マウス・トゥー・アビス

第8話 マウス・トゥー・アビス I

『K.O.』

『お口の恋人、シェル……』


「んッ! もおォォオーーー!!!」


 桜と付き合い始めて、数日後の夜。

 俺の部屋には桜の叫び声が響いていた。


 桜はお気に入りのクッションとゲーム機のコントローラーを抱えて床を転げてる。桜は一通り転げ終えると胡座あぐらをかいて座る俺の背後に回り込み、両足で俺の腰を挟んだ。


 ゲームのキャラをマネをして俺に投げ技を決めようとするが、一般的な女子高生がそんなことできるはずもなく、ただただ身体を左右に動かしているだけとなった。


「私のイケメン達が負けるわけないの!」

「いや、負けてるだろ」

「喧嘩は強い上に男前なんだよ!?」

「はい、はい。男前、オトコマエ」

「なにが『お口の恋人』よ!」


 俺の腰に絡んでいた桜の足がスルリと抜けたかと思うと、俺と同じように胡座あぐらをかいて隣に座る。


「……恋人…ね」

「どうした?」

「ね。『恋のABC』って知ってる?」


 いつかはこんな話をするのではないかと予想はしていた。桜は一般的な恋人同士のステップに踏み込みたいということだろうが……、ただ俺達には絶対に踏み入れてはならない領域だ。


「俺達には、なしだ」

「……わかってる!」


 桜はどこか投げやりで、しおらしい。

 普段とのギャップで頭を撫でてやりたい衝動に駆られるが、それでは言っていることとやっていることが真逆だ。


 ————頼むから鎮まってくれ。


「そうじゃなくて、一般的なこと」

「一般的なこと?」


 桜の言いたいことがわからない。

 一般的と言われるとAはキス、Bは……いわゆるペッティングで……、Cは……。

 

「BとCの境界線ってあると思う?」

「あるんだろ? 世の中の恋人達には……」

「ないのよ。私が知る限り」

「お前が知る限りだろ」


 桜は不意に立ち上がると俺の部屋を出て行ってしまった。隣にある桜の部屋からはバタバタと何か物を動かしている音が聞こえてくる。



 しばらくすると大量のマンガを抱えて俺の部屋に戻ってきた。マンガを床に広げるとその中から一冊を取り上げた。


 『快楽姫は眠らない』の二巻。ラスト1ページ。主人公の姫子と次郎がデートの後にキスをして、それぞれの帰路に着く。


「まぁ、よくあるパターンだな」

「これがAの段階。次にこれをみて」


 『快楽姫は眠らない』の三巻。中盤ぐらいのページ、姫子と次郎はベッドの中で絡み合っている。そして、次のコマには朝を迎えた。


「Bの後、僅か一コマでCが終了」

「描けるわけないだろ。それだとただのエロ本だ」

「少女マンガの九割はエロ本と同じだよ」


 あからさまに桜個人の歪んだ感想だ。


「リアルな時間にしたらBの段階は僅かな時間」

「いや、この二人はそうだっただけだろ?」

「……なら、他を見てみましょう」


 『アオイとハルカ』の第七巻。表紙より数ページ。倒れてくる本棚からアオイがハルカを庇い、ハルカがアオイの胸に触れてしまう。


 僅か数ページで二人はベットの中へ————


「ね?」

「『ね?』じゃねぇーよ!」

「女の子同士でもの」

「なんで百合なんだよ!」

「BLの方がよかった?」

「よくないわ!」


 やはり話がとっ散らかって纏まらない。

 桜との会話は楽しくはあるがこのまま続けていれば朝を迎えることになるだろう。明日は普通に学校だ。


「で、結局は何が言いたいんだ?」

「BとCは同義。イコールなんだよ」

「言わんとしてることはなんとなくわかるが……」

「絶対にそうだよ!」

「Bの段階のカップルがいるかもしれないぞ」

「なら、想像してみてよ」


 確かに桜の言っていることは理解できるが、本当にBの段階は存在しないのだろうか。俺は脳内でシュミレーションをしてみた。



◆◆◆


 今日は彼女と楽しい遊園地でのデート。


 夕陽は沈み、遠くでナイトパレードの音楽が響き、イルミネーションの光が残り時間が僅かであることを告げる。


 風で彼女の黒髪は遠くに聞こえる音楽に合わせ舞っている。そんな彼女を抱き寄せると、彼女は浮かれて舞い踊る髪を抑え瞳を閉じた。


 彼女の胸に手を当てると自然と指が————


◆◆◆


「ストッーーープ!!」


 瞬間、桜の声によって俺は妄想から現実世界へと引き戻される。


「はい。エロい妄想は終わり」

「エロい妄想してたって決めつけるな!」

「……エロい顔してるからだよ」


 本当にそんな顔をしていたのだろうか。

 もし桜の言うことが本当なら以後、気をつけなければならない。


「で、どうだった?」

「確かにおかしいな」

「でしょ。そうなると最後まで……」


 突然、桜の顔から笑顔が消え、真剣な顔になったかと思うとすぐに頬を赤らめて恥ずかしそうに俺から目線を逸らした。


 そして、こう告げた。

 

「私達、キスはもうしちゃってるから……」

「……!?」

「気をつけないとね、って話!」


 身に覚えのない話にこの時の俺はただただ青ざめた。

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