七章 三つ目の四肢、斬りとられた左腕
「もしかして、警察四一の成海与一さんですか?」
「え、ええ。よくご存じですね」
「きのう、葛西駅で右腕が発見されたとき、われわれも応援で駆けつけました。バスロータリーで、貴方を見かけしています」
成海はていねいに会釈した。協力をえられそうだ。
成海はここぞとばかりに、質問をつづけた。
「答えられる範囲で、構いません。その不審者について、教えてくれませんか?」
「はい。われわれは午後四時まえ、人の多い場所に死体が遺棄される可能性が高いことを伝えられました。おっしゃるとおり、見回りが強化されたのです」
成海が指摘し、藤堂が命令を出したのである。
「わたしは行船公園を見たあと、教習所へと向かいました。教習所は終業時間になると、一気に人がふえるからです。そこで、わたしはフードをかぶった男とすれちがいました」
「フードをかぶった男?」
「ええ。最初に、葛西駅で起きた遺棄事件でも、監視カメラに映っていたようです」
成海の記憶の片隅にも、のこっていた。黒いフードだ。
「こいつは、あとから知ったのだけれどな」
もうひとりの警察官が茶々をいれた。
「声をかけようとしたところで、悲鳴がきこえたんです。悲鳴のほうを優先するのは仕方ないでしょう」
「そのとき、左腕が発見されたんですね?」
「はい。教習所のちかくに神社があります。その鳥居のまえに、立てかけられていました。目立つように置かれていたので、すぐにわかりました。わたしは無線で応援をたのんだあと、不審者を追いかけたのですが、すでに姿はありませんでした」
「相手からしても、間一髪だったのでしょう。その不審者も、パトロールがふえたことに気がついたはずです」
成海の顔が曇った。
「四肢の部位は、まだ、右脚がのこっていますが、つぎは、時間があくかもしれませんね。警戒しているはずです」
「パトロールとはいえ、ふたりで動くべきだったかもしれないな。おれは、てっきり、行船公園のほうに遺棄されると思っていたから、あっちを張っていたんだ」
「流血の金魚祭りという前例があったからですね」
「ああ。だが、それだけじゃない」
成海の目が一段とひらいた。
「葛西橋の自動車教習所の周辺にも、かつて、事件が起きていたことを忘れていた。二度あることは三度ある。おれの手落ちだ」
「流血の金魚祭りのまえですか?」
「ああ。ここの交番は、一時期、かなり忙しかったんだ。教習所のちかくに、暴力団が隠れ家にしていたビルがあったようでね」
「……暴力団。まさか、相川会ですか?」
葛西橋はガサ入れした場所に数えられていた。最初の遺棄事件の際、藤堂から地名をきいている。ファイルにも記載されていた。
「そうだ。当時は、正確な場所を突きとめられないまま、葛西橋の周辺で、いざこざが多発していたんだ。三ヶ月まえに、大規模な強制捜査があって、そのビルも潰されたんだがな」
「しかし、五年まえは健在だった」
成海はたずねた。
「わたしは葛西署の沼田刑事から目のまえにある、行船公園で、相川会と半グレ集団が衝突したときいています。相川会がちかくにシマをもっていたのなら、金魚祭りに顔を出していたのもとうぜんですね」
警察官は口唇を噛んだ。思い出しているようだ。
「当時、公園内で暴れていた相川会の連中は、ほとんど、捕縛した。それからはおとなしくなった。葛西橋も静かだったんだ。しかし、こんどは遺棄事件に巻きこまれることになった」
「たいへんですね」
「住民に、あまり目撃されなかったのが、せめてもの幸いだ」
「貴方は流血の金魚祭りの現場に居合わせたのですか?」
「まァ、いちばんちかい交番だったからな。おれが指示を出した。死体を隠すことに必死で、強盗の発生まではとめられなかった。いまでも後悔しているよ」
「……殺しまで起きれば、手がまわらなくなるでしょう」
成海は慰めた。
ベテラン警察官の苦悩が見てとれた。
「緑川大学の学生が刺殺されたときいています。どういった状況だったか、教えてもらえませんか?」
「背中側から一突きだった。出血死だ。かばんから財布や学生証も見つかった。身元はすぐにわかった」
「偶然、居合わせたにしては、学生の刺された箇所が気になりますね。背中を刺したのならば、逃げているところを刺したことになる。もしくは……」
殺意をもって、被害者の背後に忍びより、心臓を刺した。
「被害者はまだ、若かったときいています。相川会と半グレ集団は、被害者と同年齢だったのですか?」
「いいや。どちらも三十代半ばの構成員だった。じっさいに、捕らえた現場にいたから、まちがいない」
「人違いは考えにくいですね。なにか、裏がありそうだ」
成海は交番内の時計を見た。約束の時間がちかい。
成海は交番から出ようとした。ふと、足をとめる。
「殺害された緑川大学の学生の名前をご存じですか?」
「いやあ、五年まえだからなァ。流石に……」
藤堂から受けとったファイルにものっていなかった。
「でしたら、事件が起きたときに、被害者の同行者がいたかどうか、知りませんか?」
「たしか、ひとりだったはずだよ」
「そうですか」
「ああ、でも、ふたりで歩いているところを見たという目撃証言もあったな。男性か、女性か、わからなかったらしいが……」
「名乗り出る人もいなかったわけですか。……奇妙ですね。わかりました。ありがとうございます」
成海は停留所にもどった。すでに、葵と亜紀が待っていた。
一日経ち、亜紀の顔色はもどっていた。
しかし、いまから刑事と顔を合わせることもあって、憂いの表情を見せている。
「亜紀さん、ぼくも同席することになりました。少しでも、真犯人に迫れるように協力するつもりです」
「たよりになります。どうか、お願いします」
「殺人事件が起きるまえのことを知りたいのですが」道すがらにきいた。「気になる出来事はありませんでしたか?」
「そう言われても、なにが、事件に関係しているか、わたしにはさっぱり、わからなくて……」
成海はひとまず、加古の話の裏をとることにした。亜紀も天井裏に、コチドリがはいった件を耳にしていると答えた。休憩室での会話内容に相違はなさそうだった。
「そのとき、公園の清掃員である桐生さんが顔を出していたそうですが、よくあることなんですか?」
「そうですね。さいきんは多かったです」
「桐生さんは、なんのために?」
「水質環境研究所と協力していたはずです。池の状態を調べるためです」
水質環境研究所は、容疑者のなかでは、秋田の所属している機関だ。
「あとからイノベーション室、生物系産業機構も加わって、ここ三日間は、共同研究を進めていたはずです」
「研究員と清掃員が大々的に協力ですか。珍しいですね」
「宇田川室長の指示もありましたからね。室長は公園内の清潔面の向上を目指していました。対外アピールのためです。桐生さんは公園事務所の清掃員です。彼と協力することが、公園の一員を示すことになると企んだんでしょう」
「なるほど。桐生さんは室長の指示のもと、多目的研究センターと協力していた。彼は公園内の清掃をしている立場から、おとずれていたのですね」
「ええ。バケツを片手に、室内にはいるところをよく見ました。水質環境研究所に置いてある水槽のなかにいれていましたよ。それに、多目的研究センターは林や池のあいだにあります。困ったときには、桐生さんに相談していました」
「困るようなことがあったのですか?」
「些細な話ですが……」
「構いません」
「多目的研究センターの横に、芦ヶ池があるのを見ましたか?」
「ええ。見ました。おおきな池ですね」
「葛西臨海公園には、たくさんの池があります。芦ヶ池は、そのなかでも、とくにおおきい池です。多目的研究センターのそばまで流れています。ただ、それが問題になって……」
「どうしたのですか?」
「苔や藻が大量に発生したのです。二ヶ月ほどまえからです。プランクトンが原因と言っていました。とにかく、強いにおいが出て、水面も黒く汚れていました。多目的研究センターの部屋のなかにも、においがとどいてしまって……」
「たしかに問題ですね。水質環境研究所と桐生さんがさきに協力していたのも納得です。水質の問題でしょう」
亜紀によれば、三日ほどまえに、シンポジウムで発表することを、宇田川室長が思いついた。水質の改善を共同研究にかえたようだ。各部署のトップが独断できめた。亜紀たちが知ったのは、シンポジウムのあとだった。
「ちょうどよかったのでしょう。芦ヶ池の水質問題を解決すれば、多目的研究センターの必要性にも繋がりますからね」
「ええ。ほかの研究員が驚いていました。いきなり、ほかの部署と協力することになって。お互いの部屋を出入りしはじめたので……。室長はあのとおり、強引です。部下に相談しなかったようです」
成海はセントラルスケジュールに書きこんだ。
「――宇田川室長は、三日まえ、急遽、池の水質を改善する研究を、多目的研究センター全体で、取り組むことにきめた。各部署のトップしか知らず、混乱が起きた」
穿った考え方をすれば、シンポジウムで発表する内容を急につくりあげる必要が生まれたのかもしれない。たとえば、アリバイを作為するためだ。
彼の発表は展示ホールという場所、アリバイに関与している。
三浦の死体を発見したことも、計算されたものかもしれない。室長が彼の部屋を借りていたのだ。宇田川の立場ならば、死体の発見される時間をきめられる。
「……桐生さんは、池のサンプルをとどけていた……」
成海は気もそぞろに言った。
「はい」
亜紀は目をおおきくした。思い出している。
「そういえば、二日まえにも顔を出していました。休憩室の窓の外です」
「どういった用事ですか?」
「池の水があふれてしまった件の報告でした」
「水があふれた? 二日まえに?」
東京で大雨のふった記憶はなかった。
「はい。芦ヶ池は水底から排水しています。ふだん、敷地内まで池の水がとどくことはないのですが、三日まえは玄関扉にまで流れていたのです。わたしは事務所に電話しました。芦ヶ池の確認を桐生さんにたのんだのです」
「氾濫はプランクトンによる水の汚れとは、べつの問題ですからね」
「ええ」
「じっさいに見てもらったわけですね」
「電話したときは夕方でしたので、翌日、調べてくれたようです。おととい、桐生さんから窓ごしに報告されました。大木が排水用の水路に、はさまっていたようです」
「ああ、きのう、作業しているところを見ました。池から外に運んでいました。あれは大木だったんですね」
黒く汚れていた。藻が張りついていたのだ。
「事件に関係ないことですよね。ごめんなさい」
「いえ。おかげで、休憩室に集まる習慣があることがわかりました。コチドリのときと同じですね。桐生さんが窓から顔を出していたのは」
ただし、天井裏の話とはことなり、三浦と寺崎は不在だったらしい。
「会話していたのはわたしだけですから、みんな、おぼえていないかもしれません」
「しかし、不在はふたりだけですか。みなさん。よく、休憩室に集まっているようですね。とうぜん、お互いに会話することもあったでしょう。……ところで、橋口さんは、休憩室にいるとき、どなたかの口論を見ていますか?」
亜紀は目を細めた。記憶にとおいらしい。成海は、率直にきいた。
「でしたら、盗用の噂をききませんでしたか?」
被害者の部屋に、盗用にかんする手紙がのこっていた。成海は加古の話を遮った宇田川の態度が気になっていた。宇田川は三浦に部屋を借りる程度には、親しかった。宇田川が盗用にかかわっていてもおかしくない。
そうなれば、三浦を殺害する動機にもなる。
「わたしはきいたことがないですね。少なくとも、休憩所や事務室では、盗用ということばをきいていません」
「そうですか。では、もうひとつ、いいですか?」
「はい」
「殺害された三浦さんと寺崎さんがもめていたようなのです。加古さんからきいたのですが」
「えっ」
「ぼくは加古さんから断片的な内容をききました。お金のやりとりのようでした。ふたりに借金などの話はきいていませんか?」
「うーん。ここの研究員の方々は、給与もいいときいています。どちらも、お金に困っているようには見えませんでした」
成海は考えこんだ。
多目的研究センターのなかで、表立った騒動は、起きていなかったようだ。
おおきな秘密だったら、加古のように、盗み聞きでしか、知りえないのかもしれない。盗用の件も刑事の藤堂を伴った場所で、きいたほうがいいだろう。
「あっ!」亜紀は高い声を張りあげた。
「なにか思い出しましたか?」
「成海さんの言ったふたつとは、ことなりますが、加古さんが以前、凄い剣幕で、寺崎さんに怒鳴っていたところを見ました」
「医師の加古さんと研究員の寺崎さん……。意外ですね。関係性がないように思える。両者の間柄でもめるって、余程ですね」
「意外にもと言ったら、失礼ですけど、寺崎さんに非があったようです。加古さんはふだんから大声で話します。廊下からきこえてきました。口論の内容もおぼえています。多目的研究センターは以前、大学病院だったのですが……」
「はい。きいています」
「その名残で、いまも、病院関係の部屋が二室、あります。一室は大学病院のカルテ室です」
殺人事件が発覚したあと、廊下で加古と出会った。
彼は一階の奥側のカルテ室にいたらしい。
「もうひとつが二階の衛生実習室です。この実習室に、寺崎さんが無断ではいっていたのです」
「へえ……」
「そこを加古さんが見つけたようなのです。寺崎さんは罰の悪そう顔で謝っていました。加古さんは、殺すような勢いで、怒鳴っていましたよ」
「実習室はあいたままだったのですね。二階のカギを開け閉めしているのは、加古さんだったのでは?」
「ええ。ただ、自分のミスを気にする人はないですからね」
ことばの節々に厄介者という認識があるところが伺える。
「寺崎さんはなにをしていたのでしょうか? 煙草でも吸っていたんでしょうか?」
「ちがうと思います。寺崎さんは、煙草を吸わない人でした」
「だったら、電話でしょうか?」
「多目的研究センターは、簡単に屋上へと出られます。煙草でも電話でも、屋上に行ったと思います」
「つまり、寺崎さんには、衛生実習室に、はいらなければならない用事があったことになる。気になりますね」
亜紀は室内にはいっていないらしい。
どうして、寺崎は、衛生実習室に無断で侵入したのか。
その理由は当人か、加古にきくしかないようだ。
「橋口さんから見て、寺崎さんはどういう男性ですか?」
「綺麗好きですね。はやめに、ゴミを出しているところをよく見かけます。年齢はわたしより、少しうえでしょうか」
三十歳手前のようだ。緑川大学の卒業生だろう。五年まえは、二十代前半だと考えられる。流血の金魚祭りの被害者と同年代だ。
成海は寺崎に関心をもちはじめていた。
「きのうは寺崎さんの姿を見ませんでした。みなさん、不在を気にとめていませんでした。留守にしていることが多いのですか?」
「そうですね。彼は緑川大学農業食品イノベーション室の主任研究員です。多目的研究センターのイノベーション室は支部です。本部は江戸川区の清新町にあります」
清新町は荒川と中川の合流地点にある。
「緑川大学の敷地内に、イノベーション室の施設があるときいています。生物系産業機構と水質環境研究所の本部も区内にありますが、緑川大学のほうが近隣です」
「ほかの部署とはことなり、寺崎さんは本部で研究する選択肢が選べるわけですね。留守も、ままあると……」
「ええ。それに、昼夜が逆転している場合もあります。昼に来ているとはかぎりません。多目的研究センターは、夜でも出入りが自由ですからね。わたしのような事務員は定時でかえりますが、彼らはべつです」
「そうか。オートロックだから、研究員以外にはいれない。しかも、公園内の施設だ。公園内には交番がある。ほかよりも治安はいい。研究員にとっては、好ましい」
「はい。ですので、昼間にいなくても、夜に来ていたかもしれません。そうでなくても、本部と行き来できる距離ですから……」
「夜中の出入りは確認できないのですか?」
「むずかしいでしょう。偶然、顔を合わしたときくらいだけでしょうね。多目的研究センターは、もとは、仮設の病棟です。室内に浴室とトイレが備わっているんですよ。給湯設備だって、あります」
どの部屋も殺害現場と同じ間取りのようだ。
「簡単な食事だったら、外に出る必要がありません。事務室も同じです。わたしたちも、廊下に出ることが少ないんです」
「夜中に、だれがのこっているかはわからない……」
「はい。朝まで寝ている人だって、いるみたいです」
「おかしいな」
三浦を殺したのは内部犯のはずだ。夜ならば、三浦を簡単に殺すことができる。とうぜん、犯人にもわかっていたはずだ。
しかし、じっさいには、午後二時すぎに殺しが起きた。わからない。突発的な殺しなのだろうか。知れば知るほど、不可解に感じられた。
成海たちは葛西臨海公園を歩きつづけた。反時計回りに多目的研究センターへと向かった。大観覧車を横切り、屋根が見えてきた。
「これから、アリバイの確認がはじまります」
「……はい。わかっています」
「午後一時三十分ごろには、三浦さんの存命が確認されています」
宇田川と秋田が会話している。被害者は解剖によって、午後二時から午後三時のあいだに、死亡していることは判明しているが、この事実は伝えなかった。
「ぼくたちが来るまで、橋口さんはなにをしていましたか?」
「わたしは事務室で仕事をしていました。さっき、言ったように、廊下に出ることはありませんでした」
「休憩室には行きませんでしたか?」
「二十分ほど、出ました。ほかの事務員といっしょです」
「何時ごろですか」
「午後三時半だと思います」
死亡推定時刻をすぎている。多少のずれを考えれば、犯行できなくはない。しかし、排気口から進む時間を考慮すれば、致命的な時間差になる。
余分に、三十分は必要になるからだ。
「休憩室に、だれかいましたか?」
「きのうは、シンポジウムがありましたので、だれもいませんでした。あとから加古さんがはいってきました。夕方の四時まえだったと思います。わたしたちといれちがいでした」
「橋口さんは、ほかの事務員といっしょに、事務室を出ましたか?」
「いいえ。少し時間差がありました。わたしがさきに出て、五分ほど経って、合流しました」
「仕事中、顔を合わせましたか?」
「話しているときもありましたし、黙っているときもありました。それに……」
「どうしたのですか?」
亜紀は不安そうに葵を見た。葵は黙って、うなずいた。
「事務室は複数の部屋から仕切りを外して、大部屋にかえたものです。一部には、壁の仕切りがのこっています。その壁は出入り口のドアをはさんでいます。両側に仕事机があって……」
受付、電話番、書類、三つの仕事にわかれているらしい。
「わたしとふたりのあいだに、壁の仕切りがあるのです」
「そういえば、ぼくたちが来たとき、橋口さんは受付にいましたね。ほかのふたりが貴方は目撃しているのかは、わからないと……」
だれにも見られずに部屋から出ることができるかもしれない。殺害が可能だったと見なされても、おかしくない。
「わたし……どうしたら……」
「正直に答えることが重要です。ほかの事務員と証言の照らし合わせも行われると思います。万が一、目撃されていなくても、殺害が可能だったという状況証拠だけでは、逮捕はされません。安心してください」
「そ、そうですよね」
多目的研究センターの表玄関に着いた。
ふたりの制服警官が名前を確認する。亜紀だけをつれていった。
「だいじょぶうかしら」
「藤堂は容疑者への調査になると、強引になるからな」
「そう。わたしが同級生だったころの藤堂くんは、ていねいで紳士だったけど……」
「そうかな。藤堂は小学校からかわっていないよ。どうやら、ぼくの印象とことなっているようだ」
「成海くんといるときは、藤堂くんも好きに話しているんじゃない。思ったことを口にしているように見える」
「えっ?」
「成海くんがいたら、自分がまちがっていても、すぐに訂正してくれるでしょう。きっと、成海くんがいるから、捜査のとき、強引な態度をとっているのよ」
「うーん。飴と鞭か……」
成海は複雑な心境になった。
午後一時まで、あと五分だ。きょうの成海の仕事は多そうだった。夕方にかけて、五人の容疑者があらわれる。
すべてに同席することになっていた。おそらく、夕方までつづくはずだ。
「藤堂は長くても、ひとり一時間だと言っていた。工藤さんは、ホテルにかえっていていいよ。終わったら、連絡する」
「ううん。ちかくで待っている」
制服警官がふたたび、外へと出てきた。
成海のほうに、顔をさげた。出番のようだ。オートロックのドアはひらいたままだった。成海は葵をのこし、多目的研究センターにはいる。休憩室へと向かった。
廊下を歩いた。目当ての場所で立ちどまった。
成海はドアをひらくまえにつぶやいた。
「藤堂はきっと、橋口さんが目撃されないように外へと出て、排気口から侵入したと考えるだろう」
成海は両目をつぶった。頭をからっぽにした。心の整理をはじめる。
殺人事件は、夜の交差点とかわりない。信号が灯っている。
午後二時から午後三時のあいだ、三十分ほど目撃されていない時間があれば、青色だ。赤色のランプは消える。青色の時間のみ、殺しを進められる。
密室という不可能が可能にかわる瞬間になる。犯人は青色のランプを見て、アクセルを踏んだ。三浦の首を引いた。
いま、そのスピード違反に、ねずみ捕りが待っている。過去の違反を現在、取り締まろうとしている。刑事の宿命だ。
成海は注意ぶかく、道路内の出来事を精査しようと決意した。じっさいの速度超過とはことなり、目にできない姿を見るのだ。それが殺人事件の捜査である。
五人の容疑者が黄色に点滅している。
ひとつたりとも、まちがえてはならない。
にかい、ノックする。
「どうぞ」という声がかかった。
成海は黙って、ドアはひらいた。
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