第31話 賭け事は確率論
「おいアベル、賭け事なんて知っているのか」
「まあまあ、俺に任せとけって。俺の運の良さを知っているだろ、カイン」
ばちこんとウィンクが振りかけられる。そんなアベルの言葉に不安を抱きつつも全部任せることにした。酒場の雰囲気に馴染むよう、気配を消して壁に身を任せる。
それがすべてのはじまりだった。
♢
「やあ、綺麗なお姉さん。俺と賭けをしてくれない?」
「あーらカワイイ坊や。いいわよお」
煙草を咥えた妙齢の女がふうと紫煙を吐きだした。ふよふよと煙は狭い室内に漂って、やがてすうと消えた。独特の臭いだけが残る。
「で、いくら賭けるの?」
「持ち金すべてを。お姉さんは?」
そういって不敵に笑いながら銀貨五枚をテーブルに乗せた。周囲は少ないと文句というが野次を投げるが、女は真っ赤な唇を歪めてさぞ愉しそうに笑った。
「あら大胆だけどカワイイ金額ねえ。いいわ、トクベツに乗ってあげるわあ」
「ありがとう。じゃあ、始めよう」
カードゲームのルールなんて知っていたのかよ、と内心でひやひやしながらおれは注意深く辺りを警戒する。アベルのお陰で周囲から浮くことは避けられているが、おれらがここで異物だってことには変わりがないのだから。
♢
あれから数時間後。
「はいはい、また俺の勝ち。お金が溜まったらまた来てねー」
にんまりと笑ったアベル目の前には金貨がじゃらじゃらと。あれから数えられないほどゲームが繰り返されたが、アベルはすべて勝利を収めていた。
あまりの非現実に何かからくりがあるのか、とアベルの手元を注視していた。しかしこっそりカードをすり替えている様子もなく、ただ単にアベルの運がいいだけのようだった。
そう、昔からアベルはバカみたいに運がよかった。運要素の強いゲームはほとんど全部アベルに持っていかれたっけ、なんてつまらない記憶が蘇った。
イカサマだとつっかかる男に勝負をして潔白を証明し、そしてまた新しい男やら女やらに勝負をけしかけられる。そのエンドレス。
そうしてアベルは全ての賭けに勝ったのだ。金銀銅、さまざまな硬貨がおもちゃのように積まれていて、総額がどのくらいなのか見当もつかなかった。今やこの酒場の硬貨のほとんどがアベルの眼前にあるような気さえする。
とはいえ、アベルが馬鹿の一つ覚えみたいにきれいな笑顔で全額を賭けるものだから、こっちが無駄に精神を削る羽目になった。全額失ったらゲーム終了、奴隷行きというのがアベルにはわかっていないのだろうか。慌ててテーブルから金貨を一枚抜き取ってポケットに忍ばせたくらいだ。
でもアベルは終始ひどく愉しそうだった。片割れだからわかる。これは虚勢でも防衛機構でもなく、本気で愉しんでいるのだ。アベルは昔からスリルを愉しむきらいがあった。悪戯がバレて逃げる時がいちばん活き活きとしていた。曰く、「生きているって感じがする」らしい。わからないこともないけれど。
「お疲れ、アベル。こんなうまくいくんだな」
アベルのテーブルに近づいてぽつりと声を掛ける。ああ、こうもテーブルに無防備に金貨を広げていてははスリにでも遭いそうだ。しかし一枚や二枚どうってことないと思ってしまうほど、テーブルは金色で溢れていた。周囲の好奇の視線が今はとても愉快。
「はは、賭け事は所詮確率論さ。あー最高に気分がいいや」
なんて言ってアベルはどこかキザに黒髪をかき上げてみせる。全く、おれと同じ顔で変なポーズをとらないでほしい。
「また適当なこと言って……」
おれは呆れるが、いつのまにかふらふらと観客に混じっていたフローは目をきらきらさせてアベルを見ていた。
「あんたすげえな、二号」
「どうも。ああそうだ、フロー。約束通り金貨五枚を返すぜ」
「けちくせえな。もっとくれよ」
「契約は絶対なんだろ?」
なんてアベルが紙切れをちらつかせる。フローは表情を歪めた。
「この野郎……」
「罵倒が幼稚だぞ、フロー。字が書けるなら教養とやらを見せてくれよ? ……まあ色々してもらったよしみで無かったことにしてやるさ」
そう言ってアベルは紙切れを蝋燭に翳す。乾いた紙切れはあっという間に燃えて、きれいに塵と化した。
「おい、」
フローが焦った声を出す。何でそんなに慌てるんだ、なんてからかってやりたくなった。
「はいよ、日頃のお礼だ」
言葉とともにアベルはフローの身長相応の小さな手に金貨十枚を乗せる。途端に目を輝かせるものだから、文字通り現金な奴だと思った。金っておそろしい。
さてと、とまだ悦の余韻に浸る瞳を歪めてアベルはによりと笑った。
「これで俺らが奴隷になることはないな?」
ぞっとしたようにフローはアベルを見た。その怯え顔と言ったら。
「あ、あんたら文字読めるのかよ……。騙したな?」
「それはお互い様だろ?」
おれがフローのポケットを敢えて指さして言ってやると、小柄な男は体を震わせた。そのポケットの中にはきっとこのテーブルからくすねた金貨が数枚入っているだろうから。アベルは騙せてもおれの目は騙せない。素人のスリなんていくらでも見破れる。そのためにおれは『手足』なのだ。
「ほら見ろよ、カイン。これでしばらくは生活には困らないな」
そうやっていつもの、悪戯が成功した時みたいな笑みで笑う。それにおれはぞっとした。
だって、今の今までアベルはおれとアベルの人生を賭けていたのだ。負ければ奴隷、勝てば大金。それしか賭けるものがなかったから当たり前なのだが、それにしては飄々としすぎている。恰好つけているだけならまだいい。でも、この片割れはその恐ろしさを十二分に骨の髄まで理解して、その上でただしく笑っているのだ。
それは、狂気だ。
人生なんて、そうやって簡単に賭けるものじゃない。おれには金の価値がわからない。おれらの人生と釣り合うほどの金がいくらかなんてわからない。だから、アベルが金と同等のステージに、おれらの人生を引っ張り出したのが恐ろしかったのだ。
「アベル……」
「どうしたんだ、らしくない顔して」
取り繕えるわけがなかった。この何でも知っている片割れにバレないようにするなんて、至難の業。それなのに、おれはアベルのことが解らなかった。
「賭けは、こわかったか」
怪訝そうにアベルは眉を顰めた。
「怖いわけないだろう? なぜ怖い? 怖ければ、とっくにゲームから降りていたさ」
ああ、とおれは内心で頭を抱える。そこに恐怖を抱いてくれていたら、せめて、感じなくても理解してほしかった。別におれはアベルに怖がってほしいわけではない。そんな情けない片割れの姿なんて見たくない。
でも、この男にはしがらみがないんだ。そうどこか他人事のように思った。
たしかに今のおれらには何の拘束もない。おれらのすべてを縛ったユートピアを出て、文字通りおれらは自由になった。でも、だからアベルは簡単に人生を、そして自分をチェスの駒にするのだ。
しがらみがないから自由で、だから何をしても赦される。流されるままに生きられる。たとえこの賭けが失敗して奴隷に身をやつすことになっても、アベルは笑って受け入れるのだろう。「あーやっちまった、悪いなカイン。ま、せいぜい愉しもうぜ」みたいな具合に、悪戯に失敗した時と同じ苦笑を浮かべるのだろう。
おれは、この男にしがらみを与えなければならないと思った。『これ』があるから容易に人生を賭けられない、そうアベルに思わせなければならない。その理由は、おれだけでは不十分だ。おれも流されて生きるのが好きで、アベルにもそれがバレているだろうから。
ふと脳裏に浮かんだのは「エリート学院」だ。フローが説明してくれた、頭の良い者たちが集う学舎。
ぴとり。
不意に頬に冷たいものが当たって思わず声を洩らした。「冷たっ……」
「どうしたよ、カイン。難しい顔をして」
顔を上げると、によによしながらおれの頬に氷の入ったグラスを当てているアベルの姿が目に入った。結露が頬を濡らして少し不快だけれど、同じくらい心地よい。心地よさに身を委ねて目を閉じる。この酒場は薄暗い癖にむっとしていて、いつか眩暈でも引き起こしそうだ。
「……いいや、目の前の大金に理解が追いつかなくて」
大音量の音楽がうるさい。でも、アベルの声はそれを貫通しておれの耳に届く。
「はは、それは『頭脳』の俺が把握してるから大丈夫だって。そのために俺らは分担したんじゃないか」
「……そうだな」
そう言いながら、おれは『手足』としてテーブルからはみ出しそうな金貨をかすめ取ろうとする不届き者に牽制をかける。足を踏みつけ、気付いているぞと睨みをかける。睨んではいない。表情だけ笑えば、勝手に相手が怯えてくれる。きれいな笑顔を意識すれば意識するほどこれは効果的だった。
きっと外見がまだガキだから舐められるのだろう。早くおとなになりたいと思った。心身共に。
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