第2話 平等、平等、平等
平等、平等、平等。それがおれらの集落ユートピアに蔓延る基本理念。
がらん。がらん。がらん。
朝。けたたましい鐘の音に起こされる。ここでは皆の起床時間は同じであった。
――だから、おれらは鐘の音よりも先に起きることにしたのだ。平等の環から少しでも外れるために。
とはいえアベルの方が早起きであったから、おれはいつも起こされる側だった。
「カイン、起きろ」
どんなにいい夢を見ていてもわるい夢を見ていても、アベルは毎日おれを起こした。言うなれば、アベルの声が目覚ましの鐘だ。がらんがらんとメランコリーを想起させる鐘の音よりはずっとまし。
「おら、寝坊助。いい加減起きろって」
一つ困ったことがあるとすれば、アベルの起こし方がかなり暴力的だということか。夢と現の狭間で微睡んでいる時にいきなりヘッドロックをかまされるのだ。一歩間違えると窒息からの永眠が待っている。
「……おはよう、アベル」
「おはよう、カイン。はは、ひっでえ顔。寝癖もすごいし。まったく、おれの顔でまぬけ面を晒さないでほしいね」
「うるせ」
によによ笑いながら言うアベルの顔がちょっと憎たらしい。おれと同じ顔なのだけれど。そういうアベルもまだ寝癖はひどいままで、いっそ芸術的な様を呈していた。
「語彙が貧相だな、寝坊助」
「それはお前もな、アベル」
おれらは顔を合わせて笑った。これがおれらの普通。平等から外れるためのこの習慣は愉しかった。それくらいしか娯楽がないのだから。
がらん。がらん。がらん。
鐘が鳴る。うるさい。
もうしばらくすると鐘がもう一度鳴り、各々が朝食を準備したり家畜の世話を始めるだろう。これまた『平等』のために、これらは全て順番に回ってくる当番制だった。
「いただきます」
朝食がやっと配膳された。腹の減ったおれらは食物への謝辞もそこそこに、パンを手に取る。毎朝のパンは煉瓦のように固い。
具がほとんど入っていないスープ、カチカチのパン、それからコップ一杯の牛乳。成長期のおれらには少し足りない。
いつだったか、足りないくらいが幸せなんだと誰かが言っていた。満たされることなんて知らないほうが幸せだと。
「そんな幸せなんて虚構じゃね」
アベルがおれの思考を読み取ったように呟いた。カトラリーを器用にくるくる回しながら、パンを齧る。
「……虚構でも幸せだったらそれでいいだろ」
「それって幸せと言えるのか?」
「難しいことを考えるなって、アベル。腹が減るだけだ」
「思考するのは人間の特権だっていうのに?」
「それは腹一杯食えるやつの手すさびだろ。ほら、せっかくのスープが冷める。今おれらにある特権はスープがこれ以上冷めないうちに飲み干すことだ」
言うが早いか、おれは味の薄いスープを飲み干す。ぬるいスープはおれの身体を温めることも腹を満たすこともなかった。でも、これで幸せだと刷り込まなければならない。
「満たされたことがなくてよかったな」
同じく一滴も残さず飲み干したアベルがぽつりと呟いた。珍しく、どこか自虐じみた発言。
「どうして。おれは今日も腹一杯ご馳走を食う夢を見たっていうのに」
「一度満たされたらより飢えが苦しくなるだろう?」
おれがパン屑まで食べきった皿を置くと、丁度アベルもコップを置いた。空の器、空の皿、空のコップ。見事なまでに二人の皿は全て空っぽだった。まだ足りないのに。
ちらりと片割れの顔を見ると、同じことを考えていることが手に取るようにわかった。もっと食べたい。しかしその願望はお互い口に出さなかった。叶わぬ理想なんて言葉にするものじゃない。それは人を弱くするのだから。
どちらからともなくおれらは手を合わせた。
「万物に感謝を。ごちそうさまでした」
これは食事を終える際の決まり文句。毎日繰り返すこの文句は、おれの中ではもうとっくに形骸化している。元より、この集落では多くのものが形骸化していた。その最たる例が名前である。
おれらの名前はただの記号。もちろん意味なんてないし、ユートピアという名もまた然りだ。
本来ユートピアという単語には理想郷という意味があるらしい。しかしこのユートピアへ理想郷から程遠い。平等に憑りつかれた、ある種カルトじみた集落。
ちらとアベルを見ると、つまらなさそうに空の器を見ている。でも何も言わない。言ってもエネルギーの無駄遣いだからだ。代わりにくう、とおれらの腹が鳴った。消化の音ということにしておくか。
なんてのんびりしている暇はない。今日は片付け当番だったから、集落全員分の皿を回収して洗わなければならない。
「さて、行きますか」
定刻に遅れると重い罰が待っている。訓練の罰はいいが、食事抜きみたいな罰は御免被りたい。ただでさえ成長期なのに食事が足りないのだ、倒れてしまう。
『個人は全体の為に存在する』。
だから全体に不利益な行動はいっとう重い罪なのだ。罪と罰は対義語だというのに。
朝日が顔を出した。世界が白色に染まる。
また平坦な一日が始まるのだ。昨日も今日も、これからも。退屈は毒だと言うのに。
「あー退屈、今日も入れ替わって遊ぶか」
「今日こそ誰か気付くと思うか? アベル」
「無理だろ。あいつらは思考を止めてしまっているし、そもそも他人に興味がないんだから」
「はは、辛辣」
「事実だろ」
おれらの享楽は今のところ『入れ替わり』しかなかった。平等の環から少しでも外れることだけ。つまらない人生だ。
朝起きて、当番制で質素な朝食を用意し、講義を受けて学問に励む。訓練をし、昼食を用意し、当番制で家畜の世話、機織り、狩りをして、それから夕食の調理をする。火を焚いて湯浴み用のお湯を沸かす。それからほんの少しの自由時間を過ごして寝るだけ。
──本当につまらない。
アベルがいて良かったと思った。この面白い片割れが。そうでなきゃ気が狂って自死でもしていたかもしれない。
自死。命の重み。この集落においておれらの命は取るに足らないちっぽけなものだと言われた。だから死ぬな、と。
すべてが狂ったユートピアだが、これだけは存外まともなことを言っていたのかもしれない。
事実、この集落で自死するものは少なかった。真相が揉み消されているだけなのかもしれないけれど。
「死ぬまで生きてやる」
アベルがいつものようにくしゃりと笑って言った。まったく意味が解らない。でも、この男が片割れで良かったと心底思った。
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