第33話 秘密裏

「そと、」

 最後の石造りの扉を転がるようにして出る。実際、石畳に躓いて転んだ。地面に打ち付けられるが、それどころじゃなかった。

「はっ、ひゅ、」

 息が苦しい。 目を瞑って呼吸を整える。肺が痛い。生理的な涙が出る。手が痺れている。頭がぼんやりとして、吸って吐くことしか考えられない。吸って、吐いて、吸って、吐いて。

 朦朧とした頭が過去の幻影を脳裏に描く。ああ、あれはユートピアで罰としてAルートを十周走らされた時のことだ。初めは五周で良かったのに、アベルとふざけながら走っていたら五周追加されたのだ。最後の五周は半ば全力疾走だったから、あの時のほうが苦しかったかも。でもあの時はアベルが一緒だった。

 

 そうだ、アベル。


 呼吸を落ちつけながら目を開ける。空は嫌味なくらいきれいな星たちが煌々と照っていた。美しい星空だ。アベルと見たかったな、なんて思いながらゆっくりと身を起こす。でもどうしようもない。

 振り返る。アベルは来ていない。代わりに炎がめらめらと燃え盛っているのが見えるが、炎もこちらまでは襲ってこないだろう。ひとまず危機は脱出したのだと胸をなでおろす。

 ――水を!

 遠くから人の騒ぎ声が聞こえる。よかった、耳は正常に機能し始めているようだ。あーあー、と意味もなく声を出して耳に異常がないか確かめながら、自分の身体を検める。

服は煤けているが焦げているところも激しく損傷していることもない。これといって大きな怪我もない。強いて言うならば、煙で焼けた喉が痛いくらいか。

ようやくそこで冷たい石畳の感触を思い出した。少しずつすべてが元に戻ろうとしている。

「おい、フロー」

 掠れた声でフローを呼ぶ。おれのすぐ近くでフローも石畳に転がっていた。意識を失っているのか目を瞑っているが、呼吸は安定している。

「おい起きろって」

 強めにゆすってたたき起こす。眠っているおれを起こすのはアベルなのに、と思いながら。それはあまりにも現実逃避か。だってアベルはここにはいないのだから。


 ともあれ、フローはきっとこの爆発の理由を知っているはずだ。知っている奴からは情報を聞きださなければならない。たとえフローが死にかけているとしても。それまでここから動けそうになかった。アベルもまだ出てきていないし。

「ん……いて、」

 おれがアベルを真似てややバイオレンスに起こすと、フローは呻きながら目を開いた。

「は、あんた、生きてた、のか」

 咳き込みながらフローはおれを見て目を瞠っていた。すぐさま身を起こして逃げ去ろうとする。どんな状況下でも逃げ足の早い男だ。だから今日まで生き延びてきたのかと他人事のように感心してしまう。

「何でもいいだろ。それよりも何が起こったか説明しろ、フロー」

 逃げられないよう石畳にフローの腕と足を押し付けて問う。

「それとも痛いのがお好みか?」

 ポケットから常に携帯しているナイフを取り出して、その刃を月の光を浴びせる。月と金属が絡み合って、さぞ冷たく妖しい光を放っていることだろう。

 案の定フローは煙水晶の瞳に恐怖を滲ませる。実際、押さえつけている腕が小さく震えた。

 この程度で、とおれは失笑しそうになるが、たしかにこの男は小心者だった。だから逃げ足が速いのかも。

「い、いや、話すって。ぜんぶ。だから、ナイフをしまえって。ほら、な?」

「最後まで話したらな。ほら、無駄口を叩いていないでさっさと話せ」

 ナイフをフローの眼球に近づけると、フローは慌てて話始めた。


「あれはアサの仕業だ。アサはおいらたちの敵で、おいらたちはアサの敵だから」

 それはフローの言葉から何となく察していた。しかし、アサがいきなり酒場を爆破する意味がわからない。だって中には無関係の客もいたはずだ。おれらみたいに。ああそうかとにわかに合点する。異物は排除される。畢竟おれらも異物だったのだ。

「アサの敵って、そりゃまた何の因縁で?」

 問うと、先程までの怯えはどこへやら、フローはどこか誇らしげに言った。

「おいらたちはこう見えて革命を起こそうとしている集団なのさ」

「革命って?」

「ほら、この国は身分差が大きすぎるだろ? 貧乏は一生貧乏。貧乏の子も貧乏。路地裏暮らしに堕ちたらもう表通りに家は構えられない。でも金持ちは金持ちのまんま、貧乏人を踏みつける。それは不平等すぎる、あんたらもそう思わねえ?」

「……」

 平等という単語は嫌いだった。でも不平等が好きかと問われると答えはノーだ。フローの弁を聞いていると何となく不平等がとんでもない悪のようにさえ思えてくる。

 平等も嫌。不平等も嫌。おれらはもしかしたら、子供の我儘みたいなことを言っているのかもしれない。それにアベルは気が付いていたのだろうか。

 おれにはわからない。平等と不平等のどっちがいいかなんて。


 ――畢竟、おれらは自由が欲しかっただけなのだ。


 黙り込んだおれにフローは首を振った。

「ま、いいや。あんたが敵じゃなけりゃ、なんでも。だからそのナイフを下ろしてくれたらなーって……」

 フローのことは信用できない。おれらを奴隷に貶めようとした輩だ。もちろん衣食住を与えてくれたことは感謝しているが、信用には値しないのだ。あの爆破だっておれらを消すためだったかもしれない。

 おれらは誰も信用できないのだ。片割れ以外には。


 表情を消して無言を貫くと、フローは目を伏せて諦めたように息を洩らした。

「はは、冗談だって。とにかくおいらたちは平等を求めて革命を起こそうとしている。誰もが平等になれるように、身分制度が撤廃されるまで貴族と戦い続けるつもりさ。けれどもちろん金持ちはおれらを快く思ってねえ。だからアサに依頼しておれらを潰そうとしてくるのさ」

「だから、アサが敵」

「そういうこと」

「だから、あんたらが集まる酒屋が吹っ飛ばされた」

「まあそういうことだな」

「……まだあんたらは革命を続けるのか」

「勿論。ここでやめたら、死んだ奴に顔向けできねえだろ?」

 フローはおれの掲げたナイフに怯えながらも、ぎこちなく口を歪めた。それが信条だというように。


 理解できない。何ひとつ理解できない。平等への嫌悪で構成された土台がばらばらと音を立てて崩れていくようで。

「アベル……」

 こんなときにどうして頭脳がいないのか。おれはアベルに確かめたかった。おれらの選んだ道が正しかったことを。


 どん。ぱらぱら。


 また爆発の音がして、建物が崩れる音がする。ここは路地裏のようで人が誰も来ないのが幸いだが、アサとやらに遭遇したら厄介だ。どうせアベルも生きているのだから、ここに留まる意味もない。

「フロー、ここらの路地裏は知っているのか」

「もちのろん。ここはおいらの縄張りだからな」

「なら、安全な場所まで案内しろ」

「言われずとも」

 拘束を解きナイフを離してやると、すぐにフローは駆けだした。あわよくばおれを撒いて安全地帯に逃げ込もうという魂胆だろう。そうはさせない。ユートピアでの折檻まがいの訓練を耐え抜いたおれに不可能はないのだ。


 初めてフローに出会った時のように、おれは彼の小柄な背中を追いかけた。

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