二十一章 成海与一の覚醒

 肩の荷がおりると、視野が広がるものだ。成海はホテルのロビーで、大浴場の看板を見つけた。何度もとおり、目にしているにもかかわらず、はじめて、認識した。

「工藤さん、大浴場に行こうよ」

 フロアマップを指差した。大浴場は二階にあった。

「大浴場?」

「もしかして、もう、はいった?」

「ううん。部屋のお風呂しかはいっていない」

「ぼくもだ。部屋の浴槽も好きだけどね。テレビがついていて、豪華だった。でも、きょうは、ホテルに泊まる最後の夜だ」

「……そうね。あしたには葛西臨海公園を離れなくちゃいけない」

 葵も名残惜しいようだ。

「せっかく、大浴場があるんだ。はいらないのは、もったいない」


 成海たちは十五分後、いっしょに大浴場へと向かうことにした。ほんとうは、足並みをそろえる必要はなかった。大浴場までは、階段をひとつ、おりるだけだ。

 しかし、ふたりが疑問にもつことはなかった。

 大観覧車の蜜月は、お互いの気持ちを密接にしていた。成海にしても、自分の部屋にもどるだけで、半身を失った気分がした。となりに葵がいないことを寂しく感じていた。

 肩掛け鞄に、着替えをつめこんだ。手早く、準備を終えたあと、思い出したように、携帯電話をとった。藤堂の番号を押した。数コールで、繋がった。

「どうした?」


 藤堂の第一声は、期待にみちていた。さきほど、捜査に行きづまり、解散したばかりだ。わずか三時間後の電話だった。

 突然の連絡に、事情を察しているようだ。

「いま、だいじょうぶだったか?」

 たずねた。電話のうしろは、騒々しかった。

「構わない。葛西署の捜査本部に出ているが、ちょうど、出番が終わった。時間はある」

「さっきの去り際、藤堂がぼくに言ったことをおぼえているか?」

「ああ。もちろんだ」

「いまから、お願いしようと思ってね」

 藤堂の声が途切れた。携帯電話をもちかえたようだ。電話のさきで、身をのり出している姿が、想像できた。

「……わかった。なにを優先すればいい?」

 成海は、藤堂に犯人の行動を伝えた。犯人が寺崎の身体を分解しなければならなかった理由を説明した

「なるほど。……たしかに、証拠になるな。それが発見できれば、犯人を特定できるにちがいない」

「うん。容疑者のなかで、ひとりしか、あてはまらないからね」

「すぐに手配する。ほかにできることは?」


「――ある。関係者のまえで、いまの話をしたいんだ。ほかの証言と照らし合わせる必要がある。犯人を浮き彫りにできるかもしれない」

 成海は藤堂に三点を要求した。関係者一同を集めること、証拠品を陳列すること、殺害現場に立ち入ること、すべて、警察の協力が不可欠だった。

「わかった。むずかしいことではない。それで、彼らをどこに集める?」

「多目的研究センターだ。休憩室がいい。科捜研の分析結果を待ってからになるけど……」

「おそらく、あしたの昼頃には、わかるはずだ」

 メモを書いている音がした。沼田刑事の声が漏れていた。

「午後一時はどうだ? 署内の警察官も集められるらしい。安全確保も十分にとれる」

「いいね。午後すぎは、三浦さんの殺害された時刻でもある。天候も同じだ。二日まえに、なにが起きたのか、再現しやすい」


 成海は電話を切った。あとは、折りかえしの連絡を待つだけだ。部屋を出た。ドアをあけたさきに、葵が立っていた。

 彼女は後ろ手をかさねていた。廊下の壁によりかかっていた。

「藤堂くんは、なんて言っていたの?」

 電話の声がきこえていたようだ。

「事件の話だ。あした、関係者を多目的研究センターに集めることになった」

「わたしも行く」

「……知っている人たちばかりだ。だれが犯人でも、辛いことになるよ」

「わたしだって、第一発見者のひとりでしょう? 働いていた職場でもあるし、いないほうが不自然じゃない?」

「でも……、危険かもしれない」

「もう、嫌なことがあるからって、目を背けたくないの」心からのことばだった。

「わたしも成海くんといっしょにいたい。真実を目にしたい」

「……わかった。相手は三人を殺した犯人だ。ぼくとかたときも離れないように。いいね」

 うなずいた。成海は廊下を歩き出した。葵は笑顔で、駆けよった。となりにならんだ。成海と同じ方向を見た。背中でも横顔でもなく、さきを見つめたかったのだ。

 葵の決意のあらわれだった。


 ふたりは二階へとおりた。宿泊客が休むことのできる空間が広がっていた。

「ラウンジみたいだね」

 大浴場の手前だ。広いスペースの中央に、ソファー席、テーブル席、ベンチ席、一人席が置かれていた。廊下側には、水、お茶、ジュース、ビールの自販機が兄弟のように立っていた。

 成海は大浴場の案内看板を辿った。男湯と女湯の暖簾を見つけた。

 青色と赤色の分かれ道だ。古くは清潔を保つためだったが、現在の浴場は、まったく、べつの世界へとはいるアミューズメントになっている。もっとも、胸の高鳴る瞬間でもある。ちまたで、スーパー銭湯がふえているのも納得だ。

 戸口に手をかけた。ゆっくりとあけた。

「一時間後でいい?」

「ええ。ちょっと、おそくなるかもしれないけど……」

「構わないよ。仕事道具をもってきている」

「それじゃ、あとで……」


 暖簾をくぐった。靴を脱いだ。ポリ袋にいれた。貴重品のはいったかばんを鍵付きのロッカーにしまった。着替えを棚のなかに置いた。

 ふりかえる。木目調のタイルに、背の低い丸椅子が鎮座していた。うしろには洗面台、すみには扇風機と体重計があった。

「いいね。大浴場という雰囲気だ」

 成海は、汗でおもくなった服を脱いだ。あっというまに裸になった。生身に汗が感じられて、余計に気持ちが悪い。

 脱衣所の大鏡には、露わになった身体が恥じらいもなく、映し出されている。細身の身体に、繁殖期の豹のような、しなやかな筋肉がのっていた。仕事上、歩きまわることが多い。余計な脂肪は削ぎ落とされていた。

 なによりも、警察四一の取材の際に、教官に鍛えられた経験がおおきかった。成海は、日々の鍛錬を疎かにしていなかった。

 それだけ、教官への恐怖がおおきかったとも言える。


 成海はちいさいタオルだけを手にもった。獲物は目のまえだ。右腕をのばした。脹ら脛は、たくましく、隆起した。

 大浴場の戸口が湿った音を立てる。成海の顔は、さらに、おおきな肉食獣に食べられたかのように、白い煙につつまれていった。塩素のにおいが、成海の鼻孔をくすぐった。身体中、湯気のなかである。心の垢が溶け落ちていくような気分だった。

「ああ、いい気持ちだ」

 思わず、声が出た。口元を押さえる。入浴中の客はいなかった。ビジネスホテルの色が濃いからだろう。宿泊客の多くは、部屋風呂で済ましているにちがいない。

 成海は気兼ねなく、大浴場へと踏みいれた。

「まずは……」

 目で探した。洗い場を見つけた。椅子にすわった。シャワーの水を頭からかぶった。全身を綺麗にする。準備は万端だ。

 大浴場の湯船に向かった。タオルをお湯のあたらない場所に置いた。

「ふう」

 ゆっくりと腰を落とした。ジャグジーの泡が身体にあたっている。自然と顔が上向きになった。全面ガラス張りの大浴場だ。ガラス窓のさきは、中庭だった。

 天井からは夜空が見えていた。満天の星空だ。

 成海は旅の終わりを感じていた。


 いっぽう、同じホテル、すぐとなりの大浴場では、工藤葵が衣服を脱衣かごにいれていた。男性よりも着用数の多い分、成海よりも時間がかかっていた。

 あるいは、葵のほうが、浮き足立っていたからかもしれない。今昔の感は、すべての行動に、鮮やかな色をつけていた。

 昔の傷口は、成海のことばで癒やされ、あらゆるものに、艶やかな花が咲いていた。

 時間が経てば経つほど、古傷は愛おしくなり、成海への敬意が染みわたっていく。

 心情の変化は、葵を桜色の海に落としていた。

「わたしだけじゃなくて、成海くんも、わたしを見ていた……。考えてくれていた」

 順番に脱いでいく衣服は、理性の錠前にかわらない。成海への思いが自由に泳ぎまわっている。

 葵の想像力はとまらなかった。

 上着を脱ぐたびに、いまの成海の声を思い出した。下着を外すごとに、当時の成海の顔を思い出していた。

「もしかして、成海くんも……わたしと同じように……」

 脱衣かごに、鉄の音がした。彼女の声は、幼少期にもどっていた。

 しかし、身体は子どもではない。白いタオルを縦にもっても、葵の全身は、隠し切れない。タオルは彼女の両胸のあいだをとおり、太ももにふれていた。タオルの両端は、顔にも両脚にもとどかず、鼠蹊部がやっとだった。

 葵の瑞々しい身体は、彼女の年齢以上に、内向的な性格をあらわしていた。両胸のしたには、左右三段のくぼみが刻まれ、張力いっぱいに膨張している皮膚を、そのコルセットによって、革張りの肌へとかえていた。

 水滴をも弾くゴム肌である。彼女の艶やかな黒髪は、肩甲骨を疎らに隠し、背中側にも、妖艶な膨らみをつくっていた。湿気を含んだタオルは、女性らしい曲線に張りつき、弓なりになっていた。腹部からタオルが離れない。

 葵はタオルを内股に、はさんだ。

 両脚はひとつの尾にかわった。辿々しい歩き方で、脱衣所を離れた。

 大浴場への戸口には、ほかの女性客の影が映っていた。

 教室のドアにいたという成海を連想させた。

「成海くん……」

 横切る客にも気にせず、ことばが飛び出してしまった。口にした途端、また、大病がはじまった。恋の病だ。

 葵の身体はすでに、湯気よりも熱かった。内側からの熱をおびている。

 卑しくも、成海の孤立した原因が葵にあったことすら、いまとなっては、喜びにも、感じられていた。

 いっしょにいるときよりも、離れているほうが病状はおもくなった。熱が籠もれば、籠もるほど、透きとおった肌に、青白い線が浮きあがった。

 静脈の集中している下半身は、青さを際立たせている。

 成海を思い、足をひとつにして、青い肌をふるわしている。

 このときの葵は、人魚だった。

 成海に焦がれる人魚だった。

 葵は風呂桶をもった。湯船のお湯を身体にかけた。ようやく、タオルが離れた。タオルを四つ折りに畳んだ。左脚で身体を支える。右脚を湯船にいれた。大浴場に身体を沈めた。

 成海と同じ姿勢で、星空を見ていた。


 ふたりの考えていることは、同じだった。

 豹は人魚を思い、人魚は豹を思っていた。


 どちらも湯船の底に沈んでいた。腰を据えて、考えていた。工藤葵と成海与一の仕事は、きょうで終わりだ。

 もう、顔を合わせる理由はない。

 だからこそだ。決意を滲ませていた。


「アルカディアの入稿が終われば、もういっかい……会う機会がある。正真正銘の最後だ」

 わずかな緊張と恐怖が走った。

「そのときに、言わないと……わたし、成海くんのことが……」


 ことばを想像する。

 葵に緊張が走った。断れるかもしれない。

 想像を絶する恐怖が忍びよっていた。


 いっぽう、前日、藤堂に発破をかけられていた成海は、すでに、心の準備ができていた。お湯を顔にかけた。

 

 ちかい未来のほうに、頭を巡らせることにした。

 殺人事件のことだ。

 ――まだ、べつの問題を抱えている。

 成海は、はやめに、大浴場をあがった。

 ラウンジで、あしたのことを考えるのだった。


 翌朝、ホテルのチェックアウトを済まし、荷物を自宅へとおくった。

 多目的研究センターのまえには、藤堂が仁王立ちしていた。

「待っていた。証拠品は運び終えている」

「助かるよ」

 玄関をあけた。葵は廊下のすみで、待つことになった。椅子が用意されている。ぞくぞくと集まってくるにちがいない。

「関係者全員に連絡をいれている。午後には問題なく、集まるはずだ。念のため、葛西署の刑事たちが迎えにも行く。逃げられることもないだろう」

「ゴミ袋のほうは?」

「まだ、すべての検査は終わっていない」

 藤堂は仏頂面を崩さなかった。

「しかし、おおむね、成海の予想通りだ。暫定の報告書をコピーしてきた。見たいと思ってな」

「うん。これで、最終関門はクリアした。でも、殺人事件の犯人だ。まちがいはないようにしたい」

 成海は絶対的な納得を求めていた。それは『一』ではない。あらゆる角度から、ひとりの犯人を示す、複数のルートである。『三』が望ましかった。

「三浦さんの部屋は、そのままになっている?」

 成海は追補をはじめた。

「ああ、天井裏は一度、外して、鑑識課が回収したが、いまは部屋の床のうえに置いている」

「見やすくなっているんだね。好都合だ」

「なにか、手掛かりになるか?」

「ああ。ええっと……。カギは?」

「あいている。ふれてもいい」

 室内にはいった。

「随分とすっきりしたね」

「部屋同士の仕切りも、極力、外した。なにも見つからなかったがな。あしたには、もとにもどす。きょうかぎりだ」

「天井裏の踏み場がすべて、おろされている」

「ふたりで見に行った排気ダクトをおぼえているだろう。あそこまで繋がっている。埃のあとは落ちてしまったが、ホワイトテープで、アウトラインはのこしておいた」


「考えられるかぎり、万全の状態だ。おおよそ、電話できいたとおりだね。階下をのぞくことのできた場所、ふたの前後には、五指の痕跡がのこっている」

「五指の方向はすべて、三浦の死体へと向いている。人間の骨格の構造上、天井裏の内部からじゃないと、つけられない」

「そうだね。ただ、ぼくたちは、その話をきいた時点で、三浦さんの事件が第二の殺人事件だと、知らなかったわけだけど」

「まァ、そうだが……。なにか、関係あるのか?」

「すべてだよ。犯人もまた、思っていなかった。おかげで、疑わしい人物がわかったんだ」

 成海は割れた窓から外を見た。

 中低木のあいだは、透けていた。フェンスが見えた。斜めうえの照明用ポールには、アブラゼミがとまっていた。正午はすぎている。

「三浦さんの部屋は、これで十分だ。つぎは二階だ。すべての部屋を調べたんだよね。事件とは関係のない部屋も含めて」

「ああ。全員をかえしたあとに、徹底的に洗った。なにか、発見していたら、成海に伝えている。つまり、そういうことだ」

「ぼくは、多目的研究センターにどういった部署がはいっているのか。最初にきいている。それは……」

「第一生物系産業機構、第二生物系産業機構、水質環境研究所、イノベーション室、カルテ整理室だな」

「藤堂のあげた五つは、容疑者たちの所属先だ。じっさいには、ほかの部屋もあった」

「ほかの部屋?」

「ここだ」

「葛西臨海公園の倉庫? 水族園の名義のようだが」

「ほら、すみに書いてある。水族園の備品室だ。グッズのストックを置いた倉庫のようだ」

「まさか! 殺しに使ったなにかが隠されていて……!」

「いいや。置いていないだろうね」

「……はァ、だったら、どうして、事件とかかわりのない倉庫部屋に来た?」

 カギはあいたままだった。

 成海は早速、ダンボールを漁りはじめた。

「ペンギンのティーシャツ、淡水魚の図鑑、サメのシール、タコの小皿、うーん。見つからないな。もっと、おおきいダンボールかな。……あった。これだ。ガムテープが剥がれている」


 成海は袋にはいったぬいぐるみをもちあげた。

「なんだ、それは。どこかで見たおぼえが……。ああ、思い出した。きのう、見つけたクロマグロか。小屋の外にあった」

 大木の山に、埋もれていた。桐生が芦ヶ池を掃除したときに積んだらしい。

「ダンボールには在庫数が書いてある。のこっているクロマグロは四つのはずだ。しかし、ダンボールのなかには三つしかない。ひとつ、足りない。だとしたら、どこへと消えたのか?」

「芦ヶ池に沈んでいたと言いたいんだな。しかし、だから、なんだ?」

「……いまは秘密の話にしていたほうがよさそうだね。だれかにきかれていたら、たいへんだ」

「クロマグロのことを?」

 藤堂は苦い笑みを浮かべて、倉庫部屋を出た。

 このときは、重要な手掛かりだとわかっていなかったからだ。


「最後は休憩室だ。運び終わった証拠品のなかに、宇田川さんのノートパソコンやシンポジウムの動画があるよね」

「とうぜんだ。容疑者のひとりだからな。作為はなかったが、念のため、今週中は預かることになっている」

 一階におりた。廊下をとおりすぎた。話し声がした。

 玄関口に数人の頭が見えている。到着した者がいるようだ。

 彼らに構わず、休憩室へとはいった。

「シンポジウム中の動画を再生できる?」

「ちょっと待て。動画は警察のノートパソコンにはいっている。宇田川の持ち物を勝手に使うわけにもいかない。こっちを使う。……だいじょうぶだな。再生させるぞ」

「マウスを借りるよ」

 成海は二日まえの記憶を探った。当該箇所にシークバーを動かした。

 宇田川の声が響きわたった。


 ――われわれは、今岡さんのご厚意で、多目的研究センターのイノベーション室にある、研究業務用の電解水生成装置を使わせていただきました。

 ――ここさいきん、葛西臨海公園にある池で、緑黒い藻が大量発生していました。水槽のなかに浮いているのが見えるでしょう。このサンプルには、すでに電解水が散布されています。

 ――スクリーンに出ている写真が、以前のサンプルです。いま、目のまえに置かれている水槽は、一日以上、経ったものです。どうでしょうか。色素が薄くなっているのがおわかりでしょう。

 ――この水槽には、ふだんから芦ヶ池のサンプルをいれています。電解水を加えても、見た目、におい、すべてにかわりありませんでした。一見では、電解水を投与した事実は、わからないでしょう。しかし、このとおり、いま、手をいれても、おおきく汚れません。

 ――とうぜん、湖川の流れにより、薄まる電解水は、やがて、その効果を失い、自然内には一切、のこりません。一週間ほどで、検出もできなくなる。理想的な衛生面の向上と言えるでしょう。


 成海は動画を停止した。

「思ったとおりだ。殺人事件が変転した切っ掛けは、シンポジウムの内容にあったんだ!」

 休憩室のまわりが騒がしくなっていた。

「……時間だ。どうする?」

「ぼくの準備はできている」


 藤堂は廊下に出た。五分ほどで、もどってきた。

 藤堂を先頭に刑事が六人、あらわれた。見知らぬ強面たちのなかに、所轄の刑事である沼田と鑑識の佐久間もいた。成海はふたりに微笑みをかえした。

 制服警官が関係者をはさむように、はいってくる。休憩室のドアはとじられた。

 成海の指示したとおり、関係者は所定の場所へと誘導されていた。

 制服警官は立ちどまる。出入り口の警備をまかされているようだ。彼らは仕事の一部かのように、渋面を保ちつづけていた。


 この事件の関係者八人は、藤堂につれられ、四方にわかれた。だれもかれもが苦しそうに、呼吸をしていた。刑事と顔を合わせないように、顔をさげていた。

 加古ですら、目立った動きをとろうとしていない。


 全員一律の無表情は、異様な雰囲気作りを担っていた。彼らの緊張は刑事にも連鎖しているようだ。ほかの刑事は自然と、あとずさりした。長いテーブルから離れて、部屋のすみにならんだ。証拠品のまえには、成海しかいない。

 その成海は、全員の着席を待っていた。

 ひとりひとりが、案内されるまま、テーブル席へと向かった。

 椅子を引く音さえ、無音だった。


 窓際の席に桐生と亜紀がすわり、中央には加古、廊下側には宇田川、もっともとおい席に、秋田が腰をおろした。入

 り口にちかいソファー席には、葵、武部、小百合の三人がすわっている。これで、八人全員、そろった。


 彼らにとっては見慣れた休憩室のはずだが、リラックスしている雰囲気は、まるでない。

 あまりにも緊迫しすぎた沈黙は、はげしい息切れをうながしていた。

 いつ、だれが発狂してもおかしくない様子だった。

 二十人以上の男女が休憩室につめられている。

 お互いが緊密しているにもかかわらず、みな、無言だった。

 成海は努めて、笑顔で言った。


「みなさん、突然、多目的研究センターに集められて、たいへん、困惑していることでしょう」

 

 あかるい声が、不穏なそらを割った。

 さらなる焦燥のそらが沸きあがった。


 地上からとおすぎる宇宙を見るかのようなプリミティブな恐怖が、室内をみたしていった。

 たったひとり、朗らかな態度をとった成海は、本人の思惑とは反対に、多大なる存在感を示してしまった。

 不理解のなか、ただひとり、理解をえている。

 だれよりも異様な姿に映ったのである。


「警察四一の成海与一か……」

 加古がつぶやいた。


 成海はセントラルを左手にもち、指揮者のように立っていた。

 うしろには、証拠品が陳列されている。

 ありとあらゆるものを支配下に置いているようだった。

 そして、その印象は、あながち、まちがいではない。

 成海の目は、すべての真実を見通していたからだ。


 成海は全員の顔を見た。

「この一週間のあいだ、葛西周辺では、三つの連続殺人事件が起きました。三浦真さん、寺崎恭吾さん、桜井三津留さん。この三人は、たったひとりの犯人に殺害されたのです」


 事件の関係者は、はじめて知ったかのような、驚きの表情を浮かべる。

 成海は、気にせずにつづけた。

「そして、その犯人は、いま、このなかにいます」


 成海は一歩まえに出た。

 セントラルをはためかせた。

 成海の歩んできた道のりが記入されている。


「三日間、二十の示唆が、ひとりの犯人へと導いたのです」

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