寝たきりだったときに毎日お見舞いに来てくれてた顔を知らない幼馴染みと再会した話
誇り高き午池
第1話
7才の頃、俺は交通事故に巻き込まれた。
小学校からの下校中、横断歩道を渡っていたときにトラックに跳ねられた。隣町の大型病院に緊急搬送され、意識が戻らず生死を彷徨った。後にトラックの運転手は過失致死で起訴され、現在どうなっているかは知らない。お医者さんの尽力でなんとか一命を取り留めたが、目を開くことも、言葉を話すこともできない状態だった。そして頭を強く打ち付けた代償に、事故より前の記憶が曖昧で、家族以外の人との繋がりを一切思い出すことができなかった。声で家族の誰がお見舞いに来ているかを判断していた。ただ1人、毎日お見舞いに来てくれていた少女の声を俺は誰なのか思い出すことができない。今日の学校で楽しかった話、友達ができた話、苦手な食べ物を克服した話、入院してた1年間、毎日欠かさずお見舞いに来ては色々な話をしてくれた少女。頷くくらいのリアクションしか取れない俺に、毎日楽しそうに笑って話をしてくれた。いつか必ず思い出して会いに行って、精一杯の感謝を伝える。そう心に決めていた。一年が立ち8才の頃、両親が淡々と準備を済ませ、アメリカの病院に転院することが決まった。妹が幼稚園児だったため、母と2人でアメリカに渡り、父と妹は日本に残った。祖父母が良くしてくれていたみたいで、妹も寂しい思いはせずに過ごしていたらしい。年に数回は父と妹もアメリカに来てくれて、記念日を一緒に過ごした。アメリカの病院では身体の麻痺に特化した最新の医療マシンがあるらしく、その治療を受けた。転院してすぐ手術が行われ、術後半年程で俺は目を開くことができた。しかし、脳のダメージは時間で回復を待つしかないと言われ、記憶を元に戻すことはできなかった。身体もリハビリのおかげで順調に回復していき、12才になったくらいの時に、退院し日本に帰国した。久しぶりの日本で一番感動したのはやはり、食事が美味しすぎたことだ。アメリカはとにかく量が異次元で、病人食とは思えない量の食事が結構の頻度であり、父と妹からは将来フードファイター呼びをされていた。アメリカのジュニアスクールを卒業していたため、中学校入学が日本での再スタートだった。中には同小で俺の事を覚えている人がいて、昔話をしてくれていたが、俺は一切覚えていないため申し訳なかったが適当に相槌を打って誤魔化していた。地元の中学に入学してすぐに、お見舞いに来てくれていた少女を宛もなく探した。家族に何度も少女のことを聞いたが、なにかと話題を変えたりと1つも情報を教えてくれなかった。何度も聞いたり、軽い脅しで言わせようとしてた時、ついに母が話してくれた。
「あの子からのお願いなのよ、楓に教えないでって」
ごめんねと優しい目で話す母に、俺は理解した。あの時の少女が会いたくないと言ってるなら、俺が会いたくても会わない方がいい。俺はそう結論付けた。今にも直接言いたい膨大な感謝の気持ちを胸に押し留め、今生きている幸せを噛み締めて進むこと誓った。
中学校を卒業し、地元の高校に入学した。現在16歳。ピッカピッカのー1年生だ。
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