後編
「【狼少女】は学芸会でついたあだ名、そうですね?」
事実誤認がないかを確かめるような小岩井うさぎの念押しに、わたしは諦観しきった、それでいてある種の悟りを開いた死刑囚のようにゆっくりとうなずく。
「その学芸会はいつ行われましたか?」
「小学四年生の冬、だから――八年前?」
「おかしいですね」
「?」
「貴女の最初に行った殺人が小学一年生のひな祭りであることは確認が取れていますが、そのときにはすでに貴女には【狼少女】というあだ名が定着していました」
「……どうしてわかるの?」
「私たち機関の調査で。貴女の『改竄』に書き換えられる前の過去の世界を人為的に復元しましたから」
なにそれこわい。
あれ?
ということは記憶がごっちゃになっていたのか?
まだボケるには早すぎる年齢だけど。
だととすると、女の子たちをコロコロした所業で【狼少女】とかいういかにもなあだ名がつけられたのだろうか。
しかし、そんな陳腐な考えを見透したように小岩井うさぎはゆっくりと頭を振る。
「ひな祭りの一件でついた訳ではありません。というかその時の女の子はみんな貴女が殺してしまったし、貴女はその件に関連したすべてを『改竄』したのでは?」
「………」
「誰も記憶していない以上、その件で貴女を【狼少女】と呼ぶものはいないはず。つまり【狼少女】はそれ以前からのあだ名だった。私たちの調査によれば転校前の小学校で貴女はすでにそう呼ばれていました」
うさぎの目がなぜか赤い。
遠赤外線ストーブみたいな赤い目で体はもちろん、魂の奥底までじりじりと焦げ付くように射すくめられる。
それはまるで。
うさぎに睨まれたオオカミのようで。
その熱と圧に耐えきれず、わたしは重い口をおそるおそる開ける。
「………マジ?」
「マジです。覚えていませんか?」
覚えてない。
しかし答えられない。
口にした途端何かが変わってしまう気がして。
そんな空気の淀みを感じたのか、うさぎは表情一つ変えずに話題を変える。
「『狼少年』のお話はご存じですか?」
「?もちろんしってるけど?」
「羊飼いの少年があまりにも退屈だったから『オオカミが来たぞー!』と何度も嘘をついているうちにある日本当にオオカミがやってきても村人は誰も助けに来てくれず羊はみんな食べられてしまった。嘘をついたらこんな酷い目に遭うという実にためになるお話ですね」
「……もしかして」
「はい?」
「わたしのこといってるの?『狼少年』って」
話題はちっとも変っていなかった。
「【狼少女】ってあだ名はわたしが嘘つきだからついたってこと?」
「いいえ」
確信をもって答えるうさぎの顔に虚偽の色は微塵も見えない。
だったらなぜ。
彼女はすでに盤面を読み切った棋士のように淡々とした口調で話す。
「貴女は嘘はついていないのでしょうね。しかし、当時貴女の周囲にいた人たちは
みんな貴女のことを【狼少女】と呼んだ。なぜでしょう?」
「それは……」
「貴女は『本当に』あいまいだ」
幼女医師は鋭利なメスのような口調で一気に切り込む。
切開する。
わたしのココロを。
ワタシという病巣を。
「貴女のなかには嘘も本当もない。現実と虚構も、意識と無意識も、もしかしたら自分と他人の区別さえもないのかもしれない」
「………」
「貴女のなかにあるのは『面白さ』と『楽しさ』という二つの快感欲求のみ。それさえあれば嘘か本当かなんてどうだっていい。魔女に手渡されたアイテムはそうした欲望にさらに拍車をかけた。麻薬よりも甘美な快感に導かれるままアイテムという巨大なブルドーザーを操って女の子たちの可憐な花園をいくつも次々と剥き出しの更地にしていく。そこには罪の意識とか良心の呵責といったブレーキは一切存在しない」
やばい。
なんだかわからないけど、やばい。
おこ?
おこなの?
やっぱり問診の段階で泣いたり震えたり床に頭をガンガンぶつけて血まみれになって懺悔したりすべきだったのか。
「ゆえに、結論としては」
わたしのココロの声に耳を傾けることなく彼女は淡々と声を紡ぐ。
「貴女に対する治療法はないということです」
「ない?」
「ハイ」
「…………」
「…………」
いやいやいや。
そんな無責任な。
というか、ですよ。
「いいの?それならうさぎちゃんの首貰い受けちゃうけど」
「是非も無し、といったところでしょうか」
炎上する本能寺で汗をかきつつ敦盛を舞い終えた第六天魔王のようにすとん、と机の上に小さな骨盤を下ろす。
まるでそこが人生最後の死に場所であるかのように。
【狼少女】という稀代の殺人鬼に背を向けて。
まるで森蘭丸に介錯を所望するかのように。
細い。
幼女の首が。
エロい。
幼女のうなじが。
可憐な花を簡単にぽきっ、と手折ってしまえる。
この手で。
やばい。
滾ってきた。
わたしというか細い少女の容器では到底収納しきれない、宇宙創世以前からの膨大なエネルギーが愛という情動のうねりと化して幼女のそっ首という新たな容器を目指して一直線に注がれようとする。
すぱっと斬れる。
ぱきっと折れる。
何たる愉悦。
何たる法悦。
「……ねえ」
「ハイ?」
「やるなら早くしてくれない?さっきから鼻息が首筋にかかって気持ち悪いんだけど」
ぐさあっ。
容赦ない言葉の刃がわたしの心臓に突き刺さる。
それはまるで初めてのデートで童貞が性欲由来のキモ顔で迫ったため女の子からビンタを喰らい夕焼けの雑踏に一人取り残されたようなみじめな寂寥感。
うわあああっ。
そんなムンクの叫びと化したわたしの心象風景を瞬時に見抜いたかのように、にやりと小悪魔的な笑みを浮かべてこちらに小粒な顔だけ向ける見返り美幼女。
「まさか、貴女って童貞?」
「どどど、童貞ちゃうわっ!?」
「じゃあ、処女?」
「しょしょ処女ちゃうわっ!?」
まったく失敬な。
散らした女の子のつぼみ数知れずなこの経験豊富なお姉さんにむかって。
もう容赦しない。
すでに左ポケットには再装填されたアイテムが宿っている。
踊っている。
蠢いている。
それは何百回何千回となく数多の少女たちの生き血を吸ってきた『剣豪』。
後ワンアクション取るだけで幼女の首は胴体と永久分離。
血のライスシャワーが歓喜絶頂の雨あられとなってわたしに惜しみなく注がれる。
それはなんて至福&祝福の瞬間。
そんなわたしになにかがささやく。
待って、と。
さっきまで感じていた【狼少女】最後の夜の予感。
わたしがわたしでなくなる悪寒。
そして目の前の幼女のキャラも口調も性格も一貫していない違和感。
明らかに明らかな挑発感。
これらを総合吟味したわたしの直感がささやく。
やばい、と。
このままお気持ちに身を委ねて首ちょんぱしちゃったら、それこそおそらくは彼女の思惑通りに事が運んでしまうぞ、と。
それが何であるかまではわからないけど。
ううむ。
そんな悩める子羊と化した【狼少女】に、誘惑の蛇と化したうさぎ幼女がまたしても小悪魔っぽくささやく。
「ん?どしたの?」
うさぎ特有の悪戯っぽい流し目。
媚態混じりの悪女ヴォイス。
それは。
鎮まりかけた胸の熾火を掻き起こすには充分で。
やっちゃえバーサーカー。
自分アサシンですけど。
一度決意すると殺人鬼の行動は実に早い。
思うよりも体が早く動く。
『剣豪』発動。
理性の箍が外れた箍屋のように。
幼女の首がすぽぽーんと打ち上げ花火のようにシュールにクールに高く飛ぶ。
たまやー。
まだLED化してない古い天井から吊り下げられた蛍光灯に顔面ブロックされ飛び散る硝子の破片に虹の滴まき散らし鼻血噴きながら落下する女の子の笑顔。
それはまるで血塗られた天使のようで。
可愛い。
愛しい。
美しい。
脳内シナプスが優雅に奏でる三重奏曲にうっとりとしながら両手を広げて愛しい我が娘を自宅の門前で出迎える父親のように抱きしめようとする。
この子は丁重に取り扱おう。
お持ち帰りして業務用の冷蔵庫とかでできるだけ永い時間保存して眼も耳も洟も舌も唇もなにもかも腐敗するまで否腐敗してからも最大限可愛がってあげないと。
舌なめずり。
その瞬間。
「つかまえた❤」
それはかつて耳に親しんだ恵みの雨音の如き美声。
天園恵美。
さっきまで消えていたはずの先輩の身体が、尊いアルカイックスマイルを湛えた国宝級のご尊顔を九十度真横に傾けているという滑稽なポンチ絵に堕落したままわたしの身体を涅槃解脱した聖女のように抱きとめる。
さっきわたしの兇行をとめられなかったお返しといわんばかりに。
がっちりと。
逃げる隙もなく。
首すら動かす余地のない完璧な羽交い絞め。
そこには。
幼女の首が役目を終えた人工衛星のように超スローモーションで接近中。
余裕でよけられるはずなのによけられない。
金縛り。
それは観音菩薩のように穏やかな後光を放ちつつわたしのくちびるに向かってまるで初恋の少女が年上の女性に真実の愛を告白するかのように真っ直ぐに一直線に――。
ちゅ。
「………」
その後のことはよく覚えていない。
ただひとつだけいえることは。
わたしは、【狼少女】ではなくなっていたということ―――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます