第三章  お濠

 我が家から南西に歩いて六~七分で和田城址の堀に出る。堀は、くの字に折れて西側に百m、南側に高崎公園まで諤々折れながらかなりの距離続いている。城址側は土手になっていて堤内に市役所、音楽センター、赤十字病院他公共施設が立ち並び、そこに行く道路が堀を跨ぐため橋が架かって土手を分断している。しかし、僕が子供のころは大手前、中学校前、病院前など限られた箇所だけに城址内に入れる橋が架かっていた。仮に北側から大手門口に架かる橋までの堀を一号堀とすると、中学校前までが二号堀、病院前が三号堀となる。そこまで堀は連なっていた。


       一号堀

     

 堀は西側端の水門から始まる。町の中央から管渠を通して運ばれた雨水が絶えず堀に流入している。堀全長で唯一流れが見える箇所でもあった。南側は大手門口まで土手一杯に太い桜の木が生い茂っている。唯一大手門口手前の土手に堀を跨ぎそうな榎木の大木があった。堀の外側は、堀沿いの道路を挟んで武家屋敷や飲食店がぎっしり立ち並んでいた。 

 土手の裏側には関東軍の宿舎や倉庫があって倉庫には、軍刀や刀、軍服がかなりの数残されていた。門番がいて近づくと追っぱられたが、居ない留守、倉庫から錆びた軍刀や折れた刀を持ちだして土手の雑木をよく試し切りして遊んだ。また近くの自動車修理工場に持って行き工員に頼みグラインダーで折れた刃先にテーパーや木柄を付けさせ、小刀を作ってもらったりして遊んだ。ある時期に、この倉庫は撤去され、跡地にテニスコートが整備されて庶民のリクリエーション広場となってしまったが。 


          1   

 

 小学校から帰ると、毎日のようにここに顔を出した。学校は違うが仲の良い田辺がいたからである。彼も毎日、堀に来ていた。彼が僕と違うのは、堀の魚釣りが誰よりも上手だったことである。堀の前に立ち腕組みをしてじっと水面を見つめて一旦はいなくなり、戻ってくると竿を片手に釣り道具を持参し餌も自前で釣りを始めるのだが、なにしろ狙った魚を釣り上げる。その速さが半端でない。次から次と釣りあげる。そして魚篭が一杯になるとすっと引き上げる。堀にはいつも七~八人釣り人はいた。日曜日はかなりの人数だった。堀は一年中水草が一杯生えていた。菱藻が生える時期は、釣り糸が絡むとその棘で指を怪我した痛い思い出がある。 

 春四月、桜満開の頃、榎木前はフナ釣りの場所取りで朝から満員だった。そこに田辺がやってくる。皆顔なじみのせいか、彼を見た大人は席を譲る。徐ろに、組み立て椅子に座って釣り竿に仕掛けを取り付ける。餌はうどん粉の素練りを使う。周りの連中の餌はミミズか赤虫である。 彼の竿は段巻の四本繋ぎである。上手に仕掛けを覆いかぶさる榎木の枝の合間に放る。棒浮子が立つ、直ぐにトップがピクピクする。ヒュっと音をたて竿を立てる。穂先がググっと撓む、張った釣り糸が岸に寄る。タモ網にフナが収まる。その繰り返しである。    

 周りの者は、その捌きの華麗さに目が行き己の釣りに身が入らなく呆然と見守るばかりであった。彼のいないとき、同じ場所で長竿を振るう者もおったが、仕掛けを藻や枝に絡ませたりして竿を傷つける者が多かった。僕も真似したことがあったが竿が短く彼の放るポイントに仕掛けが届かなく、そこでの釣りは断念した。僕の釣り場は北角だった。そこに交番ボックスがあり、ふだんはお巡りさんを見かけなく、街の行事があるときだけ立ち番をしていた。

 その裏手でいつも一人、口ボソという小魚を釣っていた。餌は赤虫で小さな鉤だった。ただここは誰にも知られてなかったが、誰が放したのか三ツ尾の和金や流金が住み着いていた。水草の合間に数匹連なって泳いでいるのを見かけるとなんとしても釣りたかった。誰かに釣られたらいけないと毎日のように通った。周りの釣り師はここには大物はいないと知っていて誰も観に来なかった。ある日のことだった。餌屋が赤虫を沢山サービスしてくれた。訳を訊くとこれからは大きな赤虫が入荷するので今までの物は処分するからとのことだった。見ると新しい赤虫は真っ赤で今までの倍くらいの大きさがある、お猪口一杯の販売なので数が今後は減るなあと思った。金魚の通り道に、どうせ余るんだからと赤虫を撒いてみた。すると観ている間に、金魚が数匹やってきて餌を食べ始めた。頭を水底につけ、三ツ尾を上にひらひらさせながら。すぐに釣り支度をし、藻の合間に餌を放ると、金魚が餌に向かうのが見えた。同時に棒浮子がピクピクして水面から消えた。「ああ!来た」グググッと引きこむ。「思ったより大きいな!」上がってきた。赤い斑のついた金魚だった。思わず「やったー」と呟いた。大きかった一〇センチを超えていた。すぐ続けざまにもう一匹釣れた。ふと後ろにふりかえると、おじさんや中学生が自転車越しにじっとこの様子を窺っていた。

 他の口ボソは逃がして金魚だけ魚篭に残した。いつの間にか人だかりになり、魚篭を覗きながら「金魚がここにいたんか?」とそれぞれが首を傾げていた。その日以来この北角は、子供達の太公望で溢れ返った。

 もうこの場所には、自分の居所は無いなと、田辺のいる榎木前に行った。三人ほど見慣れぬ釣り師がいた。そこに一人この近所で日参している小父さんがやって来た。僕は、

「相棒見かけなかった」か、訊いた。

「最近、彼を見ないよ。春の初めはよく見かけたが,その後パッタリだよ」

 他の連中も「見かけなくなったなあ!なにかあったんと違うか?」と云って元来た道へ戻って行った。

 何でだろう?と不審に感じた僕は、急に彼に会いたくなった。一度一緒に途中まで帰ったことがあったのでその方向を辿ってみた。堀からさほど遠くない柳川町という花街の一角だった。確かこの辺だよなと呟きながら誰かいたら声をかけようとしたとき、細い路地からひょっこり彼が現れた。

「やあ!どうしたんだ?すっかり姿を見せないじゃない?」

「うん。頭に来たことがあったんで。二ヶ月前、あそこで釣りをやっていたとき、常連で中学生 奴が、俺に喧嘩を売ってきたんだ」

「お前、ここでは釣りを自慢そうにしているが、こんな堀でフナ釣ったぐらいで偉そうな顔をするな!」とみんなの前で怒鳴ったそうな。

「あんたにそんなこと言われる筋合いはない」と言い返したそうな。

「うるせえ!じゃあお前の腕がどんなもんか勝負しようじゃないか?負けたら二度と偉そうな顔をするなよ」

「分かった。なんで勝負するんか?」

 するとその男は、「烏川のハヤ釣りで決めよう」と言い出したそうな。彼はつい腹が立って売られた喧嘩をかってしまったが、いやな予感がした。と云うのは負けたら二度とここに顔を出さない約束もあったからだそうな。朝、時間を決めて昼までの釣果で争うことになった。田辺は元々親父に小さかった頃から烏川でハヤ釣りのお供をさせられ、この釣りは得意中の得意だったようだ。この勝負には親父の使っていた竿を持ち出して挑んだそうな。結果は歴然だった。釣果の違いを目の当たりした男は、顔をしかめていきなり彼の持ってきた釣り竿を鷲掴みに取り上げ地面に叩きつけたそうな。彼は驚き、「親父の大切な竿に、なんということをするんだ。許せねえ」とくってかかったら、げんこつで殴りかかられたそうな。体格の違いもあって怖くなり引き下がったら男は怖い顔して黙ってその場を立ち去ったとのこと。

「それ以来お堀に一度も行ってないよ」

「そうか!そういうことだったのか…」

 田辺のいなくなった榎木前はなにか寂しさが漂い静かになってしまった感がした。勿論、相手の中学生も姿を見せることはなくなったが。

 

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 家から散歩がてらに水門付近に行くと、堀沿いにずらり太い竿が並んでいた。座椅子に腰掛けた大人達が談笑しながら鯉を釣っている。大きな棒浮、太い糸、餌も十センチもあろうかという大きなドバミミズを鈎に刺し堀の中央付近、水草の切れ目を狙って放り込んでいる。釣った鯉は鰓から口に組紐を通されてこれ見よがしと水門に繋がれていた。鯉が斜めに水底でパクパクしているのを見ると、つい可哀想だなと気がしないでもなかった。釣った太公望は回りの人にその様子を手振りはぶりで語っていた。鯉は集団で回遊している。食い気の無いときは、餌を前にしても食べない。集団の中に必ずリーダーがいて、それを無視して餌にありつくと仲間はずれにされ、場合によっては、寄ってたかって眼や尾を突っつかれて殺される場合もある。一団が通るのは、細かい泡を吹きながら泳ぐので水面を観ていると、すぐに分かった。釣り人は泡を見つけると我先にその一~二m前方に餌を投げ込む。その日僕が訪れた日は、そんな釣り人の努力も空しく当たりは無かった。皆あきらめたらしく帰り仕度を始めた。常連が水門付近を占めているので新参者は水門からかなり離れた所で釣り座を構えるしかなかった。ポイントとして鯉というよりフナがいるぐらいの釣り座だった。

 そこへ白髪のお爺さんがやって来て釣りを始めた。今の時間に釣りを始めるなんて、変わった爺さんだなと呟いた。その矢先だった。爺さんの大きな棒浮子が水面に消し込んだ。なにがかかったんかという顔して竿を立てた。すると竿先が水中に引張り込まれ、竿が前方にお辞儀した。周りの人は、「鯉だ、鯉だ!」と騒ぎ立てた。爺さんは必死で竿を両手で握りしめている。ベテランが助っ人にやって来て竿の支えを手伝いだした。いかんせん途中釣り糸が水草に絡み膠着状態になってしまった。するとベテランが道具入れから藻掻き[ロープの先に熊手を取り付けたもの]を取り出し、絡み箇所に投入した。藻掻きを引っ張ると水草に空きができた。すると竿が立ち,一気に獲物が上がってきた。「あっ!」誰もが驚いた。ど太い大きなウナギが空に弧を描き路上にドサッと叩き落ちたからである。ゆうに七〇センチはあろうかという大ウナギだった。

 爺さんは慌てながら掴み自転車の後部に取り付けてあった木箱に獲物を収めた。満面笑みを浮かべながら助っ人に頭を下げ下げお礼をいった。そして釣り道具を足早に片付け、去って行った。いつの間にか釣り人や観客もいなくなった。僕はこの堀で、なんでここだけ鯉やウナギが釣れるんだろう?と考えた。帰り道で分かった。そういえば水門からさほど遠くないところに高崎神社があり、門前に「川甚」というウナギと鯉の卸し問屋があった。生け簀に沢山泳いでいたな!生け簀の排水が側溝で水門と繋がっていて逃げた魚がお堀に住み着いたんだな。と‥…。


      二号堀


 大手門口の橋から南側の堀は一号堀と違って一年中どういう訳かわからないが水草が生えてない。だから岸辺に魚が泳いでいるとすぐに分かる。でも水草の生えてない堀は水面が殺風景な感がした。それ故、この堀で釣りをする人はとんと見かけなかった。それでもたまあに竿を出して釣りをする人を見かけたことがあったが矢張り坊主であった。この堀には釣りのポイントらしいところはなかったようだ。


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 でも梅雨の時期になって三十センチもあろうかという大マブナが大群で水面を泳ぐ様子を見かけると、どこからこんなに集まってきたんか?と首をかしげたくなることもあった。この時期、フナ同様に鯉もあっちこっち集団で泳いでいるのも見かけた。とりわけ紅白の錦鯉が先頭の集団は大きく観ごたえがあった。いかんせん僕の釣り道具では太刀打ちできないので、せっかくの魚群を見送るだけだった。僕といつも魚群を見送る小父さんがもう一人いた。堀の傍の住人だった。ある日のことだった。彼がのべ竿を持ち出してきた。のべ竿の先端に紐のついた銛先を取付、対岸近くに群泳する鯉にめがけてのべ竿を投げた。見事、命中し、後は紐を手繰るだけだった。四十センチ程の鯉が上がった。銛は背びれの下の部分を貫通していた。引き上げるとき鯉がバシャバシャしたせいか、魚が散って堀は静まりかえってしまった。

 僕は、小父さんの初めての投げ竿なのにどうして上手く命中したのか訊ねた。すかさず小父さんは「家においで」と鯉を抱えながら僕を招き入れてくれた。裏庭に砂の入った大きな麻袋あって真ん中に魚マークが描かれていた。彼はそのマークに向かって反対側の塀際から銛の付いたのべ竿を投げて命中させる練習をしていたらしい。その成果がこの日発揮できたという。 「そうだったんか!」あらためて今回の漁獲方法に感心した。それから数日経った夕方、堀を覗きに行った。彼が投げ竿を持って堀を真顔で見つめ構えていた。何かなあと気になって、

「どうしたの?」と訊ねてみた。

「緋鯉がいてそれを狙っている」

「ええっ‥あの錦鯉はこの堀の花だから捕るのはまずいんじゃない?」

 少し間を置き「そうだなあ!」と、気のない呟きが返ってきた。

 彼はすぐに堀を離れ、家に帰った。一人僕は残って堀を眺めてみた。今日は魚連、どれも見えないなと見届け家路についた。その二日後の夕方、また堀に出向いた。堀には誰もいなかった。魚も見えなかったので、堀沿いを歩いて様子を窺ってみた。すると対岸の土手際に白い大きな魚の腹がぷかぷか浮かんでいるのが見えた。「おやッ!」よく見ると白い腹の下に赤い模様が見え隠れしていた。あれはあの錦鯉ではないか?と悪い予感が頭をよぎった。何度も見直した。間違いない。と確信したので小父さんの家へ出向いた。裏手の庭に回ると、彼は縁側で夕涼みをしていた。僕の顔をみて「オッ」と声をかけた。

「小父さん錦鯉が死んでるよ!」

「そうかぁ?………」

「ちょっと見に来てよ」

「分かった」

 彼はすぐさま縁側にあった雪駄を履いて堀に向かった。「あそこにだよ」僕は指を指した。彼は顔をしかめて僕を対岸の土手に連れて行ってくれた。そして浮いている緋鯉の箇所に着くと真っ先に土手を降りて水際から手を伸ばし緋鯉を掴み上げた。雪駄や足元が泥だらけになってしまったが。土手を上ると掴んでいる緋鯉を僕に差し出した。見ると鰓の部分と胸びれの片側がちぎれ飛んでいた。明らかに銛がかすめた証拠である。「あれだけ錦鯉は捕らないでと頼んだのに‥」僕はむっとして二の句は告げなかった。

「あぁー済まんことしちゃったな!怒らんでくれよ。悪かった。この緋鯉は私が始末するから勘弁してくれよ」と僕に謝った。

 やっぱりあのとき緋鯉を捕るのは止めといてと念を押しとけばよかったかなとつくづく悔やまれた。それ以来二号堀を見に行くことは止めた。ただ堀沿いに自転車で通ることはあったが、あの小父さんに出くわすことはなかった。


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 家から三軒隣りに細い路地があり長屋があった。その一番奥に長谷川というサラリーマン家族が住んでいた。そこの息子に兄より一級下の光男がいた。勉強ができて級長をしていた。兄も級長していてなにかと面倒をみていたので、そのお礼として正月三ヶ日過ぎに兄と僕が招待された。そこは彼の両親の仕事場だった。大手門口の橋を渡り左折し、土手沿いを進むと、高い木塀にあたる。行き止まりである。塀は二号堀に直角で、堀の淵から立ち上がり土手を横断し、城址内に延び途中、入り口があり門番がいた。その先木塀は続き、Uターンした形で百数十メーター先の堀の淵まで続いていた。ゆえに土手は木塀で遮断されていた。堀全体で唯一土手が遮断されている箇所でもあった。塀の外からは中を窺うことは出来ず、ただ生い茂った木々の数々の梢が見えるばかりであった。

 当日、彼の母に連れられ子供三人、門をくぐると親父が待っていて中を案内した。木立ちに囲まれた自然の中、両側綺麗に刈り込まれたサツキ沿いの石畳を進むと中くらいな大きさの丸池が見えてきた。池の真ん中に檜造りの水上邸が現れた。こんな素晴らしい屋敷を観たのは初めてだったので驚いた。池は浅く底は見え、中に踏み石が直線状に点置され、跨ぎながら屋敷の入り口へ向かった。中に入ると一階は宴会場で二階は泊まり部屋となっていた。僕ら二人と光男母子で夜通しカルタ取りや双六をして遊んだ。親父さんは僕らの食べる料理造りで忙しそうだった。お雑煮、蒲鉾、お刺身どれも初めて味わうお料理でその時、この世の中美味しいものがあるとこにはあるもんだなと子供ながら感動した。

 興じて夜半になり親父さんも双六に加わったとき、近くから「クック」と何か動物の咳込むような声が聴こえた。一瞬、皆手が止まった。今の声はなんだろうと耳を澄ますと、続けて「クック…」と次第に声が小さく動物らしきなにかが遠ざかるのがわかった。暫く双六は続きやがて兄が真っ先に上がって賞品を戴いた。僕はサイコロを振るたんび、一回休みにはまりびっけつになった。てれ隠しに小用をたしにトイレに向かった。トイレは土間の先にあり分かりにくく、間違って厨房の出口を開けてしまった。すると残飯置き場のゴミ箱に立ちながら首を突っ込んでいた二匹のキツネが一瞬頭を上げ、キョトンと凝視し、踝を返し尻尾を立てながら一目散に踏み石上を跳ねながら土手の方向に走り去った。こんな街中にまさかキツネがおったのか?走り去った方向を見ながら暫し佇んだ。戻って親父さんに、「今キツネに出くわしたよ」と告げた。「ここにはタヌキもちょくちょく来るよ。毎度のことなので気にならないよ」と応えてくれた。僕は確かに最初近くで声が聴こえてだんだん小さく声が遠ざかる様子だったのに目の前にキツネが現れたのはなぜか?化かされたんではないかと今もってこの疑問が晴れてない。

 あれから、数カ月後に地元の上毛新聞に城址内でタヌキが捕えられたと大きくニュースが掲載された。場所の特定の記事はなかったが、関係者の話にキツネも生息しているのを観た人がいるという記事も載っていた。恐らくあの塀の中のことだろうが、池や水上邸を含めて塀の中に関する記事は一切なかった。このニュースの前後して長谷川家族が東京に

 引越した。訊くところによると親父さんが都内のホテルで料理人として雇われることが決まったからだそうな。


 三号堀


 この堀は中学校前から南方向に赤十字病院まで続いている。ここでお濠は終点である。

 この堀がほかの堀と違う点が二つあった。一つは、南端から先は崖になって下り、烏川堤防道路国道一七号線路肩に法面下が直結していて、冬場、上州名物吹きっさらしの空っ風がもろに崖を下り川に吹き降ろすため堀を全面凍らすことである。もう一つは堀全長の終末箇所のため二~三年に一回、堀の水抜きを実施して底浚えすることであった。


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 春になると、この堀の周りは騒がしくなる。病院の堀を挟んだ堤外側に高崎公園があるからである。公園内には武道館、噴水池、ミニ動物園や茶店がありしょっちゅう催し物をやっていた。武道館ではボクシング大会、柔道大会やボディビル大会等が開催された。そんな催しの数ある中で一つだけ今もって忘れられない催し物があった。

 それは、動物アニマルショーと名を称した私的動物園の開催だった。高い入場料を払って中に入ると、数多くの檻が所狭しと設置されていた。オランウータン、チンパンジー、ライオン、トラ等観たことのない動物がいっぱいいた。人ごみで通路が溢れかえって前に進むのが一苦労な様だった。 中央の噴水池は半分に仕切られ、薄ピンクの川イルカが愛嬌を振り振り泳いでいた。僕にとって一番関心を持ったのはオランウータンの背中であった。太い幹に腰かけた後ろ姿は、大の大人の姿とそっくりで違うのは栗色の毛が全身生えていることだけだった。ヒマラヤの雪男(イエッティー)はオランウータンの見間違いではないかと言われる由が判った気がした。

 アニマルショーは茶屋の前の特設小屋でやっていて中に入ると、チンパンジー、小熊やオウムの芸をみることが出来た。一通り芸を観終ると、茶屋に通された。動物の剥製や毛皮が展示されて土産として売られていた。テンやアルマジロ等、観たことのない動物の剥製が茶屋中飾られていたため、次から次へ押し寄せてくる客をかわしたく、僕は茶屋に上がりこんでそれらの剥製を見せてもらった。子供だったので主催者もおおめにみてくれた。壁には毛皮が吊るしてあった。それらの中に八百万円、七百五十万円と特別価格の商品があった。目を疑うような高額な毛皮だった。大きさは二m近くで幅も一m猶はあり白毛に黒の斑が混じった毛で覆われた毛皮だった。正面の壁に三枚吊るしてあった。なんでこんなに高い価格なんだろと呟きながら近づき薄汚れた毛皮を指で引っ張ってみた。すると主催者の担当者が血相を変えて、「子供はここに来てはいけない」と叫んだ。すぐに土間に連れられ茶屋から追い出された。

 家に帰り、この話を父にした。すると父は、「ちょっと待ちな!貴史にやりたい物がある」と云って蔵の中へなにかを探しに行った。戻った父の手に薄汚れた埃だらけのぬいぐるみが握られていた。造りはビロードで三〇センチ弱の頭の大きな白いクマの赤ちゃんみたいな縫いぐるみだった。目の周りは黒で背中も黒い帯状の輪がついていた。

「あつ似てる!これの大きい奴の毛皮だったよ」

「そうか。これは伯父が中国の四川省に出向いたときのお土産で、頂いたものだよ。なんだか確かパンダ(大熊猫)とか言ってたな。暫く使って物置きに放りぱなしままだ。よければ貴史にやるよ。洗ってもらってからにしろよ!」

 改めて綺麗になった縫いぐるみを見ると、目の周りの八の字の黒は糸で縫いこんであり胴体の黒色も生地が縫い込んであった。頭は左右にちょっと首のところで回すことが可能だが、生地がビロードなのでぬるっとして毛はなかった。目にはビー玉みたいな黒いガラス玉が埋め込んであって、愛嬌があり学校から帰ると手に持って遊んだ。

 肌さわりがよく最初はもの珍しさからかまってみたが、現在のアイボと違いお喋りや表情がないのですぐに飽きてしまった。


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 梅雨前、上毛新聞に三号堀の水抜き予告が掲載された。来る日曜日に堀の水が無くなるとの噂が流れ、魚とりに興味のある面々は大人も子供もその日を楽しみに待った。当日を迎え僕も柄の長いタモも持って堀に向かった。早朝なのに大勢でごった返していた。しかし、堀の水は数一〇センチ下がっただけだった。皆、「今日の魚とりは無理だな?」と囁き帰ってしまった。城址内に浄水管理事務所があって、恐らく堀からの水を暗渠に導きゲートの開口部から烏川に放流していたので時間をかけて水位を下げていたようだ。昼からは誰もいなくなり夕方やっと水位がいつもの半分程度になった。この調子だとまだ二日はかかるな?と判断し火曜日の学校が終わってから駆けつけた。堀に着いて驚いた。どこから来たのか同じ服を着た青年のグループがそれぞれに分かれ、ある者は堀底の放置自転車や空き瓶の片づけ、他の連中はヘドロの堀に膝上まで足を突っ込んで、中央に向かって投網を打っていた。まっ黒けになった大きなコイやフナが岸辺に置いた何樽もの酒樽に頭を下にして魚の尻尾が上向いた状態で捕えられていた。ウナギや亀は水を入れたたらいの中で泳いでいた。とてもじゃないが、子供の出る幕はなかった。ただただ堀のガード柵の手摺から見とれるだけだった。なんにも収穫なく帰路についたが、あんなにいっぱい捕った魚を食べるんかな?と些か疑問が残った。水の引いた堀はヘドロ臭く、そんな中で育った魚も臭いので本当に食べて大丈夫なのか?そんな思いに浸りながら…。


         3


 冬が来て新年を迎えると、出店や露天が堀沿いに立ち並び、慌ただしくなる。

 氷結した堀にアイススケートを楽しむ輩が大勢押し寄せるからである。スケート靴の無い者は、下駄に金具で取り付けた鉄板製の刃の履物を軍手も併せて一回十円で借りて土手から降りて滑る。中には自前のスケート靴を持参する者もいて華麗に妙技を見せていた。当時、ローラースケートが全盛だった時代であり、皆慣れていて氷上に手摺は一切無かったにもかかわらず転倒するものも怪我をするものも殆ど見かけなかった。薄氷の箇所は係員がいて縄を張って注意を喚起していた。  

 そんなある日のことだった。僕の後ろから下手な小父さんがいきなりぶつかり、反動で土手にドサッと大きな音を立て後ろ向きに尻もちをついた。すると、その衝撃に驚いたのか一匹のネズミが突然飛び出して氷上に蹲った。寒く凍えているせいかネズミは体を丸め、動かなかった。「なんだこのネズミは?」居あわせた輩は口ぐちに囁いた。なんとそのネズミが真っ白な色をして目が真っ赤だったからである。僕は小父さんに手を差し伸べ起こし、棒切れを拾いネズミの前に立った。普通ハツカネズミは大きくても十センチ程度だが、このネズミは家鼠程の大きさがあった。でかかったので摘み出すわけにもいかず、棒切れで突っついて頭を土手に向けた。

 ネズミは滑る氷上だったせいか、よちよちしながら土手に近づき、やがて法面を駆け上がりどこかに消えた。ハツカネズミがあんなに大きくなれるものか、突然変異なのか分からないが?居合わせた大勢の輩は皆顔を見合わせ驚いた。小父さんは、僕に済まなかったと謝りながら、ばつが悪かったせいか白ネズミに話をそらした。

 後日ここは、夜間子供らが遊んでいて、氷が割れて堀に落ち無事助けられたが、市や警察署から氷上遊びには危険区域と認定され、全面的にスケートが禁止されたそうな。それから路上の露天や出店は引き上げてしまい風物が消えてしまった。

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