第3話

「よいしょ、と」

「本当に生えたぁぁぁぁぁっっ!!?」


 ありのままにいま起こったことを話すと天使が屋上に上がって扉を閉めて誰もいないのを確認した途端、背中から音も無く制服を破くこともなく純白の翼がふわりと生えて空中に音も無く羽ばたいて頭上には金色の輪っかが天界の滝の如く輝き出したりしてドッキリなのか宗教映画のワンシーンかという何をいっているのか理解できないと思うが私も理解できないからこうして心の中で絶えず言葉を紡ぎ続けていないとぱっきり亀裂が入った耐震性ゼロと化した我が精神機構が耐えられないというかあわあわあわわわわわ。


「落ち着いて」

「んみゅっ!?」


 いつの間に隠し持っていたのか、彼女は牛乳パック直挿しのストローを親鳥が雛鳥に餌づけするように私の口にあてがう。

 ちゅぽっ。

 おいしっ。


「落ち着いた?」

「……なんとか」

「それはよかった。早速だけどひ――陽菜はるな

「はっ、はいっ」


 まだ半分以上中身の残った牛乳パックを右手に乗せて、騎士が王に対し恭しく傅く姿勢で天使が発しようとする言葉に全神経を集中させる。

 それを見た彼女は殊更に厳かに重々しい口調で語り出す。

 まるで天使の口を借りた神の託宣の如く。


「ボクがこんな恰好をしていることとか、なんで考えていることがわかるのとか聞きたいことがいっぱいあると思うけど、今は時間がない」


 こくっ、こくっ。


「だから手っ取り早く用件だけ伝えるよ。陽菜」

「はいっ」


 ごくっ。






「キスするのとされるの、どっちが好き?」




「……………はい?」

「いまの君には二つの選択肢がある。ボクのくちびるを奪うか、ボクにくちびるを奪われるか。個人的には後者をお勧めしたいところだけど、前者であってもボクはいっこうに構わな――って、なんで青ざめた顔でフェンスをよじ登ろうとするのかな?危ないよ?」

「お前のほうがよっぽど危ないわ!!」


 信じた私が馬鹿だった。

 朝の櫻子先輩の件といい、今日は信じていたはずの人に裏切られる星回りの日なのだろうか。

 そんな私の気持に頓着することなく、天使は足場の悪いフェンスの頂点で怒りと恐怖でぷるぷる震える私に、こう告げる。


「そんな、野生の熊に遭遇した訳でもなし、パンツが丸見え――」

「~~~っっ!!熊のほうがよっぽどましだよっ!バカバカバカ~っっ!!」


 恐怖と激昂で女子高生として体に染みついていたはずの枠組みから解き放たれた私は、その熱い激情に駆られるまま子供のようなグルグルパンチを放つ。

 ぶしゃっ、と音を立てて潰れた牛乳パックから飛沫が飛び散りきれいな虹色の軌跡を描くのも構わずに。

 当然、フェンスの頂点という極めて足場の悪い場所でそんな真似をすれば大きくバランスを崩す訳で。

 それをリカバリーしようと背中を大きくのけ反らせた方向が校舎側でなく校庭側であれば、それは万有引力の法則に従い校庭めがけて自由落下した少女の肢体が少女の屍体へと慈悲も温情もなくジョブチェンジすることを意味する訳で。

フェンスから足が離れた刹那、流れだす走馬灯とともにこんなことを思う。

 来世ではこんなミニマムサイズのボディなんかじゃなく、もう少し女子高生らしいせめてミドルサイズの恵体を戴けますように。

 願わくば二度とひなママと鼻息荒く充血した眼で這い寄ってくる有像無像の輩とは無縁の人生が送れますように。

 そして願わくば素敵な幼なじみとかと結婚して子や孫に囲まれて幸せな大勝利な人生を大往生できますように。

 さらに願わくばその人生が来世でなく奇跡とか不思議な力でこの危機を回避した現世で実現できますように。







「……ずいぶんと注文の多いお姫様だね。筒井康隆かな?」


 目の前にはあきれ顔の天使のドアップ。

 私の身体は校庭に陥没どころか屋上付近の空中庭園を彼女にお姫様抱っこされながらゆっくりと再浮上している模様。

 ……これ、天使が私の魂を天界に運ぼうとする脳内イメージ映像とかじゃないよね?

 私、生きているよね?

 そんな胸中の不安を瞬時に掬い取ったかの如く、天使は聖母の如き微笑みで答える




「正真正銘の現実だよ、ひなマ―」


「ママって呼ぶなっ!」


 脊髄反射で一喝し手足ばたばたさせるもそんなささやかな子供の抵抗など全知全能たる大天使様の前では皆無に等しい。彼女は笑顔を崩さぬまま余裕たっぷりに茶目っ気たっぷりに人差し指ふりふりしてこう言ってみせる。


「その注文は聞けないかな」

「なんでさっ!?」

「ボクには君をママと呼ぶ権利があるからね」

「はあっ!?そんな権利誰が認めると――」


 天使の理不尽な回答にブチ切れ、お賽銭をくすね取られた楽園の素敵な巫女さんばりの素敵な笑顔で抗議の声を張り上げようとしたまさにその瞬間――




「……ドローン?」


 思わず真顔に戻ってしまう。

 テレビでしか見たことがない十字型の奇妙な機体フォルムに四つのプロペラを背負った飛行物体が2個、3個と青空をばらばらとジグザグ飛行しつつ接近、屋上に着地したばかりの私と天使の姿を捕捉するや、遠くから慎重に観察するようにゆっくりと8の字旋回する。

 視力1.5の右目で確認すると、どの機体も小型カメラを搭載している模様。

 まさか。




 ピンポンパンポーン♪


――緊急事態発生緊急事態発生。屋上にて一年A組生徒・小日向陽菜さんと転校生・小鳥遊春名さんとの間でトラブルが発生している模様。風紀委員は至急現場に急行し、速やかに事態の収拾にあたってください。繰り返します……




 チャイムとともに突如流れ出す校内放送。

 声の主は放送部部長で三年生の小太刀楓先輩――だったっけ。

 しかも小日向陽菜ファンクラブ会員番号一桁台の。

 ま、まあ、生徒同士のトラブルを発見したらそれを防ごうとするのは学園の風紀を護るためには当然のことだろうし、なにより小太刀先輩は「表」のほうのファンクラブ会員でしかも普段から温厚で後輩思いの優しい先輩だから、今朝の櫻子先輩や目の前の堕天使のような真似はしないはず。信じよう。うん。





――……なお、ひなママに害が及びそうになった場合は彼女の安全を最優先にしてください。その結果、転校生に不幸な「事故」が発生してもまったく問題ありません。こちら側で適宜「処理」いたします。繰り返します……





 前言撤回。

 二度あることは三度あるってね。

 三度目の正直を信じたかったんだよこん畜生。


「怒ったり落ち込んだり忙しそうだね」

「誰のせいだと思っているんだよ!!」

「でも、陽菜は笑顔のほうが似合っていると思うよ。まぶしいくらいに」

「うるさいこの天使ジゴロ――って、え?」


 まぶしい。

 それこそ目がつぶれそうなくらいに。

 誇張でなく、リアル太陽を召喚したかのような圧倒的な光量が天使の輪を軸にまるで物理宇宙の創世記を物語るかのように神々しく渦巻いている。


「天使……?」

「ボクは天使じゃないよ」


 いや、天使だろ。

 そんな心の突っ込みをスルーして彼女が天使のタクトを振るうかの如き凛とした動きを取ると圧倒的な光は大部分が深淵な闇へと反転し、残余の光量が地球から確認できる星々の各位置へと鎮座することとなる。

 それはさっきまでのお昼休みの屋上が一転して星空との出会いの場所、屋外プラネタリウムへの早変わりを意味するわけで。

 それはデートスポットの定番ともいえる非日常的で幻想的な光景であって。

 私の心の如雨露から本音の滴を漏らしたのも無理からぬ話であって。



 きれい。




「気に入っていただけたようで、なにより」

「……こんなところで心のなか読むなんて無粋だと思う」

「でもこれで他の生徒たちが入ってくることはないよ。結界張ったからね」

「結界?」


 がちゃ、がちゃ。


「……ほんとだ、開かない」


 扉のドアノブをいくら回しても開かない。

 けど。


「まさかこのまま永遠に出られない、なんてことないよね?」

「……」

「おい」

「大丈夫。ちゃんと解除するから」

「……ならいいけど」


 ここをエデンの園にして一緒にアダムとイブになろうなんて言われた日には口から波動砲噴くところだった。

 気が昂ぶっているせいか、ドローンの飛行音がやけに五月蠅い。

 ていうか、結界の中にも入り込めるドローンってすごくね?

 そんな私の疑問を瞬時に読み取った天使がめずらしく狼狽した表情で翼越しに振り返るなり、




「しまっ」




 ぱん。

 乾いた音が彼女の叫びを躊躇なく打ち切る。

 頭を。

 否。

 頭上の輪を。

 一体のドローンに取り付けられていた小型カメラと思しき器具のレンズが火を噴き、それは彼女の頭上の光の輪に寸分違わず命中していた。

 光の輪は無数の光の粒になって音も跡形も無く霧散霧消し、まるでそれが彼女の本体であったかのように彼女の身体は糸がはさみで断ち切られた操り人形のようにぐにゃり、と折れ曲がり、力も意思も無く私のほうへ倒れかかってきて――




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