第29話 四つめの世界


 転生先の世界エル・キングダムからリリムに送り出されたおれは再び時の海を元の世界に向けて泳ぎ渡っていた。


 リリムの想いに気付きながら、彼女への確かな愛情を感じながらも小鳥遊龍弥の住んでいた世界に旅立つ。それが一時的なこととはいえ、心が二つに張り裂けそうな思いだった。


 だけど伝えなくては。20年以上過ぎた今もなお小鳥遊龍弥を待ち続けるあの人に、自分の今を。彼の息子の成れの果てがどうしているかを伝えなければ、きっと母さんも自分もこれ以上前に進めない。


 自分の命に、かつての自身の人生に、きちんと清算をつけなくてはいけない。


 今の自分は小鳥遊龍弥の記憶を持っているだけの、別の人生を辿った他人だ。彼の代わりにはなれない。


 小鳥遊龍弥は一度、確かに自身の人生を全うした。


 生きて、死んだ。


 それが何かの間違いで、その記憶だけが私の身体に流れ込んだだけの話。


 彼と姿かたちの似た自分に、何故か。


 そう思うと少し滑稽だった。自分はなんで、アルシュ・ドラグニカ・クラウンであると同時に小鳥遊龍弥であることを自認しているのか。


 何かの間違いで知らない彼の記憶が紛れ込み、アルシュわたしがそれを自身に関連するものと誤認しているとどうして一度も考えなかったのか。


 どうして都合良く、小鳥遊龍弥が転生できたなどと思い込んでしまったのか?


 疑問に思わないことを、疑問に思うべきだった。


 魔王ランゼウスに肉体を砕かれ、精神だけになって時の海で霧散するはずだった小鳥遊龍弥の記憶が、魂が、どうしてアルシュ・ドラグニカ・クラウンの中に至ることができるのか?


 まるで神の所業だ。


 クラウン王国の父と母は自分たちの子供を神に祈ったというから、見当違いの考えではない。


 だけど神様なんて、かつても今もおれは信じた覚えはない。


 神はいると、神を信じる人たちにはたくさん会って来たけど、自分はそれに共感できなかった。


 見たことも会ったこともないのに、何かを信じるなんて愚かすぎる。


 目に見えることすら定かではないのに、見えないモノまで信じるなんて自分には高尚すぎる。


 目の前の現実、肌に感じる世界だけで自分のキャパシティはいっぱいいっぱいなんだから。


 それ以上の何かを信じる余裕は、今の自分にはない。なのに、


『……か、いませんか?』


 声が、聞こえた。

 美しい、慈愛に満ちた女性の声。


「っ、」

 それに、俺は身をこわばらせた。

 この声に応えてはいけない。時の海で異世界からの呼び声に応えたら、その世界に引き込まれる。

 かつてアリステアに忠告され、事実俺はフィンリルの世界に呼びこまれたんだから。


 あの選択に後悔はない。

 ああしなければフィンリルは死んでいた。でも、


「─────、」

 平静に、聞こえないフリをする。


『誰か、いないのですか?』


 耳に届く声を必死で無視する。

 何か事情があるのかもしれない。知ってしまえば同情するような何かがあるのかもしれない。


 だけど自分には、これ以上何かを背負い込むような余裕はないんだ。


 俺を待っている家族がいる。


 何年も、何十年も俺を待ち続けているあの人に会わなければいけない。


 私を待っている家族がいる。


 私が帰ることを信じて送り出してくれた愛する人がいる。


 だから、自分はこの時の海で聞こえる呼び声に応えるわけにはいかない。


『─────本当に、誰もいなくなってしまったのですね』

 慈愛に満ちた声が、少しだけ落胆したように聞こえた。


『いつか、こんな日が来るのだと思っていましたが。いざその日を迎えると寂しいものです』

 女性の独白が続く。

 きっと何かあったんだろう。自分が力になれる何かもあったのかもしれない。


 でも、ごめん。

 おれがアナタの声に応えてあげることは、できないんだ。


 心の中で謝罪する。たとえこれが自己満足だとしても、自分が声の主にしてあげられることは他になにもなかった。けど、


『───────?』


 俺は大きく判断を間違えた。


『ああ、良かった』


 声に出さなければ、それでいいと思っていた。


『まだ、


 声に出した言葉も、心の内で抱いた想いも、正しくと向き合っているのなら神にとって等しく祈りであることを俺を知らなかった。


『良かった、まだ1人いてくれた。まだ私は、独りじゃなかった』

 とても嬉しそうな女性の声。彼女に認知された時点で、自分の運命は決まっていた。


『────会いたい。会ってみたい。一度アナタに、お会いすることはできませんか?』

 彼女にとってはただの懇願が、時の海を大いに唸らせて波のように俺を別世界に運んでいく。


「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺はっ、私はっ」

 必死の抵抗も意味をなさなかった。


 こうして、自分はにして10億年分の永い1週間を過ごすことになった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る