第20話 フィンリル・ロウ



 夢から、目を覚ます。


 遠い記憶を遡った代償に、俺の中の常識わたしがズキズキと痛み出した。


「目が、覚めた?」

 同時に、眠っていた俺に馬乗りになった、白い髪をした少女の水色の瞳が俺を見つめていた。


「……フィン、何のマネだ。朝はまだ早いだろ」

 流石に俺も、今から全力ダッシュの散歩は遠慮したい。部屋のドアに目をやると、見事にドアノブがカギごと捻り壊されている。3つ掛けたはずのカギも、フィンリルのフィジカルの前では無意味だったみたいだ。

 

「ごめんねタツヤ、でもフィン我慢できなくなっちゃった」

 心なしか、彼女の息遣いが荒くなっている。


「そんなに、か」

 やっぱり今の生活はフィンリルにとってストレスが大きかったかな。美奈弥と一緒に、は難しそうだから近い内にフィンリルと二人でキャンプにでも行った方がいいかもしれない。


「うん、ずっと我慢してたから。フィン、ちゃんと言いつけ守ったよ。美玖ママと小鳥のこと頼まれたから。タツヤがずっと帰ってこなくて怖かったけど、言いつけ、守ったよ」


「そう、だな」

 手を伸ばし、彼女の頭を少し搔くように撫でる。フィンリルの一番好きな撫でられ方だ。


「フィン、何度もタツヤのこと呼んだけど、タツヤ一度も応えてくれなかった」

 潤んだ瞳が、少しだけ恨みがましく俺を見ていた。そっか、フィンは神狼族の力で俺をこの世界に引き戻そうとしてくれてたのか。


「ごめんなフィン、俺も応えられる状況じゃなかったんだ」

 なにしろ俺は────、


「でもフィン嬉しい。タツヤちゃんと帰ってきてくれた」

 フィンリルは本当に嬉しそうに俺に抱き着いてきて、白毛の尻尾も大きく横に振っている。


 彼女は俺の世界に転移した時、すぐに母さんに発見されて保護してもらうことができた。

 フィンリル自身のケガは転移ゲートを使った時に回復したそうだが、俺の生徒手帳に着いた血までが消えるわけじゃなかった。


 血濡れの手帳、最後のページに残した言葉は3つ。


 1つ、フィンリルは家族を失い、もう俺しか頼るヤツがいない。もし自分が帰れない時は、彼女を家族として迎えてやって欲しいこと。


 2つ、美奈弥には勝手に長旅に出るような馬鹿な男のことは忘れるように、伝えて欲しいこと。


 3つ、遅くなるかもしれないけど、絶対家に帰るから、と。


 フィンリルから手帳を受け取った母さんは、事情を上手く飲み込めないながらもフィンリルのことは家に受け入れてくれた。


 フィンリルはまったく違う世界、まったく違う環境に身を置きながらも母さんと小鳥と一緒に生活をしながら、ずっと俺を待っていた。


「フィン、タツヤのこと待ってた。フィン、今日のことを待ってた」


「今日? 何かあったか?」


「今日でフィン16歳なった。神狼族のしきたりだともう、大人だよ」

 水色の瞳が妖しく揺らめき、彼女は俺の耳元でささやいた。


「っ、フィン?」

 身動きが取れない。俺はいつの間にか彼女の強い力で両肩をベッドに押し付けられていた。


「何の、マネだ? こっちの国じゃ、大人になって悪いことしたら大変なことになるんだぞ」


「悪いこと、しないよ。それとも、悪いことした方が嬉しい? 

 フィンリルの呼びかけに、俺は思わずゾクリとした。


「フィン、お前」


「ちゃんと言いつけ守ったよ。みんなの前でも、お外でも、ちゃんとご主人様のこと名前で呼んだよ。だけど、今はもう、いいよね」

 俺を見つめる水色の瞳が、爛々と輝いている。まるで獲物を捕食する前の猛獣のように。


「フィンはもう俺の奴隷じゃないんだ。そんな呼び方、する必要ないだろ」


「奴隷の魔法は解けたけど、タツヤは今でもフィンのご主人様だよ。アリスも言ってた、『一度交わした契約を一方的に破棄することはできないのじゃ』って」

 ちっ、アイツ余計なことを教えやがって。


「だけど、フィンだって奴隷はもう嫌だろ」


「知らない誰かの奴隷は絶対に嫌だけど、タツヤの、ご主人様の奴隷ならフィンはいいよ。いつまでだって」


「だったら言うが、そのご主人様を押し倒すのは奴隷的にありなのか?」


「…………ダメ?」

 フィンリルは何故か不思議そうにしている。どうやら彼女の中では全然ありのことらしい。


「ダメというか、普通はそんな事態にならないと思うが」

 でもそうか、奴隷と主人の関係がフィンにとってはシステムじゃなくて、小鳥遊龍弥とフィンリル・ロウを繋ぐ大事な『絆』になってるのか。


 だったら、それを無理に否定するべきでもないか。


「う~ん、俺が主人でフィンが奴隷でもいいよ。フィンがそれでいいならだけどな。でもどんなに仲が良くても人が寝ているところに忍び込んでくるのは良くないんじゃないか?」

 頭ごなしに怒らず、あくまで穏やかに俺はフィンリルを諭す。だけど、


「アリスとは一緒に寝たのに?」

 俺の両肩を押さえつけるフィンリルの力がさらに万力のように強くなった。


「っ、なんでそれを!?」

 彼女の放つ威圧感が増したせいか、俺は思わず口を滑らせていた。


「わかるよ、アリスの匂いたくさん残ってるから。でもフィン怒らない。強いオスはそれでいい。だけど、アリスはいいのにフィンがダメなら、フィンすっごく怒る」

 フィンリルの水色の瞳に、微かな炎が揺らめいた気がした。

 先日のアリステアの行動が、フィンリルに火を付けていたのか。


「……誤解するなよ、一緒に寝てただけだぞ」

 普通の女の子相手にこの言い訳は絶対に通じないだろうけど、フィンリル相手ならもしかしするといけるんじゃないか。そんな淡い期待を抱いていると、


「大丈夫、フィンも一緒に寝るだけ。何もしないよ?」

 舌なめずりしながら彼女はそんなことを口にした。

 ビックリだ、フィンリルがこんなあからさまなウソをつくなんて。


「フィン、嘘をつくのは、よくないぞ」

 どうにか喉から絞り出したのは、彼女に対する最後の牽制。これを踏み越えられたら、俺は。


「フィンの言ったことがウソになるかは、ご主人様次第だね? あ、でもフィン聞いておくことあった」

 フィンリルは俺の肩から手を離し、口を俺の耳元に近づける。


「なんで、ご主人様からの匂いがするの?」

 文字通り心臓を掴まれたかのように、俺の魂がざわつく。


 

 そりゃそうだよな、フィンリルがこのことに気付かないはずもなかったか。

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