第24話 本名なんて

「ま、名前はなんでもいっか。そんで旅をしてるって言ってたが、あんたらは国の外からきたのか?」

 きろりと煙水晶の細い瞳が値踏みするようにおれらを捉えた。

「……お前は、どう思う?」

 慎重に問いながら、おれはポケットの中でナイフを握り直した。返答によっては彼をやらなければならない。やられる前にやらなければ。それしかおれたちに道は残されていない。おれたちのやっていることはとどのつまり綱渡りだ。一本の綱が切れればおしまい。転げ落ちてもおしまい。おしまいはすぐ傍にある。


 しかしフローは飄々と答えた。ただでさえ細い目を瞑って天を仰ぎ、

「さあね、おいらはちっとも興味ねーから。いいかい、ここで生きていくには何も知らないことがいちばんさ」

「なるほど」

 アベルは神妙に頷いているが、あまり心には響いていないことは明白だった。頭脳であるアベルにとって最も重要なのは知識で、知識があったからおれらは今ここに立っているのだった。そんなアベルに「知らない方がいい」なんて言葉が響くはずがなく。

「フローは物知りだな」

 そうやって思っていない言葉を紡ぐアベルは確信犯だ。とはいえおれらは嘘を吐く生き物で、それはフローも道を往来するそこらの人々も同じだった。

 進化の過程で人は知性を身に着け、言葉を手にして、嘘を獲得した。不要なものは進化の過程で淘汰される。だから嘘は今日という今日まで跋扈してきたのだ。

 演技と嘘は紙一重なのかもしれない。


 アベルの言葉にへへ、とフローは表情を緩ませて頭を掻いていた。とても演技には見えない。やっぱりこいつは本物のバカなのかもしれないと思った。アベルはそこに真実を放り投げる。

「まあお前の予想は当たっているさ、フロー。俺らは外から来たんだ」

 途端にフローは顔をしかめて、聞きたくなかったとでもいうように盛大に溜息を吐いた。

「あんたらもばかだなあ。入る方法も気になるけど、それより何故こんなところに入ってこようと思ったかが知りたいね。おいらは一刻も早くおさらばしてぇのに」

「そんなにひどいところなのか。あいにく俺らは入ったばかりでここのことを何も知らないんだ」

 アベルがつとめて知性を削ぎ落した声を出すのだからおれは失笑してしまいそうになった。無知なアホを演じるアベルは新鮮で滑稽だ。昨日の演技然り。おれはこっそり腹の中で笑った。

 とはいえ目論見通りフローは気を良くしたようで、

「よし、新入り。おいらがこの街のいろはってもんを教えてやるよ。その代わり情報代を払う金がないなら働けよ。稼ぎ方は教えてやるから。そのお代も労働で返してもらうけど」

 そこでフローは言葉を切っておれらの顔をまじまじと見比べた。

「んで、どっちが……でどっちがだ?」

 おれは溜息を吐いて、それと同時にアベルは笑った。

「おれがカイルじゃなくてカインだ。それでそっちがアベクじゃなくてアベル」

 フローは眉間に皺を寄せてもう一度おれらの顔を見比べた。

「もう一回言え」

「おれがカインでそっちがアベル」

 カイン……アベル……なんてしばらくフローはぶつくさ呟いていたが、やがて頭を乱雑に掻いた。

「だああ、ややこしい! くそ、二人揃って同じ顔しやがって。しかも名前までややこしいときた」

 ありえねえ、なんて一人で文句を垂れているフローはばっと顔を上げると一本の赤い紐を取り出した。そしておれを指差すと、

「おいお前、手ぇ出せ」

「なんで」

「いいから貸せ」

 ぱしりとおれの手を取ったかと思うと、あれよあれよという間におれの手首に紐を巻きつけ始めた。

「おい、勝手なことをするな」

 と言いながらおれは特に抵抗しなかった。ここで抵抗するメリットがなかったからだ。害意は感じなかったし、フローに遅れを取るつもりはなかった。

 されるがままになっているおれにアベルが笑いをこらえているのが肌で感じられた。視線で軽く睨む。そうしたら「さっきのお返しだ」なんて視線が返ってきておれは軽く肩をすくめた。バレてたか。


 その間にフローはどこか不器用さを感じさせる手付きでなんとか結び終えたようだった。手首には赤い紐が巻きついている。よくみたら細かな装飾があり、何かの意味がありそうだった。けれどおれの理解の範疇を超えていたので早々に放棄した。ここで大事なのは紐を巻かれた事実であって、紐がどんな形をしていても瑣末なことだった。

 自分から巻いたくせにフローはやれやれ疲れた、とでも言うようにため息を吐いた。

「まったく、手間かけさせやがって。そんじゃまあ、この紐をつけたあんたが一号でそっちのあんたが二号だ。外すんじゃねぇぞ」

 なるほど、そうきたか。それなら見分けるのも名前を覚えるのも簡単というわけだ。実に合理的。そして、人に名前を「与える」という点で一歩優位に立てるのだ。

 やはり警備隊に追われる赤の他人を匿おうとする男だ、どうやら一筋縄ではいかないらしい。


 とはいえ暴力を伴わない命令なんて懐かしい。先代マスターのことが思い出されて、おれは不意に笑ってしまった。

「はは、承知」

 フローは首を傾げた。

「変な返事だな。まあ、お望みどおり街を案内してやるからついてこい、一号と二号」

「しょーち」

 言葉ではバカにしながら、内心警戒を強める。フローの行いはまるで奴隷商人みたいだと思った。


 しかしおれらはおれらの有能さを身せつけた。その利用価値が見限られない限り、消されることも売り飛ばされることもないだろう。仮にその素振りがあったとしても先にフローを消せばいい。それがカインの役目だ。最後まで演じるのみ。


 まあいい。今だけは利用されてやる。おれらもフローを利用しているのだから。利用して利用されて。だから人は嘘を吐きながら集団に生きるのだ。

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