第2話 家康、You吉良家継いじゃいなYO!
「単刀直入に申そう。家康殿、我が吉良家の家督を継いではくださらぬか?」
言われた家康が目を白黒させてる。礼法から言うと、この頃の
「また突然な……」
そう言うのも無理ないよね。突然会いたいと言ったあげくに人払いして言い出したことがコレだもん。
だがしかし駄菓子菓子、ここで引いては我が吉良家は百三十五年後に滅亡である。滅亡の日まであと49275日、49275日しかないのだ! 急げ吉良ヤマト、
「家康殿は、最近、三河守任官のために結構ご苦労されているご様子」
「いかにも……」
苦虫を噛みつぶしたような顔で同意する家康。戦国シミュレーションゲームとかだと朝廷に献金すりゃ簡単に官位くれるんだけど、実際は前例とかそういうのが邪魔をする。家康も三河守任官のために、一時的に藤原氏に改姓するみたいなことやってるんだな。それも、祖父の清康公の代から自称してた「清和源氏新田氏の支流である世良田氏の更に支流の得川」あたりを根拠にして。それで家康だけ「徳川」を名乗ることになる……史実では。
これ、家中の統制と対外的な箔付けのためなんだよね。三河の支配者として正統性があるんだぞと権威付けするための。
何しろ、松平は支族が多い。十八松平とか言われてて、一応、家康がトップってことになっているけど、「本当はウチが本家」とか「元をたどればウチの方が上」みたいな松平がゴロゴロいて統制しにくい。そこで、自分だけ別格にする権威付けが必要だったワケだ。
また、三河守というのは朝廷の官職で、武家にとっての意味は本来あまり無いのだけれども、やはり三河国の支配者としての箔付けと対外的な正統性の主張の元にはできる。
なもんで、史実ではあちこち無理筋言って系図買いみたいなことして、朝廷から「清和源氏新田氏の支流の得川氏が藤原氏に転じた徳川家」として認めてもらって「藤原氏なら三河守任官の前例がある」として三河守にしてもらったわけだ。新田支流の清和源氏には三河守任官の前例が無かったから、いちいち藤原氏に改姓する必要があったんだと。
しかしながら、三河守任官の前例が無いのは「新田氏支流の清和源氏」である。「足利氏支流の清和源氏」なら直近で前例がある。今川義元である。今川義元の官位というと、
そして「足利氏の支流の清和源氏」ということなら、我が吉良氏は今川氏より格上なのである!(どどーん!!)
「御所(足利将軍家)が絶えれば、吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ」
なんて俗に言われてるぐらいなのである。
なので、こう言えるワケだ。
「家康殿が我が吉良家の家督を継いでくだされば、三河守任官は簡単に通りますでしょう。足利氏支流の義元公が任官されておられる。我が吉良家は足利氏支流の清和源氏ですからな」
「なるほど!」
膝を打って納得する家康。だが、すぐに思案顔になって問い返してきた。
「それで、義安殿は良いのですかな? ご嫡子もようやく三歳になったばかりでしょうに」
「なればこそ、ですよ」
「はて?」
「家康殿に吉良家を継いでいただければ、我が子は家康殿の義弟。従兄弟よりも強い絆で御庇護いただけるでしょう」
重ねて言うが、我が妻は清康公の娘なので、我が子(将来の義定)は家康の従兄弟にあたるのだ。しかし、その程度の縁でしかないとは言える。何しろ、この子が生まれる前後には我が弟の義昭が三河一向一揆で家康に逆らって滅ぼされているのだ。戦国乱世の縁故関係なんぞ、その程度でしかない。
だが、さすがに養子になって家督を継ぐとなれば、養家の者を粗略にはできない。無理筋で負けた相手に跡継ぎを押し込んだ北畠信雄や神戸信孝、小早川隆景あたりとは違い、名家側である我が吉良家の方から申し出ているのだ。そう、ポジションとしては、この次に例に挙げる所と同じになるのだ。
「上杉
「なるほど……」
越後守護代の家系だった長尾弾正少弼景虎は、桶狭間があった翌年に
なお、この上杉家と我が吉良家は、それこそ義央の頃に深い縁ができていたりする。義央の嫁が上杉家の姫なのである。それで、当主が急死したときに跡取りがいなくて御家断絶しそうになっていた上杉家に義央の息子が養子に入り、その子(義央にとっては孫)の
滅亡例の方の土岐家は斎藤道三に滅ぼされた。斯波家の方は、信長に反抗したあげくに追放された……もっとも、その反抗のときに一緒に焚きつけたのが我が弟の義昭なんで他人事のように論評しちゃいかんのかもしれんけど。
「さらに言えば、都の将軍家のこともござる。さすがに足利支流の者として、まさか『御所が絶えれば』が本当に起こりうるなどとは思いもせなんだことで……」
そう、つい先年、永禄の変が起こってしまったのだ。第十三代足利将軍義輝公が三好勢に攻められて討死したのである。それを思い出して黙り込む家康に、たたみ込むように吾輩は言いつのった。
「この戦国乱世も極まり申した。もはや古き権威のみが通じる時代ではござらぬ。されど、上杉弾正少弼のように、力有る者にとっても権威はまだ使えるもの。家康殿、貴殿の才覚は氏真ずれに十倍する!! 貴殿の才覚に、今川を上回る我が吉良の権威を重ねれば、東海道に敵は無い! 貴殿ならば駿、遠、三の主として海道に覇を唱え、『海道一の弓取り』の名を継ぐことができよう!!」
劉備が孔明に後を託したときの言葉をパクった吾輩の激語に家康の目がギラリと輝いた。よし、乗ったな!
「分かり申した。義安殿、そのお申し出、ありがたく承ろう! この家康、吉良の家督を継ぎ、海道に、いや天下にその名を轟かせてご覧に入れようぞ!!」
立ち上がって叫んだ家康の前で、吾輩は深く平伏した。
こうして永禄九年(一五六六年)、松平家康は吉良家の家督を継いで吉良家康となり、同時に三河守に任官した。
それを見届けた吾輩は満足した。これで、我が吉良家は将来の吉良将軍家の「本家」になれたのだ。権力は無くとも権威として尊重されるポジションが確定したのだ。万が一にも赤穂浅野家ごときに相打ちで潰されるようなことにはならんだろう。
かくして三河支配の正統性と、今川家を上回る権威を得た家康は水を得た魚のように家中を厳しく引き締めながら今川家を激しく攻め立てだした。
それに協力していた吾輩であったが、永禄十一年(一五六九年)に流行り病に感染してしまい、無念にも史実通りに三十三歳の若さで病没したのだった。
……というところで目が覚めた。
何でぇ、夢オチかよ!
と、思っていたときもありました……。
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※毎日19:30の投稿で、全5話予約済みです。
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