第28話 もう一度 

 あれから数か月が過ぎた。

 結局僕は博士の依頼を受けて、被験者として研究に協力している。

 この実験については関係者以外には他言無用だが今のところ人に自慢出来るような大した実験はしていない。

 まぁ、僕にはその話を出来るような人もいないけど。

 博士たち研究者はタイムトラベルの実験をするための準備のための小規模な実験を繰り返しており僕もその準実験に協力していた。

 おそらくこの準実験が終わり、必要なデータが揃えばタイムトラベルの本実験をやるのだろう。

 そして今、僕はその準実験を受けるための実験の準備が終わるのを待合室で待っていた。

「ノアル」

「ノアルくん」

 二人の男女が入って来た。フェルとライサだ。

 この二人も僕と同じく研究に協力している被験者だった。

 そこに博士も加わってこの待合室に入って来た。

「三人とも調子はどうかな?」

 博士は僕たちに尋ねた。

「まぁまぁかな」

「私もまぁまぁ」

「僕も同じく」

 フェルとライサとは今までの実験で出会った。もちろん、二人以外にもここの被験者達はいる。

 ここの被験者たちは大体僕と同じ年頃、同じような境遇をもっている人が多いというのもあり、この研究所に来てからというもの僕の交友関係は著しい広がりを見せていた。

 ただ同じような人たちが集まっているからか、たまに話が嚙み合わないこともあるけど。

「今日も同じような実験か」

 フェルは退屈そうに呟いた。

「悪いな、でもこれも大事な実験なんだ。ただそろそろ本格的な実験を始めるかもしれない」

 博士は少し僕達に希望を持たせるようにそう言った。

「どうかな? その本実験をみんなは受けてくれるか?」

 博士は僕たちに尋ねた。

「俺は受けるよ。やっぱ、今俺たちが関わってる実験は凄いものだから。それにタイムトラベルを成功させて博士たちにも喜んで貰いたいからさ」

 フェルは少し恥ずかしそうにそう答えた。

「それに報酬もほしいしね」

 ライサが苦笑しながらそう言った。

 それに僕とフェルも確かにとうなずいて笑った。

「だから私も本実験を受ける。ノアルくんはどうするの?」

 ライサは僕に尋ねた。

「僕はまだ決められないけど、受けてみようかなとは思ってるよ」

 僕は今はまだ決められなかったが、それでも受けようかなという気持ちが強いような気がした。

「ゆっくりで良いよ、ノアルくん。じっくり考えて決めてくれ」

 博士は僕に対してそう言ってくれた。二人もうんうんと頷いていたので、僕もうんうんと頷いた。

 それから僕は一つみんなに聞いてみたいことがあった。

「そういえば二人はさ、何でこのタイムトラベル計画に協力しようと思ったの?」

 僕がフェルとライサにそう尋ねると、二人は答えてくれた。

「オレはさっきも言った通り、タイムトラベル計画はこれからの世界を変えてしまうかもしれない偉大な計画だから、そんな計画に自分が参加できるなんて光栄だろ。だから参加したんだ」

 フェルは嬉しそうにそう語った。

「私は、私には夢があるから。その夢を叶えるためにタイムトラベル計画の報酬が必要なの。だからこの計画に参加したんだよ」

 ライサは少し恥ずかしそうだが、しっかりとした口調で答えてくれた。

「なんだ、贅沢したいだけじゃなかったんだ」

 フェルは意外だなと言った様子だった。

「まぁそれもあるけどね」

「オレもある」

 フェルとライサが苦笑してそう言うと、僕と博士も苦笑した。

「ノアルは、どうしてこのタイムトラベル計画に協力しようと思ったんだ?」

 笑い終えた後、フェルは僕に聞いた。

「僕は、寝たきりで意識のない母の治療費を報酬で稼ぎたいから。って理由だったんだけど、今はこのタイムトラベルの計画をみんなと協力して成功させたいって理由もあるよ」

 僕は二人に、シンヤ博士にそう言った。

 いつしか僕もタイムトラベルを実現させるためにひたむきに全力で実験に取り組むここの研究者達をみて、僕も本気でタイムトラべルの実験が上手くいってほしいと願うようになっていた。

 それは他の被験者達も同じようでフェルのような気持ちが芽生え強くなっている人も多いように感じる。

 それでより被験者達と研究者の間に一体感が生まれているように僕は感じた。

 最近僕はそういうのも良いなと思うようになっていた。

「……そっか、なら絶対に成功させないとな」

「みんなで成功させよう」

 フェルと博士がそう言うと、ライサも大きく頷いてくれた。

 僕の話を聞いた時はフェルもみんなも最初少し気まずそうだったけど、前向きに捉えてくれて良かった。

 ……そういえばシンヤ博士の理由はなんなのだろう。

 シンヤ博士はこの計画に全てを賭けていると言っても過言じゃない。

 そこまでになれる理由が何かあるのだろうか? やっぱり好奇心からなのかな? 聞いてみたいな。

「シンーー」

 僕がシンヤ博士に聞こうとした時、丁度他の被験者達も数人入ってきた。

 また今度でいっか。僕は一旦シンヤ博士に聞くのをやめた。

 僕達は他の被験者達も快く受け入れ、実験を待っている間、みんなで受けてきた実験の話をしたり、日常の話、どうでもいい話を楽しくした。

 本当にみんなに会えて良かった。この居場所を提供してくれたシンヤ博士には感謝している。

 その博士の恩に答えるためにも、僕の家族を救うためにも、このタイムトラベル計画を成功させたい。そう僕は思った。



 それからしばらくしての事だった。

 あのフェルとライサがタイムトラベルの本実験を受けた。

 僕はその二人よりも先に本格的なタイムトラベルの本実験を受けている被験者がいるということは聞いて知っていたが、それでも無事上手くいくのか心配だった。

 だがその心配は無用だったみたいだ。

 二人の実験は無事に成功して、少し先の時間に移動する事が出来たという事をその二人の体験談と一緒に聞くことが出来た。 

 二人は実験が上手くいったことがとても誇らしそうで嬉しそうだった。

 数日後、僕の下にも博士から、タイムトラベルの本実験をするのでもし良かったら協力してくれないか、という連絡が入った。

 どうやら更に先の時間にタイムトラベル出来るかという実験をするみたいだった。

 結局僕も皆の熱意に励まされ、そのタイムトラベルの実験の申し出を受けると承諾した。

 そしてこれから僕も本実験を受ける。

 僕はタイムトラベル用の機械、タイムマシンの上にシンヤ博士と共に立っている。

「ノアル君、タイムトラベル先は一日後、ここら辺にするから」

 博士はそう言い、僕が立っている機械の少し先の方の地面を指さした。

 僕は了解と頷く。

「じゃあ始めるね」

 博士はそう僕に言った後、少し何か考えているのか固まっていた。

「ノアル君……何でもない」

 博士は何か僕に言いかけたように思えたが、すぐにいつもの落ち着いた前向きな調子に戻った。

「また一日後会おう、幸運を祈ってる」

 そう言うと博士は機械の上から降りて、実験の動向を見守っている他の研究者達がいるマシン制御室に戻った。

 僕は深く深呼吸した。

 博士が3、2、1と指で僕に向かって合図するのが管理室の窓ガラスから見えた。

 博士がタイムマシンを作動させるレバーを押した。

 すると次の瞬間まばゆい白い光がタイムマシンの周りで発現した。

 数秒後、その白い光がタイムマシンを包み込むように発光した。

 その刹那、僕の意識は途切れた。



 僕はゆっくりと目を開いた。

 そして体を起こし、辺りを見回した。

 ここは、どこだ?

 辺りは見渡す限り地平線まで真っ白な空間で、地面は無色透明な水のようなもので覆われていた。

 その水のような地面には僕の姿が映し出されていた。

 まるで僕は水面に座っているかのようだったが水にひたっているという感覚は無く、僕が動いた分、水紋が地面に広がっていた。

 さらに後ろを振り向いて見てみると、そこには一つの木がこの白い空間にぽつんと立っていた。

 こんな所じゃなければ至って普通の木に見える。

 そもそもここは研究所じゃないからみんなもいないとなると……

「失敗したのか」

 それから僕は何日も歩いたがここには何もなく、何か月も飲まず食わずだったが死ぬこともなく、何年もただここで過ごした。

 そしてどれくらいの時を過ごしたか分からないくらいの時間をこの白い空間で過ごした。

 その間に最初にはあったこの場所から出られないかもしれないという不安も、この場所から出られないだろうと気づいた絶望も、なぜ実験が上手くいかなかったのかという悔しさも、誰もいなくなってまた独りになってしまったという孤独も、これからどうすれば良いのかという悲しみも無くなった。

 そしていつしかオレは何もしなくなり、ただ白い世界を眺めて過ごすだけになっていた。

 そんなある時、いつものようにこの世界にある唯一の異物であり、目印の一本木に寄りかかっていたその時に久しく感情が動く出来事が起こった。

「君は誰だ?」

 どこからともなくどんよりとした声が聞こえたような気がした。

「?」

 オレは当たりを見回した。

「あぁ、知らないのか。ここだ、君が寄りかかっている木だよ」

 オレははっと立ち上がり、木の方を振り向いた。

 その木は特に変わった様子は無かった。

「そうそう、私だよ」

 でも本当にこの木が喋っているようだった。

「木が、喋った……」

 この木の主の声は頭の中に直接聞こえてくるような感覚だ

「君の元居た場所では喋る木はいなかったかもしれないけど、私は喋れるんだ」

 はぁ、そいうものなのか。

「君は何故ここに来た?」

 木の主はオレに尋ねた。

「それは、オレにもよく分かりません。ただ、元々居た場所での出来事が原因で、たまたま、此処に来たんだと、オレは思ってます」

 オレは永い時間、あまり頭を使わず、誰かと話すということもしていなかったためにゆっくりたどたどしくしか話せなかった。

 話すという事に慣れるのにはまだ少し時間がかかりそうだ。

「そうか、たまたまか」

 そういうと木の主は暫く笑っていた。

「すみません、此処は一体、何なんですか?」

 オレはここにきて一番知りたかった事を聞いた。

「ここは時と魂が繋がる場所、だと私は思っている」

「? あの、もう少し詳しく」

「詳しくは私にも分からんよ」

 どうやら木の主にもここが何なのかよく解っていないらしい。

「それで、君はこれからどうするんだ?」

 木の主がオレに尋ねた。

「どうするも何も、どうにもできなくて、オレは此処にいるんです」

 オレがそう答えると、木の主は尋ね方を変えた。

「そっか、そっか。聞き方が悪かったな、聞き方を変えよう」

 そう言うと、木の主は僕を試すような口調で尋ねてきた。

「君はこれから何を望む?」

 何を望む? 

「何でも言ってみると言い」

 とりあえず此処を出て元の世界に戻りたいとかか。

「オレの望むことは、まず元の世界に戻りたい。とかですか。後、母の病気を治したい、父と妹と弟も助けたい。恩人の博士の研究も今度こそは成功させたいです」

 今、オレの望むことは大体こんな事だろうか。

「訳ありのようだな」

 木の主はそう呟くと少しの間何かを考えているようだった。

「こっちへ来てくれ」

 木の主はオレを呼んだ。何か答えが出たのだろうか。

 オレは木の主のそばに寄った。

「何ですか?」

 オレは木の主に尋ねた。

「君の記憶を見る。それから私がどうするか決める」

 木の主はさも大した事なさそうにそう言った。

「記憶を見るって、どうやって?」

「君が私に触れるだけで良い」

 オレは今出会ったばかりの得体の知れない者に自分の記憶を見せる事を迷っていた。

「見せたくないならそれでも良いが、その時は私も何も出来ない」

 迷っているオレの様子を見てか木の主がそう言った。

 このままここで何もしなかったら、何も変わらない。

 オレは恐る恐る木の主に手を当てた。

 その直後、木の主は言った。

「そうか、大変だったな」

 もうオレの記憶を全部見たのか、大体見たのか。

「よし決めたぞ。君にチャンスを与えよう」

 木の主は調子良さそうだった。

「私が君を元居た世界に戻す。さらに前の体よりも研究に役立つ力と知識を持った便利な体を授けよう」

 簡単そうに言ってるけど、そんな事出来るのか。

「そんな事、出来るんですか?」

「うむ、普通私は何も干渉しないのだが今回は特別だ」

 同情してくれたのか何でかは分からないけど、気前がいいな。

「ただデメリットも有る。君が元の世界に戻る時、君はノアルとしてでは無く、私の授ける新たな体に覆われた新たな存在として元の世界に戻る事となる。ノアルという存在として戻ってしまえば立ち待ち君はその世界に元からいるもう一人の自分自身に同化し、消えてしまう。だから元の世界に戻るなら君はノアルではいられないという事だ」

 木の主はオレが元いた世界に戻るデメリットも教えてくれた。

「あと、その時代に元からいるもう一人の自分が死んだり、存在が消えたりしても君は消える。君の存在はイレギュラーで不安定で風前の灯のようなものだから。君は戻った先の世界で元からいる君自身に魂をある程度結び付けさせて置きながらも、魂が同化しないように新たな体で覆うことで、なんとか存在することが出来るのだからな」

 とりあえず木の主から貰う体から出ると、元の世界にいるもう一人の自分が消えるとオレも消えるってことか。

「そんなデメリットがあるが、それでも元いた世界に戻って、博士の研究を成功させ、家族を救いに行くか」

 ここにいてもオレの存在は消えているようなものだ。何も起こらず、何も変わらず。

 もう一度やり直せるのなら。

「後はノアル君、君次第だ」

 オレは……

「オレは元の世界に戻りたいです。そしてチャンスを掴みたい」

 オレは意志を伝えた。

「あなたの力を貸してください」

 オレは木の主に頼んだ。

「よろしい。では君に新たな体を授け、元居た場所に送るとしよう」

 そう木の主が言うと、オレの視界が遠くなり始め、意識も薄れ始めた。

 最後に、オレは意識が薄れてくる間にもう一つ気になっていることを木の主に聞いた。

「あの、あなたは! あなたは何者なんですか?」

「ただの木だよ! じゃあ私も他の場所に行ってくるから。達者でなー」

 木の主がそう言ったのを最後にオレの意識は完全に落ちた。



 オレは再び目を覚ました。

 周りにはこちらを驚いた表情で見つめる人達がいた。

 雨上がりの空の下、オレは雲から顔を覗かせた太陽の光を浴びながら、水たまりに映された球体となった体を見ることが出来た。

 そうか、オレは元の世界に戻ったんだ。

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