中編

 気がついたら万国屍体博覧会と化していたはずの教室にはついさっきまで展示されていたはずの少女たちの屍体はもちろんのことその他諸々の痕跡もきれいさっぱり撤去されていた。

 はて。あれは夢だったのかしら。

 でもこの手とか顔に漂う鉄分たっぷりの臭いのもとは絶対に夢なんかじゃないよね。

 わたしのようにアイテムを使っておそうじしたのかなと思う。

 小岩井うさぎと名乗ったその幼女は未発達な体格に見合わず机を軽々と持ち上げる。

 つよい。

 後ろの机にくっつけてどこかの放課後ティータイムのようにほかほか紅茶とふわふわお菓子のセットを用意して目を丸くするわたしに着席を促す。


「どうぞ、お座りください」

「あっ、ハイ」


 促されるがままに着席する。

 企業の面接官と学生の会話みたいだが、面接官が七五三スーツを羽織った女児の時点で説得力まるでなし。しかも、年配者らしくこんな気遣いのことばまでかけてくるし。


「緊張してる?」


 緊張はしていない。

 展開が速すぎてついていけないだけ。

 とりあえず面接官に質問。


「サイコセラピストって、あれ?カウンセリングとかでうつ病とか治してくれるココロのお医者さん、みたいな?」

「……まあ、世間のイメージってそんなものですよね」

「ちがうの?」

「正確に言えばちがうのですが、ややこしくなるのでそれで結構です。そして」


 一瞬溜めを作って、幼女は二の句を継げる。


「私に限って言えば『犯罪者専門』のセラピストです」

「『犯罪者専門』?」

「犯罪行為――たとえば殺人が一般人にとってはよほどのことがない限り良心によってストップをかけられる悪しき行為であるのに対し、犯罪者のなかには生まれながらにして殺すのが愉しくて嬉々として行う人もいるわけです。そういう人を専門に治療する『特殊な』お医者さん、ということです」

「なるほど」


 私は相槌を打ちながら静かに『拳銃』の準備をする。


「いままで収監中の被疑者の治療をしたことは何百回となくあるし、殺人現場で犯人と対峙したことも一度や二度ではありません。殺されかけたこともあります」

「ほほう」

「そのせいかな、わかるんですよ」

「なにがですか?」


 つられて敬語になるわたし。

 彼女は紅茶を一口啜るも年相応に猫舌なのか露骨に苦い顔をすると、無理くり甘い顔に修正してわたしに微笑む。


「あなたがボクを殺したがっていることを、ね」

「……え?」


 わたしが呆けた声をあげるなり。

 また。

 まただ。

 私のまだ取り出してもいない『拳銃』が霞の如く消え去った。

 見ると、彼女はおもちゃのように人差し指でくるくる『拳銃』を回していた。


「これがアイテムというんですか。はじめて知ったな」


 これは詰んだ。

 相手にアイテムを奪われたらもうおしまい。

 ただの非力な女の子に過ぎないわたしに逆転の糸口はない。

 死を覚悟する。

 眉間に一発か、心臓を一発か、それとも体中蜂の巣と化すか。

 これがインガオウホーってやつだろうか。

 地獄に落ちてもいままでコロコロしてきた女の子たちとなかよくなれますように。

 そんな虫のいい願い事をしつつ、目を閉じて合掌する。


「ナンマイダブ……」

「……言っとくけどボクはあなたを殺すつもりなんて毛頭ないからね?」

「え?」

「『え?』じゃないよ。これだから殺人鬼ってやつは……」


 幼女は熟練のマジシャンのように『拳銃』を目の前でぱっと消し去ると、再び丁寧な口調に戻ってわたしに語りかける。


「私はサイコセラピストです。最終的に【狼少女】さん、あなたの殺したいという欲望を『治療』することが私の目的です」

「『治療』?」

「ええ。あなたにとって『殺す』とはごく自然なココロの在り方であり、欲望というひとつのカタチをとって現われるものでしょう。しかしそれが他の多くの人たち、特に先輩や後輩、同級生の女の子たちを害するものである以上、私はそれを『治療』しなければなりません。たとえ、それがあなたのココロにとって不自然な、欲望を断念させる強制的な措置であったとしてもです」

「なるほど。でも、治らなかったらどうするの?」


 至極当然な疑問。

 というか、わたしにとって女の子をコロコロすることは食べたり呼吸したり眠ったりするのと同じくらい自然なことだ。それを『治療』とか見ず知らずの幼女ちゃんにいきなり宣言されても、その、困る。

 すると彼女はこんな突拍子もない提案をしてくる。

 

「その時は私の首でも持って行ってください」

「は?」

「私の首。小さな女の子の首はお嫌いですか?」


 とんでもない。

 幼女の首が嫌いな殺人鬼なんて(制服を着た男子が嫌いな女性レベルで)いません。

 首をぶんぶん横に振ることで彼女の首を欲する意思を示す。


「では『治療』を受ける意思があるということでよろしいですね?」


 今度は首をぶんぶん縦に振る。


「契約成立ですね。私は『治療』する。それがうまく行かなかったらあなたに首を差し出す。それでよろしいですね?」


 こくこく。


「では早速ですが、『治療』の前にまず『問診』をしたいと思います。いくつか質問をさせていただきますので、お菓子でも食べながら気軽にお答えください」


 そういって分厚い書籍だのプリントの束だのを忙しそうに取り出そうとする合間に、わたしは紅茶に添えてあった小さなエクレアをひとつ口に放り込む。

 ふわふわとした生地を突き破り、魔性のとろとろクリームが口いっぱいに侵攻する。

 甘い。

 多分そういう味なのだろう。

 でもわたしにはその「甘さ」が実感としてわからない。

 味覚がないわけではない。

 ただ、味蕾を通じて脳に伝わるセメント色のあいまいな味覚情報が「甘さ」という鉄筋コンクリートのように固定化された概念として認識される、ただそれだけのこと。

 角砂糖一ダースとかカルピスの原液一リットルとかを一気飲みしても結果は多分同じことだろう。

 それなら、さっきわたしがつまみ食いした赤星部長のぷっくら膨らんだくちびるのほうがよっぽど甘かったのに。

 それなら、さっきわたしが斬首した天園先輩から浴びた真っ赤な熱いシャワーのほうがよっぽど甘かったのに。

 そっちのほうがよっぽど満足できる「甘さ」なのに。


「……どうかしましたか?」

「別に」


 なんでもないふうを装ってエクレアもう一個。

 丸めたコピー用紙でも口にしたように味気なく咀嚼する。

 むしゃむしゃ。

 わたしがペースト状化したエクレアだった物をごっくん、と嚥下するのを見計らったように、うさぎ幼女はかちかちシャーペンの芯を出して芸能レポーターのように質問する。


「あなたが最初に【狼少女】と呼ばれたのはいつですか?」

「小学生。学芸会の劇がきっかけ」


 まずは軽くジャブかな。

 答えられる質問で患者との距離を測ろうとするパターン。

 次の質問はその劇のタイトルはなんですか、だろう。

 頭のなかで赤ずきんちゃん、赤ずきんちゃん、と反芻してみる。




「最初に殺人を行ったのは?」




 いきなり本気のストレート来ちゃったよ。

 まあ、隠すほどのことではないので正直に答える。


「小学生。ひな祭りでみんなと集まったのがきっかけ」

「ひな祭り、ですか?」

「替え歌であるでしょ。雪洞(ぼんぼり)の代わりに爆弾に火をつけるとか、桃の花の代わりに毒の花をあげるとか。そういうのをみんなでけらけら笑いながら歌っていたから、じゃあ現実にやってみせたらもっと笑ってくれるかと思ってアイテムで実演してみせたんだけど」

「けど?」

「『爆弾』や『毒薬』で死体になった子を見てみんなあごが外れるほどげらげら笑ってくれたけど、わたしはあんまり面白くなかったな。何がおかしいのかいくら聞いても返事してくれなかったし目は焦点が合っていなかったし口から泡吹いているし鼻から洟垂らしているしおしっこは洩らすしうんちも洩らすしですごくくさかった」

(それ、笑ったんじゃなくて発狂してたんじゃ……?)

「あまりにも面白くなかったから生き残ったみんなもすぱっと『剣豪』で一刀両断しちゃった。ひな壇に置いてあったお人形全部どかして代わりにみんなの首でお内裏様とかお雛様とか三人官女とか五人囃子とか飾ってひな祭りごっこしたけど、そっちのほうがたのしかった♪」

「ふうん……」


 相槌を打ちながらものすごい勢いでメモ帳になにかを書き込むスーツ幼女。

 中東のアラビア文字にも似た崩し字は、いわゆる速記体だろうか。

 ふと思い出したようにその手をとめて。


「その頃からアイテム使えたの?」

「うん」

「生まれつき?」

「ううん」


 話したものかと少々迷ったが別に口止めされたわけでもないので、素直に話す。


「魔女のおねえさんにもらった」

「魔女?」

「ひな祭り前に引っ越してきたときに隣の部屋に住んでいたおねえさん。わたしたちと入れ違いに引っ越そうとするところだったけど、『あなた、この時期に転入するの?友達つくるの大変そうね。よかったらこれ使ってみる?』って渡してくれたの」

「……その魔女はいまどこに?」

「さあ。会ったのも声をかけられたのも一度きりだったし」

「引っ越し先から手紙とかは?」

「ないない」

「魔女の気まぐれ?」

「そうかも」

「ふうん……」


 本日二度目のふうん。

 セラピスト幼女ちゃんは魔女に興味津々のご様子。

 相も変わらずメモ帳には波打ち際の砂模様みたいな無個性な走り書きが延々と続いているが、そのなかでただ一点五芒星の如き特徴的な筆跡。

 魔女。

 きっと魔女を意味するんだろう。

 そんなわたしの確信に根ざした好奇心のまなざしに気づいたのか、きまり悪そうに咳払いをする。

 かわいい。




 その後もいろいろ質問されたので、小学校の運動会では紅白玉入れで『剣豪』で約百個分の子供の首を作って髪や肉がむしれるほど本気で投げ合いっこをしたり大綱引きで教師や保護者など大人たちも含めて全参加者のお腹からモツを取り出して結んで新鮮ぴちぴちな人間綱を作ってお互い断末魔の悲鳴を愉しみながら本気の引っ張り合いっこして決着がつくまえに全滅してすごくたのしかったこと、小学校の遠足では『放火』で山火事を熾して他校の遠足に来てた子供たちも巻き込んで大量のお子様ランチを調理しつつ自分もやけどを負って頭にお子様ランチの白旗が立つのをぎりぎりのところでどうにかこうにか回避してその生死を賭けたスリルがすごくたのしかったこと、中学校の修学旅行では新幹線のトイレでなかよしになった他校の女子生徒の生皮を剥いで『手術』でその子に整形、もとい変身してその学校の宿泊先のホテルや温泉でその子のお友達と恋花をきゃっきゃ咲かせた後彼女たちのきれいな花弁を思う存分むしってあげてその花弁から搾りたての花汁をペンキ代わりにして「狼少女惨状!」と暴走族の落書きみたいなメッセージをホテルの建物一面に残して一通り満足したら今度はまた別の学校の生徒になりすましてというまさに殺人鬼ならではのハッピートリガーな弾丸ツアーがすごくたのしかったこと等々わたしのなかでお星さまのようにきらきら輝く思い出たちを熱く語った。

 セラピスト幼女ちゃんはうさぎのように耳をぴくぴく動かしながらわたしの目と口を逸らすことなく見つめて速記メモを取り続けていたが、一通りわたしが話し終えるのを聞くと小さな背中を椅子に預けてシャーペンをくるくる指回ししつつそれを宇宙の深淵でも覗き込むような顔でなにやら考えこんでいる様子。

 ふと教会でたたずむ神父さまの姿を思い出す。

 小学三年生の春休み、何かの気まぐれかあるいは友達のつきそいでもあったのか、日曜礼拝に立ち寄ったことがあった。

よく晴れた日曜日、教会のステンドグラスから差し込むお日様の光でほこりが妖精のように美しく舞い降りるのを無心で眺めつつ、神父さまのよく通る声が耳を心地よく通過していくのを覚えている。

 その教会が血で染まることはなかった。そこには特になかよしだった子や見知った大人がいたわけではなく、人見知りのわたしは知らないひとを率先してコロコロする気になれなかったから。

 不意に告白というキーワードが浮かぶ。

 罪の告白。

 告解室で神父さまに信者ちゃんがするアレ。

 もしかしたらセラピスト幼女ちゃんが期待していたのはそういうことだったのか。

わたしももっと涙いっぱい流して後悔いっぱいの表情と嗚咽いっぱいの声で過去の行いを悲痛に語るべきだったのか。

こんなことに気づかなかったなんて。

 やってみよう。

 でも、泣くってどうするんだっけ?

 泣かせた女の子は数知れずだけど自分が泣いたことは(記憶する限り)一度もない。

 ううむ。

 腕を組んで唸っていると。




「――わかりました」


 いつの間にペン回しをやめたのか。

 わたしをまっすぐな微笑みで見つめる小岩井うさぎ。

 それはいままでのとは比較にならない完璧な微笑みで。

 まるで意識下の別人格をすべて統合した霊界探偵の聖光気のようで。

 気が付くと机の上にあった大量の書籍だのプリントの束もなくなっていて、わたしの目の前にあったはずの紅茶とエクレアもとうの昔に消え失せていて。

 これから、わたしにとって大切ななにかがおこなわれるのだ。

 そう確信する。

 たとえその結果、わたしがこの世界からいなくなることになったとしても。


「【狼少女】さん」

「あ、はい」

「『問診』の時間は終わりです。これから本格的に『治療』を行いますが、心と体の準備はいいですか?」

「……はい」

「よろしい。ではさっそく始めます」


 『犯罪者専門』の『特殊』なセラピスト・小岩井うさぎは自筆のメモ用紙に再度目を通す。

 まるで死刑判決を下す裁判官が判決文に不備がないかを確かめるように。

 不意に目線を教室の壁掛け時計に逸らす。

 何の因果か偶然の一致か、時刻は午前三時をきっかり回ったところだった―――。


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