第二章 一貫掘り
1
我が家から半里ちょっと北に向かうと一貫掘りという名の付いた川に出くわす。どうしてこのような名前が水路みたいな川に付いたか僕は知らない。ただこの川は市街地の丁度外れにあり、川幅は八mほどで水深も浅く三~四〇センチぐらいだったので、夏は子供達の絶好な水遊び場だった。そしてこの川を境に南側は道路が舗装整備されていて豪華な屋敷が立ち並び、北側は田んぼが広がる農村地帯だった。僕が何故この川に興味を抱いたかというと、小学校に入学して暫く経った頃、体育の時間、ドッチボールをやった。そのとき、向かってくる球を逃げ回って避けていた僕らと違って一人だけ胸で受け止め投げ返す同級生がいた。なにしろ驚いたのは体育の先生が力一杯投げた球も受けて投げ返すその勇気だった。その生徒は大谷君といった。
放課後、大谷に、
「なんであんな凄い球を受け、投げ返せるのか」訊いてみた。
すると彼は僕に、
「一度家に遊び来ないか?そしたらわかるよ」と嬉そうな顔して誘ってくれた。
なんとなく大谷の人柄に興味を持った僕は、休みの日に彼を訪ねてみた。
たまたま彼の家は一貫掘りを渡った橋の北西角にポツンと一軒であった。驚いたことに入り口が分からない程庭に石塔が立ち並んでいた。墓石、灯篭など所狭しと乱立し、墓場に来たんじゃないかと勘違いするくらい異様なていをなしていた。中に入ると、たまたま親父さんが現れて、すかさず「賢治友達が来たぞ」と呼んだ。すると彼がにこにこしながら裏庭から現れた。そして僕の手を引っ張って裏庭に招き入れた。表からは気がつかない広い庭に石の加工場があった。加工場といっても布丸太をぶっ立て、トタンぶきの屋根の下に電動石鋸がセットされた程度で風も吹きっさらしだった。彼は放課後、ここで父の仕事を手伝っていた。父の仕事は石工で石材を電動で切ったり、鑿で削ったりして石製品を造っていた。彼はその石材運びを手伝っていた。石材を研磨するとき使用する冷却水用ポンプの設置先の一貫掘り窯場のごみさらいが主な担当だったようだ。石灯篭の宝珠丸石を「えい」と胸に抱え歩き回り、得意そうに「これで身体を鍛えているからドッチボールの球ぐらいどうっということないよ」と言って元の場所に戻した。僕が丸石に触ろうとすると、「危ない!前田じゃ持ち上げるのは重くて無理だよ」といって手を払った。
周りは田んぼで学区の友達が近所にいそうにみえなかった。他に子供の遊び場もないようで自ずと家の手伝いをしながら、目の前の川で遊ばざるを得なかったようだ。
そこへ、たまたま同学級の僕から声がかかったので、これいいこと幸いと友達に選ばれたのかもしれない。さっそく彼が連れて行って見せてくれた一貫掘りは時節がまだ春だったのか、川辺に生い茂った雑木の赤や黄色の鮮やかな花満開の様相は、街中の人間関係のどろどろとした笑顔と違って自然の美しさであり、心洗われる一幕でもあった。そしてこの川に魅力を感じ、これからちょくちょく来てみようという気にもなった。
「川にいろんな魚がいっぱいいるよ。次に来たら魚をとるからバケツを持ってきなよ」
「どうやって魚をとるの?」
「ここに掬打があるから任せてよ!」
「では、今日は帰るね」といって別れた。
2
すぐに初夏がやってきた。ある晴れた土曜日の午後、バケツを持って彼の家に行った。
学校で約束していたので彼も準備して待っていた。持ち物は掬打と竹箒とバケツの三点セットである。すぐに川へ入った。水はちょっぴり冷たかったが、川底は粘土と砂でさらさらしていてとても歩きやすく足を取られることもなく爽快だった。上下流とも見渡す限り岸辺に護岸らしき人工構造物はなく自然に大きくなった草木で鬱蒼としていた。両岸とも川の流れに削られ、たぶん以前は陸地で草木が生えていたんだろうが、いまや根元が川の流れに抉られ根っこがむき出しになっていた。大谷はそこに掬打を潜り込ませ上流側に手をつっこんで潜んでいる魚を掴みあげた。掴みそこなった魚は下流側に逃げる習性を知っていてすぐに掬打をあげた。 すると掬打の網にバシャバシャと魚が捕まる仕組みであった。特に根元の抉れが大きい個所は、掬打を奥まで差し込み、僕が上流側から竹箒で追い込み、魚をとった。川に入って掬打をかけると最初からハヤが数匹、それとザリガニがとれた。手掴みは小鮒がとれた。竹箒で追い込んだときは小型の鯰が面白いようにとれた。僅か数十mぐらい下った位でバケツが半分ほど魚で一杯となった。大谷は鼻を膨らまし、どんなもんだいと言わんばかりに胸を張って岸にあがった。僕も大満足して彼に続いた。
3
そんなこんなを何回か繰り返しているうち季節は過ぎた。夏休みのある晴れた日、彼の元に遊びに行った。玄関を叩くと、中からおばさんが出てきて「賢治は今日、父や従業員と車で品物を届けに行ったのでいないよ」と返答があった。がっかりした僕の表情を見かねたおばさんは、「帰ったら貴史君が残念そうにしてたと伝えておくよ」と言って別れた。せっかくここまで出向いたのに…と思った僕は、しばし橋の欄干で川や青い空を眺めながら佇んだ。
すると突然、「前田!」と肩を叩かれた。びっくりして振り返ると隣のクラスの佐藤がつっ立っていた。といっても彼は僕と同じくらいの背丈で、どちらかというとお小姓みたいなおとなしい細身な男だった。
「近頃ちょくちょく大谷と一緒にいるのを見かけるが、何をしているんかい?」
「いやあ、彼と一貫掘りで魚とりをやり始めたんだ!それが結構楽しくてね」
「ふーん。ここは俺のうちで金魚の卸しをやっているからよければ中に入って観ていかないか?」
まさかこんな近くに同級生がいたなんてつい知らなかった。大谷もこのことを僕に一切話さなかったので尚更だった。
どんな金魚いるんだろうと興味津津で中を案内してもらうことにした。そういわれれば、入り口の古い錆びた看板に高崎金魚卸商と描いてあったっけ? 生垣が黄色い数珠のように連なった卯の花が満開、それが川沿いに続き見事な美しさだった。
庭は川沿いに長くちょっと狭く,左右の生垣に金魚の水槽がづらりと並んでいた。
それぞれの生簀に色々な種類の金魚が泳いでいた。大きいのや生まれたてのちっちゃな金魚がうじゃうじゃ泳いでいた。特にランチュウやオランダ獅子頭は水槽も立派な瀬戸物の大きな鉢に飼っていた。こんなに見事な金魚がここにいるなんて全然気づかなかったなと改めて驚いた。一通り見物させてもらって帰ろうとしたとき、彼は最後に是非見せたいものがあるといって家のなかに招き入れた。僕が入り口前でためらって、なにかなあと覗くと大きな自然石を繰りぬいた水鉢が設置されていて、中に赤色のメダカがいっぱい泳いでいた。
「この姫メダカは高崎では家しかいないよ。なかなか手に入らないから大切に家の中で飼っているんだ」
「そうなんだ。赤いメダカなんて訊いたことも見た事もなかったよ」
息を凝らして見つめると水草の間に間に色つきのメダカが、ちょこまかこっちを見ながら見え隠れしていた。見たところ僕ら以外に誰もいなそうなので、「お母さんは?」と尋ねると彼から「父が仕事に出向いている間は自分は留守番している」と応えがあった。こんなに可愛い金魚に囲まれてのんびり過せたらどんなに幸せだろうかと僕は呟いた。対岸に高崎市立女子高校があり二階の窓からトルコ行進曲のピアノの演奏が聴こえてきた。その音色が心に同調し思わず「タララララーン」と口ずさんでしまった。感動で胸がいっぱいになり、帰り際、「もう一度金魚を見せてね」と念を押した。すると彼は首を縦に振り。「来たら寄ってな」と言葉を返してくれた。
4
秋が来たある日曜日の朝、大谷が我が家にやってきて、
「お父さんが今から大鰻ドジョウを捕りに行くから前田君もよかったら一緒に来ないか?」と誘いに来た。僕は二つ返事で行くことにした。一貫掘りに着くと彼の父が笑顔を浮かべ、道具を揃えて待っていた。親父さんは、父と違い僕をみるといつでも暖かく迎えてくれ、心を察し、導いてくれるような方だった。
「どこにそんなドジョウがいるんだい」訊くと、
「下流の高崎ハム工場の脇の浅瀬で捕るんだよ」と応えた。
この時期、大鰻ドジョウは卵を抱えていて太く大きくなって水底の泥の中に潜っているそうな。
今日は川の水がいつもより引いているから多分浅瀬が露出しているので、鋤リンで土を掘り起こして捕るとのこと。僕と彼は大きな竹かごとスコップを持たされた。親父は大きな鋤リンを担いだ。鋤リンは柄が太く長い熊手ような形をした鋼鉄製の砂掻きだった。バシャバシャと親父を先頭に僕、彼と続き下流へ向かった。途中深いところを通過するとき、親父は優しく僕を片手で抱き浅瀬へ降ろしてくれた。彼は抱いてもらわず腰まで水に浸かりながら何食わぬ顔をして浅瀬に辿りついた。驚いたことに親父は一切彼に手を貸さなかった。「大丈夫かい?」と声をかけたが彼は聴こえないそぶりをしていた。
暫く下流へ下ると高崎ハムの工場が見えてきた。塀はなく工場のコンクリートの壁が直接川っぺりに建っていた。そこだけ、壁が護岸のように川から立ち上がっていたので壁の長さだけ川際に草木は生えていなかった。そして工場から排水が出ていたせいか壁際は深く掘り下がり、川の中央は水底が盛り上がり露出していた。普段は水没しているらしい。
「さあ着いたぞ!こうやってドジョウを捕るんだ」といって親父は露出している地面に鋤リンを突き刺した。てこの応用で柄を起こすと粘土が山盛り鋤リンに入った。そのまま水洗いすると黒い大きなドジョウが三匹、中でニョロニョロ蠢いているのがわかった。親父は、「それ捕れたぞ」と自信満々の声をだして僕が持っていた竹かごの中に掴んだ獲物を入れた。そのときたまげた!なんと太くて大きいドジョウなんだろうと。確かに二十数センチはあったからだ。色といい長さといいまるでウナギかなと勘繰られる有様だった。
親父は彼に「スコップで掘ってみろ」といった。彼はスコップを地面に突き刺し土を掘った。でもドジョウは現れなかった。見かねた親父が彼に地面に開いてる丸穴を指さし、
「この穴をめがけてスコップいっぱい突き刺さなければ捕れないよ」と教えた。すると彼は力いっぱい足をシャベルに乗せて地面を突いた。それでもシャベルの半分ぐらいしか刺さらなかったので泥を起してもドジョウは見当たらなかった。
「お前らじゃ無理だな!」親父はスコップを取り上げて自ら地面に突き刺した。シャベルがズポッと埋まり泥を起すと地面に勢いよくドジョウが這いずりまわった。僕は慌てて砂まみれのドジョウを掴んだ。丸々していて抵抗も凄かった。
「ここのドジョウはどうしてこんなに大きく力強いのか」親父に訊いた。
「工場から出る排水を呑んでるからだよ」と応えた。それ以上は語らなかった。多分排水が生臭いので栄養価が高くそのせいで特別に大きなったと言いたかったんじゃないかと一人合点した。ちょっと間をおいて親父から「此処はわしの家族しか知らないポイントだ」と一言あった。グサグサと鋤リンを差し込む度にドジョウが捕れ魚篭がほどほどいっぱいになった。三~四〇匹はいるだろうか?と思った矢先、川の水嵩が増して流れも速くなってきた。
「もうこれくらいで止め」帰ろうと親父が叫びドジョウ捕りが終わった。
僕の分としてバケツに十五匹ほど頂いた。我が家に帰って父に見せた。「こんなにでっかいドジョウをどこで手に入れたか?」尋ねられた。「大谷君のお父さんから頂いた」と応えた。こんときばかり父はナイフでドジョウを割いて母に頼んで柳川鍋を造らせた。晩のご馳走だった。身はウナギより少し淡白でふわふわサクサクして甘く舌あたりがよく卵や皮もヌメリがとても美味しかった。父はこれほどのドジョウだとウナギより旨いもんだと言い張った。 その翌日、父から大谷さんへ愛飲の日本酒「松竹梅」を二本届けるよう言伝があって後日もっていくにことにした。
5
秋も深まったある日、あの酒を持って大谷家に行った。ガラガラっと入り口の扉を開けると奥から親父さんが、「今日は息子はいないよ」と声をかけてきた。すかさず父からのお礼ですと酒を差し出した。すると親父はちょっと困った顔をして、もそもそっと奥のおばさんと話をして外へ出てきた。「前田君、お気遣済まないなあ。息子はお使いで夕方まで出かけて帰ってこないよ。今から自然薯掘りにいくからついて来ないか?」と誘いがあった。どうやって芋を掘るのか興味があった僕は、「邪魔になんなければ是非お供したい」とお願いした。すると親父さんは背中に背負う竹かご、鉈、石を転がすバール状の先がヘラのように平で尖った鉄棒とスコップを持ってきた。僕に今回はスコップを持たしていざ出陣となった。向かいの市女の二階の窓からあのトルコ行進曲が聴こえてきた。なにかいいこと有りそうな予感がした。親父は一貫掘りに入ると、前回とは違って上流に向かった。下流と同じように両岸は草木が生い茂っていた、だがもう晩秋だったので葉っぱは黄色に色つき風で散り始めていた。暫く川を上ると、親父はふと立ち止まり岸辺に上がって、
「いいのがあった」と叫んだ。裸足の僕は川の中で立ち往生していた。
「上がっておいで」太い手を差し伸べてくれたので、すがって「よいしょ」と陸に上がった。
そこには雑木に絡んだ鉛筆程の太さの蔓草があった。根元を探そうとして茎を引っ張ると、親父が「茎は根元で切れやすいから引っ張らないで」と僕の手を払った。そして根元を見つけると、「ここなら掘れる」とにっこり笑った。鉈で周りの木々を切り倒し、鉄棒を地面に突き刺しながら根元周りを掘り進めた。僕は掘り起こした土を山にならないよう陸側にスコップで撥ねた。三〇センチぐらいに到達したとき地中に横ばいになっている自然薯が現れた。大きかった。どんぶりをひっくり返したようで真っ黒な色をしていた。傷を付けないように丁寧にスコップで掘り起こした。完全に芋の姿が現れた時、親父は手のひらを芋の下に差し入れて慎重に引き上げた。よく見ると上側は丸みを帯びていたが下側は足の指のようにごつごつしていた。「これは扇芋といって自然ではなかなかお目にかかれない代もんだ。運が良かった」と云った。
竹かごに放り込み次を探しに川へ戻った。
「陸側から川沿いに何故行かないんだろう」と尋ねると
「川沿いの土地は個人の土地で勝手に畑や宅地の中を歩けない」と返答があった。
この後、探して二~三本目の自然薯を掘りおこした。どちらも長細く地面深く一m以上掘り下げて手に入れた、細い自然薯はそれぞれ折れないように篠竹を二本づづ添えて自然薯の蔓を巻き固定して竹かごに入れた。夕方近くになっていた。「さあ帰ろう!」との声を訊きやっと芋掘りが終わった充実感に浸り川へ飛び込んだ。その瞬間、足の裏に刃物が刺さった痛さを感じた。
「痛い!」って思わず声を漏らした。親父は異変に気付き、「どうしたんだ?」と叫んだ。
すぐ痛い足を水上に上げると錆びた空き缶の蓋が足裏に刺さっていた。「これはまずい!目をつぶってろ」と云って親父は刺さっている右足を片手で抱え蓋を引き抜いた。
ちくちくっと痛さを感じたが、違和感は消えた。足の裏から血がぼたぼた噴き出た。血と足に付いている泥を川の水で洗い落として手拭いで足の裏をぐるぐる巻きにした。おぶってもらい大谷家に戻った。改めて傷口をオキシドールで消毒し包帯を巻いてもらい、従業員の作業用自転車の荷台に乗っけてもらい帰路についた。別れ際、親父は篠竹で固定した自然薯一つと二つ割りした扇芋を手土産に呉れた。
我が家に帰って足の包帯をを見た父は目を丸くして、「なに…!一貫掘りで怪我をしたんか?母に病院へすぐに連れて行け」と怒鳴った。なんでこんなに大げさにするんだろう?と僕は首をかしげ、道中母に訊いた。すると母から父の兄弟が子供の頃、あの川で夏休みに水浴び中、足の怪我をしてその夜高熱が出て二日目に死んだとの話を訊いた。「ああそれでか!」と納得した。病院につき診察してもらったら、先生は「傷口が塞がっていて赤みも熱もないから心配ない、念のため抗生物質を注射しておきます」と云った。母はやっと安心して先生に「破傷風にはかからないですか?」先生は笑いながら「今なら罹ってもいい薬があるから大丈夫」と応えてくれた。家に帰ると父からもう裸足で川の中に決っして入っては駄目だと叱られた。数日後、父が僕に横浜ゴムの長靴を買ってくれた。運動靴以外二足目の靴を持ったのは初めてだった。
川に直接入れなくなっても一貫掘りへの挑戦は続いた。大谷と相談して上下流面白そうな場所はないか物色することにした。上流方向に行ってみると兄に以前連れて行ってもらった鉄橋が出てきた。ここだったのか!懐かしかった。季節は冬でそこから南を眺めると駅舎場が田んぼの先にあるのがすぐ判った。機関車D51が何車両も停車しているのが見えたからである。瓦屋根の家並みも駅周辺にはあるのがわかった。
川岸に降りられる箇所が見つからず遊ぶには田んぼばっかで味気なく上流側はあきらめようということになった。この時期、風も吹きさらしで寒く春になったらいいとこ探そうと約束した。その間、大谷が川沿いの仲間から情報を集めておくことになった。
6
春四月になると土手に土筆が生えヨモギの芽が出てなんとはなしに川原が色づく。
学校も新入生が入ってフレッシュな生徒の笑顔で溢れている。いつも一貫掘りに向かう時、市女の前で足踏みをする。女学生の群れが橋の手前の校門前ですれ違うからである。かたや花の女学生こっちはバケツを持って、ズボンに手拭いをぶら下げた小学生。子供ながら様にならない自分がなにか恥ずかしかった。でも魚とりに興ずると全て忘れた。時折流れてくるピアノの演奏には我が身を振り返ることもあった。川の周りに女性はいない。シャツが汚れても人に見られなければ気にもしなかった。だが聴こえてくる演奏曲でトロイメライが流れてきたときはちょっと違った。なにか心にジーンときて、どんな人が弾いているんだろうと思わず顔をあげて二階の窓の方へ眼がいった。演奏がちょうど終わり窓が開いた。すると窓の向こうに長髪で先がカールした大人の美しい女性が立ってこちらを見た。眼があった気がした。でもなんの反応も見受けられず窓が閉まった。しばし呆然とした。大谷が「どうしたんだ?」と怪訝そうに心配してくれた。「なんでもないよ」と返事して魚とりを続けることがあった。
その明くる年三月、ある夕方、一人の女性が母を訪ねてきた。
「文恵さんお久しぶりね」
「敏江は元気かえ?暫く便りがないから心配していたけど」
今日ここへ来たのは母から伝言頼まれて叔母様に会いに来たとのことだった。そんなやりとりを障子の裏から訊いていた僕はそっとその隙間から覗いてみた。なんとそこに立っている女性は市女の二階の窓で見た女性ではないか!思わず障子を開けて母の元へ飛び出してしまった。「あら!貴史君いたの?」とほほ笑みながら話しかけてきた。
「ちゃんと勉強してる?お父さんやお母さんに厄介かけず学校に行っている?」
僕のことをなにもかも知っている様子だった。僕は照れ臭くてつい黙り込んでしまった。 すると母は、
「この子は見知らぬ人が来ると決まって私の膝の上でだだこねる癖があるのよ」といって照れ臭い顔をした僕を見てその場をしのいでくれた。
立ち話が終え二人で見送るときクリーム色のロングコートを着こなした長身の紗英さんをみると改めてスタイル抜群で美人だなあと感じた。今になって思うに銀河鉄道999に登場するメーテルにそっくりだったような気がする。その後母は、「お紗英に会うのは初めてかい?市女で音楽の先生になる前、妹と一緒にちょくちょく来たことがあったが、先生になって県の教育長と結婚してからはトンと顔を見せなくなったね」僕に向かってぼそぼそっと語りかけた。僕が一貫掘りで見かけたことを勿論知らなかったし、まさか紗英さんのような美人が従姉妹とは?本当かと驚いた。後になってわかったことだが母と妹とはこれが同じ姉妹かと首を傾げたくなるほど美人度が違っていた。
7
そんな経緯もあって、大谷家の近くでの魚とりはやめることにした。彼も僕の足の怪我の件で親父さんから川に入ることは止めるよう云われたようだ。そのかわり近くの仲間から面白そうな話を持ち込んだ。下流に一貫掘りの支流があってエビガニやザリガニが沢山いるとの噂だった。エビガニは日本古来で青く小さいが、ザリガニはアメリカから来た外来種だ。大きくて真っ赤な色をしている。寄生虫が多いいので普通は食べない。ただ釣って遊ぶだけである。その噂の場所に行くには大谷家から自転車で三十分くらいかかった。川というよりは一貫掘りから田畑に水を引き込む幅員三m程度の用水路だった。やはりここも川淵が農家の一部で川沿いに道がなく生垣か木々に囲まれていた。左右や上を見上げても茂った葉っぱの隙間からの木漏れ日が射すのがやっとぐらいの明るさで、云わば緑のトンネル状になっていた。エビガニは淵の大きな木の根が川の中で剥き出しになっている箇所にかたまって巣を構えているのでポイントを見つけると容易に捕れる。いや釣るのである。タコ糸の先にスルメの干物を縛り川に放り込むだけである。爪でスルメを剪むとタコ糸に張りが伝わり引っ張り上げるだけである。鉤が付いてないので根が掛りがない。剪み方が浅いと爪を開くので水面で逃げられる。だからタモ網を持参すると掬いとれるので数が伸びる。棒きれを何本か揃えそれぞれにタコ糸をとりつけ餌を放れば絶え間なくエビガニが釣れる。たまあに二〇センチを超える見事なザリガニが上がる。掴もうとすると指を挟まれる危険もあるのでタモ網は必需品かもしれない。一回の釣りで約三〇~四〇匹捕れた。釣ったエビガニは逃がすともったいないので釣りを見ている子供らや同級生で欲しい仲間に配った。
でもこの遊びはやがて飽きてしまった。ただこれを訊きつけた同級生の松本が、「一度同行させてくれないか?」とせがんできた。しかたなく連れて行くことにした。
七月初旬どんよりした空の蒸し暑い日だった。例のポイントに二人で行った。僕は彼のお供で道案内をした。釣り支度は僕のものを貸した。彼はすぐにコツを覚えて黙々と釣りをした。その様子を暫く見ていると、子供たちの騒がしい声が聞こえてきた。どうやら下流の方かららしい。なにかなあ?と声の出所へ向かった。果樹園を越えた空き地に来て驚いた。まさに天高く聳えるかつて見たことのない一本の栗の巨木が出現したからだ。径がゆうに二メーター以上あり幹は上の方までゴツゴツと節くれだっていた。
子供達が顔を上げて指をさしている。そこへ目をやると、枝先の葉にクワガタがへばり付いている様子が下からその影ではっきり判った。子供らは低いのは竹竿でたたき落とし、高いのは石をぶつけて落とした。幹にはカブトムシが這っていた。木のコブをよじ登ってカブトムシを捕まえていた。一本の木にこれほど昆虫が宿っているのを見たのは初めてだった。虫籠にカブトムシとクワガタが入りきれない状態で、子供らは虫取りをやめてその場を去った。
その後、石を投げてクワガタを落とし、木に登ってカブトムシを掴んだ。捕まえた昆虫をポケットに入れて釣り場に戻った。
「何してたんだ?」と云いたげな顔をした松本はエビガニ釣りを続けていた。水を入れたバケツに半分ぐらい釣れたようだ。ポケットからおもむろにカブトムシを取り出して、向こうでこれを捕っていたよと差し出した。すると彼はムシをわし掴みにし、「この辺は川っプチに雑木が沢山生えているから虫がいっぱいいそうな気がしたよ。やっぱりいたんだ!」と云って僕にカブトムシを返した。「毎年、夏休みに赤城村のおじいちゃん家へ行って、炭焼き小屋に積んである木材のお鋸屑をスコップで掘るとカブトムシがいっぱい捕れるんで、今はいらないよ。それよりここにエビガニ釣りにまた来たい」と云いだした。「僕は分かったよ」と云ってその日は帰った。家の中で古いみかん箱を探して木屑や枝木を入れて金網を蓋にして捕ってきたカブトムシやクワガタを放した。兄がこの様子に気づきやってきて、「なんだ今度は虫集めか」と半ば冷やかしぎみで箱を覗いた。するとカブトムシを見つけ、
「これはどこで捕った?畑なら家で飼えないぞ!」
「なんでなの?」
「これは糞ころがしといって別名糞カブトと言って、羽にばい菌が付いるので普通は捕らないよ。本物は頭の襟が尖って外側に反り返っているもんだよ。六郷村の同級生からもらったことがあるからな。クワガタはいいけどこれはすぐ放せよ」
そう云われて、そんなカブト見たことないなあと半信半疑で、せっかく捕まえた二匹カブトムシを取り出し、いやいや庭に放した。
それから数日後、松本からあそこにまた行こうと誘いがあった。僕は彼が持って帰ったエビガニが気になってどうしたのか訊いた。
「エビガニか?蒸かし器で蒸して食べたよ」
「それって虫がいるので危なくない?」
「熱を加えてるので大丈夫だ、海老みたいでとても美味しかったよ」
そんなもんなんかな…と呟いた。再び二人で同じ場所へ出向いた。途中、兄から訊いた本物のカブトムシの話をしてみた。すると彼は、「同じカブトムシを捕ったことがある」と云いだした。
そして今日は最初にカブトムシ捕りをやってからエビガニを釣ろうということになった。
ガサガサ草木をかき分けて広場に進み栗の巨木の前に立った。
「凄い大きな栗の木だなあ!」
彼も驚いて二の句が無かった。じっくり大木の回りを調べながらクルリとくびすを返し手前の川沿いの桃の果樹園に向かった。果樹園といっても簡単な鉄条網に囲まれあまり手入れが行き届いて無く、まだ実も青く所々鳥に啄まれた後が見られ木の数もまばらだった。これから実に被せる新聞紙の袋が箱の中に見られたが雨ざらしで茶色に変色していた。
「こん中に勝手に入っていいのかな?」
「まだ桃は赤くなってないから泥棒とはみられないだろう。もし誰かが来たら僕が言い訳考えとくよ」
それを訊いて彼は安心したのか鉄条網の間を回かぐって園内に入った。
半時は経っただろうか。突然、「いたぞ!」大声が響いた。この日は、僕しかいなかったのですぐに果樹園へ駆けつけた。
「入り口でなにか捕れた?」
「はやく中に入って来いよ」と手招きしている彼をみつけた。
園内に僕まで入るのは気が引けたがこの際、やむえんと鉄条網を回くぐった。彼は足下の桃の木の根っこを指さし、お鋸屑まみれの緑色した昆虫をつまみ上げた。「これが本当のカブトムシだよ」としんみり呟いた。「えーこれが例のカブトか!」頭から下、羽の部分がカナブンと同じ緑色をしている。首の襟が尖ってちょこっと上向いていた。すかさず彼は木の根元に溢れてるお鋸屑の中に指を差し込んだ。するともう一匹雌カブトがよちよち這い出してきた。どうやらつがいだったらしい。その二匹を素早く新聞紙の袋に入れてその場を退散した。彼にどうして桃園で最初からカブトムシを探したか訊いてみた。彼が最初にあの手のカブトを捕まえたのは炭焼き小屋でなくお爺ちゃんの庭の桃の木だったそうな。そして今回案内された栗の木をみて、太すぎたうえにアブや蜂が多くて木登りでカブトを掴むのは危険すぎると戸惑ったそうな。途中桃園があるのが分かっていたからそっちへ行ってみたとのことだった。
釣り場に戻りエビガニ釣りを始めた。餌のスルメが一切れしかなかったので松本に任した。慣れたもんで面白いように次から次へと釣り上げた。十匹ほど釣れ続いたおり、中くらいのザリガニが上がった。手持ち不沙汰な僕はカブトムシのことで胸がいっぱいだったが、退屈しのぎにそのザリガニをもらい尻尾の身にたこ糸を付けて釣りをやり始めた。彼ほどではないがそこそこ食いが立った。
まあ今日はこんなとこかなと釣りをやめようとしたときだった。僕の釣り糸がグーンと重く張った。糸が川の中央に向かった。何かがかかったことは間違いないが、とてつもなく重い。たこ糸だから切れはしまいと思い切り引っ張った。すると川の中がまあるく濁りそこから真っ黒な大きな亀が浮かんできた。あまりに大きいので松本が、「亀だ!亀だ」と騒ぎ出した。上手い具合口にたこ糸が絡まり引張り上がった。
「まさか亀がかかるとは思わなかった。なにしろ重かったよ」
甲羅が三〇センチ超えで厚みもたっぷりあった。こんなに大きな亀、持って帰るか逃がすかで迷った。
「前田が釣ったのだからお前が持って帰れよ」
「望みのカブトムシを呉れたのだから今度はお前だよ」と言い返した。
「家にこんな大きな亀を飼える水槽はないから………」
その日、結局僕が亀と例のカブトムシを受け取り家へ持ち帰った。
兄にカブトムシを見せた。「ああこれだ、これだよ」 どうしてこれがこんなにはやく捕れたんだろう?としきりに首をかしげていた。特に雄の背中の緑色の光沢には驚き、眼を見張った。さっそくクワガタのいるミカン箱に放し、飼うことにした。翌日の朝、近所の親父が父から亀の話を訊いて亀を見に来た。一目見るなり、「これだけ大きなイシガメは滅多にいない」珍しいと感心した様子だった。父は、「それなら仕方があるまい飼ってみようか」と言い出した。
裏庭に古くからあるコンクリート製の防火用水に水を入れてもらい庭石を幾つか設置し、中に亀を放した。父は亀が這い出るといけないと天端に網目の金網を被せてくれた。ついでに「餌はなににしたらよいか?」訊くと「魚やにどじょうが要るから御用聞きに頼んでおくよ」と心よく引き受けてくれた。
同級生にこのカブトムシとイシガメを自慢したくて学校へ行くと、肝心の松本が欠席だった。彼のいない間にこの話をするのは憚った。彼のお陰の分があったからだ。二日間休んで彼は登校した。心もち元気のない顔を見るなり何で休んだか訊いてみた。あの晩、お腹が痛くなって熱が出て病院に担がれたそうな。注射を打たれて入院し翌日退院して家で床に伏していたそうな。やっと熱が下がり学校に来れるようになったとのことだった。
「エビガニは虫が付くから、お腹に当たったんと違うかな?」
彼は首を大きく振り、「それは絶対無い」と言い張った。
でもそれからは一貫掘りに行こうと彼の口から訊くことは無かった。
僕は朝と夕方亀が元気か防火用水を覗いた。石の上に乗っているときもあるし水底に這いつくばっているときもあり、これと云って変わりなかった。でもこうしてしみじみ見つめると、ずいぶん大きな亀だなあと感心した。
夏休みを迎える数日前だった。学校から帰って水槽を覗くとイシガメがいなかった。金網は脇に置いてあった。慌ててこのことを父に話すと。「しまった。餌を入れたまま金網を被せるのを忘れた!なに?亀がいないと。どこへ逃げたんだ。まだそこらにいるだろうから探そう」
父と僕の二人で庭や倉の土台、隣の塀沿いをくまなく見て回った。夕方になった。父は、「いないなあ。すぐに見つかると思ったが残念だったなあ」と呟いた。
「貴史、今日はやめとこう」
「うん!しかたないね」
その日は探すのあきらめた。結局、見つからなかった。防火用水の中でドジョウがチョイチョイッと水面を跳ねていた。馬鹿だなあ。逃げずにここにおれば美味しいドジョウをたらふく食べられたものをと呟いた。父は餌やり中、知人が来てその対応に追われ金網の被せを後回しにしたらしい。苦笑いしながら「悪かった」と謝った。だが、いつも怒られている自分は許せなく、むっとした顔を続けた。父は済まなそうに僕をちらっとみてこの時ばかりはしおらしく引き下がった。
8
夏休みも終わりに近づいたある日、父から「宿題は終わったのか?」と訊かれた。宿題帳はなんとか済んだものの,テーマ課題「昆虫採集」がまだだった。そこには採集した昆虫の標本の作り方が図解で載っていた。画用紙にピンで昆虫を留めて、痛まぬよう昆虫に消毒剤を注射する手順が書いてあった。夏の初めは蝉、蝶、バッタ等観音山に行けば幾らでも捕れたけど、もうこの時期ツクツクボウシやコオロギぐらいでこれといった昆虫は見かけない。こんな場合どうすればよいのか見当が付かず兄に相談した。「今になってこの課題をやるのは遅すぎだよ」素っ気ない返事が、かえってきた。僕は、困ったことになりそうな気がしたのでひたすら兄に頼った。
すると兄は、「貴史の今持ってる昆虫で標本にできるのはあのカブトムシのつがいだけだね。他の昆虫はありふれて標本にする価値がない。たぶんいろんな種類の昆虫採集の標本を提出するものもいるが、夏休みの旅行先で集めた昆虫だよ。我が家は休み中どこにも行ってないからそれは無理だよ」
「そうなんか…」
がっかりした様子を見かねた兄が、
「いまから手伝うからマッチ箱の大きいのを持ってこい」と云った。
台所でマッチがなくなりそうな大箱をみつけ兄に渡した。
「これくらいが丁度いい。標本箱は俺が作るから父のところへカブトムシのつがいを持ってって防腐剤を注射してもらい」
ミカン箱で元気に動き回っていたカブト虫を思うと気持ち掴んだ手が緩んだ。掴んでいる指にカブトの脚が嫌々しているように触れる。可哀想だなと呟きながら父に手渡した。すぐに慣れた手つきで注射した。脚がピンと張った。この間、兄は画用紙を切って中底を作ったり色紙でマッチ箱の外面を仕上げたりしていた。小一時間過ぎただろうか。「箱が出来たからカブトを持ってきて」とお呼びが掛かった。兄は二匹のカブトムシを並ばせて輪ゴムと虫ピンで固定し。蓋にセロハン紙を被せて完成させた。完成品は小型ながらきちんとカラフルで綺麗に出来上がった。 父は、「これなら恥ずかしくないよ。中身がいいからな」と満足そうに笑った。
二学期が始まり、登校日は皆夏休みの宿題を持参した。手に手に昆虫採集の標本を携えて、中には両手で風呂敷を抱え込みながら大儀そうに登校する生徒もいた。先生は挨拶するなり、「標本を後ろのテーブルに置きなさい」と号令した。殆どの生徒は菓子折ぐらいの紙箱に蝶やカブトムシ、バッタ、コガネムシそして玉虫の類いを十二匹~二十匹標本にして提出した。数人の生徒の標本箱は、大小数十匹の昆虫の標本収めたガラス張りの大きな木箱だった。見た感じ僕の標本箱が一番小さかった。提出した生徒に先生は名刺ぐらいの大きさの用紙を渡し、日時、採集場所、昆虫の種類と本人の名前を書いて標本に張りなさいと指示した。
数日経った午後、三人の先生がクラスにやって来た。担任と標本のチェックをして良くできた順に金銀銅色の札を貼った。生徒はその間後ろが気になりガヤガヤしたが、担任は前を向いて静かにしなさいと怒鳴っていた。審査途中、審査員に呼ばれ「採集場所が一貫掘りとはどういうことか?」と訊かれた。「川沿いの栗の大木によじ登って捕まえたから…」と応えた。「そういうことですか」納得し、他の審査員に指を指しながら報告していた。小声で、「これは珍しいね!背中がまるでカナブンだね」と云っているのが聞こえた。席に戻ると審査は終わりましたと云い残し、担任に会釈して先生たちは教室から出て行った。担任は続けて生徒に、札の貼ってない生徒は授業が終わったら持ち帰るよう指示した。皆それっとばかりテーブルに向かった。「駄目だったか」と力作の生徒たちの落胆な様子がうかがえた。僕のは標本が小さすぎるので、はなから席を立たなかった。
すると後ろから「前田、銅賞だぞ!」と声が上がった。「お前の標本、小さいが張り紙が目立ったから入賞したんと違うか?」とみんなから、からかわれた。恥ずかしさが嬉しさに変わった瞬間だった。
あとで分かったことだが、この年の「昆虫採集」は全学年共通の課題だったそうな。各金賞銀賞までが学校の代表作品の選抜に出品でき、講堂に展示された。最優秀賞ほか入賞作品には八丈島や福岡で採集した昆虫の標本が堂々と飾ってあった。大きな木箱に蝶やカブトムシが大きさや種類別に整然と標本されていた。とても真似ができそうもない立派な作品だった。
9
九月の中旬になった。大きな台風が群馬県を直撃した。北部は夜通し強風や大雨に叩かれ、朝方嵐は去った。新聞に渋川市の小学校が一部利根川に流されている写像が載っていた。その週末の午後、一貫掘りや大谷家が台風の影響でどうなったか心配になって出向いてみた。いつもの橋に着いて川筋を見渡すと川沿いの草木が一掃されて遠くの方まで透きとおったように見えた。大谷家では従業員や家族が畳や布団を外に出して乾かしているのが見えた。すぐに向かった。おばさんが出てきて、「台風で川が溢れ床に浸水し怖くて眠れなかった」と告げた。「息子はあれから学校を休ませて家の手伝いさせているよ。ちょっと声をかけて励ましてやって呉れないか?」僕は二つ返事で引き受けて裏手に回った。彼は仕事場の石切機械の分解で手が真っ黒になりながら手伝っていた。僕をみると相当疲れているにもかかわらず笑いながら手を休めた。
「台風はどうだったの?」
少し間があき。
「凄かった!家から出たら水に流される危険があったよ。怖かったのはミシミシ川岸の雑木が軋む音だった。身震いしながらじっとして夜を明かしたよ…」
「そうか!今日は邪魔して悪かった。今度会おう」
親父も寄って来て。「ご覧の通り材料の石は幸い流されずに済んだよ。賢治に手伝わせているけど石切機械が水に漬かり動かなくなったが直したらすぐに再開できそうなのでそう心配しなくてもいいよ」
といつもの通り明るく笑いながら僕に声をかけてくれた。でもこころなしか元気が窺えなかった。
橋へ戻り、ついでに佐藤の家も訪ねた。卯の花の木の生け垣が無残に根元で折れ、薙ぎ倒され、母屋が丸見えだった。川沿いにびっしり並べてあった水槽が殆ど消えていた。ある物は崩れた生け垣に被さっていた。石鉢も位置がずれて横になっていた。あれだけいた金魚が一匹も見当たらない。どうしちゃったんか?事の次第を訊きに入り口をトントン叩いた。すると中から、
「どなたですか?」と佐藤の声がした。
「前田だが佐藤いるんか?」
「ああ前田か?」
と云って引き戸を開けた。顔があったとたんに曇った。まるで元気なくしょぼんとして、
「俺、引っ越しするよ。父の実家が桶川なんで年内に学校も変わるよ!」と言い出した。
「ええ?なんで突然そうなったんだい」言い返した。
「見た通り台風で金魚が全部流されちゃった」
あの夜、父と二人、徹夜で金魚を保護しようとしたけど川が氾濫してきて父から「一歩も家から出るな」と云われ家ん中でじっと心配しながら夜を明かしたそうな。家の中を見せてもらったが畳も布団も泥だらけで足の踏み場がないくらいゴミで散らかっていた。台所にあった姫メダカの鉢は空っぽになっていた。
「お父さんは?」
「父は今日も埼玉に行って、次の仕事探しと引っ越しの手続きをしているよ」
「なに?金魚屋さん、やめちゃうの」
「うん、せっかくこれまで集めた大切な金魚を失ったんでもう二度と金魚は飼わないよ」と決心したんみたい。僕はそのあとに言い添える言葉はなかった。
「中を整理している最中だから今日は御免な」と言って戸を閉めた。
帰りはとっても胸が重くなった。前はあんなに一貫掘りに出向く折、胸が弾んでいたのがなんでこんなに気持ちが消沈するんだろうかと。
あれ以来佐藤を見かけなくなった。冬前に埼玉に引っ越ししたとの噂を訊いた。一貫掘りへ久しぶりに出かけてみた。彼の家は消えていつの間にか畑になっていた。大谷は川の恐ろしさを体験したせいか何故か川遊びをためらうようになってしまった。あの台風以来、この川一帯が妙に殺風景になってしまった感がした。楽しくはしゃげたときの川に戻るにはだいぶ先になりそうだ。
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