第30話 マリオネット・サーカス
ひどい船酔いのような感覚にうなされながら目を覚ます。
「……う、ここは」
辺りを見回すと、そこはドールハウスのように整えられた部屋の中だった。
俺は急いで自身の状況を確認する。
「ギフトは、機能している。リリムとのリンクも、ちゃんと残っているな」
自らの内側に向けて感覚を研ぎ澄ますと自身の所有するアストラルギフトも、リリムによる時空移動の繋がりも感じ取ることができた。
「いったい俺は、どこに来たんだ?」
十中八九また新しい異世界に辿り着いた、これまでの経験でそこは感覚的に理解できる。問題はここがどれほどの危険を有する世界かということだ。
俺は10分ほどかけて室内を調べた。さきほど直感的にここをドールハウスを捉えたのは間違いじゃなかったらしい。調度の一つ一つがとても精巧で、その上で実用した様子がまったくない。
まるで、そこにあることだけが目的のような品々。
これはこの部屋の中だけのことなのか、それとも……
「…………タダイマ」
自分が思考を巡らせたその時、部屋の扉が開く。現れたのはアンティーク調のメイド服を着た美しい少女だった。警戒はしていたはずなのに、まったく気配を感じなかった!?
「ッ!? ダレ?」
少女は部屋の中にいた俺を見て驚いている。少女の言葉は正直俺の心の中のセリフと同じだったが、だとすると彼女が俺をこの部屋に運んだわけじゃないのか。なら自分は直接この場所に転移してきたってことか?
「アナタハ、ニンゲン?」
トテトテと少しぎこちない歩き方で少女は俺に近づいてくる。まるで吊り糸に操られているような動き、よく見ると彼女の表情もどこか人形的で、その声も機械音に近かった。
「突然のことで驚かせてすまない。どうも自分は別の世界からここに転移してきたみたいだ。よければ、この世界がどんな場所か教えてくれないか?」
できるだけ友好的に、不信感を抱かせないような所作で少女に対話を試みる。万が一、彼女がこちらの生命に危害を及ぼすほどの存在なら、即座に逃げられるように足へ力を込めて。
「ベツノ、セカイ? ナラ、アナタハホントウニ、『イセカイ』ノ『ニンゲン』ナノデスネ?」
俺の言葉に少女はとても喜んで興奮した様子だった。歓喜でその瞳が大きく開いている。良かった、ひとまず異世界の存在は認識している世界らしい。これなら話が早い。
「そうだ、俺は異世界の人間だ。そういう君は、人間じゃないのか?」
「ハイ、ワタシハ『ニンギョウ』デス。コノセカイノナマエハ『マリオネット・サーカス』。『ニンギョウ』ト『キカイ』ノセカイデス」
人形と機械の世界。彼女の反応からするとこの世界では人間は希少なのかもしれない。だけどそんなことは些細なことだ。今の自分にとってこの世界への漂着はただのイレギュラーだ。1週間後にはリリムが迎えに来てくれる。本来の目的は果たせないけど、ひとまずは無事に帰還することを最優先にしなくては。
「なるほど、ここは人形と機械が支配している世界なんだね。確認したいけど、人間は君たちにとって敵対している存在とかではないかな?」
「イイエ、イイエ。『ニンゲン』ハ、テキナドデハアリマセン。ワタシハ、アナタニアエテトテモウレシイノデス」
少女は本当に嬉しそうに俺の手を握ってきた。俺は一瞬だけ警戒して身をこわばらせたけど、特別強い力で握られたわけでもなく安心する。
「嬉しい? それはなんでかな?」
「ソレハ、ワタシガ『トレーナー』ニズットアコガレテイタカラデス。デスガワタシハマズシクテ『ニンゲン』ヲ
不穏な単語がいくつも並ぶ。トレーナー、人間、
もしかして、この世界にとって人間とは……。
「ダカラトテモウレシイノデス。キットアナタハ、カミサマノプレゼント。ワタシガ『ヒューマントレーナー』ニナルタメニアタエテクダサッタノデスネ」
少女の握った手が喜びでさらに力強く握られる。悪意は、ひとかけらも感じない。
だからこそ、この世界に住まうモノとっての
例えばの話、異世界から迷い込んだ
敵対するに値しない。問題なのは上手に躾け、共生できるかだけ。
この世界において『人間』とは、使われ、愛玩されるモノなんだ。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺はそういうのじゃないんだ」
無駄を承知で彼女へ必死に弁明する。
「?? ナニカ、チガウノデスカ?」
「俺は別の世界に行くところだったんだ。それが、何かの事故でこの世界に呼びこまれた。だから俺はここにずっといるわけにはいかない」
真剣に、彼女の手を握り返しながらそう伝える。
「ソウ、ナノデスネ。デハ、イツマデコチラニイテクダサルノデスカ?」
少女は悲しそうに顔をかげらせながら聞いてきた。よかった、どうやら自分が思った以上に話が通じそうだ。
「1週間、だと思う。1週間たったら迎えが来る手筈になっている」
「イッシュウカン、デスカ。アノ、ソレデシタラ。ワタシトイッショニ『オマツリ』ニデテイタダケマセンカ? ソレガチョウド、ロクニチゴ、ナノデス。コトシガサイゴナノデスケド、ワタシ、イチドモサンカデキナカッタノデ」
人形の少女は淡々と、だけど寂しそうな瞳で俺を見つめてそう言った。お祭りとやらが何かはわからないし、今年が最後と言われたところでこちらが無理に合わせてやる義理はない。
ただ彼女を悲しませないようにどう断ろうかと逡巡していた時、自身の内側に猛烈な違和感を感じた。
力が、みなぎってくる。それも異常な速度で。
「ドウカ、サレマシタカ?」
俺の様子がおかしいことに気付いたのか、少女が心配そうに聞いてくる。
「いや、なんでだろ。調子が、もの凄くいいんだ」
違和感による不安を拭えないながらも、自身の状況を端的に説明する。
「ソウナノデスネ。チョットイイデショウカ」
少女は球体関節のあらわになった手で俺の胸元に触れて目を閉じる。
「オドロキデス。アナタハ、イクツモノ『ギフト』ヲモッテイルノデスネ。アア、オソラクハ
淡々とした説明に理解が追い付かなかった。時間の、距離?
そもそもどうしてそんなことがわかる。
「もう少し詳しく教えてくれ。君には俺がどんな状態かわかるのか?」
「『ヒューマントレーナー』ニナリタクテ、ベンキョウダケハシテイマシタカラ。アナタハ、イセカイカラキタノデシタネ。コノセカイ『マリオネット・サーカス』ハ、ホカノセカイトクラベテ『ジカン』ノススミカタガハヤイソウデスカラ」
彼女の話すカタコトの言葉を理解するたびに自分の顔が青ざめていくのがわかった。
時間の進みが早い? だから物凄い勢いで俺自身の能力が強化されてるってことか?
でも、それより俺が危惧しているものはどれだけこの世界の時間が他よりも早く進んでいるかってことだ。
「キイタハナシデハ、フツウノセカイトクラベテ『イッセンバイ』ノソクドデジカンガススムソウデス」
「1000、倍?」
聞いた瞬間、自身の思考が停止した。
落ち着け、冷静に考えろ。
時間の速度が1000倍違えばどうなる? どうなっていないとおかしい?
ここに来てから10分以上が経過している。つまり元の時間感覚なら10000分以上が過ぎてるってことだ。
10000分、およそ166時間にしてほぼ1週間だ。
だから本当ならリリムが俺を迎えに来ているはずの時間は過ぎている。だけどリリムは俺にこう言っていた。俺の
なら、俺がこの世界で1週間を認識するまではリリムは迎えに来れないのか?
「───まさ、か」
だとすれば、もっとおそろしい想像が頭をよぎる。
リリムから受けた説明だと彼女の時間移動は元の時間に戻るために必ずカウンターウェイト、自身の肉体に時間的負荷がかかる。
過去に戻ればその分だけ肉体は歳をとり、未来に飛べば身体が若返る。
だったらこの世界で俺が1週間過ごした時、リリムがいるエル・キングダムとこのマリオネット・サーカスではどれだけの時差が生じる?
1週間の1000倍で7000日、それを年換算すれば…………19年以上になる。
現在13歳のリリムが未来へ時間移動することで肉体が19年遡れば、その時点で彼女は死亡するだろう。
「──────嘘だ」
絶望で膝から床に崩れ落ちる。
何を、間違えた?
そもそも俺はあの世界、エル・キングダムを出るべきじゃなかったのか?
どんなにかつての世界が恋しくても、母さんをずっと待たせることになったとしても俺は私としてリリムの側にいつづけるべきだったのか?
「──────────ぁ、」
思考が、永遠の回廊に迷い込む。自身の軽はずみな想いが、大切な人を危険に晒している現実が俺を小さな頭蓋の檻の中へ閉じ込めていた。
そこに手を差し伸べてくれたのは、
「ダイジョウブ、デスカ?」
名前もまだ知らない、人形の少女だった。
彼女の翡翠色の瞳が俺の顔を覗き込む。
今ならわかる、彼女は心からの善意で俺を心配しているのだと。
そうだ、諦めるな。きっと方法はあるはず。
「すまない、俺が元の世界に戻る方法はないか? 俺の世界でも私の世界でもいい、とにかく1週間以内にこの世界を脱出する方法が知りたい」
自分は錯乱したとしか思えない質問を、懇願するように人形の少女へとしていた。彼女は瞬き一つせず、真剣に俺の言葉を咀嚼するように聞いている。
「ソレハ、スゴクムズカシイコトカモシレマセン。サキホドモイッタヨウニ、コノセカイハイッパンテキナセカイトハ『ジカン』ノススムソクドガオオキクコトナリマス。デスノデ、コノセカイニマヨイコムコトハデキテモ、ベツノセカイニイドウスルコトハデキナイノデス。イエ、コノセカイニマヨイコンダコトジタイガ、キセキテキカモシレマセンガ」
少女の回答はとても丁寧で、実に絶望的だった。時間の相対速度が合っていないから転移ができない。時速300キロの新幹線から時速60キロの車に乗り移ることができないみたいな話か。
「……デスガ、タッタヒトツダケホウホウガアリマス」
絶望に沈む俺が痛ましかったのか、絞り出すように少女は切り出した。
「方法が、あるのか?」
「トテモ、カンタンデハアリマセン。デモ、ロクニチゴニヒラカレルオマツリ『キシンサイ』デ、ユウショウスレバドンナノゾミモカナイマス」
真剣な眼差しで少女は俺に告げた。『キシンサイ』、人形と機械の世界だというなら『機神祭』だろうか。それに優勝できるならあらゆる望みが叶う、つまり元の世界に帰ることもできると。
「アナタハ、タクサンノ『ギフト』ヲモッテイマスガ、ワタシハ『ヒューマントレーナー』ノ『ショシンシャ』デス。ゲンジツテキデハ、アリマセン」
少女は自信なさそうに、アンティーク調のメイド服のスカートをもじもじと握っている。
だけど問題ない。優勝する、ただそれだけで元の世界に帰れるなら、リリムの命を救えるなら絶対に成し遂げるだけだ。
「頼む、俺をその大会に出してくれ。絶対に優勝してみせる! 君を……って失礼なヤツだな俺は。まだ君の名前すら聞いてなかった」
俺は衝動的に彼女の両手を掴みながら、まだ彼女の名前も知らなかったことに気付く。
「イッショニ『キシンサイ』ヘデテクダサルノデスカ? ウレシイ、トテモウレシイデス。ワタシノナマエハ『マキナ』。『リユウ』ハワスレテシマイマシタガ、トテモ、トテモタイセツナ、ナマエデス」
こうして、俺はメイド人形のマキナと機神祭での優勝を目指すことになった。
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