外天ノ異邦人

俳人

〝天童陽色〟

 時刻は深夜3時を回る頃だろうか。

 大学のゼミ合宿で長野を訪れていた一人の男は今、山奥にあるペンションの一室で酷く後悔していた。

 何故自分はあんな事を言ってしまったのか。

 今日は念願の自分の二十歳の誕生日だというのに。


 なんとなしに始まった深夜のゲーム大会。同部屋の友人が偶々持ってきていたトランプを取り出したのが運の尽きだったのか。

 いや、最初はただ単純に楽しんでいたのだ。ババ抜きやら大富豪などを。

 ただ、二十歳を迎えた事による解放感と酒の力があった事によって気分が高揚していたのだろう。

 不用意に言ってしまったのだ。

 何か賭けないか、と。


 だが、其処は法学部生。賭博はちょっと……という顔をした一同。そして、彼自身も『冗談、冗談』と笑い話にするつもりだったのだ。そう、言葉を発しようとしたその時。

 

『賭けるなら参加する』


 中性的な凛とした声が部屋に響き渡る。

 先程まで自分達に無関心だったその声の主は、ベッドからゆっくりと体を起こし、こちらを見つめていた。


『金を賭けるってことでいいんだよな?』


 いやいや……と、先程まで全くこちらと絡もうとしなかった同じゼミ生の男を胡乱げな目を向ける一同。

 まだ起きていたのかと、疑問が湧いてくるのだが、誰もそれを彼に指摘する者はいない。なにせ、彼が此方に干渉してくるなど初めての事だったので。むしろ、コイツの声ってこんなのだったのかと驚きの面も多少はあった。

 そして、一同は提案者の男へと窺う視線を向ける。

 どうするんだ一体、と。


 周囲の伺う視線を浴びている男も困っていた。急に会話に入ってきた事もそうだが、賭博への食い付きも不気味で戸惑わざるを得ない。

 だが、ここで「やっぱナシ、冗談だ」と勝負を拒否する事は単純にダサいのではないだろうか?

 まるで自分がこの男から逃げたかの様に見えてしまう。

 それは決して認められることではない。

 いや、それ以前にまるで金を賭けたら自分は勝つ自信があるかの様な物言いではないか。

 そう考えて、彼は相手の不気味さよりも不遜な態度に注目してしまったのだ。

 悲しい事にこれは挑発に違いない、と。


『良いぞ。やっぱ賭けるもん賭けねぇと楽しくないわな』


 そう言って、売り言葉に買い言葉では無いが、こちらも挑発をしてしまう。


 ただ――。


『だね。さっきから暇で暇で……飽き飽きしてたんだ』


 それを挑発と相手が捉えたかは不明だったが。



 そうして、1時間程経った今現在。

 一人の男の前には乱雑にお金が積み上がっていた。

 千円札十枚の束が7つ。小銭に関しては分類することなく雑に積み上げているだけ。

 それを周囲は憎しげに眺めていた。当然であろう。それは元は彼らの物だったのだから。


 圧倒的だった。ポーカー、ブラックジャックとシンプルなゲームの筈ではあったが、明らかに勝利の天秤が彼に傾くことが多かった。


 男の名前は天童陽色。知っていることは名前くらいで、それ以外には何も知らない。サークルも趣味も何処に住んでいるのかも彼は明らかにしていない。そもそも、彼とは会話をした回数も片手で足りる程だったのだ。

 容姿は170㎝後半の長身で細身。そして、癪ではあるが割と、いやかなり整った容貌をしていた。同ゼミの女子連中がチラチラと彼に視線を注ぐ程には。

 だから、彼に積極的に話し掛けなかったというわけでは無い。違うと言ったら違う。

 だが、彼自身もこちらに歩み寄ってくることは無かったと思われる。

 始業前に教室に現れ、終業後には直ぐ教室から出ていくのでは、交流できるものも出来ない。

 そう言う謎めいた雰囲気がまた、女性陣の歓心を買っていたのにも、後で気づいて腹立たしかったものであったが。


「あー……何か飽きてきたなぁ……」


 ふざけるな!! と、叫び出しそうになる一同。だが、そんなことは出来ないし、しない。今は深夜なのだ。

 だから、この賭博の提案者へと視線を向ける。

 何か言ってやれ。この男に。お前のせいだ。

 そんな僅かな期待と一部の非難の視線を浴びて、提案者の男は暴虐の限りを尽くし、呑気に窓の外を見ている男にカラカラの喉から言葉を返す。


「す、少し調子に乗りすぎじゃ無いか? 偶々勝ち続けてるからといって」

「偶々?」


 そう言うと、男は顔だけをこちらに向けて薄笑いを浮かべながら言葉を続けた。


「いやいやいや……。まぁ、調子に乗ったように見えたのなら申し訳ない。そんなつもりは無かったんだけど……。でも――君らが負けたのは事実弱いからでしょ」

「はぁ!? 運で偶々良い手札がそっちに揃ったからだろ!!」


 そうだそうだと、この発言には黙っていた面々が一斉に反発の声を上げる。

 しかし、彼はそれを歯牙にもかけず、尚言葉を紡ぐ。


「運だけじゃ足りないけどなぁ……。まぁ、その考えで言えばそっちは運すらも味方に付けられない可哀想な人になるけどね」

「喧嘩売ってんのかテメェ!!」


 近くにいた男が彼の胸ぐらを掴んで、一触即発の雰囲気になる。


「おい! ……やめろって。教授来るぞ」

「関係ねぇよ! 前々から気に入らなかったんだコイツは!」


 そう言って拳を振り上げるも、彼を殴る事は出来なかった。

 彼の、その無表情の目に見つめられている事に気付くと何故か体が動かなくなってしまった。

 まるで蛇に睨まれた蛙のように。

 沈黙が部屋中を支配する。

 だが其処へ、提案者の男が声を上げる。


「よし、じゃあラストだ。全財産を賭けて一対一のポーカー勝負でどうだ?」

「全財産? 今そんなに持ってるの?」

「いや、もう一万くらいしかねぇな」

「それじゃあ、俺とは釣り合わないけど」

「そうだな。じゃあ、やめとくか? 俺は別に良いぜ。……逃げてもな」


 挑発。余りにも幼稚な挑発ではあったが男にはもうこうする他には無かった。何としてでもこの男から金を取り返す方法は。


「そう……。うん、まぁいいよ。やろうか」


 彼は笑いながらそう告げた。


 乗った。一発逆転の最終手段に。

 男は心中で笑う。

 運で何度も負けてたまるか。運は必ず自分にも向くはずだと。


「皆んな! 安心しろ。俺が必ず勝って、お前達の負けをチャラにしてやる!」


 すぐさま歓声が上がり、男に応援の言葉が降り注ぐ。


 運に期待する。だが、それは願望でしか無いことに男は果たして気づくのだろうか。



「じゃあ、これっきりの一回勝負始めようか」

「おう」

「ルールは手札交換一度切り。そして、オールインのみ」

「……オールインのみ?」

「全財産賭けるんだから当然でしょ?」

 いや、確かにそうだが悪い手札が来たらそれで終わりとなってしまう。

「まぁ、フォールドはありにしてもいいよ」

「そ、そうか……」

「でも、そこでゲーム終了。一度きりの真剣勝負」

「ああ、分かった」


 周囲の期待の目を感じつつディーラー役からの手札を受け取る。

 緊張を悟られまいと、自然な感じで手札を確認する。

 ダイヤのJ、ハートの2、J、スペードのJ、K。

 来た。

 幸運が舞い降りた。

 Jのスリーカード。とても簡単に揃ってしまったが、それもまた時の運と言うやつだろう。

 喜びを表に出さないよう、ぶっきらぼうに交換を告げる。

 ハートの2とスペードのKを捨て、二枚貰う。

 もう一枚Jが来れば、フォーカードでほぼ勝ち確だ。

 だが、配られたカードはダイヤの5と10。残念ながらフォーカードならず。

 しかし、気に病むことはないだろう。スリーカードでも十分勝てる。今日一番の強運に突き動かされながら、早速オールインと告げる。


「オール……ッ!?」


 だが、最後まで言葉は続かなかった。顔を上げた瞬間、天童が無表情でこちらを観察していた事に気づいたからだ。

 じっと、視線を外す事なく此方を眺めている。汗や体温、呼吸まで把握するかのように。

 彼は身動ぎ一つなく、じっと此方を見つめ続ける。

 10秒、30秒、1分。そんな永遠に続くと思える程の観察の後、彼はゆっくりと無感情に口を開いた。


「オールイン」


 ゾワッ……。

 その声を聞いた瞬間、男の全身に悪寒が走った。

 何だ何だ何だ!? オールイン!? 俺の何を見てオールインなんだ!?

 まさか、分かったのか? 俺の役が。いや、そんな筈はない。役が何かなんて分からない筈だ。

 だが、俺の喜色を読んでいたら?

 そこそこ良い手札だと勘付かれていたら?

 その上で自分の手札なら勝てると踏んだとしたら?

 まずいまずいまずい……ッ。

 俺の残りの一万といっても、次にバイト代が入るのは再来週。口座にも僅かしかないのだ。折角の夏季休暇だというのにこれでは遊べない。


 男は悩みに悩んだ。一発の可能性に賭けるか、残った一万円を守るか。

 現状、自分の損失は約一万三千円。単純に考えれば勝てば倍に、負ければゼロ。だが、この勝利で得るものは失ったものを取り戻すだけ、マイナスをプラマイゼロに戻すだけなのだ。

 ゼロに戻すか、マイナスを更に拡げるか……。


 そして、男の選んだ決断は――。



「あ、お金返すよ。と言うか、法律学んでる学生が賭博しちゃ駄目でしょ」

「え、い、いいの……?」

「いや、普通にバレたら教授に怒られるでしょ。俺怒られるの嫌だし」

「あ、ありがとう……。お前良いやつだったんだなぁ……」

「俺、外でタバコ吸ってくるからさ。勝手に取ってって」


 そう言い残して天童緋色は部屋を出て行った。

 残されたのは、金に群がる男達と一人の敗者。

 いや、正確には敗者ですらない。勝負から逃げた男、それだけだ。


「そういやぁ、あいつの手札何だったんだ?」

「見てみるか……って、え……?」


 裏返しになっていた手札を表に広げる。

 するとそこには――。


「あ、誰かさぁライター持ってる? 貸してくんない?」


 ハートの2、ダイヤの5、J、スペースの8、K。

 バラバラの手札。


 そう、それは紛うことなきブタであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る