第26話 さよならは言わない


 わかって、いたことです。


 彼は言いました。


 元の世界に帰りたいと。


 小鳥遊龍弥ならそう口にすると、わかっていました。


 ですが、


「だけどリリム、私は必ず君のところに帰ってくる」


 アルシュ・ドラグニカ・クラウンがそう言ってくれるなんて、思ってもみませんでした。


 わたくしは一方的に彼との婚約を解いた身、そんなことを言って貰える筋合いなんてありません。


おれは、あの人かあさんに自分が生きていることを伝えなくちゃいけない。……そして、もう死んでいることも、自分を待ち続ける必要がないことを言わなくてはいけない。だからそのために、あの場所に帰りたいんだ」


 そう言って、彼は真剣な瞳でわたくしに願ってきました。

 最後のさよならを告げるために、そこに行くのだと。


 わたくしは、ただ頷くことしかできませんでした。


 時代渡りの巫女は過去・未来、そして現在を取り扱う力。それは、異世界に渡ることすらも可能にします。


 ただひとつの条件は、愛する者の側にいること。


 ですから、彼を元の世界に送ることだけならできます。送るだけなら。


 わたくしはそれでも断ることができません、彼を愛しているが故に。


 目の前の弱り切った男性の魂を愛しているというのなら、その心からの願いに応えないわけにはいきません。


 わたくしには、それだけの力があるのですから。


 自分は静かに門を開きます。きっと帰ってはこれない、一方通行の道を。


 さよならは、言いません。精いっぱいの笑顔でカゴから飛び立つ鳥を見送るのです。


 ですが、わたくしの手が強くつかまれました。


「リリム、私はあちらへ行ったきりになるつもりはない。必ず君の元に戻る。たとえもう結婚を約束した間柄でないとしても、私は君を愛しているから」


 蒼い瞳が、同じ色のわたくしの瞳をとらえて逃がしません。同時に、彼につかまれたところが強く光り輝きました。


 わたくしは何度もその光を目にしたことがあります。


 子供のわたくしを外の世界に無邪気に引っ張ってくれたあの日も、巨大な帝国に1人で立ち向かいわたくしを救い出してくれたあの日も、彼がわたくしに触れる手は熱く、力強く輝いていましたから。


 アストラルギフト『ディア・ラブ』、お兄様が生まれ持って手にしていたギフト。彼が、異世界からの渡航者である証。


 涙、しました。わたくしが彼を想うように、彼もリリムを想ってくれている。


「私がどこにいようと、この心はリリムの側にある」


 愛が結ばれるというのなら、きっとこの日この時にわたくしたちは結ばれました。


 彼の、わたくしへの想いが揺らがぬ限り、2人の心は離れることはない。

 それは感情ではなく概念的な結びつき、彼がどこにいても時代渡りの力を行使できるということでもありました。


「もしも、私がリリムのところに戻れなくなるのなら、自分はあそこに帰ることを諦める。母さんに連絡する別の方法を探すよ」


 その言葉だけで十分です。十分に彼の想いは伝わりました。


 ですのでわたくしも彼に伝えます。彼の主観時間で1週間後に迎えに行くと。そしてわたくしの時代渡りの巫女の力の仕組みも。


 彼は驚きながらも覚悟を決めたように頷き、遠い異世界、彼にとっての故郷へ繋がる鏡へと手をかけました。


「……ありがとう、リリム」


 そう口にして、彼はこの世界から旅立ちました。

 最後の言葉は、どちらの彼としての言葉だったのか。


 鏡の前に残ったのは、愛する者を見送った幼い姫が1人。


 もう、涙は流しません。


 覚悟は決めましたから。


 あちらの世界で、彼の心が、わたくしへの気持ちが揺らぐようなことばあれば、もう時代渡りの巫女の力は使えません。


 ですが、わたくしは信じて待ち続けます。


 今日、両親にわたくしと彼の婚約を破棄したいことを伝えた時に決めていました。


 生まれ持った関係、誰かに決められた婚姻でわたくしと彼の運命を定めたくない。


 たとえ2人の関係が白紙に戻るとしても、わたくしはありのままのリリムとしてあの人と向き合いたい。


 わたくしを愛するアルシュ・ドラグニカ・クラウンと、他の誰かを想う小鳥遊龍弥。


 でしたらわたくしは、


「そのどちらをも愛し、そのどちらからも愛していると言わせてみせます」

 そう、覚悟を決めたのです。

 

 わたくしはアルシュ・ドラグニカ・クラウンに幸せであって欲しいと願うのと同じように、小鳥遊龍弥にも幸せであって欲しい。


 彼に悔いなく生きて欲しい。


 そして願わくば、彼と生涯を愛し合うとお互いに誓うその日が、いつか来ますように。

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