故郷の川狩り

観音寺隼人

第一章  井の川

 鎮守の森     


「あっちい。あっちいよ」

「馬鹿だなあ!  線路の上そのまま歩けば、足の裏が焼けるに決まってるさ。枕木を股いで行けば熱くないよ」

 兄の厳しい声が返ってきた。

 そうはいうものの、僕は背がちっちゃく足が人一倍短いので枕木間に足が届かなく、仕方なく我慢しながら、線路と枕木を交互に渡り歩いている。新調したての運動靴が線路に敷かれた砕石のタールであっちこっちが黒光りになっていた。帰ったら母に叱られるな、でも今更しょうがないと思った。暫く進むと十m程の鉄橋にさしかかった。`

「貴史、この川はおまえがよく遊ぶ一貫掘りだよ。この下は深いから下を見てはいけないよ」

 橋桁に足場板が無く、枕木の間から水面をのぞくと、キラキラ光っていた。岸辺に葦が群生していて、いかにも魚のいそうな、云わば窟巣といっていいような気配が窺えた。

「兄さん、怖くてまたげないよ」

 兄は事情を察知して、「わかった俺がおんぶしてやるから背中におぶっされ」と、背中によいしょした。兄は背が高かったので、僕を乗せてすたすたあっという間に橋を渡り終えた。 さっきの冷たそうな声かけと違って密かにいい兄さんだなと思いつつも、改めてそっと振り返った川は、青くどんよりして水深がありそうなワンドだった。

 もしかしてここで釣りでもしたら型のよい魚が上がるのでは?ピーンと感じた。    

 そのまま線路上を進むと、辺りには水田が見渡す限り広がり、家らしい建物はひとつも見あたらなかった。でも遠くの方で水車がぽつぽつ回っているのが観えて田園地帯そのものののどかな風景があった。ときは七月下旬、真夏にさしかかる頃だったせいか、新前橋方面に真っ直ぐ延びている線路上に、ユラユラと延々に陽炎が立ちのぼっていた。先ゆく線路が途切れ途切れになり宙に浮かんでるように見えた。僕は、この現象を確か本で読んだことのある蜃気楼だなと思い、兄に話しかけたら一緒にいた兄の同級生とともに大笑いされた。「ただの陽炎だよ」と云って素っ気なかった。せっかくの思いつきをけなされ憮然とした僕を見かねた兄は、「蜃気楼は景色が空中で逆さに写るんだよ」と補足した。そうかなるほどと勝手に頷いた。同級生もちらっとこっちを見て兄貴と違って弟はなんにも知らない奴だなあという顔つきをしていた。

 北高崎駅で兄の同級生と待ち合わせをして、歩き出してから、かれこれ一時間半ぐらい経っただろうか?太陽の灼熱がじりじり喉の辺りをおそってくる。見かねた兄は二人に「ちょっと休もうか」と声をかけた。僕も友人も然りと嬉しそうに頷いた。線路脇沿いの草っ原の小道に腰を下ろした。兄は黙って空を仰いだり、頭を垂れたりしていたが、久しぶりの遠出のせいかいつもより爽やかな顔つきに見えた。そもそも今回の魚釣りの話は、僕の魚取り好きをみかねた兄が友達に、おまえより釣りの中毒がいるといって紹介し、実現した経緯がある。兄はもともと殺生が嫌いで、夜、勉強机の上で小虫がひっくり返るの見ただけで、その小虫を起こしてそっと窓から逃がしてやるような性格だった。だから鉤針で魚を引っかけるなんてさらさらしそうもない。なんで僕を釣りに誘ってくれたかというと、たった一つの理由があった。それはこれから行く池に珍しい小魚がいるからで、その魚の実物を見たかったからかもしれない。形はフナのようで、横からみると虹色のような色彩を放つカネヒラというタナゴのことだった。この魚は、住んでいた近隣の河川や湖沼にはいなかった。だから友人は、兄に秘密の池に兄弟を案内する約束を交わしたんだと後から訊いて分かった。

 暫く休憩し、さあ立とうとしたとき。「貴史、お腹がちょっと空かないか?」 と云って風呂敷包みからそっとゆで卵を2個取り出して、一つを友人にあげた。もう一個は半分に割って僕にくれた。黄身がはちきれんばかり大きく、口に頬張ると喉につっかえそうになった。すかさず兄は水筒の冷えた麦茶を二人に差し出した。友人は、「ありがとう。前田はよく気が利くなあ。俺には真似出来ねえよ」と云って、一気にがぶりのみした。その顔は満足そのものだった。皆、急に元気になり、「もう一踏ん張りだ」といって歩きだした。

 半時間ほど経っただろうか、目先に土手が見えてきた。「やっと井の川に着いたぜ」そう言って友人は、真っ先に駆けだして土手を駆け上がった。兄と僕も続いて土手の上に立った。辺りを見渡すと、対岸側にこんもり茂った森があり、その周りの川沿いにちらほら藁葺きの農家が見えた。下流側遠くには橋が架かっていた。友人が目前の森を指さし、「あそこだよ!」と兄に向かって叫んだ。僕は、川でなく森で何を釣るんだろうと、一瞬そのことに疑問が生じた。すると友人は、神妙な顔をし、「あそこに大きな池があり、そこでやるんだ。下流の橋を渡って鎮守の森に行くよ」と、僕らを促した。兄は「あぁ…」と小声で呟いたものの、たいして関心のある様子は見られなかった。下流の橋に向かって分かったことだが、御影石か大理石で造られた高崎市と前橋市を結ぶ産業道路の要の立派な石橋だった。よくぞこれだけ大きな橋を石で造ったなと通りすがり感心した。橋の欄干に『井の橋』と書かれた名盤が取り付けてあった。

 橋を渡って川を迂回し、土手沿いの小道を通って鎮守の森に着いた。森の木は大きく鬱蒼として真昼なのに、静かで薄暗かった。正面に鎮守のお宮を拝見しながら裏手に回ると大きな池が姿を現した。岸辺は斜面がきつく生えている木々の枝を伝わりながら水際へ降りてみた。淵は草ボウボウで、ちょっと離れると声は聞こえても姿は全く見えなかった。水の色はどんより碧く、何しろ水深がどのくらいかさっぱり見当がつかなかった。もし池に落ちたらどうしよう?そんな不安もよぎった。

 すると上の方から、「貴史、こっちへおいで」と、兄の声が聞こえた。「釣り竿は二本しかないので友人とお前で魚釣りをしてくれ。私はこの森を散策するから、何かあったら大声を出して呼んでくれ。すぐに戻るから」と、云って兄はその場を去った。

 友人は袋から竹竿を取り出して竿を繋ぎ道糸、浮子、鉤等の仕掛けを取り付けて僕に差し出した。長さは二間、三本繋ぎだった。戸口は漆塗りで段巻きになっており、結構高そうな竿だった。道理で道中、大切そうに背負っていた訳がここにきて分かった。僕は尋ねた。 

「深さどのくらいですか?」

「約五尺だよ」

「ええ!かなり深いね」

「結構深いから池に落ちないように気を付けてな! 釣り場は声が聞こえると魚が寄らないから互いに離れようぜ」

「うん。僕はこの下にするよ」

「分かった。餌の赤虫をここに置いていくから場所替えするときは、必ず俺に声をかけてな。この先近くで釣り座を構えるから困ったことがあっても声をかけろよ!」

 そう云い残し、ニコリとして友人は池の奥の方へすたこら向かった。

 一人ぼっちになったが、もう下に降りて餌をつけて釣るだけなので、どうっということもないなと呟いた。ただ、釣り糸が枝にひっかかったり、滑って池に落ちたら背丈より深いので泳げない自分は大事になるなと内心感じ、ぞくっと身震いをした。慎重に枝伝いに斜面を降りて池の淵に立った。堤防沿いに太いソメイヨシノが植えられていて枝が重なり合っていた。枝と枝の間隙を見計らい、水藻を避けた水面に竿を振るい浮子を垂らした。ポッちゃんと小気味のいい音を立て錘のついた仕掛けがまるい波紋の中央に沈んだ。直ぐに丸浮子がぷくぷく上下した。竿を合わせるとググッと手応えを感じた。魚がかかった瞬間だ。竿を上げると四寸ぐらいのマブナが釣れた。これは幸先いいな。すぐに餌を代えて垂らすと当たりがあり、先ほどと同じぐらいのフナが釣れた。十匹ほど釣れたとき、遠くの方から友人の声がした。「貴史君。貴史君。来てごらん」何事かと声の方向に駆けつけると友人は、魚篭に手を入れて平べったい三寸くらいの魚を取り出した。背びれが赤く腹にかけて見たことのない美しい鮮やかな色合いをした魚だった。「これを兄さんに見せたかったんだ」と得意そうに語った。魚篭に他の魚が見えないので、「釣れなかった?」か訊くと「小鮒は逃がしてやったよ」とのことだった。

 また元の場所に戻り、さっき見たあの魚を釣りたいなと胸がはやった。しかし何度やってもフナばかり、何でだろう?と考えた。一時間くらい経っただろうか、ふと空を見上げると、どんよりした雲が先ほどの天気とうって変わって目につくようになった。辺りはいっそう暗くなった。兄が戻って、もう帰ろうと云い出しそうなので気持ちが焦ってきた。そうだ!いまの浮き下は、フナの生息帯であの魚とは違うのでは?と呟き、思い切って半分の深さにした。すると案の定、当たりがあって釣り上げてみると、先ほど見せてもらったより大きなあの魚だった。「やったあ」と、胸が一瞬ときめいた。

 だがその時、大声で「ちょっと来てくれ」と友人の絶叫が聞こえた。なにが起きたんだろうと気がはやり、あわてて駆けつけると池の中で友人が竿を片手で掴みながらもがいていた。池にどうして落ちたのか半信半疑で助けようと手を差し伸べてもとてもじゃない届きそうもなかった。僕は、「兄さん、兄さん」と大声で叫んだ。すると土手斜面を、「どうしたんだ」と叫びながら兄が駆け下りてきた。僕は慌てて声をつまらせ指をさした。友人はもう淵からかなり離れ、顔が水面から出たり沈んだりして腕が水面にでることはなかった。兄は事態が大変なのを察し、すかさずズボンを脱ぐなり、なりふり構わずザブンと水しぶきをあげ頭から池に飛び込んだ。兄は泳ぎながら友人に「竿を離し仰向けになれ」と声をかけ続けた。反応はなかったが竿を離した瞬間、兄は友人の首に左手を巻き、右手で平泳ぎをして岸にたぐり寄せた。友人も僕同様に泳げなかったらしい。岸辺につきドザ絵門みたいにぐったりした友人は目をつむったまま、動かなかった。兄は戸惑いながら真剣な顔つきになり、「これはヤバイぜ」と一言いった。まずは土手の上まであげようということになり、兄は上半身を抱き、僕は両足を掴み引きずりあげようとした。水浸しの友人の体は重く、二人で頑張っても斜面をずりあげることはできなかった。僕は、「須藤さん、須藤さん」と大声で耳元に怒鳴ってみた。すると友人の唇は真紫でピクピク痙攣しだした。「兄さん生きているよ、息してるよ」その瞬間、兄のまさかの緊張した顔が、ホットした様相に変わった。友人はうっすら目を開け、兄を見つめ恥ずかしそうにニコリとした。そしてすぐに顔色をしかめて「苦しいよ」とおいおい声を出しながら泣き出した。すると兄は、「顔を下にして口を開けて」といい、いきなり指を口内に突っ込んだ。「オエー」と喉を詰まらせ、彼は前屈みになりながらゴボゴボゴボと黄色い水を嘔吐した。僕は心配でたまらなく後ろから背中をさすったら、また嘔吐した。それを見た兄は、「もういいからお前はそこを退いていろ」と怒鳴った。彼は僕の方を向き「胸のもやもやがとれたよ、ありがとう」と一言声をかけてくれた。兄は緊張感がほぐれたのか後ろ向きになりじっとこらえた様相をしていた。ちょっと覗き見してみると眼が真っ赤になっていて涙がにじんでるようにも見えた。

 暫くして、友人は正気にもどったので、彼を引きあげようと声をかけたとき返事をしなかったのは何故か訊いてみた。 二人の声は聴こえていたが金縛りにあい、口も体も動かなかったとのことだった。でも僕は友人の顔が兄と違い真っ青なのに気づいた。体がぞくぞくっと心底から震えているのがわかった。まさかこんな事態に遭遇しようとは思いもよらなかったから。離した釣り竿を引き揚げると真ん中が二箇所折れていた。「この竿はもう使えないや?」と、その場に投げ捨てた。兄は、友人が助かってよかったという顔をしていた。なんで池に落ちたかを一切尋ねようとしなかった。友人は靴の片っぽを無くしていた。帰りは皆無口だった。なんで池に落ちたのか僕は友人にこそっと訊いてみた。

 すると彼は、

「大物が掛かり沖に竿を持っていかれ、左手で桜の幹を抱えて右手で竿を立てようとしたら、ツルッと木の皮がめくれて滑り、もんどり池に落ちた」と語った。

「無我夢中で貴史君を呼んだのさ」

「そうだったのか!」

 一歩間違って兄を呼ぶのが遅れたら大変なことになりかねなかったんだなあ。危なかったんだ。 帰りは皆しょんぼりしながら歩いた。兄と友人のシャツはビショビショに汚れていた。特に友人の片靴歩きが痛々しかった。もと来た線路道を北高崎駅まで歩いて帰った。駅に着くと、友人は少し元気を取り戻し、兄に、「今日はだいぶ迷惑かけて御免なさい」と謝っていた。「いいよ、いいよ」と遠慮がちに応えていた、でも顔は真剣そのものだった。彼は僕に向かって魚篭を突きだし、カネヒラを取り出して僕の魚篭に収めてくれた。ニッコリ笑顔で「ありがとう」と云った。あの時より顔色が少し良くなった気がした。兄の顔をみると、さっきまでの厳しい顔つきと違って、いつもの優しい兄に戻っていた。

 家に帰って、早速、父が昔ランチュウを飼っていたという大型の水槽に釣った魚を入れてみた。フナはともかくカネヒラというタナゴは横から見ると背高もあり綺麗で、水槽の中が賑やかになった感がした。

 兄の方は、母から「シャツをこんなに汚しちゃってどうしたのさ?」と、何度も訊かれていたが、とぼけてなにも喋らなかった。夕方、友人の母から家に電話があり、母が取り継ぐと、「前田さん!息子が池に落ち、宅の直紀君に助けてもらったらしい。後日、お礼に伺いますので、今日は失礼させていただきます」と、結局、一部始終が家族にばれてしまった。

 翌日の朝、兄は、僕に、「二度と鎮守の森に行ってはだめだよ」と断言した。「池に落ちたら助からないからな、分かったな!」

 兄は、その後一切釣りと縁をきり、僕のその後の武勇伝にも耳を貸さなかった。

 


  三角溜池


          1

 

 鎮守の森の件があってから約一ヶ月経っただろうか?夏休みが終わった頃、兄が父に、「貴史に自転車を買ってやってほしい」と進言してくれた。理由は、背が小さく歩くのが遅いのでお使いに不便だから。それに貴史は高崎の街を知らなすぎるから何か頼みたいことがあったとき融通が利かないと。父は、これまで兄の云うことは何でも否定することはなかった、しかし、今回は貴史のことなのでいつもと違って神妙な顔して母にも相談して決めると返事を保留した。

 数日経ったけど父からなんら承諾の声はなかった。たぶん両親は、あいつにまだ自転車は早過ぎると思っているのでは?と疑った。一週間経ち、なかば諦めかけたとき本町の大塚自転車店から我が家に緑色した中古の子供用自転車が届けられた。父は自慢そうに、「貴史!お前には今までろくなおもちゃを買ってやったことがなかったから今回だけは直紀の云うとおりにしてやったよ。直紀に感謝しろよ」と声をかけた。念願だった自分の自転車が手に入り、これからは行きたいところを全て行けるなと天にも昇るような気分になった。

 自転車は、前から日曜日に学級友達から借りてグランドを駆けてきたので自信があった。花壇の囲いまわりや飛び石間を駆け抜ける練習をしょっちゅうやってきたので新自転車を乗りこなすのはわけなかった。試しに路上に出てこいでみると、緑色が目立ったせいかチラチラ通りすがりの人にみられるのが恥ずかしかった。

 自転車を買ってもらえるきっかけになった要因は、あの鎮守の森だったことから、まずはあの方面の釣り場を探索してみようと頭を巡らした。兄からあそこは絶対に行っては駄目といわれているので、産業道路を進み井の橋を越えて井の駅付近の釣り場をさがすことにした。


           2

 

 九月の暖かい風が吹く日だった。自転車に乗って産業道路をひたすら北に向かった。初めての遠乗り、身も心も爽快でこいでもこいでも足取りは軽く、周りの風景が走馬燈のように変わりゆくのが、町から村へ、一帯田んぼに変化していくのが楽しかった。

 井の橋の袂に着いた。橋を渡り左の土手の細道を通れば鎮守の森、そこで兄の顔が浮かんだ。やっぱり曲がるのはやめよう。そのまま、まっすぐ北へ向かった。三〇分もこいだだろうか、道路の両側に家らしき建物はなく、前後も見渡す限り田んぼが広がっていた。道路には一切人影はなく、たまあに荷物を山のように積んだトラックが行き交うだけだった。こんな遠くまで来たのは初めてだなと呟いた。井の駅ってこんな遠いところにあったっけと自問自答しながら進み、前方を見上げると青い道路標識が目についた。左方面に『井の駅』と。やれやれ、やっと着いたか。駅に着いてみると、見慣れた国鉄高崎駅と違って改札口しかないちっちゃな駅だった。北高崎駅もちっちゃかったけどそれよりもっと小さいのでよけい驚いた。これ以上先に行くことはないなと判断し、帰りながら魚のいそうな水路か池を捜すことにした。

 もと来た道を産業道路に向かって半ば来たとき、幅員の大きな畦道が産業道路と並走して井の川方面に延びていたので、その道を進むことにした。またこの畦道の両側に幅員六〇センチほどのクリーク(用水路)が沿っていた。クリークには金魚藻が水面至るところ生えていて流れている水も透き通って綺麗だった。どうやらこの先は井の川に注いでいるらしい。これだけの水が流れているのなら近くに池があるだろうと勝手に勘ぐって、自転車をこいだ。井の駅と井の川の中間点ぐらいまで畦道を進むと、左前方に葦の穂先が群生しているのが見えた。なにかなあと途中、其処へ向かう畦道に乗り入れた。少し進むと畦道は細すぎて自転車を通すには無理と分かった。そこから歩いて葦原に近づくと中くらいな大きさで三角形をした農業用の溜め池が現れた。池周りの畦道は細いが崩れてなく淵回りの葦も痛んでないし、およそ人があまり近づいた様子が見られなかった。岸辺に佇んでも誰にも気づかれそうもない感がした。

 暫く水面をみていると葦の水中下がガサガサ音を立てているのが分かった。浮き草が不自然に動き泡が吹き上がるのが見られた。風一つ無い好天日なのに何故か水中がザワザワしているのが読み取れた。この池には魚がいそうだなと直感した。ここは鎮守の森と違って青天井で、木立がない。ちょっと駆ければそこそこの畦道にも出れる。そう危険はないなと判断した。よし!今度はここに釣りに来ようと胸を張って誓った。

 家に帰りながら思った。そういえばのべ竿はあるが、繋ぎ竿がないなあと。ため池では継ぎ竿でないと葦の先まで届かないから無理だと悟った。自転車をこぎながら片手でのべ竿を持つのは危険すぎる。繋ぎ竿を購入しなければ、でも自転車を買ってもらったばかりで釣り竿をねだったら怒られるかも。おねだりの話はとても無理だと考えた。 仕方ないから毎日の小遣いを貯めて繋ぎ竿を手に入れることにした。のべ竿が一本五拾円。繋ぎ竿は弐百七十~参百五十円位した。しかも長さは二間程度だった。三間から上は五百円を超え、とても僕らが手の届く代物ではなかった。      

 竿は参百円するな!小遣い二ヶ月分か?いまから貯めて十二月か‥‥。それまでお預けだな。と、呟いた。

 やがて年は暮れた。年が変わり、父から呼ばれ、お年玉が配られた。拾円札が八枚入っていた。

 毎年六十円だったのがちょっと増えて嬉しかった。兄も呼ばれたが、封筒を隠すようにしまった。それでも封筒の先にちらっとお札が二枚みえた。僕のとは色が違っていた。いつもお使いに行くとき母から渡された壱百円札だ。はっとした顔をみた父が僕に声をかけた。

「貴史、おまえ最近 貯金してるようだな!どのくらい貯まったかお父さんにみせてくれんか?場合によっちゃあ褒美に雲呑ご馳走するぞ」 待ってましたと二階へ駆け上がり、招き猫の形をした瀬戸物の貯金箱を持ち出して家族の前に差し出した。父は瀬戸物をひっくり返して足の裏にまあるく張ってある油紙を剥がした。そして元に戻すと猫の足からジャラジャラと十円玉、五円玉が畳の上に山となってこぼれ出た。家族みんなが目を見張った。兄は、先ほどお年玉をもらったときと違い、「貴史がこれ貯めたんか?」と不思議そうな顔をしながら小銭の山を見つめていた。父は剥いだ油紙に糊を付け張り直した。「貴史いくらあるか?数えながら元に戻せや」拾円玉や五円玉を一枚一枚数えて元に戻した。全部で参百二拾五円あった。

 お年玉と合わせて四百円となった。数え終えたとき、兄は、「貴史には多すぎないか?」と父にクレームをつけた。父は、「貴史が頑張ったんだからしょうがないよ。明日、昼に二人にご馳走するよ」と言葉を返した。兄は父のその言葉を訊いて顔つきがいつもに戻り黙った。

 その夜、やっと念願の繋ぎ竿が自分の努力で手に入るかと思ったら嬉しくって胸が高鳴りなかなか寝つけなかった。

 翌日、釣具店のお年玉セールに行った。普段見たことのない立派な漆段巻き竿がこれ見よがしと店頭に飾ってあった。奥の方にも段巻きの漆絵や桜模様の美しい竹竿が飾ってある。千円もするものもあるが予約売り切れののし紙が貼ってあった。店の主人に「この竿ってなにを釣るの」と訊いてみた。「鮎だよ」とにこにこしながら応えてくれた。こんなすごい竿を買う大人がいるんだなあと思った。セールの竿で三本繋ぎを捜したところ訳あり(多少傷あり)で本来なら三百五拾円の値段のものが弐百七拾円で売っていた。すかさず主人に「これ頂戴」と叫んだ。いつも安物ののべ竿で餌を買いに来ているのを知っている主人は、眼を丸くして「いい竿選んだね」と口をもぐもぐさせながら布製の竿入れに差し込んだ。何か云いたそうだったが回りがざわついていたので言葉を控えたようだ。ただうす笑いしたその顔は「おやおやどういう風の吹きまわしかな?」と言いたげな様子が窺えた。

 家に帰って嬉しそうにしている僕を見た家族は誰も無口で怪訝そうな顔をしていた。

 たぶん家族はせっかくたまった小遣いを本や学習道具を買ったら褒めようと思ったが、案の定遊びの釣り道具をもって帰って来たので、がっかりしたのかもしれない。              


          3


 四月になった。といっても上州はまだ寒い。下旬頃から子供たちは河原に出向く。川岸一帯に芹が芽生えるからだ。緑の絨毯を敷き詰め一直線に両岸を彩る様相に誰もが驚き,春っていいなと囁く。中には家族連れでやってきて風呂敷に一杯、芹を摘み持ち帰る姿もあった。

 僕は新調の釣り竿を持って三角溜池に向かった。まだ田植え前、池周辺は枯れ草ばかり、でも水面の葦原がギシギシと音を立ててるのが分かった。どうやら風のせいだけでもないらしい。葦の根元まわりからも聞こえてくる。ひょっとしたら魚が動き出して葦に擦れているのかも。胸を膨らまして竿を振った。餌はミミズ、玉浮子は直ぐに反応した。プクプクグーッと消し込んだ。竿先はしなやかに弧を描き曲がった。竿の感触がとってもいい。延べ竿とは違う。一挙に竿を引き上げると二〇センチ程の丸々したマブナが釣れた。これって甘味噌煮にしたらおいしそうだな。さい先いいなと手応えを感じた。仕掛けを投入するたびにアタリがあった。相当魚影が濃い。魚の型も今までで一番いい。やっぱりここに来てよかったなと思いながら中央を見据えると目線の先でバチャっと音を立てて大きな魚の背びれが浮かび上がり、ゆっくり水面を切り裂きながら去って行くのが見えた。一瞬唖然とした。あんなに大きな魚がこの池にはいるのか!と驚き、魚が後に残した波紋が消えるまで立ち尽くした。  

 五月になり、あのでっかいのを釣ってみたいなとそのことが頭から離れず溜池に向かった。池の近くまで来てみると、お百姓が大勢いて池回りの畦道に農耕機が幾つも留めてあった。田んぼの一帯が水浸しで、農耕機で掘り起こした土が畦にまき散らしてあり、とても溜池に近づける状況ではなかった。諦めて出直すことにした。

 六月、真っ青な空、風も生暖かい絶好な釣り日和だ。朝から釣り道具を背負い自転車で溜池に向かった。池に着くといいあんばいに水嵩があり岸辺に釣り座も陣取れた。今日こそは大物を仕留めたいなと胸を弾ました。仕掛けを道糸にセットし餌を水面に投げ込んだ、いい音ポッちゃん。ミミズがくねくねしながら沈んでいった。少しの間があった。赤玉浮子がポコポコして横に動きだした。竿を立てると先が円弧を描き、握り手にグググと魚が掛かった感触が伝わった。上がってきたのは銀色で姿が綺麗なマブナだった。どこにも傷がなく擦れてないのが分かった。こんなフナだったら甘露煮にしたら家中さぞかし喜ぶだろうなと思いをはせた。ところがそれからアタリがあるが掛かりが悪い。やっと上がると小さなモロコだった。釣っても釣ってもモロコばかり、魚篭を覗くと小さく尖った口元をした細っこい体型をしたモロコが口を揃えてアップアップしていた。浮子下を少し長くした。とたんにまたフナが釣れだした。こう来なくっちゃと呟いた。その時、玉浮子がズボッとすごい勢いで水中に沈み込んだ。すかさず竿を立てた。その瞬間、あっという間もなく竿先付近の道糸が切れた。頭が真っ白になった。鉤は幾らか替えはあるが浮子も道糸も一セットしかない。無くしたら今回の釣りは終わりだ。まだ昼にもなってない。あきらめるのには早過ぎる。浮子は赤いし水は透明だったので、沈んでも岸辺付近なら目立つのではないかと考えた。浮子が吸い込まれた方向を岸辺から探ってみることにした。岸辺の葦を倒しながら池の周囲を見回った。全然浮子らしき物はみあたらなかった。やはり探すのは無理だったのかと思ったやさき、釣り座の対岸側にさしかかったとき岸から五mぐらい葦群の先の水中に玉浮子が浮かんでいるのを見つけた。

「あった!ここにあったか」緊張感がふっとんだ。反面、疲れがどっと押し寄せた。正気に戻り、どうやってあの浮子を取り戻すか?勿論竿は届かない。そこらに転がっている小枝なら届くが、魚に気づかれ逃げられたらまた浮子を探す羽目になる。どちらもまずいな。結局は自分で池に入って浮子を掴むしかないと判断した。

 ふと兄から言われた絶対にお前は水の中に入るなよという一言が脳裏をかすめた。岸からこの程度ならたとえ深くても泳いで岸にたどり着けると自分に言い聞かせて決行する事にした。魚を驚かせないように静かにパンツ一丁で池に入った。池底はぬるぬるしていて所々葦の葉がざらざら足裏に触れた。そんなに足は泥に取られなかった。葦の葉が敷網の役目をしていたからだ。浮子の傍まで進み沈んでいる浮子を掴んだ。そして引っ張ってみた。なにかにハリスがひっかかっているよう。ついでに道糸を手繰ってみた。すると一挙に水底が濁り黒い大きな魚影らしき物が水中をよぎった。同時に掴んでいた道糸がピンと張った。どうみてもフナとは違い大きい。ひょっとしたら鯉かもしれない?心臓がドッキンドッキンしているのが分かった。道糸を手のひらに巻き付け腰ぐらい水につかりながら魚と駆け引きした。

「頼むから糸よ切れんでくれ!」と神様にお願いした。でもすごい勢いで糸が張る。いっこうに緩まない。幸い、魚は深場に出ないで自分の回りをぐるぐる泳いでいるだけだった。そのせいで糸の駆け引きが上手くやれた。二〇分は経っただろうか。糸の張りが次第に緩くなった。頃を見計らい岸辺の方へ引き寄せた。岸に上がって釣り糸を手繰ってみると真っ黒な巨大鯰が姿を現した。なんだ鯉じゃなかったのか!と思う反面、こんな大きな鯰は初めてだなと感動し、浅瀬で鯰の背中が水中から出たとき脱いだ下着を両腕に広げて鯰を覆い岸辺に放り上げた。我ながらよくやったなと呟いた。畦上を鯰がバッタンバッタン暴れはしたが、ハリスが切れて泥が付いたので掴んで魚篭に収めた。

 我が家に帰り、母に見せた。あまり魚に興味を示さない母は「これ本当に貴史が獲ったのかい?」と、大きさに驚き、自ら晩ご飯のおかずとして蒲焼きを造ってくれると言った。そして、すぐに調理を始めた。コンロの炭火から甘っとろい、いい匂いが部屋中に立ちこめた。釣りには苦虫を噛みつぶしたような顔をする父も、この夜は明るい顔をして一緒にモロコのスープと蒲焼きの卵とじをおいしそうに食べていた。


         4


 夏が来た。もう七月、よく晴れた日は暑く、どんより雲の多い日は薄ら寒い。ある土曜日の午後。明日は学校が休みかと思うと天気に関係なく気が軽くなる。少しぐらい天気が悪くたって、どうってことはない。三角溜池に行って今晩のおかずでも釣ってくるかと呟き。さっそく道具と餌を準備して池へ向かった。自転車をこぎながら空を見上げると所々雲の切れ間があって日差しも見られなんとか釣り日和かなあと。池に到着し、周囲を見渡す限り、相も変わらず誰もいなく先月と同じだった。

 今日もいい型のお魚が掛からないかなと期待を込めて釣り糸を垂らした。直ぐに浮子が反応し中型のフナが釣れた。その後も調子よく続けてフナが釣れた。魚篭が短時間でそこそこ一杯になった。暫く経って。ふと考えた。家に毎回、フナばっかり持って帰っても面倒がられ家族に嫌われるな。これだけ魚が濃ければ、いつでも釣れるから今回は、ここに来たことを内緒にしよう。今なら昼の間に帰れるから釣りに行ったとは家族に知られないで済むと手前勝手に思い込んで、魚篭を逆さにして釣った魚を池に放流した。こんな経験は初めてだったが、なにかいいことした気持ちが沸いて胸が清々しい。釣り道具を片付け、魚篭を自転車の荷台に固定したとき、ボタッボタッと大粒な雨が降ってきた。ついさっき迄日差しがあったものの天候が急変したようだ。

「あれ!まずいな‥…。これは急いで帰らないと川に落ちたようにびしょ濡れになっちゃうな」慌てて自転車に飛び乗りペダルをこいだ。

 畦道を通り抜けて産業道路にでた。自転車を速くこぐと雨粒が顔に強くあたって痛く、ゆっくりこげば家まで遠かった。途中、井の橋に通りかかった折、雨が強くて進みづらくなったので、自転車ごと橋の下に隠れた。身体中びしょ濡れ。シャツを脱いで両手でギュッと絞った。生温かい雨水がボタボタしずくとなって足元に落ちた。空を仰ぎながら、午前中、風一つ無い天気だったのに何故か今は風も強くなってきておかしな天気になったなあと呟いた。ここで雨宿りして、小降りになったらさっさと帰ろう。暫くの我慢だなと自分に言い訊かせた。でもいっこうに雨はやむ気配が無かった。そこで雨がやむのをあきらめ、表にでて自転車を走らせた。向かい風(南風)が強く腰を浮かせて懸命にこいだ。這々の体で家にたどり着いた。そっと裏口から入って納屋に釣り道具を納め、表に回り、「ただいま」と声を出して玄関の戸を開けた。すると母が、

「帰ったかい。こんな雨の日、釣りに行って事故にでも遭ったら大変なことで心配したよ。随分体が濡れてるじゃないか?早く着替えてお風呂で体を温めな」

「六郷村の友達の家に呼ばれて遊びに行ってたので帰りに雨に打たれてしまった」

 と母に弁解した。そして呟いた。やっぱり今日は、魚を持って帰らなくてよかったと。

 夜半になっても雨がやまず風が強く時折、凄まじい稲妻も走りゴロゴロ雷が鳴り響いた。停電で我が家の電灯が消え、ランプを灯して部屋内を歩く様だった。父はこれほど雷が続いた夜は嘗て覚えがないと驚いていた。傍で聞き耳立てて半起きしている僕に、「子供は早く寝ろ」と叱った。「お休みなさい」と言って眠りについた。

 翌日、日曜日朝早く近所の運送店の親父が父のところにやって来て、息をゼエゼエしながら「昨日の落雷で『井の橋』が落ちたのを見てきたよ」と告げていた。父は、それを訊き唖然として、「なに! あの頑丈な石橋が雷で落ちたと?」まるっきり信じられない表情をした。すかさず僕に本当かどうか見てきてくれと頼んだ。「分かった今から橋の状況を見に出かけるよ」僕は産業道路を自転車でひた走りして井の橋に向かった。

 井の橋近くに来ると、交通止めで車の渋滞がひどく警察や報道陣、地元の方々それに野次馬でごった返していた。 人をより分け橋の袂につき前を見てびっくりした。橋の中央付近がV字型に崩落しているではないか。石の橋桁は厚さ一メートル程で、円柱の橋脚上の横梁に乗せてあったものが、桁全部ものの見事に真っ二つに裂かれ、川に落ちていた。僕は昨日、この橋の下で雨宿りしたばかりだったのに!なんてことが起きたのかなと呟き、改めて雷のパワーの凄まじさを実感した。土手側から斜めに橋の下を覗くと、砕け倒れた橋脚と折れてV字型の桁の先端が濁流のなか川底に突き刺さってるように見えた。昨日、ここで雨宿りしていた時はこんなことが起きるなんて思いもよらなかったのに……?ここに来たことを母に吐露しなくてよかったと胸を撫で下ろしながら。

 家に帰り、父にこの様子を伝えた。

「どうやら本当らしいな」と半信半疑で認めた。

 月曜日の朝刊に大きく橋の崩落写真が掲載された。これを見た父はやっと納得した。

 母は眉毛を八の字にして、もうあっち方面釣りに行ってはならないよと、きつく僕に言い渡した。兄も続けて、「あの辺は周囲に民家や建物がなく水田地帯だから釣り竿のような長物を翳すとてっぺんに雷が落ちやすく危険だよ。だから行かない方がいいよ」と僕を諭した。確かに今になってみるとつくづく身の危険が迫ってたかなと反省し、その後、親や兄の言いつけを守って井の川方面に出かけるのをやめることにした。

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