0-1 〝扉を潜し者、一切を捨てよ〟

 頭の中に映像が流れ込んでくる。


 ――荘厳で巨大な門扉。


 ――煌々とした星に包まれた神殿。


 ――精巧で巨大な天秤。


 ――十二枚の石板。



 これは、何なんだ――?




∞∞∞†∞∞∞†∞∞∞†∞∞∞†∞∞∞†∞∞∞†∞∞∞




 ソレは突然現れた。否、自分が突然にこの場に現れたのかもしれない。


 先程までベンチで寝そべって星を眺めていた自分は、気づいた時にはソレの前に立っていた。


 嗚呼……と、二の句は洩れず、只々感嘆の声が溢れた。

 視線はソレから離れない。身体は硬直し、呼吸もしていないかもしれない。


 本当の美に触れた瞬間、人は意味有る言葉を吐く事は出来ないのだなとそう理解した。


 今はただこの圧倒的な存在を全身で感じていたかったのだった。



 其処は円形の床にステンドグラスで何かの紋様を描いており、光が洩れるように照らされていた。壁も天井も存在せず、周囲には闇が広がっていた。そして円形舞台の中央にソレは聳え立ち、光源の床に照らされてその存在感を強く放っていた。


 ソレは巨大な門であり、観音開きの扉であった。


 ソレは一人の芸術家が何十年も掛けて製作した一種のオブジェであった。


 ソレは神の様な荘厳さと悪魔の様な醜怪さを兼ね備えた奇々怪怪の集合体であった。


 重厚な雰囲気と共に凍てつく様な重圧感を周囲に放つその扉は、神聖さを表すかの如く銀色の金属か何かで構成されており、至る所に精緻な装飾が施されていた。


 大きさは高さが十尺、横幅が八尺程だろうか。


 扉の最上部には巨大な捩れた鎖が無数の十字架の杭に打ち付けられ、左右の端からは鎖が垂れており、扉の最下部に生い茂る蔦から伸びた幾重もの蔓がその垂れ下がった鎖に絡みつく様に最上部の鎖を目掛けて伸びていた。


 だが、何よりも目を惹くのは扉の細部に至るまで浮き出た装飾であろう。


 それは膨大な数の顔であった。


 男性の顔や女性の顔、また悪魔の様な角の生えた顔もあれば獣にしか見えない顔もあった。


 人、悪魔、獣、鳥、魚、爬虫、昆虫………。その他にもリトルグレイの様な形をした顔もあればエイリアンの様なものまで、無数な種の顔が扉と一体化していた。其処に浮かぶ表情は様々で、無感情なモノから嬉々としたモノや苦悶を浮かべたモノまで十人十色な様相で、歓喜、安穏、無、苦痛、絶望等の幾多もの感情が表出していた。


 そして中央部。

 其処には両扉を跨ぐ形で一つの巨大な顔が存在していた。


 それは左右非対称な顔で右側には微笑みを浮かべた美しい女性を象り、左側は冷淡な顔つきをした別の美しい女性を象っていた。

 何処かの宗教の神だろうか、何方の顔にも神聖な存在であると察する魅力を内包していた。


 扉を隅々まで鑑賞した俺は自然とその扉へと近づいていった。

 距離が縮まるにつれ、扉が放つ威圧感が強まっていくのを感じた。

 そして、思わず膝を突きそうな圧迫感に耐えながら扉が視界に埋まりそうな距離まで近づくと、表面に見たことの無い文字が刻まれていることに気づく。

 

「〝この扉を潜し者、一切を捨てよ〟……?」


 口から思わず出た言葉に驚いた。


 読めた? この文字を? 何故?


 疑問が幾つも湧き上がってくるが、文字を追う目と口は止まることなく、その文字を解読していた。


「〝消失するは過去未来現在〟

 〝有るはその身ただ一つ〟

 〝幾星霜の時を経て、我が望むは異邦者なる開放者〟

 〝絶望に灼くべしとも、ただ一つの希望を抱きて待つ者也〟」


 最後の謎の言語を読み終えた瞬間――。


 閃光が迸った。


 あまりの眩しさに腕で顔を隠す。

 しかし、瞬時にその光は収まった。


 続いて扉は何かの変化を表すように振動を開始し、地響きの様な音が空間に響き渡った。そして更に、扉にも変化が現れた。最上部の巨大な鎖を固定していた十字架の杭は溶けるように消えていき、巨大な鎖は扉に吸い込まれる様に収斂されていった。


 巨大な鎖が完全に消失すると、中央の非対称の顔が仄かに輝き出す。

 振動と地響きの様な音も次第に収まっていき、再び静寂が空間を支配していった。


 そして、ふと、我に帰る。


「あれ……え……は……?」


 頭にかかっていた靄が急に晴れたかのように、思考がクリアになっていく。


 あれ……? 俺は一体……?


 だが、その問いに答える間もなく次々と疑問が浮かぶ。


 ここは何処だ? 何故ここにいる? 俺が自ら此処へ? それとも誰かが? 何の為に? 何で俺を? さっきまで星を眺めてた筈じゃ? 


 塞ぎ止められていた数々の疑問が湧き上がる。

 だが、それよりも――。


 此処は一体何だ?


 試しに頬をつねってみる。


 ――痛い。

 

 どうやら痛覚はあるようだが、だからといって此処が現実だとは到底思えなかった。


 よし……、一旦落ち着こう。


 余りにも異質な状況のため、理解が追いついていない。簡単な事から解決しよう。この空間に来る直前の行動を思い出せ。


 確か、自分は大学に行って……いや違う、夏休みで大学は休みだろ! だから……そう、ゼミ合宿だ。楽しくもないゼミ合宿に単位の為渋々参加して、そして確か夜は……寝た? いや、確かゼミの奴らと……ああクソ!何でだ!? 何故こんな簡単な事を思い出すのが難しいんだ!?


 思い出せない焦燥感から苛立ちを覚えるが、冷静になろうと努力する。

 一呼吸挟み、もう一度記憶を辿って行く。


 確か……トランプで皆んなが盛り上がっていて、そのうちの一人が賭けをしないかと提案したんだ。それで、自分はそれに参加して、連中から金を巻き上げて……。それで最後にはそれを返して……。皆んなのホッとした表情は今でも面白……か……った?


 あれ……?

 顔が浮かんでこない。


 名前も……確か名前は……。


 誰……?


 瞬時に俺は理解した。ここは夢か何かの現実ではない世界だと。

 じゃないと可笑しいじゃないか。顔も名前も思い出せないなんて。


 だが、同時に不思議に思った。

 夢なら何故こんなにも意識がはっきりとしているのだと。


 しかし、いくら考えたところで答えは出ない。

 この場には、その答えを知る存在がいないのだから。


「そ、そうだ。スマホで調べよう……」


 そう思い、ズボンから取り出そうとする――が。


「な、何だこの服……」


 いつの間にか、着ていた服が見知らぬ装束に変わっていた。

 上下で分かれていない、真っ白の貫頭衣。

 一切の染みも汚れも存在せず、まるで神聖な何かから作られたかのような代物。

 何かの儀式衣装か、それとも身を清めた生贄の衣装か。

 持ち物は当然無い。


「何だ、何なんだこれは……」


 謎と疑問が深まっていく。


 いつ、何処に、誰が、何のために、どうやって――。


 だが、自分には今それを知る手掛かりは無い。

 たった一つを除いて。


 俺は目の前に聳え立つ巨大な門扉を見上げた。


 依然として輝きを放つ巨大な女性の顔。

 恐らくこの扉に触れて、扉を開くまでずっとこのままなのだろう。


「ヒントはこれしかないか……」


 だが、門扉を調べようにも、触った瞬間に何かが起きる気がしてならない。

 そもそもこんな巨大な門扉を一人の力で開く事が可能だろうか。

 取手らしきものは付いていないから、押して開く?


 いや、無理無理。


 と言う事はつまり、扉を触ることが開門のキーとなる可能性が高い。

 やはり迂闊には触れないな。


 次に扉に刻まれた未知の文言を眺める。


 〝消失するは過去未来現在〟

 〝有るはその身ただ一つ〟

 〝幾星霜の時を経て、我が望むは異邦者なる開放者〟

 〝絶望に灼くべしとも、ただ一つの希望を抱きて待つ者也〟


 先程も驚いたが、知らない言葉にも関わらず意味が自然と理解できている。

 この点だけでも十分に現状が普通ではない事を物語っている。


 そして、問題は扉に刻まれた〝この扉を潜し者、一切を捨てよ〟、〝消失するは過去未来現在〟、〝有るはその身ただ一つ〟の文言だ。

 言葉通りに考えるのならば、扉を潜った瞬間自分に何らかの変化が起こるという事だろう。

 それは扉を触ることと同義だ。

 つまり、今何が起きてるか知りたいのならこの扉を黙って開けと言うことなのだろう。

 だが、それを拒否したところでこの空間からの脱出方法なんて見当もつかない。

 舞台の周囲に広がる暗闇が出口の可能性はあるか?

 いや、それは何となくだが本能的に不味い気がする。

 一生この場に留まりそうな、そんな予兆がある。


 はぁ……、何てタチの悪さだ。

 シンプルに言えば答えを知りたければ、命をチップに進めと脅しているようなものだ。

 しかも、断崖絶壁の上で。


 進むも地獄退くも地獄。


 だったら、賭けに乗らざるを得ない、か。


 ゆっくりと、一歩一歩と近づいていく。


 そして、手が届く距離にまで到達すると門扉から放たれる重圧に身体が震えた。


 ゴクッと、思わず唾を呑みこんだ。

 どうやら、自分はそれなりに未知の恐怖を感じているようだ。


 暫し考え込む。目を瞑り、己の内面に向けて意識を集中させる。過去と現在、そして未来に想いを馳せる。

 後悔はしないだろうか。いや、絶対にする。

 やり残したことはないだろうか。いや、やり残したことばかりだ。

 だが――。

 

 面白そうじゃないか。

 

 そう。そうなのだ。結局自分という人間は、楽しければそれで良いのだ。

 許せないのは、詰まらないことだけ。

 この状況にすら、内心では心が躍り始めてしまっている。


 だから、自分はそれを選ばざるを得ない。

 神か何かは知らないが、感謝しよう。

 自分にチャンスを与えてくれたことを。


 ゆっくりと目を開き、扉を見詰める。


 扉の先に広がっているのが、天国だろうが地獄だろうが知ったことじゃない。

 何処であろうと、誰であろうと、自分を楽しませてくれればそれでいい。


 沸々と湧き上がる感情を胸に前方の扉へと手を伸ばす。

 ひんやりした温度が指先から伝わり、掌を扉に合わせた瞬間身体が光に包まれた。

 身体は埋没する様に扉へと吸い込まれていく。

 そして、自分の身体が溶けて粒子の様に分解されると同時に俺の意識もまた消えていった。

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