第14話 普通と平等

 がたん。

 突如、馬車が止まった。 おれらは息を潜めて気配を消す。

「……な、…………た」     

 耳をそばだてると誰かが喋っている声が聞こえる。何と言っているかはわからない。言葉は同じなのだろうか。本当におれらは勢いだけで出てきたんだなと今更ながらに思う。けれど後戻りはできないのだ。したいとも思わない。


 出るなら今かもしれない。

 そうアベルに視線を送ると、優秀な片割れはわかっていると黙って頷いた。貨物確認でもするかもしれないのだ。これ以上人数が増える前に退散したい。最悪戦いながら逃げることも可能だが、今所持している武器は失敬してきたナイフ一本しか持っていない。

 まずいな、とおれは冷や汗が服の下を伝うのを感じた。あまりにもおれらは無計画過ぎたのだ。ここがどこかもわからない。最悪捕まって八つ裂きかも。

 しかし幸いなことに話し声はだんだんと遠ざかっていった。これは好機だとおれらは視線を交わす。これが罠だったとしても、やはりおれらには前に進むしか道はないのだ。


 そして声が途切れ、完全な静寂が辺りを支配する。あるのは片割れの息遣いだけ。それも押し殺す。細く、細く息を吸って。

 おれらはどちらからともなく飛び降りた。

 

 おれらに合図は必要ない。飛び出し、瞬時に視界に入った物陰へと身を隠す。建物と建物の間。アベルと背中合わせに身を隠し、息を潜める。

「……」

 残ったのはやはり静寂。ぴりぴりした気配もなければ、物が動く気配もなかった。何とか無事だったらしい。

 ほう、と静かな風に乗せて息を吐いた。

 半ば乱戦覚悟だったが、幸い周囲に人はおらず事なきを得たようだ。もうすっかり日が落ちていたのも幸いしたのかもしれない。闇に紛れて悪戯をするのはおれらの得意分野だった。

「進むぞ」

 アベルの声を皮切りに、おれらは建物と建物の間を進み始める。じめじめしているが、それに構う余裕なんてなかった。

 するりするりと、人一人がやっと倒れるくらいの細い隙間を歩く。この先に広がっているのは果たして吉か、凶か。

「おい、カイン、見ろ」

 アベルの言葉に顔を上げる。滲む光が眩い。思わず目を閉じる。


 次に目を開けると、初めて見る光景が広がっていた。街だ。



 ――石畳。石造りの建物。看板。行き交う人。やけに明るい灯り。ほんの少しの汚臭。土の柔らかい匂いではなく、まとわりつく硬質な臭い。



等間隔に置かれた小さな塔のような灯りが眩しく目を貫いた。今まで幌馬車の真っ暗闇にいた瞳にはいささか刺激が強い。目が痛くて思わず視線を落とすと、地面いっぱいに敷き詰められた石畳が視界に広がる。ぼこぼことしている石が道一杯に敷き詰められている。

「すげぇ……」

 石畳くらいは知識で知っていたが、実際に見るのは初めてだった。一抹の悪臭が鼻をつく。しかし本能的な嫌悪感がやってくるよりも先にこれが街の匂いかと妙に納得した。

「知ってるか、カイン。あれはガス灯って言うらしいぜ」

 やけにまぶしい灯りを指差してアベルが言った。夜なのに、明るい。ちらほらと往来している人の服がとてもきれいだった。清潔感というよりは、布の重なりや色合いが真新しく映ったのだ。特に女性の服装は複雑そうな構造をしている。上衣とつながっているが、あれはスカートというのだろうか。

 おれらは無地の綿のシャツしか知らない。外界と関わりのなかったユートピアでは、自分たちで栽培した綿を機織り機で加工して服をまかなっていた。これらの労働もすべて当番制で、おれらも実際に作っていた。だからユートピアでは誰もが同じ無地のシャツを着ていて、それはおれらも例外ではなかった。

 こうして色とりどりの服を見るのは、お伽話の世界を覗いているような、何とも言えない不思議な感覚だった。


 煉瓦造りの家、石畳、ガス灯、きれいな服。何もかも真新しい。

 こんなに遠くまできたのは初めてだ。当たり前だけれど。


「……おれらが生まれたのはどこなんだろうな」

 畢竟おれは、ここに来ればその答えがわかると心のどこかで期待していたのだ。出身地なんて、母親の顔なんて知らなくていいと思っていたのに。自分のことがわからない。

「さあな。そもそもこの国でもないのかもしれない」

 アベルの言うとおりだった。往来する人の瞳も髪の色も全然おれらに似ていない。あれは何色だろう、茶髪に桃水晶の瞳。目の前をそそくさと歩いていく女は黒髪に黒曜石の瞳。ときおり翠玉みたいに綺麗な緑の瞳も見える。色とりどりの人がいるが、おれらのように黒髪に琥珀の瞳はなかった。出身はここではないのだろうか。


 そこでふと、人々が自分たちに好奇の視線を向けていることに気がついた。道ですれ違う人は必ず怪訝そうにおれらを見ていくのだ。さもありなん、おれらの恰好は普通とは大きくかけ離れている。別にこの街に平等という制約はないだろうが、普通という固定観念はあるようだ。だからあまりに『普通』から逸脱すると叩かれる。

「な、言った通りだろ? これが避けては通れぬ人の性だ。人は誰しも普通になりたいんだよ。普通から外れたやつはできるだけ関わりたくない。ユートピアはそうやって回っていた」

 この好奇の視線を見るに、アベルの言う通りなのかもしれない。おれらはその普通が嫌だった。普通、というよりは普通に縛られることが。おれらは束縛を何よりも嫌っていた。それが平等だって普通だって同じだった。

「クソだな。意思の介在こそ人を人たらしめる要素だというのに」

「はは、『普通』にも『平等』にも意思は宿っていたさ。ただそれが個の意思だとは限らないけど」

「なるほどなぁ。……それより視線がうるさいな、アベル」

 ちらりちらりと好奇の視線が少し鬱陶しい。普通であることを強要されるのは嫌だったが、意図せず普通から外れて好奇に晒されるのはもっと御免被りたかった。不法侵入なのだからできるだけ目立つことは避けたい。ここにも法や規則があるのだろうか。

 はは、と笑うアベルの声に思考が遮られる。

「あるに決まってるさ。人が集団を形成して暮らすところには、必ず法やら規則がある。だから人は言葉を操るんだ。いや、逆か。言葉を操るから方や規則が生まれるのか」

「……おれの思考を読むな」

「読んでなんかいないさ。同じことを考えていただけだ」

 そもそも読心術なんて知らねーしな、なんてアベルがからからと笑った。本当だろうか。この好奇心の塊みたいな男は何でも知っていそうだけれど。

 

 そういうわけで無為に目立ちたくないおれらの足は、おのずと人気ひとけのない方へと向かっていった。

 建物と建物の隙間――つまり、真っ暗な路地裏へと。

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