第四世界マリオネット・サーカス

第28話 機械メイド・マキナ

 おぼつかない足元を一歩一歩確認しながら自分の部屋から出る。新型の風邪による消耗もあるけど、10日間寝たきりだったことによる筋力低下も合わさって自分の身体が別人のようだった。


「……別人って、シャレになってねえよな」

 自虐的に笑いながら廊下を歩くと、すぐそこに古式なメイド服姿の女性が立っていた。いや女性というのが正しいのかはわからない。なぜなら彼女、マキナの身体はあちこちが機械的なパーツで剥き出しになっているからだ。


「大丈夫、マスター? イマ、コトリさん、通ッテイッタ。チョット、泣いて、マシタ」

 マキナはたどたどしく言葉を紡いでいく。


「自分がこの世界に帰ってくるまでの話をしたからな。さっきちょうど、俺が生まれ変わった先の世界の話が終わったところだ」

 できるだけ簡潔に話したつもりだったけど、それでも病み上がりの自分にとっては体力的にも精神的にも負担が少なくなかった。当然、それを聞いていた小鳥だって涙するほどにきつい内容だ。だから一度話を切り上げ、また落ち着いた時に続きをする約束をしたところだった。


「ソウナノデスネ、では」


「ああ、マキナの世界の話はまだしていない。もうちょっと体調が落ち着いたら、ちゃんと話すさ。それよりマキナ、リリムを見てないか? お風呂の用意するって言ってから、だいぶ時間が経つんだが」


「知ッテル。リリムさん、お風呂の用意ハジメテだった。お湯が、マスターを煮込み料理にデキルくらいアツアツになってたから、ワタシ止めた。今はリリムさん、リビングで落ち込んでル」

 淡々と、機械的な口調でマキナは報告する。お姫様にお風呂焚きの経験なんてあるわけがないし仕方ない。リリムなりに俺のことを気遣ってくれたんだろうから、後でなぐさめにいかないとな。


「そうなのか、まあ何事も経験だし失敗も悪いことじゃないさ。それじゃシャワーだけでもしてくるよ。さすがに自分でも汗臭いと思うからな」

 寝込んでいる時も何度か身体を拭いてもらってるから悪臭ってほどじゃないけど、とにかく汗臭い。なんでもいいから身体に染みついた脂と汗の臭いを洗い流してしまいたかった。


「ダイジョウブ、熱湯はワタシがかき回して適温にシタ。マスター、ゆっくりつかるといい」

 感情の読めない琥珀の宝石のような瞳でマキナはこちらを見つめて言った。よく見ると彼女の右腕は赤熱したかのように赤みが差し、湯気も昇っている。


「そこまでしてくれなくて良かったんだぞ。でもありがとな、マキナ」

 すれ違いざまにマキナの頭に軽く手をおいて感謝を告げる。彼女はやはり不思議そうに自身の頭を触りながら、俺に無機質な視線を向けた。


「感謝、モラエタ。ワタシ、嬉しい」

 表情は何一つ変わらない。だけど彼女の声がどこか弾んだように聞こえたのは、俺の気のせいだろうか。


「着替え、持ッテイク。マスターは身体洗ってて」

 そう告げると、マキナは俺の部屋に入っていった。そこまでしてもらうのは気が引けたが、体力的にもう一度部屋に戻って着替えやらを用意するのがしんどかったのも事実なので、俺は彼女の言葉に甘えて真っ直ぐに風呂場へと向かった。



「───────、」

 浴室の中、シャワーの音が反響し続ける。

 絶え間なく身体に当たり続ける少し熱めの飛沫が、身体の汗や汚れをそぎ落としていく。


 頭からシャワーを浴び続けることで、ごちゃついた思考が鈍く散らされていった。


 2つの人生がこの身体の中にあること。

 いくつもの特別な感情がこの心の中にあること。


 これまでのこと、これからのこと。


 考えなければいけないことがたくさんある中で、このシャワーを浴び続ける時間が貴重なモラトリアムになってくれる。と思っていたその時、


「マスター、着替えとタオル、ココに置いておく」

 脱衣所からマキナの声が聞こえた。同時に衣擦れの音も………………なんで?


 まるでメイド服のような大きな衣類がたたまれる音のあと、ガラガラと浴室の扉が開く。


「セナカ、流す。メイドの役目」

 扉の向こうにあったのは水着とか湯気とか一切の配慮のない、マキナのありのままの姿だった。


「…………、」

 俺は言葉を失った。人形のような美しくも艶めかしい肌にもかかわらず、その要所要所が機械が剥き出しになったように露出していて、彼女からは性的なモノは一切感じず、ただ美しくも儚げだった。


「背中を流すのが、メイドの役目じゃないだろ」

 俺が言葉にできたのはただそれだけ。だって、彼女がこんな姿になったのは俺の責任だ。

 マキナがこんな風になったのは、俺のせいなんだから。


「ソウデシタ、ワタシは、メイドじゃアリマセンネ。ですから、マスターのセナカを流すのは、やっぱりワタシの役目デス」

 そう言って彼女はためらうことなく浴室に入って扉を閉める。

 再び、シャワーの水音が反響していった。


「さあマスター、前を向いてクダサイ。カミから洗いマスので」

 たどたどしい機械音声も、この浴室の中でよく響く。俺は、彼女の言葉に逆らうことができなかった。


 俺の髪が、マキナの手によってシャンプーで泡立っていく。気づけばどこから取り出したのか、シャンプーブラシで頭皮のすみずみまで丁寧に洗われていた。


 初めてのはずなのに手慣れた手つきだった。……当然か、マキナの手の届く範囲で彼女にできないことなんて何もない。


「マキナは、濡れても大丈夫なのか?」


「フフ、安心してクダサイ。このカラダは電気で動いてませんカラ」

 俺が感電を恐れていると思ったのか、マキナは無感情ながらも楽しそうな声で笑う。


 わかっていた。彼女は無感情な人形でも、無感動な機械でもない。


 マキナは笑うし哀しむ。


 それらは俺のために失われた。

 彼女の万能を壊したのは、まぎれもなく俺なんだから。


「─────ごめんな、マキナ」

 シャワーの音にまぎらせて彼女に謝罪をする。

 聞こえなくていい。聞こえない方がいい。マキナが謝ってほしくないのはわかっているから。

 ただこれは俺が謝りたいっていうエゴなんだって、わかっていたから。なのに、


「いいんですよ」

 後ろから、抱きしめられていた。

 人形の硬さも、機械の痛さも感じない人肌のような温かさ。なんて、なんて都合の良い。


「頼ってください。信じてください。それだけで私は頑張れるんですから」

 淀みない優しい声。俺にとってひたすらに都合の良い幻聴。


 だけどそれが彼女にとって唯一絶対の慈愛であることを、俺は知っていた。

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