第18話 果てなき旅路


1日目


 俺は召喚された街から少し離れた郊外の静かな丘にフィンリルの母親の墓を建てた。

 ちょっとした岩が突き立つだけの名もなき墓標だけど、神狼族の風習ではそれで十分らしい。


「ありがとうタツっ、……ご主人様」

 フィンリルは俺の名前を呼びかけて、つっかえるように慌てて言い直す。


「ん? 別にタツヤって呼んでいいぞフィン」

 むしろご主人様なんて呼ばれる方がむずがゆくて困る。


「ううんダメ、みたい。奴隷の契約あると、主の名前を呼び捨てできない」

 フィンリルの首には首輪のような光が浮かび上がっている。


「奴隷魔法の影響か。それって解けないもんかな」


「わからない。お母さんも、何度もフィンの契約を壊そうとしてたけどダメだった」


「そうか、この世界の人間はそれに特化してるって言ってたもんな」

 あの丸眼鏡の男、ガマルの言葉を思い出す。


「ご主人様は、フィンにひどいことする?」


「しねえよ」


「ふ~ん、そうなんだ」


「それよりこれからどうする? フィンは、帰る場所あるのか?」

 奴隷の契約もだけど、彼女が安全に暮らせる場所があるのならそこに連れて行った方がいいに決まってる。


「フィンたちが捕まった時、里が襲われた。その時にお父さんも殺された。だからフィンはもう帰る場所、ないよ」


「そう、か」

 この子の父親はもういないのか。俺と、一緒だな。


「でも里がどうなったのか気になる。行ってみたい」


「よし、それじゃ行ってみるかフィンの故郷に。アイツらの監視は適当なとこで撒けばいいさ」

 俺は200m上空と1km先から俺たちの動向を見ている奴らに意識を向ける。監視してるのは、あの鳥人とライオンキメラなわけだけど、ガマルに失態を取り戻せとでも言われたのかもしれない。


「それに、どこかで魔王とやらの情報も手に入れないとな」

 正直こんな世界がどうなっても気にならないくらいではあるけど、魔王が異世界から現れたというからにはそいつは異世界への移動手段を知っているはずだ。

 友好的にとはいかなくても、接触すれば俺が元の世界に戻る方法もわかるかもしれない。


「ご主人様、早く行こっ」

 フィンが俺の手を引っ張っていく。これじゃ、どっちが主人だかわからないな。


1ヵ月後


「ここが、フィンの住んでた場所か?」


「うん、でも……」

 俺がひと月をかけてフィンに案内してもらった彼女の故郷は、ボロボロの廃墟となっていた。


「全部、壊れちゃった。フィンの住んでいた場所、なにもない」

 フィンリルは地面に膝をついて、瞳から涙をこぼしていた。


「お父さんとお母さんの思い出、全部なくなっちゃった」


「……フィン」

 泣き止まないこの子に、俺はなんて声をかければいいのか。ありきたりな気休めしか浮かばない自分が憎かった。でも、


「思い出がなくなったわけじゃないだろ。フィンの中にはずっと残ってる。フィンが忘れなければ、ずっとそこにお父さんとお母さんはいるよ」


「そう、なの?」


「ああ、俺だってそうさ。父さん、母さん、それに小鳥は離れていたってずっと俺の中にいるんだ」

 父さんにはもう会えないけど、それだって俺の記憶から消えることなんてない。最後に託された言葉も、ずっと胸に残っている。……今は、それを果たせそうにないけど。


「小鳥? おいしそう、だね」

 涙は止まらなかったけど、フィンがほんの少しだけ笑う。


「小鳥は妹の名前だよ。絶対に食べるなよ」


「わかった。でもフィンずっと忘れない、お父さんとお母さんのこと」

 フィンは涙を拭いて立ち上がる。彼女はとても強い子だった。



 でも、我ながら随分と軽率な発言だったと思う。



 だって俺は、そんな家族の思い出すら……。



半年後


「すごいな、ここが奴隷街か」

 俺とフィンリルが訪れたのは逃げ出した奴隷たちが集まって街となった場所だった。

 獣人をはじめとしたたくさんの亜人たちで大きく賑わっている。


「奴隷だけじゃないよ。半分くらいはすっごく強い人たちが住んでるの」


「確かに、奴隷だけなら契約を結ばされたヤツはあいつらに逆らえないもんな」

 俺がおのぼりさんのように辺りをキョロキョロと見回していると、力強い足音が近づいてきた。


「おうおう若いの、随分気安くこの街に入ってくるじゃねえか。お前人間だろ? 獣人の奴隷を連れて、いったいどういう了見でここに来たって言うんだ」

 俺の目の前に熊のような男、もといほとんど熊にしか見えない獣人がやってきた。


「そっか、この街じゃ人間ってだけで奴隷の敵なんだよな。そこまで考えてなかった」

 3mはありそうな巨体が俺にガンを付けるように上から見下ろし、自分のところだけ大きな影になっていた。


「あん? ぶつぶつ言ってんじゃねえよ。殺されねえウチにこの街から出ていきなっ」

 

「ちょっと待ってくれよ。俺は異世界から召喚されただけで、この世界の人間じゃない。この子との奴隷契約も無理やり結ばされたものだ。俺はここに契約を解く方法を探しにきたんだよ」

 街から追い出されそうになり、俺は慌てて説明をする。


「ふ~ん、嬢ちゃんこいつが言ってることは本当かい?」

 熊男はいぶかしんで俺の隣にいるフィンに確認する。


「うん、本当だよ」


「無理やり言わされてるって目でもないし、どうやら本当らしいな。だが嬢ちゃん、白毛で水色の瞳の狼の獣人、もしかして神狼族の子じゃねえのか?」


「ああ、そういう一族だとは聞かされた」

 熊の獣人の態度が軟化する。神狼族は彼らにとっても特別なんだろうか。


「まさか生き残りがいるとは思わなかった。それじゃあここで追い返すわけにもいかねえな。この街の長のところに案内する。来な」

 俺たちは熊の獣人に促されるまま街の奥へと連れられていった。



「ほう、その子が神狼族の娘子か。確かにその見た目、そして異世界よりの喚び人もおるなら間違いはあるまい」

 俺が案内された先には年老いて耳が垂れた犬耳をした獣人の長老がいるところだった。


「それですまないがこの子、フィンリルにかかった奴隷魔法を解いてやりたい。何か手段はないか?」

 奴隷の街ならと期待して長老に質問を投げる。


「異世界の旅人、残念なことだがこの奴隷魔法は非常に強力なのだ。本来は力なき人間どもがこの世界で覇を唱えられるのも、隷属と契約の力に特化しているがゆえ。これを我らの力で覆すのは容易なことではない」

 長老は難しい顔をして俺の質問に答えた。


「だけど、この街の住人は自由に暮らしているように見えるぞ」


「あれらは非常にまれな例よ。契約の主が死ぬ、もしくは奴隷本人が死に瀕するほどの大ケガか大病にかからぬ限りは奴隷魔法は解けぬ。お主にできるか? 自ら死を選ぶ、あるいはそこな娘を死ぬ寸前までにおいやることが」


「それは……できないな」


「であろう。それに契約を解いたところで大元の奴隷魔法はかかったままじゃ。人間どもが再び主を定めれば容易く奴隷に戻ってしまう。この街で我々が強力な亜人に守護を頼んでいるのも、人間たちがここに簡単に近寄ってこれないようにするためなのだからな」


「わかった、契約を解くのは簡単じゃないんだな。なら、彼女をこの街に置いてやることはできないか?」


「え、ご主人、様?」

 フィンが驚いた顔でこちらを見ていた。


「この子にはもう身寄りがない。一緒にいるのが異世界から来た人間であるよりは、同じ獣人たちの集まりの中にいた方が幸せだと思うんだ」


「なんと、よろしいのか」


「ああ、きっとフィンにとってもその方が、」

 言いかけたところで、服の袖が引っ張られた。


「ご主人様、フィンもういらない?」

 フィンが俺の袖を握って不安そうに見上げている。


「違うよフィン、俺と一緒にいたところでフィンにはいいことないだろ?」


「そんな、ことないっ。ご主人、様っ、お母さんのために頑張ってくれた。フィンをあそこから連れ出してくれた。なのに、フィンをここに置いてくの?」

 彼女が腕を引っ張る力が強くなって俺の身体が揺れる。いや、これは。

 俺自身の能力値が激しく変動している。フィンの心が揺れ動いたことで、俺と彼女の絆に左右される『リアンフォール』に影響が出てるのか。


「フィン、不安か?」

 眩暈のような能力値のブレをこらえながら、俺は膝をついて彼女と目の高さを合わせて話す。


「うん。もう、置いて行かれたくない」

 フィンは俺の言葉に頷いてそう答えた。


「旅人よ、連れて行っておあげなさい。お主にはわからないであろうが、神狼族の血は我らにとっても貴すぎる。この街に置いていったからといって馴染める保障などない」


「そう、なのか」


「それに、お主は強い。隠していてもワシには分かる。魔王の脅威に世界がさらされている今、お主の側にいるのがこの子にとっても安全であろう」


「……わかった。フィン、心配させるようなこと言って悪かった。お前のことは俺が守る。一緒に、魔王を探してくれるか?」

 魔王を探す旅、そんな危険すぎる俺の誘いに、


「うん、フィンずっと一緒にいる!」

 彼女は満面すぎる笑みで応えていた。



1年後


「ここも、ハズレだったか」

 異世界サーヴァニアに召喚されてから1年の月日が経っていた。

 魔王の配下によって支配されたという街を訪れたが、有益な情報は得られなかった。


「ねぇ旦那様、魔王の部下を殺さなくてよかったの?」

 俺が悩んでいるとフィンが物騒なことを言ってきた。


「子供が『殺す』とか言っちゃダメだろフィン。魔王の部下って言っても変な力を与えられただけの元奴隷だったからな。人間たちにやり返したくなる気持ちがわからないわけでもないし、とりあえずどこかに逃げていったんだからいいんじゃないのか?」

 ちなみにフィンリルが俺のことを『旦那様』って言ってるのは、俺に対する呼称が何かしらの敬称であれば奴隷魔法的にはOKらしく、彼女が色々呼び方を変えて遊んでいるだけだ。


「ふ~ん、旦那は甘いね」


「旦那って、なんか違わないか?」

 どことなく江戸っ子の響きを感じる。


「ダメだった? じゃあ上様ならいい?」

 

「どこで覚えたんだそんな呼び方。俺はどこぞの将軍様かよ」


「気に入らなかった? だったら上で」


「それだとただの方向だろうが。結構ガバガバなんだな奴隷魔法」

 奴隷魔法の契約に隙間があること自体は悪くないが。今のところフィンリルとの奴隷契約が解除できる感じはない。


「やっぱりフィンはご主人様が一番言いやすいかも。それともタツヤ様って言った方が好き?」


「う~ん、どっちもどっちだけどタツヤ様って言われると色々自分を勘違いしそうだからな。フィンが言いやすいならご主人様でいいよ。そういう愛称だと思えばいいわけだしな」


「ふふん、ご主人様、ご主人様、ご主人様っ! 不思議、フィン奴隷なのに全然嫌な気持ちにならないよっ」

 白狼の少女が目の前を嬉しそうにはしゃぎまわる。


 俺はそれを微笑ましく眺めて、同時にどこか焦りを感じていた。



2年後


 2年の月日が、過ぎていた。

 元の世界との日付がどれだけ一致しているかはわからないけど、とっくに俺は20歳を迎えているはずだ。

 制服と一緒に持ってきていた生徒手帳につける印だけが確かな時間の経過を教えてくれる。まるで、無人島生活みたいだ。


「成人式には、とてもじゃないが出られそうにないな」

 無人の荒野で、夜の星空を見上げながら呟いていた。


「せいじんしき? 何それ、ご主人様」

 焚き火の隣で眠ってると思っていたフィンが俺の独り言に反応する。


「起きたのかフィン。成人式はな、俺の世界というか俺の国じゃ20歳で大人になったお祝いをするんだよ」

 成人自体は18歳に引き下げられたけど、式はどこも20歳でやってるはずだ。


「そうなんだ。フィンたち神狼族は16歳になったら一人前の大人だよ。フィンは今11歳だからあと5年したら大人なの」


「16歳で大人か。まあ江戸時代も15で元服だったらしいから、別に早いわけでもないのか」

 目の前の幼いフィンリルを見ていると、とてもあと5年で大人になるとは思えないが。


「だから、あと5年したら、ご主人様、フィンの、こと……」

 焚き火に当てられてまた眠くなったのか、フィンリルの瞼が重くなっていく。


「5年か、先が長い話だな。───その時俺は、」

 元の世界に帰っているのか。その不安だけが、俺の胸を締めつけていた。



3年後


「ご主人様遅いよっ。フィンの方が足速い」

 サーヴァニアの大地を豪速で駆け抜けるフィンに必死で付いて行く。この世界における最強種のひとつでもあるらしい神狼族の名に恥じない、時速150kmも優に超える速さだ。


「ちゃんと周りを見ろよフィン。誰かにぶつかったりなんかしたら大ケガするんだからな」

 もちろん彼女にぶつかられた方が、だけど。

 いつの間にか、フィンは俺よりも速く機敏に動くようになっていた。能力的な話でいえば俺の方がもっと速く走れるはずなんだけど、生まれ持った速度域の違いなのか俺は彼女ほどの反応速度を引き出すことができない。

 これまで培ってきた常識が、俺の力に自然とセーブをかける。


 もしくは、その常識を壊してしまえば、もう元の生活を送ることはできないと警告をしてくる。


「次はどこにいくの? また魔王の手下をフィンが倒してもいい?」

 フィンは無垢な笑顔で俺に振り向いて大地を舞う。

 もう彼女の強さは、魔王の眷属と対等に戦えるほどになっていた。


「ダメじゃないが、危なさそうなヤツだったら俺が相手するからな」

 彼女の成長と同時に、俺自身の力も飛躍的に向上していた。

 これは俺の成長ではなく、おそらくはアストラルギフト『リアンフォール』の影響だ。フィンとの関係性が深まったことで以前の何倍もの力を出すことができるようになった。


 それでも、肝心の魔王はまだ見つからない。


4年後


 どれだけ時間が過ぎていったのか。

 生徒手帳のメモ欄も残すところはあと数ページだ。


 このメモ欄をびっしり埋める『正』の数が、俺に吐き気すらもよおさせる。


「どうしたのご主人様、最近元気ない?」

 手帳を見ていた俺の顔をフィンが覗き込んできた。

 無邪気で、愛らしい姿。でも確実に彼女は少しずつ美しい女性へと変化していってる。いつかの、彼女の母親のように。


「大丈夫だよフィン、俺はいつもと変わらないよ」

 嘘じゃ、ない。俺は最初から元気なんてなかった。今は、フィンを前にそれを取り繕う余裕もなくなってきただけの話。


「魔王、見つからないね」


「ああ、本当にな」

 魔王に苦しめられているという街をいくつも訪れたが、そこにいたのはその配下たちだけ。

 いくら彼らを撃退したところで、大元の魔王までの情報が一向に手に入らなかった。


「でもフィンは大丈夫だよっ。ご主人様と一緒なら、全然平気」

 本当に無邪気に、彼女は笑う。


 でも、ごめんなフィン。俺は、全然平気じゃないんだ。


 帰りたい。自分の世界に、帰りたい。

 


5年後


 奴隷世界サーヴァニアに来てから、5年以上の月日が過ぎていた。

 生徒手帳も、最後のページに書きたいことを書いてからは一度も開いていない。


 最近は、俺のアストラルギフトの出力も不安定になっていた。『エンカウンター』の出力が出会いに応じた固定数値である以上、理由は当然『リアンフォール』、フィンとの絆に由来する。


 日に日に、彼女の好意が増していくのを感じる。

 俺自身、それが嫌なわけじゃない。むしろ好ましく感じる。

 でもそれとは別に、彼女の想いを、俺自身の変化を冷めた目で俯瞰している自分もいる。



『それで、いいのか?』

 ずっと、自分自身に問いかけられ続ける。


『帰らなくて、いいのか?』

 大切な家族のもとに、大切な人に会いに行かないのかって、ずっと頭の奥で声が響いている。


『いざ自分の世界に帰れるとなった時、お前はその子をどうするつもりなんだ?』

 冷静で、理性に満ちた自分が、俺から目を離すことなく問い続ける。



「ご主人、様。たぶん、だよ」

 フィンの声が俺を現実に引き戻した。

 彼女が指差す先、黒衣に身を包んだ男が佇んでいる。


 俺は覚悟を決めて、声をかけた。


「お前が、魔王ランゼウスだな?」

 

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