終編

「やあ、もうお目覚めかい?」

「……嘘つき」

「ん?なんのこと?」

「わたしに対する治療法はないとかなんとかいって、ちゃんとあるじゃない。それともなに、そういう嘘も含めて必要な治療だったの?」


 わたしが刺々しく言葉を向ける先には、その言葉の棘を摩擦係数ゼロのつるつるハートで何の遠慮も斟酌もなく滑り落とし何の淀みも衒いもなく平然と平常心で紅茶を口にする幼女セラピスト。

 首の切れ目から紅い液体が漏れ出すなんてこともなく。

 さっきまでの斬首劇がまるで嘘のようで。

 首ちょんぱとはなんだったのか。


「『治療』じゃないというのは嘘じゃない。もし嘘だとしてもそれがなにか?」

「なにかって……」

「うさぎの『う』は嘘つきの『う』。うさぎの『さぎ』は詐欺師の『さぎ』。所詮セラピストなんてお金と感謝のお気持ちを嘘八百でいただける詐欺師を合法化したような虚業だからね。実に割に合った職業だよ」

「最低」

「ありがとう。最高の褒め言葉だ」


 そういってにっこりとほほ笑む。

 でも、事ここに至っては怒るとか呆れるとかを通り越して感心するしかない。

 だって。




「それで、【狼少女】でなくなった感想はどう?」

「最悪」

「だろうね」


 こいつがわたしを【狼少女】でなくしたのはまぎれもない事実だから。

 わたしがワタシでなくなってしまったのはまぎれもない真実だから。

 いまのわたしは目の前の幼女に路傍の石ほどの関心すら持てない。

 ましてやわざわざ首ちょんぱする気力などない。

 あれほど恋焦がれていたお人形は、ただのガラクタと成り果ててしまったから。

 壊せるオモチャに興味があるのであって、壊れたオモチャに興味はないから。

 いや、逆だ。

 壊せる少女の肢体オモチャをコロコロしたい気持ちが消去したから。

 壊れた少女の屍体オモチャとゴロゴロしたい気持ちが消滅したから。

 興味を無くすとはそういうことだ。

 おそらくそうしたひとでなしな欲望のプログラムはわたしというろくでなしなOSの手を離れ、無関心という名のゴミ箱へとポイされたのだろう。

 目の前の幼女セラピストがさっき施した粘膜的接触によって。

 これでかつて【狼少女】だった少女も晴れて真人間の仲間入り。

 しかし、その代償は決して小さいものではなく。



 

「いまのキミは【狼少女】が消えたことで本来の自我が強制的にシャットダウンして、仮初めの自我が起動したものの全データが初期化された状態、とでもいうべきかな」

「……気持ち悪い」

「だろうね」


 車に酔った女の子にハンカチを手渡すように気つけの紅茶入りティーカップを渡そうとする幼女に、わたしは手でそれを押しとどめる。

 だろうね?

 そんな軽い同意で済ませられるレヴェルじゃない。

 視界がセピア色に色褪せてくる。

 世界が闇に浸食されようとする。

 物心ついた頃はじめて描いた絵が暗澹とした、まるでロールッシャッハのような無意味な幾何学模様の集合体だったのを思い出す。

 わたしの世界はまさにそうなろうとしている。

 そう成り果てようとしている。

 鬼畜殺人鬼に相応しい結末。

 絶対因果の果て。

 ああ。

 まさに。




 あの魔女が「預言」したとおりになった。






 ☨        ☨        ☨






 「おねえちゃん、神さまなの!?すごい、すごいよ!!」


  子供だった頃のわたしは無邪気にはしゃいでいる。

  魔女がくれたアイテム『製菓』を半信半疑どころかほぼ疑心暗鬼で左手からしぶしぶ取り出してガッツポーズのように高く掲げると、まるでモーゼが海を割ったかのように突然雨ならぬ飴が雲一つ見えない青空の彼方からばらばらわたしの手をめがけて降ってきたのだから無理もない。

  ファンタジーのお話が現実になるほど幼女の瞳を宝石の如く輝かせる光源は自然界において他にはないから。

  そんな幼女特有のきらきらおめめとは沸騰したしゃぎっぷりとは対照的に、魔女は老女といっても過言ではないほどの老人特有の澱んだ空気と口調で嘆じる。


 「神様、か。はじめはそう呼んでくれた人もいたわ」

 「?ちがうの?」

 「私は神様じゃない。魔女よ。貴女もそう遠くない将来、私をそう呼んで卑しみ蔑むことになるでしょうね」

 「そんなことないもん!わたし、おねえちゃんのこと好きだもん!大好きだもん!」

 「そう?」

 「そう!」

 「……でも、みんなそうなの。みんな最初は私のことを好きで、大好きで、でも最後は決まって私を憎み、蔑み、罵声を浴びせて去っていく。そう、気まぐれな猫みたいに」

 「ちがうもん!わたしそんなことしないもん!」

 「……そう?」

 「そう!」

 「……これ、あげる」

 「?これは?」

 「もし貴女が将来アイテムのせいでどうしようもなくなった時、これを使うといい。たとえすべてのアイテムが無くなったとしても、あるいはアイテムを使う気力が無くなったとしても、これだけは大丈夫。『自裁ジサイ』できるから」

 「?『アジサイ』?」

 「楽になれるってこと」


  それだけいうと、魔女はスカートを翻して路上に止めてあったハチさんマーク引っ越し社のトラックに颯爽と乗り込み、なぜか自らハンドルを握る。

  隣には運送業界慢性の人手不足でよほど疲れていたのか百八十度こちら側に首を折り曲げて白目を晒し涎を垂れ流した女性社員が虚無の虚空を見つめる空虚なまなざしをこちらに手向けつつ弥勒菩薩の片足組みの格好で尊さの欠片もなしに虚無っている。

  春のおだやかな日差しのなか、そんな名も無き一台の引っ越しトラックが音も風も無く春の雑踏へと吸い込まれていく。

  飴玉と『アジサイ』を手にしたわたしを残して。






 ☨       ☨       ☨




 


「いまのキミの状態は、薬物中毒患者が禁断症状から抜け出すための苦しみ、ともいえるかもね」

「…………」

「ご不満?なら毒物と言い換えてもいいけど」


 そういって悪戯っぽく微笑むと、幼女は自分が差し出したティーカップの紅茶を自分で飲み干す。エクレアも咀嚼する。

 人としての基本的な営み。

 不意に猛烈な吐き気が込み上げてくる。

 胃袋に残っていた少女たちの肉片に対する拒絶。

 人は同胞たる少女たちの目玉だの唇だの子宮だのをコラーゲンたっぷりの魚介類のように好んで食したりはしない。

 否、食してはいけない。

 禁忌の美食。

 呪いのカニバリズム。

 一瞬ガチで嘔吐きかけるも何とか堪える。

 幼女セラピストはその様を見て満足げにうなずくと、


「その様子なら大丈夫そうだね。キミはもう【狼少女】ではない、ごく普通の女の子だ。経過を見ないとまだ断言はできないけど、ボクの診る限り予後は良好だと思うよ」

「…………」

「新たなキミの誕生にお祝いしないとね♪」


 そういって唐突にハッピーバースデーの歌を歌い出す。

 と、ディアの箇所に差し掛かったところで、


「そういえばキミの名前は?」

「…………」

「隠さなくてもいいよ。これからキミは呪われた【狼少女】でなく祝福された女の子の名前を胸張って堂々と公言できるんだから。さあ、言って」

「……お」

「お?桜花ちゃん?音羽ちゃん?織子ちゃん?それとも……」




 ちがう。

 そのどの名前も当てはまらない。

 この世界でわたしを指す名前はただひとつ。

 そして、わたしにトドメを刺す名前もただひとつ。

 それは魔女の最終アイテム『アジサイ』唯一の起動キー。

 気まぐれ殺人鬼にぴったりな色彩を夢幻に変えてゆく紫陽花の毒。

 それで終わり。

 すべては終わり。

 そんなわたしの決意を読み取ったのか、幼女の目が丸くなる。

 制止する?

 もう遅い。

 たった九文字の呪文詠唱で事足りる。

 それは。






――――狼少女オオカミショウジョ






 ああ。

 体が軽い。

 心が軽い。

 体が消える。

 心が消える。

 これで。

 これでようやく。

 わたしはわたしでなくなる。

 わたしという呪いから永遠に解放される。

 それは猫が死に場所を知らせずひっそりと消えゆく様のようで―――

 





 ちゅ。




「…………え?」

「おかえリおはへひ~♪」


 くちびるの先の温かい感触。

 目の前には幼女セラピストの蕩けた雌顔。

 わたしの舌と彼女の舌とできらめく唾液ツリーをいやらしくだらしなく架橋している。

 ああそうか。

 こいつが。

 この唾液が。

 お釈迦様の垂らしたひとすじの蜘蛛の糸と化してわたしを永遠の無の世界から連れ戻したのか―――。


「どしたの?」

「やっぱり罰は受けないといけないんだね……」


 床に手をついて敗北ポーズ。

 さっきの生首のキスと一緒。

 おそらく何度『アジサイ』を発動させようと彼女は愛の証しならざる罪の証したる呪いの接吻をもって何度でもこの呪われたセピア色の世界にわたしという呪われた少女の魂を連れ戻すことだろう。

 【狼少女】という過去の罪状を罰するために。

 永遠の罪人を永劫の苦痛をもって永久に罰するために。

 舌を噛む気力すら失せたわたしに、彼女は不思議そうに問う。


「罰ってなに?」

「え?」

「え?」


 敗北ポーズのままでいたわたしに、彼女はご主人様が飼い犬を躾けるようにやさしく語りかける。


「ボクは裁判官じゃない、ただのセラピスト。だからキミの罪を問うたり罰を与えたりなんてお門違いもいいところ。ボクが望むのは」


 顎くいっ。


「キミを治すこと。キミみたいなかわいい女の子が【狼少女】として人知れずこの世から消えるなんて世界の大損失だよ」

「かわいい……?」

「ん?自分で気づいてないの?朝起きる時鏡で自分の顔チェックしたりしない?」


 なにいってんだこの幼女。

 卑小で卑劣で卑猥で卑女なこのわたしが「かわいい」とか。

 でも。


「……いいの?」

「ん?」

「わたしなんかがその、いても」

「いいよ」

「いままでいっぱい女の子コロコロしてきたし、さっきだってあなたのこと首ちょんぱしたんだよ。それでもいいの?」

「いいよ。お代はちゃんといただいたから」

「お代?」


 いぶかるわたしに彼女は人差し指でつうっ、とわたしのくちびるを撫でる。

 ぞわっ。

 脳髄から脊髄にかけて電撃が迸流ったかのような痺れるような甘美な快感。


「こんなかわいいくちびるを貰えるなら、対価としてボクの首なんて安いもんだよ」

「……っ!」

「なんならもう一度首ちょんぱする?その代わりキミのすべてを」


 味あわせてほしい。

 そんな戯言めいた睦言を最後まで言わせることなく、わたしは自らの意思をもって幼女セラピストの小生意気なお口を容赦なく塞ぐ。

 むぐっ。

 れろぉ。


「…………っ!?」(舌まで挿入されて混乱中)

「……いらない。その代わりに」(勢いでやっちまって赤面中)

「その代わりに?」

「あなたの残りの人生を全部ください」


 大胆な告白は女の子の特権。

 とはいえこれは大胆すぎませんかねえ。

 キス三回(うち一回はディープ)の対価に人生を要求するとかいう法外な吹っかけ交渉。

 しかし。


「いいよ」

「本当?」


 まさかのプロポーズ作戦大成功!?


「どのみちセラピストとしてキミの経過を見守らないといけないからね。一生かけてお付き合いしますよ」

「…………」

「ん?どうかした?」

「ナンデモナイデス」


 ちがう、そうじゃない。

 ハーレムラノベ鈍感系主人公の鑑かこの野郎。

 まあ、でも。


「……(ジーッ)」

「どうかした?」

「責任とってね?」

「?うん」


 おそらくわたしの真意は彼女には伝わっていない。

 おそらくでない、確実に。

 でも、それでいい。

 【狼少女】という惨劇の第一章はひとまずここで幕を下ろす。

 しかし、わたしという少女の舞台はまだ終わっていない。

 おそらく小岩井うさぎという美幼女セラピストをご主人様として崇め奉り永遠の忠誠を誓う忠実なる飼い犬としての第二章が始まるのだ。

 人生というべきか犬生というべきか。

 ともかく。

 そのためにもわたしたちの障害となるものを取り除くべく野生の【狼少女】としてではない、忠実な飼い犬としての牙を研いでおかねば。

 そう決意した途端、少女たちの万国死体博覧会というこの世の不条理そのものを具現化した光景が目の前に蘇ってきた。目が潰れそうな赤黒い刺激色を中心に構成された数々の展示物から凝固しかけた血脂や腸や排泄物などが滴り鼻腔を捻じ曲げる汚臭となって襲いかかり屍体特有の不気味な沈黙がそれを見守る。

 幼女の「治療」で人間の理性と神経を取り戻したわたしはその耐え難い現実とそれを作り出したのが自分という受け入れ難い事実との埋められない落差にスカイツリーの頂上から一気に落下するくらい胃袋が猛烈な勢いでシェイクされ盛大に嗚咽し真っ黄色な吐瀉物を豪快に床を巨大キャンバスに見立てて嘔吐する。

 人間終了したジャック・ハンマーもかくやといわんばかりの盛大な盛大さでその吐瀉物で描かれた前衛絵画は幼児期のお絵かきのようで。

 そしてわたしのものとは思えない耳をつんざく猛禽類の如き嗚咽はまるで赤ん坊の産声のようで。

 校庭から教室にまで響いてきたパトカーや救急車の到着したサイレン音はそれを祝福する教会の鐘の音のようで。

 なおも嘔吐の止まらないわたしの背中をやさしく撫でる幼女の手は我が子を子宮という楽園から地上という地獄へと送り出した愛しくも憎しき母親のそれのようで。




 ああ。


 これは。


 誕生なんだ。


 新たな●●の誕生を祝福するパーティなんだ。


 駆け付けた警察官や救急隊員にも、そして母親にして飼い主たる幼女セラピストにも聞こえないくらいか細い声でわたしは辛うじてつぶやく。

 生まれて初めて自らを肯定するために。

 生まれて初めて自らを祝福するために。




ハッピーバースデートゥー‘ニュー’ミー。

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