第3章 世の中でまことしやかに語られている事の真実とは

「ええ、僕は、あの、まあ……」

言葉に詰まってしまう。のどがカラカラに乾いている、そんな感覚を飲み込みながら武史は言った。

「その、というか、つまり、僕は死んでしまったんですよね?ここはその死後の世界というか……あの世というか……?」

覚悟はしていたが、口に出すと本当に死んでしまったのだという現実を真正面から突き付けられるような気がして、なんとも言えない喪失感が自分の中から湧き上がってきた。先程、自分でも驚くような程、死んだという事実を受け入れて納得していた筈なのに、いったいどうしたのだろう。

 武史の様子を見て、田貫さんは気の毒そうな表情を浮かべながら

「そうですね。確かにあなたは死にました。それは間違いありません。ただ、厳密に言うと、ここは、まだ、あの世ではありません。今いるここは、あの世とこの世の中間点です。うーん、そうだな、あなた方のなじみのある概念で例えるとするなら、一番近いのが三途の川でしょうか?」

予想外の答えに武史はきょとんとした。

「三途の川ですか。あの、でも、ここには川なんてありませんよね?どっちかというとというか、どう見ても公的な役所みたいに思えるんですけれど……。」

「その通り。川はずいぶん前に埋め立てられ、更地になり、そして、今は役所になっています」

「なるほど。でも、ここが仮に三途の川だったとしたら、どこかにこの世とつながる入口みたいなのがあって、そこをくぐれば元居た世界に戻れる可能性もあるってことですか?」

すると、田貫さんは首を振って答えた。

「残念ながら、今はそうではありません。というか、昔も断じてそうではありません。」

そう言うと田貫さんは深い溜息をついた。込み入った事情がありそうだ。武史が聞くより早く、田貫さんの方が話し出す。

「……全く、あなた方の間でまことしやかに語られている事といったら、大筋のところで少し歪んで伝わっていることも多いからなぁ。確かに昔は、ここら辺一体は川だったようです。私がここに就職するずっとずっと前の話ですよ。もちろん。今は見ての通り、このような作りになっています。そりゃ、そうでしょ。あの世とこの世、そしてその中間地点ともいえるここも含めて全ての世界は連動しているし、現代文明が進歩しているように、あの世やここのシステムも日々進歩しているんですよ。」

「なるほど……。現代文明に合わせて、ここも日々変化しているってことですね」

武史は相槌を打つ。

すると、田貫さんは武史に鋭い視線を向けた。

「おほん、厳密に言えば、我々の文明のおこぼれで現在文明が発展しているんですよ。まあいい、話を戻しましょう。あなたに、特別に三途の川の歴史を教えて差し上げましょう。」

積極的に知りたいと希望したわけではなかったが、田貫さんはそんな武史にお構いなく、話を続ける。

「それこそ、ここが三途の川だった時に、偶然ある事故が起こりました。ここら辺一体がまだ川だった時、ここは鬼の生活圏でしてね。強面だけど、気のいい鬼の連中が、川魚を取って生計を立てながら、魂をあの世に連れて行く渡し守の仕事をしていたんですよ。みんな兼業漁師。ある日、あの世に送迎中の魂がね、きっと川の中で泳ぐ極彩色の魚が珍しかったんでしょうね~。水の中を覗き込み過ぎて川に落ちてしまったんです。鬼は慌てたのなんのって。水の中に落ちた魂が助かる確率は、奇跡に近いですからね。早く引き上げてやらなくちゃ大変なことになるっていうんで、船長の赤鬼の顔は顔を真っ青にして、すぐに「掴まれ!」と竿に縄をつけて投げてやったんですよ。ところがね、何しろ気迫迫って鬼がすごい勢いで縄を投げてくるんで、落ちた奴さんは、「掴まれ」を「捕まれ!」って勘違いでもしたんでしょうねえ。縄に掴まるどころか、ばっしゃ、ばっしゃと、縄とは逆の方向に泳いでいく、というか流されていくではありませんか。助けるために放った縄に掴まるどころか、逃げていく奴さん見て、鬼の船頭さんをはじめ、皆、茫然自失の状態で、むしろこっちが魂が抜けているんじゃないかって思うくらいだったそうですよ。ところが、三途の川と言うのは、それは、それは流れが急でしてね。川なんて優しいものじゃありません。一級河川、いや、海、それも鳴門海峡をイメージしてもらった方が実際に近いでしょう。そんなところを木船一つで渡るんですから!ここいらの鬼の腕っぷしといったら、すごいってもんじゃないですよ。奴さん、あれよあれよという間に流されて波間に消えてしまったんです。その時の鬼の落胆ぶりといったら、もう見てはおられなかったと伝わっています。

 『俺のせいで、本来あの世に行けたはずの魂を、みすみすおぼれさせてしまった、助けてやれなかったって。掴まれなんて言ったから、勘違いさせてしまった。掴まれじゃなくて、つかめって言ってやればよかった。どんなに恨まれても仕方がない』って。そんでもって、その奴さんの魂、水の底にあれば、せめて弔ってやれないかって言って、集落の連中集めて河さらいまでしてさ。でもいくら探しても見つからない。かわいそうに、その鬼は自分を責めすぎてごはんも喉を通らない。顔色だって、どんどん青くなって痩せて行ってしまってさ。見てられないっていうんで、集落のみんなで「死んでしまった魂は仕方がないから、せめて弔ってやろうって」慰めて、奴さんの魂を弔っていたところに、ふと、死神さんが訪ねて来ましてね。「この間、こちらに送った魂がまたこの世に戻って来たんだけど、どういうことだ?」って。なんでも、その死神さん曰く、奴さんの体を家族がいよいよ埋めようとするときに、ぱちっと目を覚ましたみたいで。私たちも、そりゃあもうびっくりしたのなんのって。まさか、あの川の中で奇跡的に生き延びて元の世界に舞い戻ってたなんて、そんな奴がいるなんてって。悲しみの涙が歓喜の涙に早変わり。

『ああ、生きててよかった。あっちの世界じゃ苦しい事ばかりで、あの世ほどいいところではないけれど、川の藻屑になって死んでしまうよりは何倍もましだろう』なんて言ってさ。

 それからはお葬式がお祭り状態で「いやー、なんて悪運の強い魂だ!その魂にあやかりたいとまで思う輩も出てきまして、一時期は水運の守り神として、「捕まれ様」なんて呼び名がついてさ、奴さんの魂をかたどった人形もどきを船先につける船まで出てくる始末で。それが私のひいひいひいおじいさんの頃ぐらいの話でして。私、こう見えても由緒正しい鬼の家系ですからね。」

そこまで言うと、田貫さんはシャキッと背筋を正した。

 三途の川の話も意外だが、田貫さんがその顔で鬼の家系と言うのも意外だった。なるほど、思いもよらないこともあるものだ。

「こうして聞くと、とてもいい話じゃないですか。結局それの何が問題なのでしょう?」

すると、田貫さんはまた溜息をつきながら話を続ける。

「これで一件落着と言いたいところですが、実は問題はその後でして。どうも、生き返った奴さんが自分の経験談を現世で、川に落ちて鬼から逃げられたら生きて帰ってこられるって吹聴したみたいでさ。それ以降、ここにやってくる魂が、あの世への送迎中に鬼の目を盗んで川に飛び込むようになってしまったんですよ。でもね、はっきり言います。はっきり言って、生きて現世に戻れるなんて、それこそ奇跡に近いことで、わざわざ川に飛び込んでもほとんどの魂が水に流されてもみくちゃになって、川の底に沈んでしまうか、どこでもないところに流されてしまうかなんですよ。運よくこの世側の岸に流れ着けば生き返れる可能性がありますが、この世に帰ったとしても体は既に亡くしているとかで結局行先を失ってしまい、どちらにも行けなくなって漂ううちに、手が付けられなくなるものもあります。でも悲しいことに、いくら説明しても、分かってもらえないんです。人は見た目が9割っていうじゃないですか!」

そいうと田貫さんは顔を赤くして口を尖らせた。

人というより鬼だけど、鬼というより狸だけどと武史は思ったが、もちろん、口に出さない社会性はある。武史の内心を露知らず、田貫さんは続けた。

「強面の鬼がいくら説明したって、全然話を聞いてくれやしませんでした。……常識的に考えたら、こんなところに飛び込んだらどうなるかわかるでしょうに。人の魂っていうのは、死ぬと同時に常識までおいてきてしまうもんなんですかね?どんなに止めても振り切って、あっちでもドボン、こっちでもドボン、もう手が付けられなくなりましてね。それをとめるのも激務ってので、運び手に誰もなりたがらなくなった時代がありました。だってそうでしょ?現世で苦しい修行を終えて帰ってきた魂を出迎えて、今までの苦労を労って、肩の荷を下ろしてもらおうと思った矢先に、どんなに説得してもありもしない話を信じて飛び込んでしまうんですよ。気のいい奴程、魂を良い場所に運んでれなかった無力感にさいなまれるものですよ。」

 ここで、田貫さんは周りを見渡して声を小さくし、武史に耳打ちした。

「おかげで、一時期三途の川は、自殺の名所とまで言われてしまうようになったんです。皆、兼業漁師でしょ?そんなところの魚を売っても、風評被害で誰も買わない。一人、二人と廃業していくしかなくなってしまって。そこで、ちょっと閻魔庁に相談して、大がかりな治水工事を行いましてね。それから、いく時代かが過ぎ、まあ、今はこんな感じで……おっと、話過ぎましたね。で、結論としては、こういう歴史があるので、ゆめゆめ現世に伝わる三途の川の歴史なんて信じて、役所の中で逃亡なんてしないでくださいねと言うのが、私からお伝えしたいことです」

そう言うと田貫さんは瞬きを数回した。

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