〝暇潰され〟

「星すげぇ……」


 窓から覗いた時もそうだったが、山中の星空は圧倒的だ。辺り一面に煌々と星が散らばっている。

 写真でしか見た事のない景色に非日常を感じざるを得ない。

 何の期待も無かったゼミ合宿ではあるが、この星空だけで元がとれる気がしてくるから不思議だ。


 それに……、自然もまた心地良い。

 都会のように騒々しくなく、聴こえてくるのは虫の声に微風に揺れる葉音だけ。

 まるでこの世界に、自分だけしか存在しないかのような開放感に包まれる。

 しかし――。


「寒っ……」


 夏とは言え、深夜の山中は街中とは比べ物にならない程に冷えた。


 やはり、上着を着てきて正解だった。

 そう思い、パーカーのチャックを首元まで上げる。

 スマホで気温を確認すると、十八度と記載されていた。


「まぁ、多分大丈夫だろ……」

 

 煙草を取り出し、火をつける。ふぅ、と吐き出した白煙が外灯に照らされて夜空へと消えていくのが視界に映った。

 座っていたベンチに横たわる。


 ああ、滅茶苦茶だ。めちゃんこ綺麗な星だ。

 あれは北斗七星だろうか。無数の星の中、際立って大きく輝いている。


 天体観測やプラネタリウムが人気なのも頷ける。

 

 遥か昔、平安とか江戸時代の人々は皆、星を見る事で無聊を慰めていたのだろうか。近代に至る迄は、娯楽などは少なかったであろうし、夜は照明に金が掛かるから尚更だ。

 まぁ、夜這いだったり性に関する事が盛んだったとはよく聞くから、退屈はしなかったのかもしれないが。


 自分はどうだろうか。

 夜はさっさと寝て、夜明けと共に起床する生活を選んだのか。

 それとも、こうやって横たわりながら星空を眺めていたのか。


 ああ、でも、それは多分仕方無くそうしているだけだろう。

 何も楽しい事がないから、只々星を眺めるだけ。

 それは諦念に過ぎない。

 果たして毎晩飽きる事なく星を見続ける事などできるのだろうか。


 そう考えると、自分はまだ現代に産まれて良かったのだろう。たった百年前でも、退屈で仕方が無かった筈だ。

 そう、自分はつまらないが何よりも嫌いだ。

 退屈がこの世で一番の苦痛。

 暇に潰されてしまう人間なのだ。



 それがいつからだったのか、それとも最初からそうだったのか。自分には今でもよく分からない。


 気づいたのは、10歳の頃だ。


 当時小学四年生だった自分は、クラブ活動が解禁されたことにより、サッカー部に入部した。勿論、学校の部活動に過ぎないので、それは遊びの延長くらいでしかなかった。

 それでも放課後に友人達と広い校庭でボールを蹴るという行いは子供ながらに新鮮で楽しかったのだろう。サボる事もなく、毎日サッカーを楽しんでいた。上級生もいたが、三年間も同じ学舎に通っていれば、殆どの人とは顔見知りであったし、上下関係も曖昧であったため、軋轢は生じなかった。


 だが秋の肌寒い季節のある日、それは起こった。


 自分の中からサッカーへの興味が失われてしまったのだ。

 昨日まであれ程楽しかったサッカーへの意欲、興味関心が1ミリも残っていなかった。

 それは唐突で、衝撃的だった。

 昨夜の帰り道、友人達と好きなサッカー選手について語っていた。レギュラーになったらフォワードをやりたい、エラシコやマルセイユルーレットをやってみたいと、まさにサッカー少年そのままに無邪気に語り合っていたのだ。

 しかしそれは、次の日には遠い昔の出来事の様に儚く朧げに感じ、そしてゆっくりと記憶から薄れていくようだった。

 そしてその日、自分がサッカー部に足を運ぶことはなかった。

 疑問も不信も動揺もあった。ただ、サッカーに対する感情は何一つ無かった。

 それは次の日も、一週間後も、一月後も、一年後も変わらなかった。

 そして、今も。


 それからは、色んなクラブに参加した。野球、バスケ、水泳、陸上。しかし、どれも長続きはしなかった。最初は楽しいのだ。ボールにバットが当たれば嬉しいし、フリースローが成功すれば気持ち良さも感じる。先生は褒めてくれるし、友達は応援してくれる。でも、駄目だった。楽しさや興味を持てば持つほど、それは短期間で消えていく。

 冷めるのだ。自分という人間は。

 呆れるほど簡単に。

 先程まであった熱が、スーっと引いていってしまう。


 それは、まるで津波に似ていた。


 そう、問題はここからだ。

 いつからか、飽きると同時に何か飢餓感の様なものが生じるようになってしまったのだ。


 足りない。もっと、もっと、もっと……と。

 

 それは心の声。己の飽くなき欲望の叫びだった。

 

 声に従って新たなスポーツ、新たな遊戯に挑戦し、欲を満たした。

 何度も何度も何度も。

 だが、声が消える事はなく、満たす度に叫びは増えていった。

 どうすればいいのか、分からない。それでも、何かをしなければ狂ってしまいそうだった。


 手当たり次第に様々な遊戯に手を出した。

 囲碁、将棋、チェス、麻雀。

 etc、etc、etc……。

 次第には、自分が楽しいのかどうかも分からなくなっていった。


 そして、自分の知りうる全ての遊戯を遊び尽くした時――。

 漸く気付いたのだ。


 飢えた獣の如く果てなき享楽への渇望が、渇くことの無い、満たされることの無い絶望だったということに。

 

 嗚呼。

 詰まらない、詰まらない。


 その後、自分がスポーツをする事は無くなった。

 精々授業で扱われた時だけ。

 部活動をしなくなった為、その後は図書室に通う日々だった。

 毎日、図書室の片隅で歴史や科学の書物を読んでいた。

 勉強の延長と捉えていたのが功を奏したのか、飢餓感に襲われる事はなく、穏やかな時間を過ごす事が出来た。

 元々、勉強に楽しさを見出す性分はしていなかったのが却って良かったのだろう。


 小学校の図書室だった為、勉学に関する書物は少なかった。

 その後に手を取ったのは小説だった。

 夏目漱石、宮沢賢治といった文豪の有名作を読破していったのだが、ここで一つの発見があった。


 小説は短い。興味が続く内に読み終わる。

 だから、飽きる事は無かったし、次々に新たな本を手に取る事が出来た。

 詰まらなかったら、読むのを止めればいいだけ。

 何せ、この世に小説は五万とあるのだから。

 

 これで自分は救われたと感じた。

 詰まらない日常が漸く、華やかに色めいた。

 自宅に帰っても、借りた本を読む毎日だった。テレビゲームも好きだったが、長続きはしなかったし何より金が掛かりすぎるから、敬遠していたのだ。

 

 友人達とはそれ以降も親しかった。だが、そこには一枚の壁があることに気付いていた。当然であろう、自分の様なふらふらとクラブを変える人間が奇異に映らないわけがない。

 疎外。

 当時自分が書物から学んだ言葉であり、今も感じている言葉だ。


 中学に入っても、読書をする日々は変わらなかった。毎日図書室に通い、本を借りて自宅で読む。部活に入る事もなく図書室に足繁く通うその姿は、小学校の頃を知らない同級生には奇妙に感じたかもしれないが。

 まぁ、教室でもずっと頁を捲っていたから、変わり者判定は受けていたのは確実だろう。

 

 夏休みには近所の図書館に足繁く通った。

 小学校の頃から通い慣れた場所で、長期休暇の度にお世話になっていた。

 そして、もう少しでこの図書館の目ぼしい書物は全て読破できるかなと漠然と考え、次は本館の中央図書館を制覇しようかと考えていたある日。


 それは、また起こった。

 手に取る小説が悉く、その全てが詰まらない。

 あらすじ、冒頭、結末。何処を読んでも興味を引く事は無かった。

 

 嗚呼、好きだった。自分の唯一の娯楽だった。

 だのに、今は……。


 遂に自分は物語にすら飽きてしまったのだった。


 絶望が鎌首をもたげるように、心を侵蝕していく。

 自分に、楽しいと思える瞬間など今後起こるのだろうか。

 真っ暗闇の道を、光を求めて歩き回る。

 誘蛾灯に誘われる虫の如く。



 そんな二学期のある日、同学年の男子の間でとあるトレカが流行った。

 昔からある有名なカードゲームだ。自分も一時期ハマっていた。

 だが、それだけでなく同時にとある噂が流れた。


 アンティ(賭け)勝負だ。

 

 男子たちの間では単純に対戦するだけでは無かった。

 驚く事にお互いにカードを一枚賭けるルールだったのだ。

 両者納得し、了解を得た場合に成立する賭け。


 それを知った瞬間、何かが沸騰した。

 何故か自分の中に抗いようの無い興味が湧いたのだ。


 カードを賭ける?

 何だそれは。

 それは、何だか、とても面白そうじゃないか、と。


 勝負に負けた男子が嘆きながら、教えてくれた。

 近所のカードショップでそれは行われている、と。


 その日のうちに自分のデッキケースを持ってその店へ向かった。

 フリースペースに座る隣のクラスの男子を見つけ、彼に賭けありの対戦を申し込んだ。

 そして、普通に負けた。


 ルールに従い、カードを渡す。

 笑顔を浮かべる勝者に対し、敗者の自分がどの様な顔をしていたのかは分からない。

 だが、この時の自分は喜んでいた。紛う事なく、内心で喜んでいたのだ。

 楽しい。これが本気のゲームだと。

 勝者には歓喜を、敗者には絶望を。


 その日、持ってきていた小遣いでカードを買い漁った。年上の高校生達の対戦を観戦し、流行りのデッキについて学んだ。

 その日から、自分の生活サイクルは図書室通いからカードショップ通いに変わった。

 毎日賭けありの対戦を行なうことになり、相手のレアカードを奪うことが日課となった。

 そう、飽きる事は一切無く。


 後日噂は教師陣の耳に入るまでとなり、学校で問題化。禁止令が出され、カードショップ近辺に見回りの教師の姿が現れるようになった。

 流石にその時の自分には、教師に目を付けられる蛮勇さは持ち合わせておらず、再び図書室通いの生活へと戻って行ったが。

 だが、この件で自分は学んだ。

 真剣勝負は面白い、と。

 特に身銭を切るような何かを賭けた勝負は焦燥感や背徳感が体全身を駆け巡り、非常に刺激的であった。

 そうして、気付いた事がもう一つ。


 自分は勝負師なのだ、と。

 ギャンブラーでは無い。金が欲しいのではなく、勝負における緊張感が好きなのだ。

 事実今までに公営ギャンブルに手は出した事は無いし、パチンコ屋にも行った事はない。

 まぁ、カジノには行ってみたい気持ちは多分にはあるが。


 高校に入学してからは、囲碁将棋部に入部した。理由は簡単。賭け事が容易だからだ。

 勿論学校内での賭博を行った事はないし、学生相手にそれはしなかった。

 学校での対局は練習と決めていたのだ。

 そう、本番は碁会所や将棋道場での賭け碁と賭け将棋。

 平日は部活で腕を上げ、土日にその成果を老人達相手に披露していた。


 嘗ては真剣師だった爺さんとの勝負は楽しかった。定石無視のその打ち方に、経験不足の自分はかなり翻弄された。彼に黒星を付けるのには、実に二年もの歳月が掛かった。まぁ、金もまた掛かったものだが。


 こうして自分は退屈に押し潰される事なく、今もまだ人生を全うしている。

 だが、同時に恐怖もあるのだ。

 再び飽きてしまう時が来るのではないかと。

 その時が来たら、自分は一体どうなってしまうのか。



「ああ……、綺麗な流れ星だ」


 夜空に輝く一条の光。

 柄では無いが、只々願う。


 どうか、自分から楽しみを奪わないでくれと。


 願わくば――。


 

 新たな楽しみを。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る