勝ちだ。
――勝った。
警鐘はまだ鳴っている。馬鹿だな、もう勝ったのに。冷めやらぬ高揚感と微かな疲労感、それから大きな達成感と共におれは手を離す。
離したのがよくなかった。
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