第27話 妹


 夢から、目を覚ます。


 遠い記憶を遡った代償に、私の中のきおくがズキズキと痛み出した。


「目が、覚めましたか?」

 ベッドで寝ている自分に声がかけられる。隣に置かれた椅子に座っていたのは金髪碧眼の美女。


 そう、少女リリムが20年ほど歳を重ねたような姿の。


「リリムか。今、何日だ?」

 自分はあのキャンプの後に新型の風邪にかかって寝込み、ここ1週間くらいの記憶があいまいになっていた。

 どうやら自分がこの世界にいない間に流行していたウィルスらしく、みんなはワクチンを打ったり抗体を獲得したりしてたようだが、異世界から帰って来た自分にはそのどちらもなかった。


「お兄様がフィンリル様と夜のキャンプに行ってから10日ほどが経っていますわ」

 リリムがちょっと嫌味をきかせた返答をしてきた。


「夜の、は余計だろリリム。あれはどっちかと言えばキャンプというよりは夜間行軍だよ」

 騎士団での厳しい訓練を思い返す。


「それにしても、10日か」

 自分が思っていたよりも日にちが過ぎていた。どうやら時間の感覚すらおかしくなったみたいだ。高校の進級がさらに厳しくなってきたな。


「フィンリル様も落ち込んでましたわ。自分が連れまわしたせいでお兄様が寝込んでしまわれたと」


「別に、フィンと出かけたせいで風邪にかかったわけじゃないだろ。だけどリリム、この部屋に来て大丈夫なのか?」

 風邪が感染らないように自分の看病は機械メイドのマキナが担当し、他の人は部屋に入らないようになっていたはずだ。病気に異常に強いフィンリルだけは何度かこっそり私の様子を見に来ていた記憶があるが。


「マキナ様の話だともう感染する心配はないそうです。あとはしっかりと体力を取り戻すだけですわ、お兄様」

 温かい濡れタオルで私の顔を拭って、リリムは席を立つ。


「さ、しばらくお風呂に入ってなかったんですから、しっかり汗を流してください。先にお湯の用意をしてきますので、お兄様は着替えを準備しておいてくださいね」


「ああ、わかったよ」

 部屋を出ていくリリム、豊満な体形、自分よりもずっと年齢を重ねた姿の妹を見送る。


 彼女の今の姿は現在いまのこの時間に遡った代償、いずれ彼女が元の時間・元の世界に戻るためのカウンターウェイトだそうだ。そうしなければリリムは時間を移動することができない。


 いや、そもそもおれがあんなことになってさえいなければ……。


「…………」

 リリムが出ていった扉の隙間から、じーっとこちらを見つめている者がいる。


「どうした小鳥、そんなとこから覗いて」

 俺の、妹だった。


「べ、別に覗いてたわけじゃないからっ。さっきリリムさんが入っていったみたいだし、変なことしてないかな、とか。お兄ちゃん、大丈夫かな、とか」

 しどろもどろになりながらも、彼女はしずしずと部屋に入ってきた。


「小鳥に風邪をうつすわけにいかなかったんだから仕方ないだろ。この風邪、結構きつかったぞ」

 まあ実際には結構どころか本当に死ぬかと思ったし今も死ぬほどしんどいが、自分は一度死んだ身だ。贅沢は言っていられない。


「私も一度かかったことあるから知ってる。だからもう抗体できてるしお兄ちゃんの看病してよかったのに。あ、ほらお兄ちゃんのスマホむっちゃ通知が溜まってるよ。うわっ、4ケタの通知とか初めて見た。───うわ~、ほとんど美奈弥ちゃんじゃん」

 小鳥は俺のスマホを見て勝手にドン引きしていた。というか俺にも風邪とは別の新しい寒気が走る。


「愛されてるね~、お兄ちゃん。だけど異世界から帰って来たかと思えば、お家でハーレム作ってるんだもん。そりゃ彼女としちゃ心配どころの話じゃないよね」

 そう言いながら小鳥は俺の机の上を勝手に整理していく。


「ハーレムのつもりは、ねえよ。それに小鳥、勝手に机をいじるな」

 起き上がって彼女を止めたいが、自分の身体はまだ倦怠感がまさって動き出せない。


「え~、だって結構散らかってるよ。妹の座をリリムさんに渡すわけにいかないし、片付けくらいさせてよ。というか何これ、コンタクト? お兄ちゃん目が悪かった? ってこれカラコンじゃん。いつの間にか色気づいちゃって~」

 小鳥は俺が机に放置していたソレに気付いておしゃれアイテムに興味津々の女子中学生みたいに興奮する。いや、まんまそうなんだが。だけどソレはまずい。


「っ、小鳥。やめろ」


「そんな怒らなくてもいいじゃん。ねえ、一回付けてみてよ。お兄ちゃんがカラコンしてるところ見てみたい」

 小鳥はコンタクトレンズの入った容器を持って近づいてくる。


「ってあれ、お兄ちゃんもう付けてたの? すっごい綺麗な蒼色、まるでリリムさんみたいな……」

 まじまじと近くで瞳を見て、小鳥は驚いている。それはそうだ、彼女が今持っているのは黒いカラーコンタクトレンズ。おれの瞳の色を隠すためのモノなんだから。


「っていうかお兄ちゃん、プリン頭になってるし。そういうのちゃんとケアしないと逆に不潔にみられちゃうよ」

 呆れ顔になって小鳥はカラコンの入った容器を机に戻しにいく。失態だ、最後に染めてからかなり日にちが経っている。10日近く寝込んだのはまずかったな。


 それにしても小鳥、プリン頭ってのは根本から黒髪が伸びてくるヤツのことだろ。

 おれのは逆、黒染めしていた髪の付け根側に金の地毛が見えているはずだ。


 小鳥がバカで助かったと思ったその時。


「あれ、お兄ちゃん。何か落ちてるよ?」

 絶対に小鳥の目に触れさせてはいけないものを、彼女は拾っていた。

 風邪の直前、俺が確認した書類。ある二者の遺伝的関係の調査依頼に対する報告書。


「…………以上の2名に遺伝的血縁関係は認められませんでした? ─────これって、お母さんと、お兄ちゃんのこと?」

 パサリと、書類が床に落ちる。

 表情を失くした小鳥の顔が、こちらをのぞいていた。


「お兄ちゃん、どういうこと? お兄ちゃんは、お兄ちゃんじゃないの?」


「…………小鳥」

 わたしは、彼女の問いになんと応えるべきか迷った。だけど、


「ちゃんと、説明しなくてごめんな小鳥。だけど、俺もギリギリまで信じていたかったんだ。俺はまだ夢の中にいて、目を覚ませば元の生活が待っているんだって。でも、そんな都合よくいかないな」

 信じていたかった。信じたくなんてなかった。俺の身体が、母さんたちとまったく縁もゆかりもないモノに変わっているなんて。


 この肉体が、小鳥遊龍弥の延長線上にないモノだなんて、信じたくなかったんだ。


「でも、小鳥は信じていてくれないか? 俺がお前の兄貴だって。ちゃんと、全部話すから。俺のこと、リリムのこと。そして、その後にあったことも」

 真剣に、縋るように俺は小鳥に願った。

 まだ、お前の家族でいさせて欲しいと。


「……うん、信じるよ。だってお兄ちゃん、私が海で溺れたのを助けた時と、同じ目してる。すごく、怖かったんでしょ? すごく怖かったのに、色々手放せなかったんだよね」

 小鳥が、さっきまでリリムが座っていた椅子に座る。


「いいよ。ちゃんと聞くから、ちゃんと話して。これまで怖かったこと、話していいよ」


「─────っ、」

 なんで、だろう。妹の、小鳥のただの言葉に、自分は何故かとても大きな罪から赦されたような気がした。


「ありがとう、小鳥」

 俺は静かに語り始める。第一の異世界アリストスから第三の異世界エル・キングダムまでの話。そして、その先にあったもう一つの異世界の話へと。


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