二十二章 幕間 類別本格の読者への挑戦
ここまでのご参加、ありがとうございます。
きょうは、ぼくが主役ではありません。
しかし、この時間だけは、ぼくひとりのことばで、場を繋ぐことをお許しください。
ああ、拍手、ありがとうございます。
まさか、こういう形で、葛西臨海公園のホテルに再訪するとは、まったく思っていませんでした。とくに、この場所は、殺人事件と関係がなく、ぼくにとって、ただ、目にとめるだけの場所でした。それがいま、フォーマルな格好で立っている。
ふかい縁を感じるものです。
いま、参列しているみなさんのほとんどは、警察関係者です。よって、お手元にある本は、資料室のファイルにちかいものでしょう。
適宜、人名や場所を書きかえることで、配慮を行っていますが、読みとおせば、例の事件とまったく、同じ出来事であることがわかるはずです。
警察四一と同じですね。
もちろん、こういった、ぼくの特異なスタイルを知らない人もいるでしょう。したがって、この場を借りて、簡単に説明しようかと思います。
ぼくの作品は、エラリー・クイーン作品の内部構造と似ています。
それは解決するまでに、答えへの論理を与える。後半部に読者への挑戦がはいるというだけではありません。クイーン作品におけるマックよろしく、じっさいにあった事件を再編集しているという点でも似ています。
カサイ袋の最愛の初版以降には、このスピーチが読者への挑戦として、挿入されることになるでしょう。
ぼくの作品群には、読者への挑戦という、ミステリーの伝統的な形式をとりいれています。単純に魅力的だというだけではなく、読者の心を前向きな気持ちへと後押しする形式だと考えているからです。ミステリーを愛読してきた、ぼくの実体験でもあります。
一般的に本を読む者は、視点者のいる場面と同一化すると言われています。貴方の「意識」と世界観の「流れ」が混濁していくのです。この前提はミステリーにとって、非常に重要なものです。
なぜなら、全体の構成が、ただの様式美以上の意味をもちえるからです。
物語の最初に、殺人事件がある。解き手があらわれて、手掛かりを探しつづける。
その貴方が何度も否定されながらも、常に挑戦をしつづける。
そして、最後には必ず報われる。
ぼくはこういった前向きな様式美を、ポジティブメタファーと呼び、読者への挑戦と関連づけています。この読者への挑戦は、いわば、作品と読者を引き離す行為です。作中に幕間をとることで、考える時間を設けています。つぎの章で、すべてを解決させるという合図をあらわしています。
もちろん、この場にいる人は、事件の結末を知っている人ばかりでしょう。現場で真実をきいた者も多いでしょう。署内には報告書もあがっているはずです。
一から百まで知っている方々にとって、ぼくの話は、退屈かもしれません。
……ああ、奥側の席をご覧ください。
現場にいた藤堂がうなずいています。事件のあいだ、連絡をとっていた三郷なんかは、生ハムメロンにかじりついています。流石に、旧友くらいには、興味をもって欲しいですね。葛西署の刑事さんたちがきいているよって、手をあげてくれました。
ありがとうございます。
さて、ぼくは、刑事局長である藤堂秀一郎さんに依頼されて、じっさいにあった事件をまとめました。みなさんの手にとどけています。それがカサイ袋の最愛です。
警察関係者にとっては、殺人事件の発生から解決までの道のりを知る資料ですね。
いま、……息子さんが政治的な目的だがな、とつぶやいていました。成海与一は市民協力をえるためのマスコットだと言いたいようです。まァ、そのとおりですけどね。
ああ、ようやく、向こうの警察官のみなさんが笑みを浮かべました。
部署のことなる上司とはいえ、局長はおんわな人です。
この機会に、話してみるといいでしょう。いまも息子さんの皮肉に、笑っていますよ。
ぼくも、秀一郎さんには、ちいさいころからお世話になっています。気立てのいい親戚のような人です。
じっさい、ぼくの作品が警察上層部にとって、べつの意図があるのは事実です。だからこそ、現場に踏みこみ、証拠品を集めてもらい、容疑者たちを呼び出すことができたのです。
葛西署の署長も、記者会見で、一般人であるぼくとの協力を認めていました。市民は気にしないでしょう。むしろ、警察というたいへんな職務の管理を預かる立場です。局長くらい腹黒いほうがいいでしょう。
ぼくの作品は警察の立場からは、価値のある資料という位置付けです。いっぽう、市民の立場からは、ちがいます。
警察四一を含めて、ぼくの作品は、ミステリーとして、受けいれられています。
ミステリーには色々な様式があります。とくに百年ほどまえ、戦前のころは、推理小説が確立されたばかりということもあり、書き方のバリエーションが豊かでした。オリジナリティのあふれた方式がつぎつぎと、世に出されていきました。
ぼくの作り方は、エラリー・クイーンにかぎらず、その黄金期の独自形式の流れを多数、汲んでいます。十戒二十則、類別表、伏線覚書、作中類別、手掛かり索引、評論類別、その黄金期の作品、もしくは評論本の引用のなかで、もっとも、古い下敷き、引用元は、アリストテレスでしょう。
文学を含めた万学の祖であるアリストテレスは、2000年以上まえ、「最良」の物語とは、「統一された脈略」のなかで、「変化」が起きるものだと述べました。
この変化が「探偵小説の形式」に沿っているというのが、100年ほどまえ、黄金期の論調になります。
殺人事件が最初に起きて、最後に解決されるという構図は、「筋道を有したおおきな変化」に、ちがいないでしょう。
ぼくの作品は黄金期の推理小説の影響が濃いため、この「物語上の変化」に、もっとも力をいれています。
そのひとつが読者への挑戦です。
物語上、最大の変化を遂げる直前の章だと伝えることで、作品内の変化を強調しているのです。
つまり、殺人事件をつぎの場面で解決するという通知です。犯人の指摘であり、仕掛けの解明であり、三答制の答えです。
この時点で、すべての準備を終えたという意味になります。
むろん、この準備はぼくだけでは成しえませんでした。警視庁の刑事、葛西署の刑事、みなさんの協力関係のなか、結果を出すことができたのです。
じっさい、すべての謎を解くというのは、簡単ではありません。血を吐くほどの炎が必要となります。頭のなかを針金が暴れまわるような苦悩が求められます。
解決の可能性をえては、否定され、さらなる難題がふえていく。
まるで、人生の比喩です。
とくに、こんかい、江戸川区で起きた連続殺人事件は、複雑怪奇なものとなっていました。江戸川区内に、死体の一部がつぎつぎと遺棄されました。多目的研究センターで殺人事件が起きました。その死体は密室内に置かれていました。
容疑者たちには、全員、アリバイがありました。
さらに、流血の金魚祭りの関連性が提示されます。白い蠍の暗躍が確認され、あたらしい死体まで、現出しました。
読者がカサイ袋の最愛を読んで、殺人事件の捜査は、簡単だと思う人のほうが少ないでしょう。三日間で、すべての謎が解けたのは、警察の働きがあってこそです。
ぼくにとって、みなさんにできることは、スピーチ内での感謝と、ぼくの乾いた拍手しかありません。読者にも、警察の奮闘を讃えて欲しいと思います。
外から見れば、たった三日で終息した、簡単な事件に見えるかもしれません。
しかし、けっして、順調な道のりではありませんでした。
作中の描写以上に、警察関係者のみなさんが、働きかけてくれたのです。
とくに、ぼくの旧友である藤堂平助は、先駆けという立場から、容疑者のアリバイを切り崩そうと孤軍奮闘してくれました。彼のひとつひとつの挑戦が失敗に見えたとしても、重要な情報を知る切っ掛けになったのです。彼の献身が、最後の解決に繋がりました。
それは手掛かり索引などを見れば、伝わるでしょう。
推理小説は、藤堂における勿論破文のように、絶え間ない試行錯誤があらわれるジャンルです。
常に、不可能とも思える否定が提示されます。
簡単には、犯人を逮捕できず、挫折ばかりがつづきます。
しかし、それでも、最後にはかならず、貴方の熱意が報われます。
ゆえに、前向きな生き方の示唆と呼べるのです。
ぼくはけっして、祝福された人生を歩んできませんでした。苦悩ばかりです。この書き方を成してえてしまうほどには……辛く、厳しい、荒波を経験してきました。
それでも、自分なりに足をとめなかったつもりです。
会場のうしろを見てください。ホテルボーイが大扉をもっています。中央の隙間からは、女性の影がのびています。……どうやら、ぼくにも、報われることがあったようです。
小学生の思い出、大観覧車にのったこと、ビッグサイトですごした時間、ぼくは、生涯、忘れることができないでしょう。
……ここで、白状します。じつは、このスピーチは、局長にたのまれたことなんです。
……ごめんなさい。
一課の捜査陣に、むずかしい事件にも、諦めずに、挑戦していくという熱意を伝えて欲しいと言われたのです。おおだぬきと呼ばれるわけです。無理難題でしょう。
ぼくに、できるわけがありません。
格式張った話し方を試してみましたが、思ったよりも、みなさんの反応が少なく、いま、断念していまいました。
……ぼくは人生経験も薄く、不束な人間です。
数分のスピーチで、みなさんの心を動かすことができるほど、饒舌でもありません。
ただ、作品のなかには、ぼくなりの、燃えたぎる炎をいれたつもりです。
それは、ことばよりも雄弁でしょう。
人間が生きていくというのは簡単ではありません。
理不尽な経験のほうが多いと言えるでしょう。
目のまえは暗闇ばかり、占めています。
しかし、ぼくたちは、生きています。
長い道のりを進むには、そのさきの炎を見ていかなければならないのです。
もちろん、何回も何回も、炎を消されつづければ、いつしか、光そのものが見えなくなってしまいます。
だからこそ、ぼくたちには、ふたたび、点火できる比喩が必要なのです。
ゆえに、推理小説の読了は生きていくうえで、必要不可欠であり、素晴らしいのです。
カサイ袋の最愛の後段には、類別プロット表がのっています。序章、本編、後日談、叙述曲のあいだまでに、476回の炎が登場しています。
熱意の炎です。
ぼくのことばよりも、この回数が意味をもつでしょう。
考えて創る。
476回こそが推理小説の特色をあらわしています。
じっさい、局長の要求に、ぼくが応えられたのかどうかは、わかりません。
先人たちがくれた炎に、とどいたのか。
貴方の心に、わずかでも、とどいたのか。
すべては、読み終わったあとにわかることでしょう。
貴方の目や胸や足に、その答えが出ているはずです。
会場にいるみなさんの捜査へのエネルギーになったら、幸いです。
そろそろ、ぼくの『コンテキストトーク』は以上です。……いまからは、ふたりの時間になりますが、そのあいだ、カサイ袋の最愛に目をとおしてくれて構いません。
これは幕間です。頭を整理する時間です。
ぼくが閑談しているうちに、犯人や仕掛けの予想などを思い浮かべることができたかと思います。いよいよ、解明する時間が来たのです。
いかにして、ぼくが事件を解決したのか、ようやく、あきらかになります。
ここまで、貴重な時間をくれたことに、感謝を申しあげます。
熱意の実る瞬間がおとずれました。否定ばかりつづきましたが、476回の燃えたぎる炎は、前向きへと集束するでしょう。
――どうか、この作品が、貴方の人生の類推解釈になりますように……。
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