天界にいるはずじゃ?
とりあえず一休みということで、ベンチに座る。色々考えないといけないこともあるし、まず俺はこの世界について全く詳しくないのだ。その辺りを聞いておかねば心配でたまらない。流石に何も知らないまますぐ死ぬのは勘弁だ。
(とりあえずギルドカードは手に入れたから、身分証明はできるようになったよな)
――はい。これで、突然捕まって終わり、なんてことはなくなったと思いますよ
(じゃあとりあえず、この世界の状況について教えてくれませんか? 思っていたよりも随分平和そうでびっくりしてます)
アストラ様は、転生の折に魔王が世界を征服しようとしていると聞いた。しかし、それにしてはどうも緊張感が足りないように感じるのだ。ギルドの中に併設された酒場は随分にぎやかだし、とても魔王が今にもこの世界を滅ぼそうとしているとは思えない。
――えっと、そうですね。魔王は生まれてこそいるのですが、まだ侵略は始めていません。まだ順位中といったところでしょうか。だから、その影響は、強い魔物が現れたりすることが増えたということくらいに留まっています。
(つまり、この世界の人々はまだ魔王という存在を知らないということですか?)
――そういうことです。ただ、もうしばらくすれば『聖女』と呼ばれる存在が出てくるでしょう。それから民は初めて魔王という存在を知ると思います。
(聖女、ですか?)
――はい。世界の危機に瀕したときに、生まれる預言者ともいうべき存在ですね。この国の女神ちゃんが気が付き次第、その信託を受ける形で出てくると思いますよ
(この世界での話なのに、アストラ様じゃないんですね)
――私はこの世界の主神ですが、それぞれの国で信奉されている子達は違いますから。もちろん私のことを崇めてくれている国もあります
へえ、すべての国において最高位がアストラ様であるというわけじゃないんだな。
――まあ各国の女神たちは後輩ですし、部下でもありますから、実質トップと言っても過言ではないとは思いますが……国のことは各々に任せてますので
(と、いうことはまだしばらくは猶予があると)
――早ければ早いほどいいとは思いますが、その間にこの世界にもなれないといけないでしょうから。……あ、もちろんできればこの世界を救ってほしいですが、無理そうなら大丈夫ですからね? 魔王を滅ぼすまでは行かずとも、食い止めてくれるだけでもいいんです。
(……え? いいんですか?)
――私としてはもちろん助けてほしいですが、もしかしてら死んでしまうかもしれない道のりになるでしょうし、私はリョウくんに死んでもこの世界を救ってとは、とても言えませんから
(優しいんだな)
――へ?
(女神なんだから、きっと命じれば皆そのために戦うだろうに、その人をきちんと思うばかりに命じられない)
ここまでアストラ様と話してきて感じたものは、心からの優しさだ。蘇らせてくれて、もし無理そうなら使命を放棄してもいいだなんて。これなら、実質何も条件なしに蘇っただけじゃないか。
本心ではこの世界を救ってほしいと考えている。でも、自由意志に任せて、使命を強制しない。何なら、新しい命を楽しんでほしいとまで思っている。
これを優しいと言わずして、なんというのか。
(じゃあ俺は、その優しい女神様のため、頑張ってみようかなと思います)
――本当ですか? ここに来て言うのはなんですが、いつ死んでもおかしくないんですよ?
(それでも、です。それに、アストラ様は見守ってくれるんでしょう?)
――それはもちろんです!
(うん。じゃあ大丈夫です。……まあ、もちろん楽しみつつにはなるかもしれませんけどね)
――それはもちろん。せっかくのこの世界なのに、楽しまないのは損ですよ
女神様は楽しそうに笑った。そうして、少し頬を赤くして、心のこもった声で言うのだ。
――……ありがとうございます。リョウ君
●●●
俺は、古い扉を開けた。ぎいっときしむような音とともにゆっくりと見えたその部屋は、想像よりずっと広かった。
「そこそこ広いな……これなら、余裕ありそうだ」
もちろん、前世の家よりは狭いが、初心者冒険者向けの借家として見るなら、十分以上だろう。何なら、ちょっと古いがベッドだけでなく、小さなテーブルまである。トイレは共用で、シャワーはないが、これはまあしょうがないことだろう。
とりあえず、ベッドに腰を下ろすと、突然目の前に見覚えのある姿が現れた。
「わわっ……! 久しぶりに降りてきたので、ちょっとミスしちゃいましたね」
えへへ、と無邪気に見える笑顔を見せてくるのは、アストラ様だ。
「……アストラ様? どうして?」
アストラ様は天界? のようなあの空間にいたはずだ。さっきまでの会話もあくまで脳内に直接方式だったはず。
アストラ様は色々配置されている戸を開けては目をキラキラさせている。かわいい。
ではなく。
「……本当に、どうしてアストラ様が? さっきまでは念話でしたよね?」
「それは今はリョウくん以外の目がないからです。他の人がいる中だったら、少し混乱を巻き起こしてしまうかもしれないでしょう? だから、他の人目がない、今だけはこっちに降りてきたんです」
なるほど。それはいいが……落ち着かないなあ。今は違うが、俺は女の子を部屋に呼んだことも、お呼ばれしたこともない普通の高校一年生だった。これが初めてこんな狭い部屋に男女二人きりの機会だということになる。もちろん何もするつもりはないが……落ち着く落ち着かないとは無関係だろう。
と、大方部屋をあさり終わったアストラ様は、小さな体をベッドに転がして、こちらを見てきた。
「どうします? もう暗くなってますし、寝てもいい時間だとは思いますが……」
「あ、じゃあ少し浮かんだ疑問を答えてもらっていいですか?」
俺がそう言うと、アストラ様は居住まいを正し、俺の隣に座った。
「はい、何でしょう?」
「なんで俺の言葉が通じるんです?」
この疑問はかなり強かった。見たこと無いはずの文字がスラスラ読めるし、言語も、発音は日本語とは全く違うはずなのに、手に取るように意味がわかるし、会話もできるのだ。
「ああ、それは転生の時に自動で付与される能力のようなものです。こちらの公用語は一種類だけなので、この国の相手なら、なにも不自由せずに話せますよ。もちろん日本語も話せますから安心してくださいね。日本語で話したいなと思いながら話したら日本語で。特になにも考えず話したときはこちらの言葉になるように、自動で調整されてます」
なるほど。そんなものだったのか。確かに、ほぼ日本語と変わらないくらい扱えていると思う。教えてもらうことからスタートだったら詰んでいたかもしれないし、そうじゃなかったとしても多くの時間を無駄にしただろう。この能力をくれた女神様には感謝だ。
「さあ、ほかはなにかありますか?」
俺からの質問が嬉しかったのか、少しワクワクしているような顔で次を促しがしてくるアストラ様だが、あとは暮らして行けば少しずつ分かっていくはずだ。始めから全てわかっていても面白くないだろう。
「特に無いな。その時々に聞くことにするよ」
「じゃあ、もう寝ちゃいましょうか。明日からは私達も依頼を受けて暮らしていかないといけないわけですし、英気を養うということでも」
そう言うと、アストラ様はベッドに寝転がる。そうして顔を隠すように毛布をかぶると、その毛布の中から、不思議そうな声が聞こえた。
「リョウ君は寝ないんですか?」
「そうですね……」
さっきアストラ様が潜ったのと別の方向に腰を下ろして、ゆっくり寝転がった。
ベッドは別に問題ない。古いなとは思うが、硬すぎず軟すぎず、いいバランスだ。問題はそれではない。隣がものすごく気になるのだ。
いつもの感覚とは違う、隣に誰かが寝ているという状況。なんだか落ち着かない。これが男友達とかなら、合宿気分で楽しく話しながらというのもあっただろうが、相手はものすごくかわいい女神様だ。落ち着けるわけがない。それに、このベッドはシングルベッド。しょうがないとは思うが、体がどうしても少しあたっている。
心臓がバクバクとする。副交感神経よりは間違いなく交感神経優位な状態。寝られるわけがない。そうして悶々としていると、ばさっという音とともに、視界は闇に包まれた。
「んふふ……驚きましたか?」
「……驚きましたよ」
「リョウ君緊張してます? 顔が赤いですけど」
「……アストラ様もじゃないですか?」
俺はアストラ様に暗い毛布の中で、お互い顔を近づけて会話する。きれいな翡翠の目の下、頬のあたりは普段よりずっと紅潮して見えた。
「せっかくですし、こうやって寝るだけの時間も楽しみましょう?」
「……でも、それでも距離感近くないですか?」
「眷属なんですから、このくらいあたりまえですよ。」
女神様は小さく笑って、俺の頬をつついた。
「明日も一緒に頑張りましょうね」
その言葉とともに、少しずつ瞳は閉じていった。
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