第6話




 それから数時間ほど戦闘を繰り返していくと、レイス様との戦闘訓練は終わった。

 疲れた様子で息を吐いていたレイス様が汗を拭い、こちらに小さく頭を下げてきた。


「ありがとう。明日も頼む」


 まさか、そんな風に感謝をされるとは思っていなかったので私は少し驚いた。

 ……黙ったままでは失礼だろう。小さく息を吐いてから、頷いた。


「……ええ。当主様のご命令ですからね」


 正直言って、面倒な気持ちはまだある。

 だが、その日のレイス様からは……なぜか、先代当主様と同じ雰囲気を感じていた。

 訓練を終え、去っていったレイス様の背中を見送った後、私は宿舎の自室へと向かう。


 他の者たちよりも一回り大きい部屋は、私が兵士長という立場故だ。

 最低限の家具のみがおかれた部屋の一室にて、私はもう何度目かになる退職について考えていた。

 もともと、私がこの家に来た理由は、レイス様の祖父であるロートル様に恩を感じていたからだ。


 私はこのヴァリドールで生まれた平民だったが、ロートル様が私の力を見出し、そして騎士団へと推薦してくれたからだ。

 騎士団では様々な肩書を手に入れることができた。

 比喩でもなんでもなく、私の人生を変えてくれたロートル様には感謝しきれないほどの恩を感じていて、そのロートル様の最後の頼みが、「息子のルーブルを頼む」というものだった。


 ……ロートル様は、中々子どもに恵まれず、高齢になってからルーブル様が生まれた。まだ、ルーブル様が小さい頃にロートル様は亡くなってしまい、ヴァリドー家の教えを伝えきる前に死んでしまった。

 そんなロートル様の頼みを断るわけにもいかず、私は騎士団を辞め、現当主であるルーブル様を支えるために、この街へと戻ってきた。


 ……だが、ルーブル様はロートル様とはまるで違った。

 いや、正確に言えば……変えられて、しまった。私が騎士団を辞めるまでの間に、ルーブル様に接触した腐敗した貴族たちの影響を受け、彼もまた腐ってしまった。


 他の貴族たち同様、平民を見下し、自分の利益のために過剰なまでの税を巻き上げる典型的な嫌われ者の貴族だった。

 すでに私がこの兵団に残っている理由は、親しくなった友人ともいえる部下たちを見捨てたくはないという理由だけだった。


 部屋がノックされる。


「入っていいぞ」

「失礼します」


 そう言って部屋へと入ってきたのは、ゲーリングだ。若く容姿の整っていた彼がにこりと微笑む。

 ヴァリドール兵団の副団長を務めるゲーリングは、爽やかな笑みとともにこちらへとやってきた。


「どうでしたか、ボンクラ息子その3の訓練は?」

「……そういう言い方はするなと言っているだろう。どこで誰に聞かれているか分からないのだぞ」


 ゲーリングはレイス様のことをそう呼んでいたのだが、それは彼だけではない。

 兵団の人々は、この家に対して大なり小なり思うところがある人が多かったからだ。

 もちろん、私としても思うところはあるが、それでも私たちにとって雇い主に変わりはないのだから、失礼なことがあってはならない。


「ああ。終わったよ」

「どうでした? どうせすぐ辞めたがったんじゃないですか?」

「……いや、それが予定の時間まで文句ひとつ言わず訓練を行っていたよ」

「えー……それじゃあ、僕の予想が外れちゃいましたね」


 ゲーリングが残念そうにため息を吐いていた。私が兵団の人たちにレイス様の訓練を行うことを伝えたとき、数名が賭け事をしていたな、と思い出す。恐らく、ゲーリングもその一人だったのだろう。

 ……そう。レイス様は訓練に対して本気で臨んでいた。


 私はレイス様に合わせた実力とはいえ、きちんと訓練の相手も務めた。それでも、彼はこちらから指摘するまで一切休憩もとらず、ひたすらに短剣を握り続けていた。


「うーん……それなら何日で飽きるのか皆で話してきますかねぇ」


 ゲーリングがぼそっとそんなことを話していて、私はじとりと睨みつける。


「まさか、そんなことを話すために私のもとにやってきたのか?」

「違いますって。『悪逆の森』のエリア1の外に、『悪逆の森』のゴブリンが出てきたのを確認したのでその報告になります」

「……また、森の外に魔物が出てきたのか。被害の状況は?」


 ただのゴブリン、ではあるのだが『悪逆の森』の特殊な魔力が影響しているのか、同名の他地区にいるゴブリンよりも能力が高い。

 そういった、本来よりも強い個体はレベルが高い、と言われるのだが、この『悪逆の森』に出現する魔物たちは総じて、レベルが高いと言われている。


「ええ、たまたま、居合わせた冒険者が対応してくれたので被害はありません」

「ルーブル様への報告は?」

「……行いました。ただ、魔物に関しては兵団ですべて管理しろ、とのことです」

「そうか」


 もちろん、それは正しいのだが、私たち兵団が話しているのは、『軍事費を増やしてほしい』というものだ。

 現在、私たちが使っている武器や回復ポーションなど、すべてカツカツのぎりぎりの状況なのである。

 今回のように多少魔物が外に出てくる分には構わないのだが、もしも今後さらに増加したとき。それこそ、数百年前に起こったとされるスタンピードがもしもまた発生したとなれば、恐らくそのときこの街は――。

 ここ最近『悪逆の森』の外に出てくる魔物の数が明らかに増えている。

 かつて、賢者様が作ってくれたと言われている結界の効果が、徐々に落ちているのは確かだ。


「引き続き、警戒を強めてくれ」

「……分かりました」


 私の指示に、ゲーリングはすっと頷いてから部屋を出ていった。


「……もしも、レイス様が――」


 レイス様が、先代当主であるロートル様と同じような心を持っていてくれたら――。


「……いや。無駄なことを考えるのはやめようか」


 私はもう、この国に期待を抱くつもりはなかった。

 今の自分が、平穏無事に生活できればそれでいい。

 若かりし頃に抱いた平民が平等に評価される世界を目指していた夢……そんなものは、すべてなくしたのだから。


 その日から、レイス様の訓練が始まった。

 始めは数日で飽きるだろうと思っていたそれだが、その日だけで終わることはなかった。

 次の日も、その次の日も。

 戦闘訓練だけではなく、朝のランニングなどにも私は同行するよう言われた。


 そんな風に彼と接していた私は――その成長速度に驚かされた。

 一日訓練すれば、そのすべての経験が体に染みついていく。

 ……間違いなく、才能はあった。

 そして今日の訓練……。


 実戦形式での訓練を行っていた私へ、レイス様が迫る。

 地面を蹴りつけ、一瞬で距離を詰めてきた彼に、思わず息をのむ。


「……っ!?」


 圧倒的な加速力。咄嗟に私は魔力による身体強化を高め、レイス様の一撃を受け止めた。

 ……今の一瞬――。

 私に迫った先ほどの攻撃は、確実に私まで届いていた。

 ……まだ訓練を始めて二週間程度。


 だというのに、ここまで急成長するものなのか……?

 私はこれまで、こういった一対一での指導の経験はなかったので分からないが、少なくとも兵団はここまでの急成長はしていなかった。

 私が剣を握りなおすと、レイス様は少し呆れたようにこちらを睨んできた。


「……本気で、やっているのか?」


 彼からの言葉は、私の胸に深く突き刺さった。

 ……これまでのレイス様にそんな言葉をぶつけられたとしても、私はただただ苛立っていたことだろう。

 だが、今は違う。

 レイス様は、本気で強くなりたいと思っているからこそ、中途半端な気持ちで訓練をつけていた私に対して、怒っている。


「……失礼しました」


 レイス様は、本気で戦いを学ぼうと思っている。

 私はそれまでよりも力を籠めるようにして、レイス様へと戦い方を指導していく。

 ……戦いながら頭をよぎるのはレイス様の変化だ。


 彼の態度が……ここ最近、明らかに変わっていた。口調などは特に変わらないのだが、態度や姿勢といった部分で優しさを感じるようになった。

 それは私だけではなく、使用人たちも感じていたようで、聞かれたことがあった。


 『何か、ザンゲルさんがしたんですか?』と。

 なんでも、最近はSMプレイの強要もなくなったのだとか……。

 別に、私は何もしていない。


 つまり、レイス様が自分で変わろうと思い、行動しているのだ。

 どうしてそのように変化したのかは分からないが、レイス様は本気で変わろうとして、行動されていることだけは確かだった。


 だが……だからこそ……私は残念に思う。

 もしも、レイス様がヴァリドー家の正統な後継者ならば……もしかしたら、この領地の問題についてもしっかりと考えて対応してくれたのではないだろうか。


「……なぜ、彼が長男として生まれてくれなかったのか」


 私はそうため息を吐くことしかできなかった。


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