第6章 現実を甘くみたら結構痛い目にあう

 人が人生を終えたとき、故人を偲ぶ家族や友の涙と共に、あの世への見送りと共に、必ずと言って良いほど花はそこにある。美しく、厳かに、凛とした佇まいで。冠婚葬祭、プロポーズ、記念日、人の人生に、花は常に欠かせない存在だ。花は植物、そう植物。

 そして、三途の川跡地の役所で、転生アドバイザーと共に魂のプランを立て、再び魂の修行のために、新たな世界に生まれ落ちる時、自らの誕生と共に花がそこにあるという状況は珍しくはないだろうが、自らが花になろうとする強者はいるのだろうか?実はいるのだ。自ら望んだわけではないが、かくかくしかじかの都合により、そうなってしまったものがいるのだ。おそらくだいぶ少数派だが、一応はいるのだ。

 

 うっすらと夢心地の中、遠くの空には爪の先のような白くて細い三日月が光輝いていており、周りには細かなガラスをちりばめたかのような小さな星が瞬いている。藍と紫がまだらに混ざり合ったような色合いの空はずっと眺めていると、刻々とその様相が変化していくのが分かった。風が吹いているのだ。なるほど、濃い紫色の絹のような雲がゆったりと流れる。流されていく雲に今見ていた星は隠れ、しばらくするとまた姿を見せる。全身で感じる風はひんやりと心地よい。

 そこに一組の美しい男女が提灯をもってやってくる。女は賢さと愛情深さを兼ね備えた絶世の美女であり、身分が高い家に生まれた高貴な存在だ。男の方もそんな美女に相応しい凛とした美貌を持つ。この男を見たとき、武史の魂はまるで雷に打たれたかのような感覚になった。そして直感的に武史は理解する。これだ、この男が自分がなるべきはずの男なのだと。男が持っているものは美貌だけではない。なんといっても自分の才覚で若くして財と権力を築き上げたほどのセンスと運の持ち主だ。機転がきき、どんな困難もチャンスに変えてきた男の生きざまに傾倒し憧れを抱くものも多い。その男の才覚を認め、本来身分違いではあったが、娘の両親は男に対して娘をやることを約束した。男は情が篤く、義理堅く、面倒見もよいので人々からの信頼も厚い。その男の内面的な良さに美女は惹かれた。この二人は将来を約束した中だった。 

 早春の花びらが舞うこの時期、昼はお互いに多忙を極めるためになかなか会うことがかなわないが、夜、ひっそりと愛を語りあうためにこの丘に来て、この木の下で待ち合わせる。小さな花びらが八重に重なった薄桃色の花を枝いっぱいに咲かせるこの木の下で、二人はお互いに見つめ合う。ふと、男が細い木の枝に咲いている花を手折る。女の髪に差してやるためだった。男は手折った花を眺めていると、ふとその香りをかぎたくなり、花弁に鼻を近づけようとしたその時、突風が吹き、男が持っている花が男の口に触れる。

 その瞬間、今花の中にある武史の魂が口を通して、その男の中にシフトし、武史は無事男の体の中で目覚める。やっぱり人間はいい。武史は目の前の女の髪に花を挿してやる。すると女は潤んだ瞳に頬を赤らめ、はにかんだ表情を浮かべて武史を見つめる。陶磁器のような白い肌がうっすらと赤らみ、そこから甘やかななんとも言えない芳醇な香りがたつ。これが女の肌の匂いなのだろうか。その匂いに誘われて、武史がそっと女の頬を撫でると、女は武史の手に自分の手を重ねる。羽のように軽く、ふっくらとした嫋やかな優しさを感じさせる手がぴったりと武史の手に吸い付く。

 体の奥が燻されるような切ないざわつきを覚えた武史だったが、なんとか理性で抑えつけて手を離し、冷めない熱と共に、目の前の美女に一生大切にすると心の中で誓う。女は少しの落胆とともに、武史への愛情と信頼を確たるものにし、二人の絆はより一層深まる。しばらく後に二人でそこを去る。それから幾日も経たないうちに、二人は祝言をあげ、家庭を気付き、その過程であらゆる困難に立ち向かい、女を幸せにし、武史自身も幸せになり、子どもを沢山育て幸せな人生を送る。めでたしめでたし……

 

 ああ、いい夢を見た。すっごく幸先の良い夢を見たような気がする。これなら、楽勝ではないか、人生の勝ち組ではないか。誰だっけ、あの、狸に似た、ああもう忘れかけてる……人となんだかプランを立てた気がするんだけど、そういうイメージだったんだけど、それなのに、それなのにだよ?なんで目の前には相変わらず闇が広がるばかりなのだろうか?

 今、心地よいぬくもりの中でぼんやりと意識を取り戻した武史の頭の中は?マークで埋め尽くされている。どうしよう、いつまでたっても、夢から覚めない、というか、覚めているのだろうが、ぜんっぜん真っ暗で何も見えない。それだけではない。顔の周りには妙な圧迫感がある。まるで、泥の中に顔を突っ込んでいるような感覚だ。しかも顔の方はこんなに圧迫感があるのに、一方で下半身はどうなっている?

 足や胴体に伝わってくる感覚は逸になく研ぎ澄まされている。まるで、あらゆる五感が皮膚上に集まったかのようだ。実際に、目の前は真っ暗だったが、顔の周りの圧のかかり具合、足や胴体への刺激から、周囲にうごめく色々な生き物の存在を、まるでそのものを見て、聞いて、触って、味わっているかのように武史は感じ取ることが出来た。

 体を撫でる心地よい風、生き物のざわつき、命の音、太陽の明るさ。空気の湿り具合、温度……不思議だけれど、手に取るように感じることが出来るのだ。しかし、どういう事だろう?

 自分は植物になっている筈である。だとしたら、自分が見る光景は先程みた夢のような世界であるはずではないか?

 その時、ふと武史の頭の中をある記憶がよぎった。中学2年の下校中、目の前を歩いていたクラスメイト同士の会話が脳裏に浮かぶ。

「ねえ、俺さ、ちょっと思ったんだけどさ。植物は根から水を飲むじゃん?ってことは俺らで言う口が根っこってことだろ?生物やっててショックだったんだけどさ。要は人間に当てはめて考えるとさ、植物って顔を地面につっこんで、逆立ちしているってことになるんだってさ。だとするとさ、花ってさ、花ってさ、人間でいうところのアレってことだろ?」

「マジで?」

「って考えるとさ、花屋ってすごいよな。だって、その形状とかさ、色とかさ、そういうものを見て、きれいとか言っているんだぜ?」

「花束とかさ、ブーケとかさ、ドライフラワーとかさ、人間で例えるとどうなっているんだって話だよな。」

「……」

「……」

「わー!聞いていられるか、っていうか、お前最後まで言うなよ。彼女から誕生日に花が欲しいって言われているんだよ。花屋いけなくなるじゃないか」

「てか、お前彼女いたの?」

 懐かしさと共に思い起こされた記憶は、今の武史をぎょっとさせた。

あれ?もしかして、もしかして、俺、今、顔を土の中に突っ込んっでいる状態?

それでもって、あんまり考えたくはなかったけれど、下半身の解放感は、いや、口にするのは憚れるが……それでも思わずにはいられなかった。

 要は、今の自分は、自分のアレをむき出しにして外にさらしているってこと?嘘だろ?転生早々、立派な犯罪者の仲間入りしちゃってどうするのよ。ああ、次の世では積極的に生きたいっていったけど、こういう意味での積極性を求めていたわけでは断じてなかった。穴があったら入りたい。ってか、もう頭から半分は入っているけど、というか埋まっているけれど……。

 そうこうしているうちに、ちくちくとこそばゆい感覚が胴体から、足の付け根の方に向かって伝わっていく。蟻?アブラムシ?もしかして蜂?それとも蝶?

ギャー、やめてくれー。考えれば考える程、恥ずかしすぎて、穴の中に入りたい。というか、もう入っているけど、全身埋まってしまいたい。ああ、もうどうするのよ、これ。

 今の自分の現状を理解するのに数時間、受け入れるのには一体何日かかるのか?そもそも受け入れる……なんてこと出来るか!など、一人で悶絶していると、多少気持ちは落ち着いてきたというか、考えるのに疲れて来た。寝てしまおう、一生寝て過ごそう、というか、それが本来の自分の在り方かも……と思った矢先、ピンと糸が張ったような感覚が頭の中に生まれる。自分の体の奥、否、それよりももっとずっと深いところから、物理的な音という形を取らず、でも、語りかけてくるものがあった。

『良いのですか?このままで。考えないと、だんだん植物になって、本当のあなたを、この人生の目的を忘れたまま、この世での生を終えてしまいますよ?』

「……」

(大丈夫です。あたなが人生の目的を忘れないよう、調整しましたから)ふと、狸に似た顔の人と会話をした場面を思い出す。

 ああ、こんなことなら、むしろ全く覚えていない方がずっとましだった。そうして、ずっと植物やっとけばよかったのかも。そうしたらこんなに悩まなくて済んだかも知れないのに……と思っても、それこそ後の祭りだった。

 逃げられない、なら、腹を括るしかないのだ。そう思うと、どこからか闘志が湧いてきた。

 生きてやる、そして食べられてやる!絶対に。そう武史は決心した。

 

 

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