第四章  烏川

 この川で遊ぶようになったのは中学に入学してからである。一年生になった時、正門の前に金子の家があった。大工の棟梁の息子で達也という名前だが、たまたま同じクラスになった。小学校の時、夏に市民プールに行くと学校は違うが同じ学年かな?と互いに意識していたこともあって、これがきっかけで二人はすぐに意気投合した。毎日のように学校帰りに達也の家により相撲をとったり、野球ボールを投げたりプールでの想い出話で花を咲かせたりして遊んだ。そんなある日、

「烏川に魚とりに行かないか?」と話を持ちかけられた。兄から泳げないお前は、

「烏川に行っては駄目だよ!」

 と固く言い含められていたので暫くは躊躇した。様子を察した彼は、すぐに、

「俺は泳ぎが得意だからなにかあったら助けてあげるよ」と応えてくれた。

「まあいいか!達也が守ってくれるならついていくよ」と腹をくくった。

 校舎のグランドを抜けて西に1キロ程坂道を下ると国道一七号線に交わる。手前の高台から烏川を眺めると、目前の坂下に君が代橋が架かっている。この対岸、南西角の袂に当時、高崎の高い建造物、高崎観音様についでナンバー2の高崎セロハン工場の煙突が威風堂々と聳えていた。煙突には縦に大きな黒文字で『高崎セロハン工場』と銘打ってあり遠くからでもすぐに分かった。そして上流を望むと遥か遠くに赤いトラス形プレートガーダー橋、通称十二鉄橋が架かっていた。国鉄信越線の鉄橋でレンガ造りの橋脚が十二本川に立ち並んでいたので誰もがそう呼んだ。

 同様に下流側を望むと、赤坂から国道一七号線を越えて護国神社へ向かう街道で、烏川と碓水川を跨ぐ超長い木橋、八千代橋が架かっていた。更に下流に目をやると遥か先に聖石橋が霞んで見えた。橋の中央斜め下流にとてつもなく大きな四角い石が座している。昔台風で上流から転がって此処に辿り着いた聖なる石との伝説からもじって、この橋は名前が付けられたという。この街道を山に向かって進み中腹まで階段を登ると高崎観音様が観えてくる。



     十二鉄橋


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「前田!乗れや。俺にしっかり掴まって下をむくな」

「大丈夫か?」

「大丈夫だよ」

「前に兄貴と自転車で通ったことがあるから任せろよ」

 僕は恐る恐る荷台に乗った。運を天に任せるとはこんな心境だろう。前を見ると鉄橋の枕木にレールが敷かれている。二本のレールの合間に足場板が一列敷設されている。足場板は長さが短いので重ね合わせせず横合わせにして番線でくくってあった。鉄橋の長さは二〇〇mはたっぷりあった。

「三時~三時半まで汽車は通過しないから、じゃあっ!こぐぜ」自転車は足場板上をゆっくり進みだした。足場板の切れ目の度に彼はハンドルを上手にきり返し次から次へと敷き板を乗り越えて行った。板から板に渡るとき自転車はコトっと音を立てた。でも案外滑らかな乗り心地だった。対岸の土手に緊張してはいたものの、あっという間に辿り着いた。達也は自転車を止め後ろを向いて得意満面な顔をした。僕もやったな! と感じ、解放された気分の笑顔を返した。

 そもそもなんでこんな危険な事をやらなければならなくなったんだろう?それは中学校の先輩が金子の日頃の素行態度をみて彼にいちゃもんをつけたことから始まった。

「おい、金子!ちょっと顔を貸せ」

「お前一年のくせに生意気ばっかり云うんじゃねぇんだよ!態度がでかいんだよ。気にくわねんだよ」

「なんであんたにそんなこと言われる筋合いがあるんだ。二年生だと言って偉そうに威張るじゃねえよ」

「なに?それじゃ俺と勝負しようと云いたいのか?まずは試しに度胸振りを見せて呉れよ。お前はなにがやれるんだ?言って見ろよ」

「………。俺が応えたらあんたらもなにかやれよ」

「事と次第によってだな!」

「分かったよ。やればいいんだろう………」

 もう達也は引き下がれなかった。腕を組み暫く沈黙が続いた。そして徐に、

「十二鉄橋で勝負しようじゃないか? 俺は自転車であの鉄橋を渡ってみせるよ」

「なに!十二鉄橋、あの鉄橋の左右には歩行通路や手摺がないぞ。もし列車が来たら逃げ場がないから跳ねられて死ぬぞ!それでもいいのか」

「いいよ。その時はその時だよ。あんた等なにをするんだ?」

 先輩もとっさに返答が出ず喉を詰まらせた。

「 ………。俺らは五人いるから鉄橋の前で列車を止めて見せるよ!」

 先輩と金子は、この勝負互いに納得した。

「わかった。誰が証人になるんだ」

「俺は友達の前田を連れていくよ」

「そうか、こっちはお前のクラスの田村を連れていくよ。約束は一週間以内に果たせよ」

 というやりとりがあったそうな。


 鉄橋を渡り終えた二人は土手を降り川原に躍り出た。川の中央付近は流れが速く傍に寄れないが、岸辺よりの橋脚の根元には近づけた。どの橋脚も根元は抉られていて池のように水が溜まっていた。そして中でハヤが群れをなして泳いでいた。

「前田、今度くるときはここでウナギを捕るから水中眼鏡をもってこいよ」

「えエ!こんなところにウナギがいるんかい?」

「結構いるよ。潜ってとるから軍手も着けてな」どうしてこんなところにウナギがいるのかさっぱりわからなかったが、次回の楽しみとして頷いた。帰りは一列車やりすごしてから鉄橋を自転車で渡り終えた。行きと違って怖さがすっかり消えていた。

 翌日、僕は達也に連れられて先輩の元に行った。昨日のことを告げた。先輩は話を訊いて頷き仲間に知らせるといった。翌週の月曜日、登校すると、「新聞見たか」とクラス中が大騒ぎになっていた。先輩たちが警察に補導されたらしいという噂が流れた。新聞に信越線の特急列車を勝手に止めた中学生のニュースが出たとのことだった。その中学生は、我々の中学生らしい。早朝、授業が始まったが先生から一言もその件の報告はなかった。ただ田村は病気で欠席になっていた。四日目、田村が真っ青な顔して登校してきた。病み上がりのような少し痩せたような様相だった。何故か、僕と目を合わせることを嫌った。それから何日も過ぎたが、あの先輩たちの顔をみることはなかった。一ヶ月ぐらい経っただろうか、田村に顔を合わせたとき例の件を訊いてみた。すると青ざめた顔の彼の口から当時の様子を訊くことが出来た。

 あの日金曜日、先輩たちに連れられて十二鉄橋に行った。橋の手前で立ち止まり、あの先輩が、「金子との約束をいまから果たすからついてきてくれ」と仲間に告げたそうな。田村は、「金子がこの橋を自転車で前田を乗せて渡ったのか?」と半信半疑で驚き、列車が来たら線路を跨いで手を広げるくらいはたいしたことはないと決心したそうな。列車に向かって最前列にあの先輩が立ち、三十mピッチで四人が並び彼は最後だったそうな。やがて信越特急がやってきて線路を塞ぐ彼らを見て汽笛を鳴らした。誰もどかなかったので列車はストップし、公安委員が飛び降りてきて全員捕えたそうな。取り調べにあい両親が呼び出され、場合によっては損害賠償金訴訟になりかねないとさんざ説教されたそうな。特に田村については最年少でもあり、先輩達に無理やり連れて来られてこのような行動をさせられたという理由で二日間の事情聴集で放免になったそうな。金子との約束は誰も一切吐露し無かったとのこと。この事実を知り、僕は田村のためにもこの事件ことは内緒にする事をかたく誓った。


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 初夏が近づいたある日、達也からウナギを捕りに行こうという話が出た。箇所は十二鉄橋下で決まった。水泳パンツに水中眼鏡の出で立ちで橋脚の前に立った。脚の回りは半径五m程度の池になっている。達也は竹先に銛を付けたヤスを持って飛び込んだ。橋脚の脚元は深さ二mぐらいはあった。彼は真っ先潜ってウナギのいそうな大石に目安を付けて水面に上がって僕を手招きした。「俺が合図したら潜って大石をどかしてくれ。池の幅員はないから息を吸って一瞬潜ればやれるよ!石をどけたらすぐ逃げれば大丈夫さ」僕の泳げないのを承知のうえでの頼みだったので二つ返事で「分かった」と応えた。大きく息を吸って達也の指示する方向に潜った。水は真っ青、どの石も大きく見えた。すると一際大きな石が眼下にあった。どうやらその石らしい。無我夢中でその石にしがみつき、えいと抱きかかえながら転がした。意外にあっけなく石はごろりと転がって砂塵が舞った。その時、黒い細いなにかが団子のようにくるまっているのが見えた。すかさず達也がヤスを固まりに突いた。僕はそれまでで、慌てて犬掻きでその場を離れた。水上で振り返ると達也はまだ水中に潜っていた。「おやっ!」 ヤスに絡まったウナギがみえた。

「突いたぞ!」と叫びながら達也が水面に顔を出した。改めてあんな所にウナギがいるのか?と思った。気をよくして僕は言われるままに潜っては転がし潜っては転がしを十回くらいやった。その内三回ウナギの塊にであい、二回成功し一回は突き損じて逃げられた。大きさは四十センチていどだが満足のいく成果だった。ほかに彼が潜っている間、浅瀬でハヤ突きをやってみた。魚を追い回すと石の下に隠れる習性があり、斜めに石の下を覗くと色の付いたハヤの腹が見え、上から簡単に突けた。他の橋脚でもやってみたら結構数多くハヤが突けた。

 夏の間、何回かこのやり方を試してみたが肝心のウナギの数は伸びなかった。僕は達也に、「もっと楽してウナギを捕る方法はないか?」と迫ってみた。でも彼の口からは他の捕獲方法が語られることは無かった。 夏の終わり頃だった。夏バテ回復にたまたまウナギがよいという話題が家で出たとき、居合わせた兄に訊いたら、「ウナギだけならこれのほうがよく捕れるよ。しかも大きいのが掛かるよ」と答えが返ってきた。ドバミミズにたこ糸で結んだ鉤を刺し,ミミズをちぎり、切り口を五十センチ程度の竹先に突き刺して護岸の布団篭石の隙間に突き通すやり方であった。鉄橋回りは大石の護岸がゴツゴツしていた。膝ぐらいまで水に浸たり石と石の間隙に竿先を突っ込んでみた。護岸のコーナーにさしかかったとき、いきなり竿先のたこ糸が奥へ持って行かれた。グッググと糸が張った。しめた掛かった!思い切りたこ糸を引っ張りだした。すると太くおおきく真っ青なウナギが石の間から躍り出てきた。およそこれまでの魚獲りで一番嬉しかった瞬間だった。やったなと自分に言い聞かせるように呟いた。同じ箇所で同じぐらい大きさのウナギが結局二匹捕れた。


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 秋台風が通過して二~三日経ったある日、久し振りに達也が僕のところにやって来て「鯉を掴みにいかないか?」と誘いの相談を持ちかけてきた。どこにそんな鯉がいるのか些か疑問だった。すると彼は、「いつも行く十二鉄橋の近くに鯉の養殖池がありそこから逃げた鯉を捕まえるんだ」と告げた。事実、彼は前回の台風後、兄貴と行って数匹鯉を捕まえたと自慢していた。鯉を食べる機会は土用丑の日と暮れの恵比須講ぐらいしかなかったので願ってもない機会とすぐに同意した。

 曇天の日だった。自転車で十二鉄橋に向かい橋の袂の空き地に着き、着替えした。僕は水泳パンツでバケツを持ち、彼は竹箒と掬打を持って鉄橋を渡り、養殖池に向かった。鉄橋から三百m下流にその養殖池はあった。堤防と養殖池の間に幅員七m程の用水路が流れていた。養殖池はその用水路から取水していた。池の周囲は生け垣が密集して且つ、木柵に囲まれていて外から池の様子は窺えなかった。また、生け垣の外周には大きな側溝がとりまいていた。彼の話によると台風一過後、池から逃げた鯉はこの側溝に入り、やがて用水路へ向かう。その前に側溝を総ざらいして鯉を捕らえる算段だという。着くと、早速彼は掬打を側溝に入れて構えた。僕がその上流方向から竹箒を揺すり掬打に近づけた。鯉がいれば掬打に入るはずだった。池の周囲の側溝を隈無く探った。しかし全然入らなかった。捕れたのはザリガニと小魚だけだった。「こんなはずではない?」と彼は首をかしげたが。目指す鯉は掬打に掛からなかった。挙げ句の果て、長い鉤の付いたたこ糸が網に絡まって上がってきた。これを見て、すかさず彼は絡んだたこ糸をほぐし。竹柵の設置されている取水口へ向かった。そこには餌用の蚕のさなぎが数個転がっていた。さっき側溝まわりを歩いていたとき目にしていたらしい。鉤は二本ついていたので、さなぎを刺して竹柵の内側にポイっと投げた。あっという間だった。二匹鯉がさなぎに食いついた。彼の手に巻いたたこ糸が手に食い込むような引きで鯉はバシャバシャ暴れた。取水口と反対側の方から突然、「コラッ」と声が聞こえた。「まずいぜ。見つかった」彼は鯉を引張り上げるのを諦め、すかさずたこ糸を離した。すぐさま、「逃げろ、逃げろ」と僕に向かって叫んだ。僕はバケツ、彼は掬打を持って一目散に堤防を駆け上がった。毛もくじゃらで大柄なおっさんが、「待て!」と大声を発して追ってきた。おっさんに続いて中くらいの大きさのシェパードも「ワンワン」吠えながら迫ってきた。犬は速く堤防を百m程走ったところで僕に追いついた。少し先回りして達也に向かったが、Uターンして正面から僕に向かってきた。長靴で蹴飛ばし、かわしながら前に出た。すると犬は牙をむき出し左足脹脛下に噛みっついた。この長靴は兄からもらった物で少し大きかった。牙は長靴を貫いたが足は無事だった。「ウーウッ」と噛んだまま長靴を放さなかったので、その長靴をはき捨てた。そのまま鉄橋に向かって走った。犬は長靴を咥えたままおっさんを待ったが、すぐにまたこっちへ向かって「ワンワン」吠えながらやってきた。まだ鉄橋まで百m以上あった。瞬間僕は、なにも鯉を盗んでいないんだから?ここまで逃げる必要あるんか?足を止めようとした。先に走ってそれを見かけた達也はUターンしてきて、

「前田!捕まったら大変だぞ。もう片っ方の長靴を脱いで橋まで頑張れ!」と僕を叱咤激励し手を引っ張ってくれた。

 もうへとへと諦めかけたが、もう一息頑張った。鉄橋に着き振り返った。おっさんも足がもたもたしていたが犬と交互に近づいてきた。一足早く鉄橋を渡りだした。すると、遠くの方から、

「ビービー」とけたたましい機関車の汽笛の音が聴こえてきた。

「まずい!汽車がやってくる。線路に潜るからお前も来いよ!」 達也はそう云うなり二三歩歩いて身を屈め、足場板に右手を下に回して掴みもう一方を左手で掴みレール下に潜った。

 主桁と横桁の交差部のフランジに両足を乗せ、「掬打とバケツを降ろせ」と手招きした。すぐに渡し、僕も、真似してもう一方のレール下に潜った。フランジは想定していたより下でやっと足が届くほどだったが、下を見ると濁流が橋脚に当たり渦巻いていて目が回る勢いだった。達也は手を伸ばし僕の胸の辺を掬打で抑え、

「堪えろよ下を見るなと叫んだ」

「ボーボー」と汽笛を鳴らしながら頭上を、

「ガタガタン、ガタガタン」と大きな音を立てながら列車は通過した。

 僕は怖くて目をつむり必至で桁のコーナーに身を寄せ堪えた。列車の編成が多かったのか通過時間がとても永く感じた。でも通過したとたん気持ちが空になった気がした。

「前田。線路に上がれや!」

「じゃあ先に上がるよ」

 足場板を掴み一気に懸垂し、レール上に躍り出た。バケツと掬打を受け取ると、ヒョイッと達也が現れた。彼は笑みを浮かべながら、「オーライオーライ」と息巻いた。鉄橋を渡り終え橋の入り口に戻った。この様子をおっさんは堤防を降り川渕で観ていた。達也はこれに気づき堤防を降りて川を挟んで対峙した。おっさんはじっと達也を睨みかえしたが踝を返し戻りだした。「馬鹿野郎!糞爺」と、大声で叫んだ。おっさんはむっとした顔をしてまた川淵に犬と戻ってきた。すかさず達也は手の平サイズの石を持って対岸に向かって投げた。石は大きく円弧を描いて川を越え見事にシェパードの腿辺りに当たった。「キャイーン」と一声をたて膝間づいた。おっさんが駆け寄り足をさすった。犬はすぐに立ちあがりはしたものの、怖じけづき片足びっこしながら尾っぽを巻きヒョコヒョコ逃げ出した。僕も追いうちかけるように大声で「ざまあみろ!」と、怒鳴った。おっさんと犬は振り返らず堤防を互いによちよち上がって戻って行った。

「前田。ちょっと待っててな」

 達也はそう言うなりシャツを脱ぎ棄て、いきなり川へ飛び込み中央へ向かってクロールで泳ぎ出した。こんな荒れた川で無茶な泳ぎしていいものかと僕ははらはらしたが、濁流の中、バシャバシャ音を立てながら進み途中でUターンして戻ってきた。「危ないことするなよ」 僕は怒った。すると彼は真顔で、「線路の下に潜って、川に落下した時、助かるかどうか確かめただけだよ」とあっけらかんに応えた。

 帰路に着いた時、あの時、あのおっさんに捕まっていたらどうなったんだろう?達也の「逃げろ」の掛け声は正しかったんだな。裸足のことが少しも気にならずホット胸をなで下ろした。



 八千代・聖石橋


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「貴史君、水面に泡が吹き出てるところや波打ってるとこ見つけたら教えてな!」

「小父さん任してね!」

 僕と岡田さんの息子博と二人で水面を見張っている。舟はゆったり小父さんが太い竹竿を水底に突きながら前に進んでいる。対岸には釣り人が並んで竿を出している。僕らの舟が前を通ると皆一斉にこちらを向き、いやそうな顔をする。小父さんは一向に気にせず竿を差す。小父さん。「あそこあそこ」指を波立つ方向に向ける。「ようしゃ」すぐに竹竿を放し投網に持ち替えて構える。舟は漕いだ勢いに任せてスーと的に近づく。「エイッ」と、一声あげて投網が放たれた。バシャバシャ音を立てながら鯉が二匹網の中で暴れている。「捕ったぞ! まあまあだな」柔道で鍛えぬいた太い二の腕を捲ったシャツの下に覗かせて網を引き揚げた。船底で鯉がバタバタ跳ねる。こんなでかい奴が網だと捕れるんだなと感心しながら鯉を取り出し大きなクーラーボックスに入れる。真横から見る鯉は、尚更大きく見えた。頃は六月初め梅雨にさしかかった時期だ。風がなく川は静か。碓氷川と烏川の合流地点、川幅は広く流れが緩やか、絶好の魚とり日和だった。今回、僕が随行できたのは父が岡田さんと柔道仲間だったからで、僕が大の魚とり好きという事を小父さんは父からさんざ訊かされていたせいだ。小父さんも昔から魚とりが好きだったようだ。ただ釣りのようなまだらっこい事は嫌いで網を仕掛けたり、投網したりの豪快な漁法に徹したそうな。今回使用した木造船は小父さんが自前で拵えた自慢の舟で身体がごつい割に手先が器用という専らな評判は本当だった。

 日和は曇天から雨に変わった。水面が雨で泡立ち、あっちこっちに波紋が現れだした。

「小父さん。魚の居場所が分からないよ」

「そうだな。この天気ではね」すると小父さんは右岸の葦の群生しているワンドに向かって舟を進めた。池のように静まり返ったこの場所は、外から見えず魚にとって絶好な隠れ家みたいになっていた。着くや否や小父さんは葦の先端付近に投網を打った。バシャバシャっと網の中から音が聴こえてきた。「獲物がかかったぞ!」 小父さんはニコリとして自信ありそうにほほ笑んだ。網が水面から上がると大きな魚が姿を現した。捕りこんで見ると丸々太った三〇センチを超えるマブナだった。「鯉みたいだね」「甘味噌で炊くと美味しいよ。もう少し捕るか」この場所で数回投網を打った。捕れた魚はフナ以外はどれも長細かった。それらの一つは、鯉そっくりで髭もあり、ただ体つきが流線型で顔も細長かった。これはニゴイといってまずいそうだ。それと鯉ぐらい大きいが丸々して細長く髭がない魚が捕れた。これは草魚といって水草ばかり食べているので食すると青臭くとても手に負える代物ではない川魚だった。そんな中、よくこんな大物がいたなと思ったのが、二十五センチを超えようかというハヤだった。身体は婚姻色で鮮やかな緑、顎の辺が紫のぶつぶつが散らばっていて、後にも先にもこれ一匹捕れただけの珍しい大きさのシラハヤだった。

 投網を終えて、クーラーを覗くといろんな魚で満杯になっていた。ダットサンの荷台に舟をくくって帰路に着いた。ダットサンは運転席に三人乗れるだけ。後ろは荷台。車を所持している人は殆どいなかったから、この一日舟で投網打つ他の舟はみかけなかった。


           2

 

 真夏になり、ある日曜日、近くの上毛新聞の記者の息子、徹が、「今日烏川に素手で魚を捕る名人が来るから観に行かないか?」と、お呼びがかかった。これといった用事もなく、「是非連れて行ってくれ」と頼んだ。現場は聖石橋の真下だった。大勢の野次馬で川原は溢れていた。明らかに報道関係者と思しき方々もカメラを構えて待っていた。そこへ中年のおっさんがスポンサーらしき人物とやってきた。待っていた人達に一礼すると着物を脱いだ。なんと褌一つになって水中眼鏡をかけた。そして川に飛び込んだ。暫く浮かんでこなかった。どうしたんだろうと川淵に近づいたとたん、ザバッと頭が水面に浮いて身体を屈めながらこちらへ近づいてきた。見ると胸元に大きな鯉を抱きかかえていた。周りの人々は皆唖然とし、驚いた。川辺に上がると黒山のようにおっさんの周りが人だかりとなった。おっさんは魚を放すとまたすぐに川へ飛び込んだ。やはり又大きな鯉を抱えて上がってきた。カメラのシャッターがバチバチきられた。おっさんは笑顔をみせてどんなもんだいという顔つきでこの動作を繰り返した。次から次と魚を捕り込んで上がってきた。僕にはどうしてこういとも簡単に素手で魚を捕まえられるのか最後まで分からなかった。腕に関係者の腕章をつけた徹のお父さんが二人を見つけてやってきた。

「貴史君。どうだ?楽しかったか」と、声をかけてくれた。

「小父さん有難う!こんな魚とり初めて見ました」

「小父さん、デスクワークがあり前橋に行くから二人を家まで送ってやるよ」

 まだ魚とりは続いていたが、堤防に上がり黒塗りの乗用車に乗せて頂き帰途に着いた。

 翌日の朝刊に夏の風物詩としておっさんの素手による魚とりが写真入りで掲載された。

 その日、徹の家をお礼の挨拶で覗いたら、所狭しと串に刺し半焼きした川魚が飾ってあった。


          3


 秋になり、友達を連れて八千代橋中途から階段で中洲に降りて下流先端の草原で遊んだ。イナゴなんかは大群で移動しているからタモを使うとあっという間に紙袋一杯捕れた。堤防沿いの草むらでは鈴虫がリーンリーンとよく鳴いていた。近づくとすぐ鳴声をやめるので虫の姿を観ることはなかったが。ここの中洲は大きくて手が加えられてないので伸びっぱなしの大小の草木があっちこっちに見られた。この頃、特に気になったのはあっちこっちに仕掛けられたカスミ網だった。葦の群生を一定の幅員で刈り込み通路を造りそこを低空飛来するスズメの大群を一網打尽にする罠である。この猟法は当時から禁止した方がよいと問題視されていたが、いっこうに減る様子はなかった。よく朝方観に行くとそこそこ一杯にスズメが麻袋に詰め込まれて放ってあった。ところが人目につく箇所は網が外されていた。恐らく密猟者は昼間スズメが網に掛かってバタバタしているのを観られたくなかったのかもしれない。    

 僕はこの様子を我が家の裏手のパン屋松山の息子、俊司に話した。何故なら彼は空気銃の名手だったので川原に連れていけばスズメを捕ってくれる期待があったからだ。ふだんから腕を自慢していたが、誰も彼の腕前を拝見した者はいなかった。 ただ店にパンを買いに行くと決まって銃自慢が始まった。持っている銃は新型のエアーポンプ式空気銃の中でも大口径で鼓弾も大きかった。町でこの銃を手にしている者は俺しかいないと豪語していた。

「そんなにスズメがいるんなら俺を案内してくれよ、腕試しもしたいし。この街中じゃあ危険で銃は使えないから。先だって新聞に流れ弾に当たって怪我したニュースがあったばかりだからな」

「次の日曜日の朝連れて行くよ」

「じゃあ頼むよ」

 俊司は、腕が鳴って直ぐにでも同行したそうだった。

 約束の日、二人で例の場所に来た。

「パッン……。当たったぞ!」

 僕は駆け足で木の下に近づく。弾が貫通したスズメがひっくり返っている。拾って底が革製のネット袋に放り込んだ。これで六羽目だ。彼が銃を使いだして全部命中。それも殆ど首下に命中している。その腕前に驚いた。結局十一羽獲った。 その時点で僕は獲物を獲り行くのがいやになった。草を掻き分け、獲物を探すのが意外に面倒だったからだ。木や草の密集地帯の根元は蛇やらムカデがいっぱい居そうだったからだ。それと銃を近くで構えると瞬時にスズメが飛び立つので最低十五m以上離れた物陰を探さなければならなかった。そのため場所移動が頻繁で疲れたからだ。獲ったスズメは一旦ネット袋に入れて、後から川に浸け洗った。これは羽虫や汚れを落とす為だ。帰りに彼は満足し、

「半分持っていくか?」と声をかけた。父が殺生嫌いなので、

「今回は要らないよ」と応えた。

「また近いうちに獲りに来ようや」 

 本当は少し分けてもらいたかったが、家に鳥篭があったので生きたスズメが欲しかった。そのことでまた、彼に相談した。

 すると彼は、

「川原にカスミ網があったが、あれは鳥獣保護法違反だから駄目だよ。家は粉屋と取引しているから、確か鳥もちも造っていると訊いたことがあるな。あったら取り寄せて貴史にあげるよ」 

 その話を訊きしめたと頷いた。

 後日、パン屋に行くと俊司は空きビンに口っ杯半透明な鳥もちを入れて僕に呉れた。

「先日は有難う!旨かったよ。約束の鳥もちだよ。俺は仕事でついていけないから、これを小枝に塗って鳥が掴むのを待つしかないよ。場所は俺が獲った木でやってみたら?」

「今度の休みに行ってみるよ」

 彼はニコニコしながら買ったパンに大好きなチョコレートパンを三個追加してくれた。


 川原の木に登り、鉈で不必要な枝を払い刷毛で小枝に鳥もちを塗ることにした。想像外にべたつき枝の折れるギリギリまでよじ登るのは怖かったが、時間を掛けて一本の木の片側二mぐらいの高さの小枝に殆ど塗ってみた。それから石を拾ってスズメの大群を追い回した。

 二時間くらいやって、やっと目指す木に追い込んだ。大群が木に留まったとき二三羽鳥もちの枝を掴んだ。すかさず駆け込んだ。スズメは手を放し、鳥もちを曳きバタバタしながら逆さで真下に降りようとした。タモで抑え込んだ。獲れた。もう一羽は地面に降りて向きを変えて飛び去った。木を変えて同じことをもう一回やった。子スズメだが二羽目が獲れた。もう夕方に近かった。

 生きたスズメはとっても暖かく柔らかだったが、羽の下に綿毛のような白い小虫が一杯ついていたので網袋を川に浸けて羽を洗ってやり家に持ち帰った。

 竹ひごで造られた篭で飼うことにした。餌は粟を穀屋からもらいコップに水を入れて篭に取り付け庭の海棠に吊るした。父が餌やり担当になった。粟を潰し練餌を作って小さいスプーンでスズメに与えていた。

 ある日のことだった。学校から帰ると父が、「貴史ちょっと来いや」 なにかなあ?と父を見ると篭を指しながら、「あれを見ろ」と云いだした。 どこから飛んできたのか親スズメが篭のスズメに咥えた虫をチュンチュン与えているではないか!僕は唖然とした。

「こんなことがあるんかなあ」と暫しみとれていると父から、

「貴史。可哀想だから逃がしてやってくれ」

「うん!そうだね」

 二つ返事で篭の二羽を放した。すると雀は蔵の瓦屋根の雨樋に留まり、僕らを見降ろし、チュンチュン……鳴きながら飛び去った。なにか善いことをした気持ちになった。


 君が代橋


 そもそも僕が、川に興味を抱いたのはこの橋から始まった。幼少の頃、父が僕を自転車の荷台に乗せて藤塚へ、春と秋彼岸のお墓参りに連れて行ってくれた。お墓は椋の巨木で有名な藤塚の一里塚の正面、国道一八号線の裏手にあった。その昔、参勤交代で信州のお殿様がここで休息を取られていた時、急死されて、時期が夏だったので使いを待たずやむをえずこの地に埋葬したという伝説があった。我が家の祖先も信州という縁があったせいか、どういう訳かお殿様の墓地のすぐ隣にあった。橋から結構ここまで距離があったので、父はこの橋で僕を降ろし一人でお墓参りに行くことが多かった。父がこの橋に戻るまで川原で遊んで待っていた。そんな彼岸のある日の夕方、橋の真下の護岸で川を見つめていた。その日は曇天で春浅かったが風もなく暖かかった。護岸は太い丸太を縦に立ち並べた型式だったので水際から真下の水中がよく見えた。小魚が次から次とやってきては丸太についた藻を突っつくのを興味深く、飽きずに見守り佇んでいた。 そんな時、水面下五〇センチぐらいの水中を数匹の大きな魚が通り過ぎた。それもゆったり泳ぎながら。暫し呆然とした。すると突然「貴史!速く上がって来いよ」と、父の声が聞こえた。「はーい」振り向きざま手を上げて急いで堤防を駆け上がり父の自転車に跳び乗った。頭はさっきの魚のことで一杯だった。父は、「なにボーッとしていたんだ。呼んでも気づかないし」 ………。あそこにあんな大きな魚がいるとはな!と、一人呟いた。

 この時点から僕の川への好奇心と挑戦が始まったと言ってもよい。


         1


 この橋の上下流は、比較的荒瀬でごろた石だらけだったから鮎の友釣りで有名だった。

 夏になると川中に釣り人が腰の辺まで水に浸かり釣れた逃がしたと一喜一憂している姿がよく観られた。長い鮎竿のない僕たちは橋の下の深みで鮎のどぶ釣りをした。五号程度の錘を仕掛けの先端に取り付け、その上二〇センチぐらいに鮎用毛バリの付いたハリスを結び水中の大石周りを丁寧に竿を上下させながら探る釣り方である。これで一日頑張ると最低一五センチ程の鮎が三~四匹釣れた。他にウグイが十匹ぐらい釣れて、帰って天ぷらにすると結構美味しい晩飯のおかずとなった。

 十月、秋深まる頃になると友釣りする人がいなくなり、川の水も減水するので僕らの出番となった。この時期になると落ち鮎が群れになって川を下る。これは偏光グラスをかけ橋の上から見ると晴れた日でもよく分かる。橋から下流百mぐらいの箇所は川幅、深さが一定していてサビキ釣りには絶好なポイントだった。鮎竿でない通常の釣り竿でも、道糸を十mにして糸の先端に軽めの錘を付け、四十センチピッチで7の字型大鉤を十個縛り、流心で左右に大きく竿を振れば鮎が引っかかった。 落ち鮎は流心を通るので、急流で多少の深みがあっても竿を出せる体格が必要だった。勿論、僕の体では無理だった。上級生に菊井といううってつけの男がいた。魚屋の伜で、ちょっと愚鈍な男だったが、鮎が数釣れるという話に乗って付いてきた。僕は偏光グラスをかけ橋の上から彼に鮎の群れの通過と川の左右を手で合図して知らせる役目をした。彼は竿をさびいた。釣れると鉤に返しがないので一回〃陸側に寄せて鮎を放り上げた。かなり釣れた。多い時、十五匹はあった。しかも大きかった。彼はこれなら店に出せると喜んで出向いた。

 そんなある日のことだった。橋の回りは見物する人がふえた。僕らのポイントの上下流にも真似する人が出てきた。菊井はいつものポイントに入って竿を振ったが、その日は、回りの人だかりで合図の声を出すのが恥ずかしく、ただ彼の釣りを見届けるだけだった。

 彼が大物を掛けた。竿が下流に前のめりなったとき下流の釣り人の竿も弧を描いた。掛かった鮎が水中で暴れて二人の道糸をもつれさせたのだ。そのまま陸へ上がった二人は言い争いを始めた。

「魚が掛かって下流へ向かったのにそっちが避けてくれなかったから糸が絡んだんだ」

「俺も鮎が掛かってこらえてるところにあんたの流した糸が引っかかってきたんじゃないか?この鮎は俺のだぜ」

「馬鹿云うな。最初からこっちが掛けたもんだ」

「なにをほざくんだ!他人の糸をクチャクチャにして魚まで捕ろうとは」

 カッときた男はいきなり菊井の顔面にパンチを見舞った。瞬間、彼の腰が沈み前のめりになった。僕は慌てて彼を抱きかかえ、頭を起こすと鼻血がタラタラ。「酷いことするなよ」と、怒鳴った。みると男は見た目より図体がでかかった。目と目が合ったが、明らかに菊井を睨み付けた目つきではなかった。そこに突然二人の子供らがやって来て、橋を指さし、

「ケンちゃん周りの人が観てるから喧嘩をしないで!」

「ああ分かったよ」

 僕と目をそらし、菊井に向かって、

「今度俺の傍で釣ったらこんなもんじゃあ済まないぞ!」と、捨て台詞を吐いて男はその場を去った。この様子を橋の上の野次馬が大勢見守っていた。

「大丈夫か?」

「一瞬、くらっととして分からなくなった。もう大丈夫だよ」

 彼は鼻血を川で注ぎ、「もう帰ろうよ」と、元気なく呟いた。

 あの事があって以来、菊井から鮎釣りのお声が掛からなくなり、どうしたのだろう?と、夕方、彼の魚屋に秋刀魚を買いに行ってみた。店頭に立ち、黒い前掛けをし、頭に手拭いで鉢巻きをして「いらっしゃい!いらっしゃい!」と客寄せをしていた。僕を見つけ、駆け寄ってきた。

「どうしちゃったんだい?」

「いやあ、このあいだの男は市内では札付きの不良らしいぜ。あっちこっちで喧嘩して問題を起こしている噂があるよ。もう関わりたくないからあそこに釣りに行かないからな」そう僕に告げると、振り向きざま客に向かって商売人の顔に戻り声を張り上げていた。


        2


 秋が終わり季節が変わり空っ風が吹く頃のある日の夕方、父の馴染みでキノコ採りの名人が息子を連れて僕の前を意気揚々と通り過ぎた。肩に釣り竿入れを担ぎ、手に紐で吊るした大きな木箱(木魚篭)を重そうに持っていた。きっと魚が大量に釣れたに違いないと直感し、後をついて行き、「なにか魚が釣れたの!」と声を掛けた。すると息子の慎吾がニコリとして立ち止まり木箱の蓋を開けて中を覗かせてくれた。中には三〇センチを超え銀白色で体高が鯛みたいに大きなフナが沢山入っていた。「こんなフナ初めて観るけど、どこで釣ったの?」と、問うと親父さんが息子に向かって首を振って見せた。「ううーん、またな!」と応えて歩き去った。僕はあの親父さんはキノコ採りの時もそうだったが、近所なのに肝心なことはなに一つ喋らない人だなと呟いた。それから暫く経ってからのことだった。慎吾が継母に怒られて夜なのに家の外に出され我が家の前でウロチョロしていた。僕はすかさず彼を我が家に入れて夕ご飯を一緒に食べようと誘った。お腹が空いていたのか二つ返事でこっくりし、食事を共にした。その日はカレーで、大量に造って余ると翌日、母が捨てているのを知っているのでこれ幸いだった。彼はカレーを美味しそうに食べ、お礼に例のフナ釣りに連れて行く約束をしてくれた。ついでに僕はあんな大きなフナをみたことがなかったので彼に何処でどのように釣ったのか訊いてみた。

「あれはゲンゴロウブナといってミミズでは釣れないよ。蒸かしたジャガイモを潰し、うどん粉と練り合わせた餌で釣るんだよ。場所はセロハン工場の前の池さ」

「何回か釣りに行ったことはあるが誰もあんな大きなフナを釣った者はいないよ?」

「それはそうさ、ポイントは内緒で、今度連れて行ったら教えてあげるからな」と云って食事後、時計を気にしながら母にペコッと頭を下げて帰った。

 そもそもあの池は川側が浅瀬で釣りようはないし、そうかと云って池は葦で覆われてどの辺がポイントか見当がまるっきしつかない。堤防は法面肩いっぱい迄、工場の高い木塀が立っていて且つ斜面勾配がきつく滑り易く法面下は池に浸かっていた。以前、塀伝いに堤防上を踏み歩きしたことがあり、塀の節穴から工場内を覗いたことがあったが、塀の中は木材のチップが山積みになっていて、その横に石炭や炭がいっぱい山になっていた。奥の方は、数多くのパイプラインがくにゃくにゃに設置されたスレート葺きの建屋が連なって建っていた。もっと見ようと眼を塀に近づけた折り、いきなり放し飼いのシェパード二匹が吠えながら塀に向かって飛びかかって来たのでびっくりして堤防を駆け降りたにがい経験があった。

 小春日よりの朝、念願のフナ釣りに慎吾が案内した。話通りに君が代橋を渡りすぐ堤防を降りて下流へ進むと堤防に沿って池が広がっていた。彼は池沿いにすたすた歩いた。暫くして池は途絶えてまた川原が広がっていた。池の終末箇所は葦の群生に覆われ、水浸しでどこからどこまでが池か川原かはっきりしなかったが。彼はシューズを脱ぎズボンを捲り、葦の茂みを掻き分け池の中に入って行った。五m程進むと葦の群生が柵のように現れ、そこを掻き分け踏み込むと水面が堤防沿い続いていた。対面は葦が堤防沿いに生え並び、要するに葦と葦の狭間の水空間というポイントだった。早速彼が持参した餌の練り餌を付けて仕掛けを放ると、すぐに浮きがピクピクして沈みこんだ。小型のマブナが釣れた。彼は二本鉤で、大きめな餌をつけて繰り返し放った。

「来たぞ!」 竿は大きな弧を描いた。水中にキラッと魚体が煌めいた。

「ゲンゴロウだ!ちょっと大きいぞ」水面に口を突き出し手のひら大のフナが上がってきた。

「綺麗なフナだな」と囁いた。 

 二時間ぐらいは経っただろうか。

「これくらいに今日はしとこうか?」

「ああいいよ」残った餌をポイントに撒き川原を後にした。

「ここのポイントは他人に教えないでな」と念を押された。

 それからちょくちょく一人でゲンゴロウフナ釣りに出かけてよく釣った。何べん見ても綺麗なフナだなあと感心し、ついまた出かけたくなった。


          3


 師走に入った。寒くなるとフナは深みに塊る習性があるのかポイントが絞られ釣り易かった。

 そんなある日曜日の午後のことだった。

 一人で君が代橋に釣りに出かけた。池の周りの葦は枯れて池の中洲も見えそうなくらい水も引いていた。さっさと裸足で池に入り中洲に渡り釣りを始めようとしたとき、後ろから足音が聴こえた。大小二人組の男が近づいてきた。振り返って顔を合わせると、なんと鮎釣りで菊井を脅した男ではないか! 僕はとっさにニコリと会釈した。男も僕に気づき気まずそうな顔をしながらも「ようっ……」と、こくりした。しかし、僕という先客がいるので、二人はこの場をすぐに離れた。この日の天気は怪しく、次第に曇ってきて少し風がでてきた。水面に波紋が現れてきた。なんでだろう?アタリが全然ないなあと呟いた。

 ふと前を見ると例の二人組が堤防沿いを這いながら正面の池淵までやってきた。そしてこちらと眼が合うと再び会釈して釣りを始めた。餌は赤虫のようだ。だが全然彼らも釣れなかった。静かに時間だけが過ぎ、二人して首を傾げながら釣りを続けたが同じだった。二人の会話は丸聴こえだ。

「ケンちゃんアタリがないよ」

「そんなことはないはずだよ。もう少し様子をみようぜ」

 僕はその会話を訊き今日は釣れる見込みがないな、そろそろ竿仕舞い始めようかと釣り道具を手元に集めた。風が一段と強くなりさざ波が立ってきた。辺りが暗くなり寒さが一段と増した。すると男は退屈したせいかポケットからタバコを取り出し、身体を屈め葦の陰でマッチ棒を擦った。「あっちい!」 男はのけぞった。だがマッチの火はすぐに消えた。「畜生!風でマッチを擦っても消えちゃうな」にが笑いしながら枯れ草を少し集めまた火を付けた。今度は上手くタバコに火が付いたものの周囲に枯れ草の残り火が引火した。炎が枯れた葦に飛び火してみるみるうちに音を立てながら燃え広がった。あっという間に炎は堤防を這いあがり木塀を焦がした。二人は上着を脱ぎ必至でパタパタ火を消そうと駆けずりまわった。

「これは困ったぞ!火が消せねえ」そう言いながらぼくの方をチラッと見た。なにか助けて欲しそうだった。

 でも炎は風に煽られ火柱に変わった。これは大変なことになると、僕も池に入って水掻きで渡り、堤防を駆け上がり脱いだ学生服で火消しを手伝った。やがて火は工場内の山積みのチップや石炭に燃え広がった。

 男は僕に向かって、

「工場の人に火事を伝えて大至急消火を頼んでくる。ごめんよ」と一言声を掛け、僕の返す言葉も聴かず、一部燃え崩れた木塀から二人は工場内の敷地に突入した。あの犬の遠吠えもけたたましく聴こえてきた。少し時が経った。燃え盛る火の熱風が一段と強くなった。とてもじゃないが、塀の中に飛び込める状況ではなかった。そうかといって水際の葦も、ところどころメラメラと燃え広がっている。ここにいたら焼け死んじゃうのか?

 本当に怖くなって、ここでどうしたらいいのか判断がつかなく戸惑った。仕方ない、もうどうしょうもないと半ば諦め、池に飛び込み泳いで元の場所に戻り釣り道具を携えて急いでこの場を退散した。

 工場内の方角から「ドドーン」となにか爆裂した音がたて続けに響いてきた。 橋を渡り終え、ふと立ち止まり、暫く振り返って火事の様子を見守った。セロハン工場の煙突付近が真っ赤に何本もの黒い煙とともに燃え盛っていた。サイレンを鳴らしながら消防車が次から次へと君が代橋に到着し、橋は通行止めとなった。これから先ここにいてもしょうがないので我が家に戻り今日のこの一件を母に話した。母はまさか自分の子がこの火事に関与していたのか?声を震わせ父に報告した。父もびっくりして母となにか長々と相談した。そして電話をかけた。電話を切ると、「貴史、すぐに服を着ろ!タクシーを呼べ」と怒鳴り散らした。

 僕の学生服はさっきの火消しで黒く穴だらけになってしまったのでセーターに着替えた。服を見た母はやっぱりこれは事実なのか!と驚いた様子で声を詰まらせながらタクシーを呼びに外へ出た。小父が工場の役員をしているので、貴史を連れて至急工場に来て欲しいとのことだった。橋の対岸に工場はあるので通行止めの橋の手前で降り。関係者ということで橋を渡り工場へ向かった。夕方になったが火の粉は空高く舞い上がっていて場内は人でごった返していた。数人の警察が門前で構えていた。父が門番に小父に面会すると告げると、門番はお辞儀をし、入り口奥の建物の役員室へ案内してくれた。小父は父を見るなり「たきーちゃん久しぶりだな」と握手してすぐこの大変な事態の話題に移った。

 犯人は市内の中学生で、タバコの付け火が原因と判り、既に二名警察に逮捕され事情聴取に応じていると云う。

 犯人はあと一人傍にいたと証言しているらしい。すると父は、

「その一人が実は貴史なんだが………」

「えっ……」小父は一瞬絶句した。

「すぐに高崎警察署に行って事情を説明しよう。車は会社で手配するからすぐに一緒に行こう」

 小父は会社に警察署に出かけると云い残し。三人で事情聴取に応じることにした。まだまだ火事はおさまらなかった。

 夜十時を過ぎた。警察官二名と向き合って同じ話をもう八回ぐらい訊かれた。でも事実は事実なので僕は火消しに加わったものの彼らとは一切関係がないと云い通した。二人も僕とは面識はなく仲間ではないと言ってたそうな。むしろ火事を目前にして火消しで学生服を台無しにしたと苦情を述べた。犯人は一人だがもう一人もポケットにタバコを持っていたため取り調べ中だと報告を訊いた。僕の学生服も警察に届けられ入念にチェックを受けたらしい。日付の変わる頃、放免された。父だけが待っててくれた。小父さんは調査が長引くので会社に戻ったそうな。帰り際、警察から、

「明日も来てもらうかもしれない」と、一言云われた。夜半過ぎになっていた。小父さんから父に電話がかかった。

「火事が治まらず工場は全焼になりそうだ」と。

「警察と犯人の話をしたら容疑も含め二名を逮捕したと言っていたよ」

 貴史の件はどうかと訊いたら、

「あの中学生は重要参考人として事情聴取したまでで現場にはいたが、つじつまが合っていたので無罪だから、多分もう当件で呼び出すことはないだろう」との報告があったそうな。

 父は小父さんに長々お礼を言っていた。朝、学校へ行く時、父から一切火事の話をしないよう念を押された。学校へ着くと昨日の火事で中学生が逮捕された話で持ちきりだった。火事は丸二日続き、三日目に鎮火した。       

 数日後、君が代橋を渡って見渡すと、あの煙突が黒く煤けて煙突に威風堂々書かれていた文字が分からなくなっていた。堤防から工場跡地が丸見えになっていた。かろうじて聳えるあの煙突と小父さんとあの晩、話あった事務所の建物以外敷地内は真っ黒焦げで、特に化学工場はパイプの爆裂破損がひどく大きな爆弾で攻撃されたような惨状だった。

 工場の関係者が場内に大勢いて、石炭や木屑置き場の被害の検証をしているようで、とても部外者が近づける様子ではなかった。

 塀に沿った池の葦もすっかり消えて、淵が真っ直ぐ長細く続いているのがわかった。

 寒く北風が吹きさらしているせいかゾクゾクッと思わず身震いをした。辺り一帯が焼け野原で烏川の下流が晴天のせいか遥か遠くまで一目了然に見渡せた。暫く立ちすくんでいた。すると胸が息苦しいほど、なにかに締め付けられて熱くなった。そして何故か涙が止めどなく溢れ出た。ぬぐってもぬぐっても…。 帰り道では、恥ずかしくて他人に見られないよう下を向いたままで。

 

         4


 母は今回の件でだいぶ胸を痛めたのか、ずうっと寝込んでしまった。

 一週間後、母は回復した。母は今回の件で僕に声をかけてきた。

「貴史頼むからもう親にこれ以上心配かけないでくれないか?」母は涙ぐんで訴えてきた。

「なに遊んでもいいけど、人様に迷惑をかけないで!」

「わかったよ!もう二度と魚釣りには行かないよ」

「そうかいそうかい」

「そうしてくれれば助かるよ。中学校卒業するまで頼むよ」

「?わかったよ」

「じゃあ、もういいよ」

 久しぶりに母がほほ笑んだ。

 何か不気味な感じを受けた。その夜寝付けなく今回の事件や自分の将来に不安を覚えた。

 隣の部屋で母が父になにか僕のことを伝えているのが聴こえた。

「貴史は納得したかい」

「もう一年、警察沙汰にならないよう頼んだよ」

「東京の弟から築地のすし屋で、是非、丁稚が欲しいと頼まれているからな」

「その話、今は内緒だから本人に話してないよ」

「まだ早いから来年時期をみてからだな。貴史は魚が好きで勉強嫌いだから魚河岸がぴったりだな………ハッハッハ」

「そういうことね」

 話は終わったようだ。

 やっぱり僕の学校生活はこれで終わってしまうのか?不安と興奮で寝付けなかった。

 自分なりに反省してみた。ここに至るまでおよそ勉強らしきことは真面目に一切してこなかったな。塾には算盤以外行ってないし、宿題も殆どやらなくてもなんとかこなしてこれたな。これがいい悪いはさておいて、いざと云う時、仲間の誰より機転の効く行動がとれたな。それが自信となって今日まで生きてきたなら、勉強への課題も挑戦したらなんとかなるのではないかと自分に言い聞かせてみた。だからやってなんぼのことかなと決心したとたんに眠気が襲ってきた。 翌日、いつもと違って母が優しくなにかと明るく気遣いしてくれた。とても不気味だった。

 後日、学校から帰ると兄の机に座り、英語や数学の副読書の読み書きを始めた。英語は作文を書いてみたが、スペルの文字が思ったより綺麗で流暢に書け興味を持てた。数学も方程式がよく理解でき、問題集も面白いように解けた。これなら努力すれば直ぐに挽回できるなと一筋の灯を見出せた。 連日、机に向かい人が変わったように勉強した。

 暫く経った或る夜のことだった。

「貴史がよく勉強するようになったって?」兄が母に尋ねた。

「不思議なんだけど?毎日学校から帰ると直紀の机で本を読んでるよ」

「あれの頭は、小さいときから知っているから、今更いつまで続くかな」父が冷ややかに応えた。 すると普段控えめな姉が真っ赤な顔して割り込んで父に云った。

「なんてことを云うの。婆ちゃまが生前、貴史がよちよち歩きのとき、横になった婆ばに黙っていても私の枕と毛布をそれぞれ間違わず持ってこれたのは貴史だけだ!と。実に賢い子で将来楽しみねと云ってたよ。遅いかもしれないが、やる気になって勉強を始めたんなら、少しは見守ってやったらどうなの」

「うーん、うんっ………」父は黙ってしまった。

「三年の六月に『中学統一テスト』があるから、進路はそれからでもいいんと違う」と兄が援護した。両親は姉と兄に説き伏せられて、一切二の句を告げなかった。

 このやり取りを一部始終、少し離れた廊下の隅で訊いていた僕は、お姉ちゃんに初めて認めてもらった嬉しさで胸がジーンときた。兄もここぞと云う時いつも助けてくれるいい兄さんでよかったと胸をなで下ろした。

 中学二年生の十二月のことだった。


                   

                            完                

 

                

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