第23話 辿る記憶、軋む自分


 鏡を前に思い出す。自身がかつて小鳥遊龍弥たかなしたつやという人間だったことを。


「な、んで、俺は?」

 両手を見つめる。見知ったはずの自分の手、だけどそこには何度も何度も剣の鍛錬を行なった者に特有のマメが硬くなったあとがある。

 当然だ、自分は昨日も朝の鍛錬で剣を振り、今もこれから鍛錬のために中庭に行こうとしていたところだったんだから。


 俺は、アルシュ・ドラグニカはそういう人間で……、


「お兄様、体調は大丈夫でしょうか? 最近お身体が優れないようですし、もしよろしければお医者様をお呼びしますよ?」

 自分の部屋の扉の前から妹の声がする。俺の妹、そう小鳥の……違うっ。それは小鳥遊龍弥の妹だ。アルシュ・ドラグニカ・クラウンの妹の名前は、リリム。そうリリム・リア・クラウンのはずだ。


「失礼しますね。お兄様大丈夫ですか?」

 俺が返事をする前に扉が開く。扉に鍵などはない。いついかなる時、自室にいる時であっても周囲に対して恥じぬ振る舞いをするように。その教訓のため俺やリリムの部屋は鍵がかけられないようになっているからだ。


「大丈夫だ、リリム。気分は、悪くない」

 身体の感覚にまかせて彼女の声に応え、洗面所を離れる。俺の自室の扉の前でしおらしく待っていたのは、今年で13歳になる少女、リリムだった。

 自分と同じ金髪碧眼、年齢相応の少女らしい体形。彼女の立場に相応しいドレスを着たどこからどう見てもお姫様、クラウン王国第1王女にして時代ときよ渡りの巫女、それがこのリリム・リア・クラウンだ。


「ご気分が悪くないというのは本当ですか? 最近のお兄様は、ずっと頭痛に悩まされているように見えましたので」

 彼女は心配そうに俺の顔を下から覗き込んでくる。まだ幼さを残すその顔が、一瞬だけ妹の小鳥とかぶって俺は思わず目をそらす。


「お兄、様?」

 少しだけショックだったのだろう、リリムは不安そうな顔をしていた。


「いや、悪いリリム。ちょっとだけめまいがしてな、少し休めば良くなるから俺のことは気にしなくていい」

 顔色を悟られないようにリリムに背を向けて、彼女へ部屋を出ていくように促す。しかし、


、ですか? そんな乱暴な言葉遣いをしてはお母様から叱られますわよアルお兄様」

 自分はもう既に、墓穴を掘り始めていた。


「そう、だったな。としたことが、兵たちの口ぶりがどうもうつってしまったみたいだ」

 リリムの言葉で、私は私を取り戻す。どうやら随分とかつての記憶に引っ張られていたらしい。

 たとえ遠い昔、前世と呼ばれるモノにどんな記憶があったのだとしても、今の自分はアルシュ・ドラグニカ・クラウンでしかない。


 過ぎてしまったモノを取り戻すことも、触れることももはや誰にもできないのだから。


「すまなかったリリム、めまいも治まったよ。それで、何か私に用があったんじゃないか?」

 兄妹、婚約者の関係とはいえ彼女は未婚の女性だ。1人で気軽に男性のところに訪れないように母からきつく言われている。よほど大事な用件があってここに来たはずだ。


「お兄様の身体が心配だったのもありますけど、あの、その。……式の話など、お聞きなさっているか知りたくて」

 リリムはもじもじしながら話を切り出した。


「式? ああ、結婚式の話か。確かに母様がそのようなことを仰っていたな。随分と気の早い話だと思うが」

 リリムとの結婚。私自身はクラウン王家の正式な血族でないから、兄妹であってもこの婚姻に問題はない。ただ、結婚自体はもっとリリムが大人になってからのはずだった。だが母はそれを前倒しにすると言ってきた。


「先日、わたくしが帝国に誘拐された件がよほどこたえたのだと思います。あのようなことが起こるのなら、わたくしたちの婚儀を早く執り行った方が良いと言われました」

 リリムの身に危険が及ぶことはこれまでも何度もあったが、さすがにこの前の帝国誘拐の事件はレベルが違った。帝国はクラウン王国に大規模軍事作戦を仕掛け、私が前線に出ている時を狙ってリリムをさらっていったのだから。


 どうにか大軍を撃退して、私がそのまま帝国に乗り込んでリリムを奪還したことでことなきを得たが、その代償に自分の頭痛は限界を超え、ついにはかつての記憶を取り戻してしまった。


 どうやら、アストラルギフト『エンカウンター』と『リアンフォール』の力を引き出す度に小鳥遊龍弥の記憶も呼び起こされることで頭痛が生じていたらしい。


「──まあ、母様の気持ちもわからなくはないが」

 私はこの件についてあまり気乗りしていなかった。婚姻を早めると言えば聞こえがいいが、これはリリムに急いで処女を失えと言っているのと同じだからだ。


 伝承によれば時代渡りの巫女の力が発揮できるのはその者が処女である間だけ。

 つまり、リリムが正式に結婚して処女性を失ったことを対外的に告知すれば彼女の身に危険が迫ることはなくなると母様は考えたのだろう。


 私たちの婚約の件といい、相変わらず強引な手段を選ぶ人たちだ。


「リリムは、それでいいのか?」

 いまだ胸の前に手を当ててもじもじとしている妹に確認する。彼女はようやく13歳になるところ。自分の意志で選べない婚姻に思うところがあって当然だ。

 の記憶からも、そんなのありえないと訴えが来る。だが、


「わたくしは、お兄様がよろしいのでしたら、それで構いません。巫女の力も、持っていたところでいいことはあまりありませんでしたし。それに、わたくし、お兄様でしたら」

 そう言ってリリムはまた口ごもる。まあ確かに、見ず知らずの男と婚姻を結ばされることに比べれば、自分と結婚した方がマシというのはあるかもしれない。

 私も、これから誰か相応しい女性を探せと言われるより、最愛の妹と一緒になる方が喜ば……。


「っ、」

 再び頭痛が襲ってきた。


「お兄様?」


「すまないリリム、やはり調子が優れないらしい。今日は部屋で大人しくしているから、お前はもう行きなさい。風邪でも移るといけない」

 頭痛の原因が風邪でないことを知りながら、は彼女に退室を促した。


「……わかりました。ですが、必要な時にはわたくしを呼んでくださいね、アルお兄様」

 そう言ってリリムは部屋から出ていった。


 俺は、頭痛で顔をしかめながらもう一度洗面台の鏡の前に立つ。


 金の髪に蒼の瞳、だけどそれ以外は18歳の小鳥遊龍弥と変わらない姿。


 お前はさっき、何を思った?


 お前はかつて、何を誓った?


 鏡に映る自身へ向けて問い直す。


「お前は、いったいなんだ?」


 記憶おれ常識わたしが捻じれ、混ざり、軋みをあげて、自身の証明があやふやに砕けていく──────。


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