1-2 〝コンニチハ〟
「は………?」
真っ暗だ。果てしない闇がそこにはあった。
月や星の明かりも無ければ、人家の明かりも見当たらない。
一切の光源が、そこにはない。
余りにも異常な光景に思わず目を疑う。
外じゃない?
教会もまた巨大な部屋の一つ?
それとも、ここは地下なのか?
様々な可能性に行き当たるが、どれも推察の域を出ない。
慌てるように、ポケットからスマホを取り出してライトを点ける。
そして――闇の世界が露わになった。
「何だ此処は……」
黒ずんだ染みの付着した石段。一部は欠けており、庇を支える柱には複数の傷跡が付いている。石段の先には石畳の道が続いており、その周囲は枯れ果てた雑草が覆った地面であった。
「外……だよな?」
徐に玄関を潜ると、空気が変わったことに気付く。
寒い。夏場の夜の温度ではない。
まるで秋口の夜に薄着で外出している気分だ。
石段を降りて辺りを照らすが、やはり周囲には何も無い。
しゃがみ込んで、枯れた雑草を触る。
うん。間違いない。普通の枯草だ。
地面にも変わったところはない。
どうなってる……。此処は一体何処だ。
空を見上げるが、其処には星も月も無い暗闇。
とても、地上とは思えない。
それに、この無音の静けさは何なんだ?
音が一切聴こえない。
虫の音や風の音、生命の息吹を何も感じられない。
異常。余りにも異質すぎる状況だ。
恐怖が少しずつ、広がっていく。
だが、此処で立ち竦んでいても何も解決しない。
スマホのバッテリーを確認する。残量は五〇%ほど。
このままだと、途中でバッテリー切れの可能性がある。そう考えて礼拝堂に戻り、急ぎ燭台に聖火台から火を移す。
そして再び玄関に向かい、闇の中に燭台を差し出した。
俺は気持ちを入れ直し、燭台の灯りで前方を照らしながら石畳を進む。
念のため教会の扉は開けっ放しにしたまま。
いつでも礼拝堂の灯りによって戻ってくることができる様に。
道なりに進んでいくと前方に門塀が視認できた。
所々欠けた煉瓦造りの塀に錆びた金属の門。
その先には木柵に挟まれた道が奥に続いていることが分かった。
門を開け、更に進んでいく。
すると、灯りに照らされて、石板らしき物を視界に捕らえた。
気になって、そちらの方向に燭台を翳すと――。
「げっ……墓石かこれ?」
地面から墓石らしき石板が突き出ていた。
足下に注意して、それに近付いていく。
墓石には黒い汚れが付着しており、さらに所々苔生しており文字が見えなくなってしまっていた。
「って事はもしかして此処って………」
燭台を周囲に翳していくと、均等に並んだ複数の墓石が見つかった。
踵を返し、急いで道に戻る。
「いや、あるよ? 教会に墓地って組み合わせはさぁ」
でも、真っ暗闇に墓地は最悪以外の何者でも無い、と憤りながら足速に先を進んでいく。
墓地を抜けると、今度は枯れた木々が立ち並ぶ林へと道が続いていた。
林……?
という事は、此処は地下空間でも何処かの施設内部でもないことが確定か?
まさか、教会と墓地の傍に植物工場の様な設備を作るとも思えないし。
いや、巨大な開閉式ドーム型施設なら植物が育つ事も可能か。屋根を開けば、時間帯にもよるが日光や雨も降り注ぐし。
つまり、此処は上空を屋根で覆われた巨大施設の中か?
相変わらずの無音に、風が吹く事もない。
だが――。
「地面はただの土なんだよなぁ……」
余りにも自然過ぎるのだ。不自然な程に。
まるで何処かの地域をそのまま組み込んでドーム化したかのようではないか。
まぁ、それならそれでこのまま移動し続ければ、何れは壁に行き当たって出口に辿り着くことも出来るから良いのだが……。
結局、考えた所で正解は導けそうも無い。
そう考え、林の中へと入っていく。
動物か何かが現れるかと期待するが、不気味な程に静寂に包まれている。
一定のリズムで、自らの足音だけが刻まれている。
だが、そこへ――。
ザッ……。
「え……」
咄嗟に音のした方へ灯りを向ける。林の中から何かが動いた様な音だ。
耳を澄ませ、聞き逃しのないよう意識を向ける。
だが、暫く待っても何かの音を拾う事はなかった。
「気のせい、だったのか……?」
それ以降も音が聞こえる事はなく、訝しみながらも歩みを再開した。
そうして暫くすると、林を抜けることに成功した。
しかしながら、道は更に続いており、灯りの届く範囲には何も見当たらない。
はぁ……。
溜め息を吐きながら、再び歩みを進める。
道の終点は未だ見えない。
「そろそろ何か見つかってもいいんだが………」
歩き続ける事十分。
延々と真っ暗闇を突き進んでいく状況に次第と精神的な疲労を感じ始めた頃。
漸く、道の先に新たな手掛かりを発見する。
塀だ。石垣と木柵でできた簡易な塀が並んでいる。
「塀があるって事は……ああ、やっぱりそうか」
道なりに進み、塀に囲まれた内部に入ると、其処には木柵に囲まれた民家らしき建物が複数建ち並んでいた。
しかし、どの家も外壁がボロボロで、木柵に至っては折れ曲がった状態で放置されている。
何だ此処は……?
もしかして、村なのか?
「いや、それは可笑しい……」
此処が地下やドーム内ならば、そんな所に村なんて作るか?
「だとしたら、此処はやっぱり地上なのか……?」
解消されない疑問を抱えたまま、それらを横目に更に進んでいく。
すると、やがて井戸が設置された広場へと辿り着いた。
井戸の蓋は開け放たれたまま放置され、傍にはボロボロの桶が落ちている。
試しに落ちていた石を拾い、井戸の中に投げ入れる。
数秒の後、カーンと乾いた衝突した音が鳴った。
やはり、枯れていたか……。
状況から考えるに此処は廃村なのだろう。生活音は無く、人の気配は皆無だ。
以前、テレビで限界集落の特集を見たことを思い出す。
その中では廃村になった村の映像も流れていて、人が居なくなると物は途端に劣化して壊れていってしまうと説明していた。
この井戸も恐らく同じ理由で劣化していったのだろう。
「さて、どうしたものか……」
今の自分はただの迷子だ。よく分からない所を彷徨っているだけ。
この暗闇の世界からの出口を求めて歩いて来たが、未だその手掛かりすら見つからない。
民家を探索すれば何かしらの手掛かりは見つかるだろうか。
「でも、滅茶苦茶怖いんだよなぁ……」
暗闇の中、灯りを片手に無人の廃屋に突撃……か。
そう言えば……過去に肝試しだけはやった事が無かったな。何故だろうか。
まぁ、手当たり次第に手を付けていたのは小学生の頃迄だったから、流石に候補から外していたのかもしれない。
そう考えると、これも遊びの一種と捉えられる。
「それなら……うん、行けそうだ」
覚悟を決め、付近の一番大きな廃屋へと近付いていく。
そして、次第にその全貌が露わになっていった。
欠けた屋根、崩れ落ちた漆喰塗りの外壁、半壊したドア。
明らかに廃屋だ。
一応ドアをノックしてみるが、予想通り反応は返ってこなかった。
気を取り直し、半壊したドアを押し除けて廃屋の中に入る。
家の中は床が土間で、ドアの近くには腰ほどの高さの木製の棚が一つ置かれており、内壁には羽ばたく鳥を象った木像が飾られていた。
廃屋に似合わず精巧な造りで、職人の技量の高さが窺える。
片手に持つ燭台をあちこちに向けながら家の奥へ進むと、埃の被った四人掛けの食卓と椅子が並んでいた。
すぐ傍には使い古した鍋や汚れた皿等の食器類が置かれた炊事場が存在した。
どれもこれも埃が被っている。
どうやら最近誰かがこの家に滞在した形跡は無いようだ。
「これは、蝋燭か?」
食卓の上に取手のついた錆びた金属製の皿燭台が置かれ、其処には横に長い円形の蝋燭が僅かに残っていた。
室内の光量を増やそうと、それに火を移す――が。
「臭っ……」
火をつけた蝋燭から、嗅いだことの無い悪臭が漂った。
なんだこの蝋燭は……。火に照らされ、所々に不純物が混じっているのに気が付く。
片手に持った、教会から拝借した燭台の蝋燭とは色も質も違う。
教会のは黄色だから……蜜蝋?
じゃあ、これは…………もしかして獣脂か?
「おいおい……。何世紀前の代物だよ、これ」
時代錯誤も甚だしい。
時代に取り残された山奥の秘境か何かか此処は。
「でもまぁ、使えるだけマシか……」
疑問は一旦棚上げにし、探索を再開する。
さらに進むと部屋の突き当たりに二階へ続く木製の階段を発見した。
「この階段腐って無いよな……?」
恐る恐る足を乗せ、踏み板に乗ってみる。
キィキィとした音は鳴るが、強度に問題は無さそうであった。
階段を踏み抜かないよう、慎重に上っていく。
だが、その途中に変な臭いが漂ってきた。
「何だこの臭い………」
獣のような臭いと饐えた臭いが混ざっている。
それは生物の死骸の臭いに似ていた。
二階には何かがある?
疑問を抱きながら、鼻を押さえて一段一段慎重に上っていく。
そして、辿り着いた先に燭台を翳した。
暗闇の中、机に椅子や鏡面台、本棚そしてベッドが浮かび上がる。
どうやら二階は寝室らしい。
足を踏み入れるとさらに臭いが強まった。
そして、我慢しながら臭いの元へと近づくと――。
「おいおい、嘘だろ……」
暗闇の中現れた二台目のベッドの上には、腐臭らしき臭いを放つ人間の死骸が横たわっていた。
容姿は50代くらいの男性で顔は彫りの深い西洋人。
口元が妙に黒く汚れている。
着衣は大分汚れており、所々黒く染まっていた。
「外国人……? なんだってこんな所で……」
突如現れた死体に、新たな疑問が湧き起こる。
此処の家主……?
まさか、此処は外国か?
教会や墓地、そしてこの廃屋にも日本要素は一切見当たらなかったが……。
いや、仮にそうだとしても俺が眠ってる間に国外に連れ出すなんてそんな事可能なのか……?
何らかの手掛かりを求めて、この廃屋を探索したのだが、どうやらこの世界は俺に答えを提示する事はなく、新たな謎を残しただけだったようだ。
「ははは……」
力が抜けて、その場に座り込む。
膝から崩れ落ちたかのように見えたそれは、自分の精神が耐えられなくなった所為であろうか。
燭台をベッドの側のサイドテーブルに置き、憔悴した表情で、骸となった存在をただただ見詰める。
「此処は何処で、アンタは一体誰なんだ……」
安らかに眠る死に顔に無意味にも問い掛けた。
嗚呼、自分は一体何に巻き込まれているのだ。
何処の誰が何の目的で、自分を此処に連れて来たのか。
誰でもいいから、答えてくれ……。
しかし、世界は答えでは無く新たな謎を提示する。
「え――」
見つめる先、閉じられていた瞼は徐に開かれ、淡い明かりの照らす中、それはゆっくりと此方に向けられる。
やがて、視線は交錯し――。
遂に、物語は始まってしまった。
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