第25話 暗黙の了解

「で、さっきの男は誰だったんだ」

 アベルが指を優雅に組んでフローにあくまでゆったりと問う。そうして相手より格下にならないようにしているのだ、抜け目ない。

 人がふたり出会うと否が応でも上下ができる。それは身長の上下であったり、年齢の上下であったり、身分の上下であったり。いずれにせよ、上下は上下だった。そしてトータルの上下でその人との関係が決まる。身分はその中でもとりわけ大きな要素だ。

 これはユートピアを出て学んだことである。意識して平等を目指さなければ上下が勝手に生まれる。上になれば勝ち、下になれば負け。敗者に選択権はない。それが嫌なら力をつけて上に成れ。そうしてこの社会は回っているのだろう。まあ、平等を謳うユートピアにも上下はあった。誰もが見て見ぬふりをしていただけで。

 おれの隣にいられるのはアベルだけだったし、逆も然りだった。これまでも、これからも。

 

 だからおれらは常になんとか優位に立とうとする。この前昏倒させた男どもにも、今目の前に対峙しているフローにも。明確な物差しのない今、上下を決めるのは言葉と仕草だった。謝罪の言葉は決して使わない。頼み事もしない。堂々と胸を張り、瞳に強い意志を宿らせる。

 アベル曰く、言葉と態度で人は人を操れるらしい。それはおれもなんとなく肌で感じる。まあ、おれが使えるのは暴力だけなのかもしれないけれど。


「さっきの男って?」

 フローが訊き返す。察しが悪いのか、はぐらかそうとしているのか。おそらく後者だろうな。

「おいおい、とぼけるなって。路地裏で煙草をふかしていた、ガラの悪い男のことさ」

 そう、先程路地裏でおれとアベルが昏倒させてしまった男である。フローに因縁がありそうだったが、彼は何者だろうか。まあフローが何者かもよくわかっていないのだけれど。

「あー……。あれは借金取り立て屋さ。おいらは生まれた時から莫大な借金を抱えててさ、まあ親の所為なんだけどな。だからおいらから金は奪えない。残念だったな、それなら街行く人の財布でもスった方が早いさ」

「シャッキン」

 聞きなれない単語におれは復唱して訊き返す。

「あ? もしかして借金を知らねーのか? 余程裕福な旅をしているんだな」

 フローの煙水晶の瞳に敵意が滲む。ああ、と俄かに合点した。アベルの言葉が蘇ったのだ。

 ――同じくらい金を持っている奴と共感し仲間意識を覚え、自分より裕福な奴に嫉妬し憎み、自分より貧しい奴を憐れみ蔑みほんの少し優しくするのさ。あっちの世界では、金がすべてなんだよ。善も悪も友も金次第。

 アベルの後ろに鎮座する窓の中で、同じ服を着たその他大勢が労働に勤しんでいた。そんなユートピアでの記憶の断片。


「いいや、残念ながら裕福じゃなないさ。何なら銅貨一枚も持っていない。だから俺らはお前に金が払えないんだ、悪いな」

「そういやそうだった」

 煙水晶の瞳に安堵と憐憫が混じる。単純明快で笑いそうになった。アベルがふくらはぎを軽く蹴ったので我に返る。そう、おれらの望みはこうやって歓談することではない。いち早く正確な情報が欲しいのだ。この国のルール、この路地裏のルール、そしてこの国での生き方。また市民券がなくて追われるのはごめんだ。

「で? 助ける代わりに街を案内してくれるっていう話だったがどうなんだ、フロー」

「いんや、それは言葉の綾だって。そんな義理もねえし」

「そうか」

 おれがソファから立ちあがる素振りを見せると、フローはぶんぶんと首を縦に振って口を開いた。理解が早くて助かる。おれは言葉を操るのは不得手だが、拳のコミュニケーションは得意だ。だからちょっと拳でお話しようと思ったのだけれど、フローは賢いようだった。

「わかった、わかったって。働き方と一緒に手取り足取り教えてやんよ」

「衣食住は?」

 アベルが間髪入れずに問うた。さすがおれの片割れだ。おれらに欲しいのは確かに情報だったけれど、このまま食べず寝れずでは生命活動が危うい。

「はあ? あんた、厚かましいんだよ」

 しばらくアベルとフローは無言で睨み合っていたが、先に折れたのはフローだった。

「くそっ、野垂れ死なれても困るから飯はつける。もちろん贅沢はさせねぇけどな。寝床はここを使え。ベッドは一つしかないがソファがあるから文句はいうなよ。それから服は労働ので汚れるたびに渡してやる。それでどうだ」

 代わりにタダ働きだけどな、なんてちゃっかりと付け足すフローはやはり抜け目ないだ。

「ああ、感謝する」

 タダ働きは構わない。情報代と思えば安いものだ。衣食住は向こうが持ってくれるなんて、最高の環境じゃないか。ここまでとんとん拍子に上手くいくと裏がないか疑いたくなってしまう。今のところ疑うことしかできないけれど。

「契約成立だな。いやー、人手不足だから助かった。あんたら健康そうだから使えそうだし」

 それはどういう意味だ、と問う前に盛大な腹の音が鳴り響いた。あろうことか、おれの腹からだ。

 そういえば朝からくすねたパンとチーズしか食べていないのだ。空腹はただしく限界に近づいていた。とはいえ、少し恥ずかしい。恥ずかしいというよりはアベルが笑っていることにむかついたといった方が適切か。

「はは。なあフロー、こいつ腹が減ったらいたく狂暴になるから早く飯を食わせた方がいいぜ?」

「おい誰が獣だ」

「そうはいってないだろ」

 やいのやいの。おれらの軽口をフローはぽかんと見ていたが、やがて意地の悪い顔でくつくつと笑った。くそ、アベル許すまじ。

「……愉快愉快。じゃあ飯でも食いに行くかあ。そうだついでに仕事も教えてやる」

 飯、という単語に腹がまた反応した。アベルがまた笑う。

「そんじゃ、早速いくぞ。一号、二号」

 そうしておれらはもう一度路地裏へと駆り出した。

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