第2話

「E判定か……」

寒空の元、高校3年生の受験を間近に控えたわたしは、公園のベンチで夕暮れ空を見上げながら、ため息をついていた。


学校帰りの空はすでに薄暗くなっていて、もうすぐ日が暮れる。それに伴って、どんどんわたしの気分も塞いでいく。センター試験まですでに2ヶ月を切ったのに、どうしても行きたい地元の国立大学は今だにE判定しか出したことがない。


「こんなんじゃ受からないじゃん……」

ベンチにもたれかかりながら、家に帰る元気もなく、ダラっと手足を投げ出していた。


ぼんやりしていたから、人が近づいてきていたのにも気づけなかった。気づけば、わたしの目の前に影が伸びていた。しかも、影の主である女性はなぜかこちらに近づいてきて、ベンチに座っているわたしの目の前で立ち止まって、話しかけてきたのだった。

「ねえ、そこわたしの席なんだけど」


高そうなジャケットと、サイズ感ピッタリのパンツスーツを着こなしている背の高い女性。ヒールパンプスを履いているから170センチ台後半くらいの背丈に見えた。目力が強く、意志の強そうな顔。きっと、自分の邪魔になるものは何がなんでも排除してきたのだろう、と勝手に思い込んだ。几帳面そうだし、それに加えて努力とかもきちんとできて、優秀な人に違いない。


きっとこの人はどんな手を使ってでも、自分の目標を達成し続けて、順風満帆な人生を送ってきたのだ。高校時代は志望校の模試はA判定で、良い大学に行って、そのまま良い会社に就職したのだろう。


羨ましい。そんな彼女に絶対に席は譲りたくない。つまらない意地だけれど、人生の成功者に違いない彼女に、せめて座席争いくらいは負けたくなかった。


「嫌ですよ。公共のものに誰のものとかないですよ」

「でも、わたし前からここに座ってるし」

「知りませんよ。今日はわたしがここに先に座ってるんですし」


「そろそろ時間だから、どいてもらわないと困るんだけど」

「時間って、何のですか?」

「悪いけど、上から座るね」

「は?」

わたしの質問に答えずに、彼女のお尻がわたしの膝の上に降ろされようとしている。


「ちょ、ちょっと!」

わたしは咄嗟に避けてしまった。しまった、結局強者の彼女の言う通りに従ってしまった。


わたしの座っていた場所に彼女が腰を下ろし、わたしはほんの少し席をズレたから、結果としてわたしは彼女と体を引っ付けながらすぐ真隣に座ることになってしまった。


「狭いんですけど……」

「じゃあ、あなたが退いたら?」

「……嫌です」


きっちり詰めたら3人くらい座れそうなベンチだから、お互いに両サイドに座れば快適に使えそうなのに、彼女が真ん中に座るせいで、端に座るわたしは狭い思いをさせられている。彼女だって、狭い思いをしているだろうに、一向に距離を取ろうとはしてくれない。


何考えてるんだろう、と思ったところに、彼女はジャケットの内ポケットから何かを取り出して口に咥えた。

「ちょっと、こんな至近距離でタバコって……」


煙たい匂いが嫌いだから文句を言おうと思ったけれど、よく見たら、緑色のそれはタバコではなかった。

「それ、シャボン玉の吹き棒ですか?」


彼女は緑の吹き棒を口に咥えたまま、頷いた。パステルグリーンの吹き棒が彼女の動きに合わせてピョコッと揺れる。そして、もう一度ポケットを漁って、シャボン液の入ったピンク色の入れ物を取り出した。


口に吹き棒を咥えたまま、シャボン液のケースを開く。吹き棒をシャボン液に浸してから息を吐き出すと、綺麗なシャボン玉がたくさん空を舞った。思わず見惚れてしまったけれど、その行動の意味はよくわからなかった。


「なんでシャボン玉……?」

困惑しているわたしに、お姉さんは答えてくれた。


「さすがに制服着ている子の至近距離でタバコ吸うのはよくないでしょ? 口が寂しいから、代わりのものが欲しいのよ」

ふうん、とわたしは頷いた。


「タバコも吸うんですね」

「もちろんよ。あれがないと気持ちが落ち着かないわ」

お姉さんが真面目な顔で言うから、わたしは苦笑いをした。


お姉さんはへビースモーカーなのかもしれない。タバコを吸っているところを想像したら不覚にもちょっとカッコ良いと思ってしまった。こんな勝ち組オーラ溢れる大人のことを素直にカッコ良いと思ってしまうなんて、ちょっと悔しい。


「わたしの前でタバコを吸わないようにしてくれてる配慮は助かりますし、意味もわかるんですけど、シャボン玉作ってるんですか? 咥えるだけで満足しないんですか?」

口寂しくて、タバコの代わりに咥えるものが欲しいのなら別にシャボン玉を作る必要はない気がする。


「吹き棒咥えてジッとベンチに座るって変な人じゃん」

お姉さんが真面目な顔して答えた。

「タバコの代わりにシャボン玉吹くのも充分変な人だと思いますよ」

わたしはため息をついた。


そんなわたしのことは気にせず、お姉さんはまたシャボン玉を作り始めた。黙々と、わたしを気にせずシャボン玉を吹く。わたしは変なお姉さんの横で小さくため息をついたのだった。

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