第5章 物事は受け入れることで好転する
「……」
「……」
二人の間に沈黙が流れる。先に口を開いたのは武史の方だった。
「すみません、今、何とおっしゃいましたか?」
「あなたは、植物です。」
植物、植物、植物。頭の中で植物が駆け巡る。落ち着いて思い出そう。植物と言ったら春。春と言ったら、川沿いのタンポポとか、桜とか、目がかゆいとか、スギとか、スギとか、ブタクサとか、イチョウとか……ってかアレルギー引き起こす、あれ?あれ?まさか、転生してあれになるの?嘘だろ?
蒼白になり、頭を抱えた武史は、先程の積極性はどこに消えたのだろうと思う程、小声で、つかえながら田貫さんに確認をする。
「あの~、本気で言ってます?僕、まさか植物になるなんて、思っても見なかったんですけど……だって、受け身で生きてきたことに後悔していて、まさに来世では積極的に生きていこうと思っていた矢先に、まさか植物って、どう受け止めたらよいのか全然分からないんですけど」
田貫さんは呆れたように武史を眺めた。
「あなたねえ、植物をなめてませんか?彼らの生き方こそ究極の修行ですよ?自分で場所を選べないから、その中で必死に生きる。雑草なんかは、おそらく熾烈な生存競争を生き延びていると思いますよ?それに、ほら、ここ見て下さいよ。ここにもそう書いていますし」
そう言って田貫さんは巻物を見せた。
『転生する生き物 第一希望 植物』
確かに書いてある。植物って、書いてある。書き直したい、訂正印押して、書き直したい。切実な思いで武史は粘った。
「でも、僕、全然記憶がないし、いつそんなこと決めたんですか?どうせ何かになるんだったら、今ここでプランを変更して、色々な選択肢の中から選びたいんですけど」
「残念ながら、それは難しいですね。生前に何も希望していなかったら別ですが、強く願った感情というのは魂に刻まれてしまっていますから、それを実現しないと次に進めないものなんですよ……」
「でも……」
武史の様子を見た田貫さんは、論より証拠とばかりに手をかざして言う。
「ほら、ごらんなさい」
そういうと、田貫さんは巻物の一部を手のひらでなでた。すると、手のひらに小ぶりのボールサイズの透明な水晶玉のようなものが浮き上がり、まるで熱を持たない蝋燭のようなゆらゆらした光を放った。それをのぞき込むと、武史の人生が、映画を巻き戻していくかのように、巻き戻されていく。3倍速くらいで。ふと、巻き戻しがストップした。
「ほら、ここですよ」
水晶玉もどきの中には、武史が公園のベンチに座っている姿が映っている。大分やつれた表情だ。目の下には大きなクマが出来ており、ぼさぼさの髪や背を丸めた姿なんかは、確実に自分であったはずなのに、今となってはまるで自分とは関係ない遠い存在の疲れた他人を見ているようだ。ありふれた日本の中年サラリーマンの姿だ。ふと武史は、公園の花壇に目を止める。チューリップの花がかわいらしく咲いていた。「ああ、植物はいいな~えらいな~そこにただあるだけで、何も言わなくても、人をこんなに清々しい気持ちにさせるんだな~。お前は誰ともかかわらなくていいんだよな。おれ、植物になりたいよ」
そこで上映は終わった。
「ほら、ここです。リピートしますか?おれ、植物になりたいよ、ね、言っているでしょ?」
「え、えー!でもこんな簡単に。この時はその、仕事で疲れていたのもあって、なんというか、本気でというか、まあ気持ちはこもっていたけれど、でも、というか、怖、こんなこと、当の本人も忘れていたのに、なんで撮ってあるんだよ。っていうか、こんな呟いた感じの事が、採用されるものなんですか?言葉の綾みたいなもんなのに?」
「ええ、ええ、分かります。ただ、一時的な状態であっても、その心から出た本気度としては強いものがあったのでしょう。だからこそ、ここに書き込まれてしまいました。この巻物はいわば思考のDNAというようなもので、ちょっとやそっとで書き換えることが出来るものでもないんですよ。だから、あきらめて植物になってもらうしか、今のところないですね。」
「えー、植物、植物。でも、転生して本来の魂の声?に近づくというのが修行だっておっしゃいましたよね?現世で実現できなかったことをやるのが修行だって。僕は、生きていた頃、さっきも言ったように、結局のところ何となく周囲に流されてしまって、自分の力で何かをしようとか、情熱を燃やして何かを頑張ろうとか、そういう気持ちになれないまま、惰性で生活していたんです。本来の自分というものをしっかり持って、その実現のために戦って行きたかった。さっき、出会うべき魂に出会わなかったって言ってたけれど、たぶん、恋愛だって上手くいかなかったのは、そういうどこか僕の受け身的な頼りなさといったことが原因のような気がするんです。僕だってあこがれなかったわけではありません。だから、今度こそ、誰かを必要として、必要とされて、愛し愛される経験をしたり、これだと思ったことに情熱を燃やす生き方をしてみたいと思っているんです。でも、それなのに、植物、植物って、どう修行すればいいんでしょうか?どうにかなりませんか?」
途方に暮れた武史の様子に胸を打たれたのか、田貫さんは同情的なまなざしを武史に寄せて言った。
「確かに、植物に生まれ変わる人と言うのは、あまりケースとしてはないのは事実です。植物に生まれる人というのは、何回も転生を繰り返した修行僧とかですかね。人間の粋も甘いも体験しつくして、達観した修行僧があくまで修行のために、植物を選択すると言ったことはあるみたいですけど。なんていったってあなたはまだ、いわば生まれたてぴちぴちひよっこの魂ですからねえ。まだまだ色々なことを経験するのが先でしょうね。ただ、ここにかかれているのは消せないし、どうしたものか」
そういうと頭をひねりながら田貫さんはだいぶ悩んでいたが、急にぽんと手のひらを叩いて
「そうだ!」
といい、きらりと目を光らせた。
「一つの人生の中で、修行を積みながらあなたの望む願いをかなえる効率的な方法があります」
「どういう事でしょう?」
「説明しましょう!つまり、食物連鎖を利用するのです!」
「?」
「えーと、植物から初めて、食物連鎖のつながりを利用して、要は人間になり、そこで現世で心残りである色々なことをやっていけばよいということです!」
「ちょちょちょ、ちょっと待ってください。それは例えば、米になって、人間に食べてもらって、その食べた人間になり替わるってことですか?」
「要はそういう事です。昔の人は感謝を込めて食べていました。食べたものが体の一部になるのだから、感謝して食べなさいって。それを応用するんですよ。要は、自分を食べたものに乗り移っていくという感じです。」
「まるで、寄生虫ですね?」
「それを言うなら寄生魂です」
どっちでもいいわい!と心の中で武史はツッコんだが、田貫さんはふと真面目な顔をして言った。
「ただ、私があなたに今はなしているこれは、全く事実無根、混沌無形な話というわけではないのです。食べるというのは一方的な行為ではありません。今はほとんど忘れ去られてしまっていますが、本来は相互作用なのです。アイヌに伝わる話を聞いたことはありますか?その民話の中に“あの矢にいられてあげよう”とフクロウが少年の放つ矢に自ら飛び込んでいく話があります。食べるということは究極の出会いです。自分が食べるだけではなくて、食べられる方も自分を食べてくれるものとの出会いなんですよ。例えば、昔の人は食べ物に感謝して食べるとか、食べたものが体の一部になるからとか言っていたでしょ?それを栄養が体の一部になるって文字通りに解釈するのが一般的ですが、本来はそこに魂の循環も含まれているのです。つまり、例えばですが、魚が食べられる。魚の栄養から体が作られる、それは見方を変えれば、魚の一部が体の中で生きているともいえる状態ですよね?これが魂の循環です。食べられることで死んだけれども、死んでも自分を食べた人がそこで生きているということはその中で食べられたものの魂の一部が生きてその人を支えるということに近いのですよ?栄養のあるものを食べれば精神も元気になる。それは栄養だけでなく、食べられてくれた良い魂が自分の気持ちをも回復して支えてくれるからなんです」
田貫さんの雰囲気に押され、武史も真面目な顔で頷く。
「うーん、なんというか、なるほどと言う感じですね。」
そう言いながら、武史は心の中に浮かんだ、じゃあ、傷んだものを食べたときや合わないものを食べたときのケースってどうなってるんだとか?という疑問を飲み込んだ。田貫さんの話はなるほどと思わせられるようなことも多いが、生前に考えもしなかったこと、思いもよらなかった事ばかりで、正直気持ちも頭もついていけない気がする。それに、それに、今は、細かなことを議論している時間が少しでも惜しい。時間制限がある以上、次の人生は良い人生にすべく、時間をかけて最高のプランをしっかり練らなくてはならないではないか。
そう思い、内心少し焦っている武史に全く取り合わず、田貫さんは話を続ける。
「では、これは?人間の世界では“虫の知らせ”という言葉がありますでしょ。それは言い換えてみれば“自分の中で自分に希望を託して生きている様々な魂からの警告”です。たいていの人間は、自分は自分の意志によって行動をコントロールして生きていると思っているけれど、実は、自分自身の意志以外の力で動かされているということも多いのですよ。そういう事に少し感受性が高い人はそれを虫の知らせなんて言葉で表現する人もいますね。簡単なところで言うと、今日はどうしてもメロンパンを食べたいと思っていたのに、パン屋に行くとアンパンを取ってしまうというよなことってありますよね。よくよく考えると不思議だと思いませんか?それはつまり、自分の中にあるけれども自分の意志ではないあなたの中に生きる誰かの影がそうさせているということです。アンパンやメロンパンなんてものは軽いものですけれど、例えばそれが人生の転機となる様なことはどうでしょう?行くはずでなかった人数合わせの合コンで、偶然ピンとくる人に出会って結婚するといったような偶然だけれども、必然性を感じる出来事なんてあるでしょ?」
話を元に戻して早く自分の人生のプランを練りたい武史は、田貫さんの言うことを軽く聞き流し
「分かりました、分かりました。ちょっと頭が混乱したけど、分かりました。プランを練らないと」
と言ったが、田貫さんは落ち着いた声で続ける。
「まあ、慌てないでください。次の世で生き抜く大事なことですからね。難しい話はここまでにして、とにかく、先の話題に戻りましょう。このオプション、食物連鎖付きプランであれば、次の人生の中であなたの植物になりたい、積極的に生きて出会うべき魂と出会いたい、というどちらの希望も同時に叶えられるとおもいますよ。」
「そうかもしれません、でも、なんかひっかかるなあ……ちょっと待ってください。やっぱり色々問題がありますよ。最終的に人間になったとして、その人の中にはその人の魂があるわけでしょ?それを乗っ取ってしまうって、それこそ他人を犠牲にして……大問題ですよね?大分倫理観に反するのでは?」
「ああ、そこは安心してください。本来あなたである体に、あなたの魂を少し分けて入れておきます。」
「えー!!そんなことできるんですか?まるで〇リポタの世界ですね。あの例の悪役のようなことが実際に出来るんですか?意外になんでもありなんだなあ~人生って」
「出来ないことはありません。でも、あんまり沢山に分けることも出来ません。それこそ、あなたはただ単に何も持たないひよっこの魂ですからね。あと一つ、離れている期間が長くなればなるほど、あなたの一部の魂はあなたの事を忘れてしまいます。そして、あなたも自分の目的を忘れてしまいます。環境適応という概念があるでしょ?草を長く続けていると草に、虫を長く続けているとどんどん虫になっていきます。そして、そこから別の種に変わったときに、あまり長くその生物の中にとどまり続けると、虫だった時の癖が残ってしまう可能性が大いにあります。だから、いわば制限時間がある。その中であなたは植物から初めて、何かに自分を食べてもらい、その循環を利用して、本来あなたが次の世界で転生するはずの人の中に入らないといけないということになります。あなたは先程、本来の自分になるために積極的に戦って生きたかった、って言ったでしょ?本来の自分の体になるために、戦略を練って、積極的に行動しないと実現できない人生。このプランこそあなたの求めているものではないですか?」
「まあ、そうかもしれませんけれど。でも、でも、そうすると僕は食べられないといけなくなるってことですよね?例えば、何かしらのハプニングがあって、魚とか、豚とか、牛とかになってしまったら?屠られて死んで肉になるまで意識がそこにあるってことですか?焼肉なんて最悪ですよ。しかも、それを人生のうちに何回も繰り返すってことですよね?痛い、苦しい、辛いの連続じゃないですか。絶対嫌です。やっぱり無理です。無理、無理、どう考えたって無理ですよ」
真っ青な顔で思いっきり首を横に振る武史を見ながら、田貫さんは呆れたような表情でため息をついた。
「もう、細かいことを気にする人ですね?あなたは」
「いやいやいや、細かくありません。むしろ重要なことです。痛みとか、苦しみとか、そういう感覚的な問題は生物にとっては死活問題です!絶対に無理です。ずっと食べられる恐怖にさらされるなんて、無理です。」
それを言うと、田貫さんは目を細める。
「ほう。でもあなた方はその無理をあなた方が食べている生物に強いていることをお忘れですか?」
それを言われると、言葉がなかった。
「だって食べないと生きられないじゃないですか?」
武史は小声で口を尖らせながら言う。
そんな武史の様子を見ながら、田貫さんは言った。
「大丈夫ですよ。生きる為に命を頂く、その循環の中にあること、それ自体がそう設定されているシステムですからね。食べるなって言うつもりはありません。それに、食べられるために死んでしまった生物の苦しみは、実は心からの「頂きます」「ご馳走様」「ありがとう」で報われ、あなたの中で生きるものなんです。食べられるという目的のために死んだのに、結局誰からも食べてもらえずに廃棄になると、その循環から外れてしまい、本当にただの無駄死になってしまいますが。まあ、難しい話はここまでにしましょう」
ポンと手を叩くと、田貫さんは続ける。
「郷田武史さん、さて、あなたのプランの話ですが、あなたの主張は分かりました。まあ、初めからそれはちゃんと織り込み済みですから安心してください。食べられること、つまり死の恐怖などはあまり感じないよう、食べられるというよりも、厳密に言うと、口と口のふれあい、つまり平たく言うと、キスですね。その生き物の口と触れ合ったらすぐに魂がシフトするように調整しますよ。これなら、食べられると思った瞬間に、食べている側に魂がシフトします。だから食べられるために殺される、その恐怖をあなたが感じることはありません。それを、あなたが生まれ変わりを予定している体に移るまで続け、最終的にあなたは自分が生きる筈である人間になる。これでよいのでは?」
それなら大丈夫かもしれない。キスという単語に少し顔が赤くなりながら、武史は言った。
「まあ……でも、いや、待てよ?だってあっちに行ったらこっちに来たことも忘れてしまうんでしょ?それじゃ、どうすればいいのですか?」
それを見た田貫さんはにっこりとほほ笑んだ。
「その点は大丈夫です。ちょっと特別ですけど、あなたの魂がちゃんと目的を覚えていられるように、こちらで調整しておきます。さあ、これで、あなたのプランは決まりですね!よかった!では、早速転生の準備に入りましょう。宇宙は広いですからね。魂の修行がしやすい、最適の環境を今探します。」
そういうと田貫さんは巻物に力を籠める。すると巻物は田貫さんの手の上にある小さな竜巻のように、勢いよく回転し、そこから文字が浮きあがって来た。文字はふわふわと宙を漂い中心に向かって回転していく。今まで見たこともない光景に武史が魅入られていると、そんなに時間が立たないうちに田貫さんが
「見つかりましたよ。早速あなたを送る準備をしますから、私の手のひらをずっと見ていてください。」と言った。
武史は田貫さんの手のひらをじっと見つめる。すると先ほど回転していた巻物は完全に小さな竜巻になり、浮き上がった文字は文字の形を失い、色とりどりの煙となった。田貫さんはもう一方の手で先ほど武史がのぞき込んだ水晶玉のようなものを出し、その中に煙を注ぎ入れていく。水晶玉の中で吸い込まれた色とりどり煙は、混ざり合い、次第に分かれて淡い絵のようなものを描いていく。ただただ美しく興味深いその様子を見ていると、その世界への愛着が刺激されるような心持がし、武史はまるで深い催眠術にかかったような気持ちになった。田貫さんの声が遠くの方で聞こえる。
「最後に大切なことを一つだけ言います。あなたは、あなたであって、厳密には、ただ、あなた、なだけではない。あなたの体の中には、あなたの個人の中には、人類が誕生する前からの多くの魂が宿り、息づいて、あなたを応援しています。そして、あなたの人生の修行が、あなたの中に宿る何万という魂を助けているのです。虫の知らせには従うこと、魂の声を上手に聞いて、次の人生では、あなたの望み、あなたの心からの希望を叶えて、良い旅をして下さいね。そしてまた、ここで会いましょう。」
周囲の視界がどんどん失われ黒いもやがかかったようになっていく中で、水晶玉の中の世界が武史の中に大きく広がり、その中に自分が溶け込んでいくような気持ちになる。
「いってらっしゃい」という声が聞こえた気がして目を上げると、にっこりとほほ笑む優しい瞳が見えた気がした。ただ、それはほんの一瞬で、瞳だと思ったものは三日月に変わり、白く光りどんどん遠ざかっていった。
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