第2話

「転入生の小鳥遊春名です」




 世界一清涼な天使の音色が耳をくすぐる。

 私はもちろんクラス全員の意識が瞬時に凍結した。

 harunaこと小鳥遊春名。

 国賓級のスーパー美少女がなんでこんな鄙びた一地方の女子高に。

 そんな疑問を見透かしたかのように、私のほうをちらり。

 にこっ。

 どきっ。

 凍っていた意識が瞬時に解凍される。

 芳醇な春の息吹が全身の隅々まで注ぎ込まれたかのよう。

 天使よ……。




「…………ます。これからみなさんと同じこの学校で精一杯勉学に励む所存です。よろしくお願いします」


 はっ。意識飛んでた!?

 気がついたらすでに挨拶を終えて。

 ぺこり。

 万雷の拍手。

 もちろん私も加わる。

 天使が聴衆全員のスタンディングオベーションと共に「アンコール!アンコール!!」の声が木霊しそうな最高潮のボルテージのなか、預言者モーゼの如く紅海という名の人つ波を威風堂々と割って歩むその先は――――




「はじめまして、小日向陽菜さん。これからよろしく」


 ――――私だった。

 真っ直ぐ歩み寄って差し出された天使の手を、私は呆けたままぎこちなく握り返す。

 きゅっ。

 やべ、この感触だけで魂ごと浄化されそう。

 でも、天使直々のエスコートで天に召されるならそれはそれでいいかも…………。

 今の自分がアヘ顔ダブルピースやだいしゅきホールドされるのが似合っていそうな雌堕ちキモ顔であろうことを自覚しつつそれを瞬時に真顔に変えたのは、天使と同じ苗字を持つ幼なじみの「計画通り」といわんばかりのドヤ顔だった――。






「朱鷺が、harunaさんの従姉妹だあぁっ!?」

「そうだよ~」

「知らなかったんですけどぉぉ~~?」

「いわなかったし~」

「……」

「……」


 げしげしげし。

 互いに肘でど突き合っての牽制。

お昼休みという名の親睦会で突如勃発した紛争(という名のじゃれ合い)に、天使は愉快そうに感想を述べる。


「朱鷺と小日向さんは本当になかよしさんだね」


「「どこが!!?」」


「ほら、そこ」


 ぐぬぬ。

 性格も属性も体型も多くの点で隔たりのある私たちだけど、なんやかんやでいままでやってこれたのは、やはりそういうことだろうか。認めたくないけど。

 そんな夫婦漫才どつきまんざいが一通り終わったところで、朱鷺が天使を気遣うように訊ねる。


「……春名、お昼休みいまのうちに学校見とく?」


「ん。そのつもり」


 案内か。

 朱鷺はクラス委員長でもあるから転校生の案内役にはうってつけだよね。

 そう思っていると、当人からぽん、と肩に手を置かれる。


「よろしく~」


 なんでやねん。


「天使のエスコート、しなくてもいいの?」


 こいつ、痛いところを的確に突きおる……!

 そう思っていると。




「ボク、小日向さんに案内してほしいな」




 はいよろこんで!

 ていうかharunaさん、リアルだとボクっ娘だったの!!?

 属性領域ストライクゾーンど真ん中を撃ち抜く衝撃の事実が法儀式済みの聖なる銀の弾丸と化して私の胸にも見事命中、ポンコツ乙女回路を容赦なく熱暴走させる。

 頭くらくら胸きゅんきゅん股じゅんじゅん。

 やばっ、今の私潤んだ瞳にハートマーク百個くらい乱れ飛んでいそう。


「……わたしのときと反応がちがいすぎませんかね~?」


 気のせいだよ。

 多分。


「じゃ、じゃ、じゃあ、まいりましょうか!?」


「よろこんで」


 初デートにありったけの勇気を振り絞って告白した男子のように緊張しまくりの私。

 足に地がついていない状態の私は、そのとき気づくはずもなかった。

 文字通り、いまの自分が人生という名の岐路に立たされていたことを。






「――で、ここが図書室。大学にも負けないくらいの専門書の蔵書数を誇っていますが、その一方でラノベ・マンガ等のサブカルチャー系の書籍も充実しており」


「陽菜」


「ひゃっ、ひゃいっっ!!?」


 まさかの呼び捨て。

 心の距離を一気に詰める突発イヴェントに、ようやく落ち着きかけた心臓がでんぐり返りしそうになる。


「そんなに固くならないでほしいな」

「か、固くなんて」

「なってるって。ま、同級生タメなんだからもっと肩の力抜いて敬語もなしで。ボクも名前で呼ぶからさ」


 ぐはあっ(吐血)。

 お、落ち着け。

 こんなに可愛い天使が私なんかとお近づきになるわけがない。

 きっと何かしら理由があるはず。

 そう、たとえば。




「それとも、ひなママって呼んだほうがいいかな?」




 やっぱし。

 一瞬、天使の肉声でそう呼ばれる誘惑に墜ちかけるもなんとか抵抗。

 ぶんぶん首を振ると、なぜか子供みたいなしょんぼり顔に。かわいい。

 

「ダメ?」

「……割とトラウマになっているもので」

「トラウマ?」


 こくん、と首を項垂れるようにして頷く。

 それを彼女はどう解したのだろう、ぽん、と手を打って頭の中で電球が点いたような閃き笑顔でテレビショッピングの名物社長の如く快活にご提案。


「あ、ほら。将来子供ができたら絶対ママって呼ばれるんだから、いまのうちに慣れておいたほうが。予行練習って意味で、ね?」


 いやいやいや。

 いままで何千回何万回となく呼ばれてきた身とすれば、予行練習するまでもなくお腹いっぱい胸いっぱいって感じだし。

 それに。


「子供ができたら『ママ』じゃなく、『お母様』って呼ばせるつもりだから」

「…………おかあさま?」


 突如登場した大時代な言い方に、目を白黒テレビさせる天使。

 私は大きく頷く。


「かっこよくない?」

「ア、ハイ」


 真顔で頷き返される。

 子供の頃から密かに思い描いてきた緻密な育児戦略は、どうやら天使をも唸らせた模様。

 ふっ。勝ったな。


「まあ、そんなまだ産んでもいない子供のこと考える前に、まず先に相手を見つけろって話だけどね……」


 はは、と力なく笑う。

 はたしてまともな相手とやらは、これからの私の人生で見つかるのだろうか。

 いや、ない。(確信)


「そんなことないよ」

「…………え?」


 お線香の煙の如く消え入りそうなか細い声に、前置きなしに割り込む天使。

 まるで火の消えかけた暖炉に薪をそっと燃べたかのような。

 まさか、私の心を読んだ……?





「まさか、エスパーじゃあるまいし」

「読んでるやんけ―――っっ!?」


 照れながら手を振って否定する彼女に、思いっきし突っ込みをいれてしまう。

 すっかり忘れていたharuna超能力者説。

 彼女がカリスマ系女子高生モデルとしてモデル業界を越えて世間一般にまで熱狂的なファン層が広がっていったのはなぜか。

 ネット上で繰り広げられていた様々な考察のうちの一つに、彼女が実はエスパーで人心を掌握し支配し操作できたからここまで支持が広がったとかいうトンデモ説があったけど。

 まさかね。

 そんな私の内心を知ってか知らずか、彼女はこんなことを言い出す。


「陽菜、どこかふたりっきりで話せる場所ない?」

「……ふぇっ?」


 ふたりっきり?

 ……いえいえ、別にやましいことなんて考えていませんよ?

 ていうか、時間やばいんじゃ。


「もうすぐお昼休み終わっちゃうけど……」

「ダメ?」

「だ、駄目じゃないけど……」

「じゃ、どこにする?」

「……屋上、とか?」

「いいね。屋上」


 そういって、天使というより小悪魔っぽい笑みで頷く。


「そこなら羽も伸ばせそうだしね」


 はね?

 確かに天使といえば羽はつきものだけど。

 まさかね。

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