第3話

 ファミレスから帰ってきた午後4時。

 家は2LDKのマンションで、地上から12階の部屋である。タワーマンションとはいかないものの、中々の高さだと思う。

 この家は葵が歌手として軌道に乗り始め、ちょうど売れ出して「歌姫」の座を不動のものとしたときにお祝いで購入したのである。

 もともと別居していたことや、周りの友達が「同棲」を始めたのもあり、半ば強引にこの状態に至らせられた。

 確か昔言ったことがあった。


「そんな急ごうとしなくても、僕らは僕らのペースで進んでいこう」


 と。ただ、葵は言った。


「たまには速足にもならないと、不安になっちゃうでしょう」


 その時の葵は、今でも思い出せるほどに怖く、身震いしてしまうほどのナニかがあった。言い表せないなにか。黒さというか、深さというか。もしかしたら両方だったのかもしれない。底知れぬモノ。柚木葵という人間の深奥に触れた気がした。


「何を考えているのかな、かーくん!?」

「うるせい、鼓膜破れたわ」

「人間の鼓膜って意外と強いし、破れても再生するからわりと問題なかったりするんだよ」

「急にマジレスするじゃん、どうした?」


 玄関で靴を脱ぐ。葵はその足でパソコンの電源をつけ、コードか何かを打ち込み始めた。

 その晩はパソコンが置いてある部屋から葵が出てくることはなかった。





 翌朝になった。

 寝室は一緒なのでいつも葵と一緒に寝ているが、隣を見ても彼女はいなかった。

 パソコン室を覗こうとベットから身を起こし、そのままパソコン部屋へ足を進める。ドアノブに手をかけると、奥から葵の歌声が聞こえてきた。

 邪魔はしないでおこう。彼女はおそらく今ゾーンの中に意識がある。

 過去に録音中に邪魔してしまい、一週間口をきいてくれなくなったことがあった。なかなかどうして心に来たので、僕は心に固く誓った。「二度と録音中に邪魔はしない」とね。

 とりあえず、とドアノブの前からキッチンに移動する。

 適当に冷蔵庫からベーコンや卵を取り出し、鼻歌を口ずさみながら調理していく。

 ベーコンと卵が焼ける音と香ばしい香りが漂い始める。塩コショウなどの調味料を振りかけ、皿に盛り付ければ完成。簡単な一品である、朝定食(仮)。

 パンもスープもない。ベーコン付き目玉焼き一品で終わらせる。これぞ僕。


 それを平らげ、食器を洗い、ついでに葵の分のパンを焼き、インスタントスープの素を出しておいてやる。

 しばらくして、ドアがガチャリと開いた。

 

「やー、すっかりおはようのじかんだねぇ」

「おはよう。神が降りてきた?」

「そうなの!こう……ビビーン!!と来ちゃったんだよね。その結果できた曲がこちらです」


 そう言って音楽ファイルの画面を開いてその曲を流してくれた。

 全体的に現代社会を感じさせる曲調だ。学校、会社、天才、凡才など何かと対になる語句選びが目立つ歌詞になっており、中毒性のある曲に仕上がっている。

 ベースが曲全体に厚みを加えているように感じる。


「曲名は『天才という讃美歌』で投稿しようかなって思ってる」

「その曲名に込めた意味とか考えてるの?」

「いいや? 楽器で主旋律とか作って、歌詞考えて完成した時に『これだァ……』ってかんじちゃって」


 真面目に曲名を考えている人もいるのは確かだけどね、と付け加えて葵は言った。

 キッチンへ進んでいく葵の背中を見ながら、改めて僕は実感した。柚木葵という人間の芸術センスを。

 一枚絵なら数十分で描き上げられる。作曲も数時間あればできる。

 これを世間は天才と呼ぶのだろうが、僕は「天才」という言葉はあまり好きではない。その人のしてきた努力や苦労を踏みにじっているような気がするからだ。

 考えすぎだろうか。

 

 その日の午後9時、「天才という讃美歌」が各種SNSでトレンド1位、世界トレンド5位になったのは、少し後の話だ。




 お疲れ様です。しらたきこんにゃくです。

 天才と凡才、秀才……人生において一度は聞いた言葉であろうものですが、作者は幼少期に家の折り紙で紙飛行機を折り方読みながら折れた時に「俺天才か……?」と思えたのはいい思い出です。

 あの頃はかわいかったです。

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彼女が歌手ですが、僕はただの一般人です。 しらたきこんにゃく @MagicPoint

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