ヘタに足利家名門だったから、上杉家に養子とかそんなことになって、タイヘンな吉良家ですね。
足利家に世継ぎがいなかったらそのあとを継げるという都市伝説(?)まであるのに、あの事件のせいで酷い評判になってしまった吉良家。
このままタヌキを養子にするのはいいんですけど、家格が一挙に今川を飛び越えてsむので、織田とのバランスとかどうなるんでしょうか^^;
面白かったです。
ではではノシ
作者からの返信
お読みいただきまして誠にありがとうございます。
そう、この話でも今後何度か出てきますよ「御所が絶えれば吉良が継ぎ」(笑)。
今川家臣の切り崩しには多少有利になりますが、織田とのバランスは崩れないと思いますね。この世界線では、あまり史実との乖離は無いことにしています。
本当は家格が今川より上になったんで、築山殿の自信と家康を見下す根拠が無くなり元気を失って早世してしまい、信康が武田と通じるルートがなくなって生存とかも考えて、二代将軍信康(関ヶ原でも信康が指揮)になったものの、男子が無かったので「駿河大納言秀忠」の息子を養子にして三代家光にするみたいな形の歴史改変も考えたんですけど、短編だと収集がつかなくなりそうだと思ってやめたんですよ。
楽しんでいただけたのでしたら嬉しいです。
コメントありがとうございました。
義央さん、性格的にはアレだったという記録は嘘なのかな。
南部家かどこかに招かれて、飯クッソまずとか言っちゃって料理人ブチ切れさせた話とか。
作者からの返信
お読みいただきまして誠にありがとうございます。
そのあたり、本当にアレだった説もあるんですが、後付で悪い評判立てられたというのも、今の世の中のマスコミ報道見てもありそうだなあと。事件起こす前の某通訳氏の評判と、事件後の評判比べてみると……(笑)。いつの時代であれ水に落ちた犬は叩かれるものですから。
まあ、実際に嫌味な性格とか言葉使いが悪くて、瞬間湯沸かし器な性格の浅野内匠頭をブチ切れさせた可能性もあるんですが。
その一方で、後付で塩田開発したとかいう評判が立てられたりもしてるんですよね。今ではそれもデマだったというのが通説のようですが。
コメントありがとうございました。
幕府からみると浅野内匠頭長矩、問題だらけの人物だったらしいですね。
しかも赤穂藩が取りつぶしなって赤穂の領民が喜んだらしいですし。
そしてわざと誰かが、物語をつくった可能性がありそうですね。
討ち入り事件の半年前に討ち入りの演目がすでに上演されていたという資料があるそうですから。
作者からの返信
あの討ち入りは、かなり煽られた感があるとは思います。
それが黒幕っぽい誰かの差し金なのか、それとも今のネット世論とかマスコミとかのように野次馬が煽っただけなのかは分かりませんが。
それで「物語」の都合上悪役化させられたり、本性がアレなのに善人化したり……まあ、偉大な歴史作家だったら、それを「物語」ひとつでひっくり返すこともあるのですが。
コメントありがとうございました。