第17話 奴隷世界サーヴァニア


 わけが、わからなかった。

 祭壇の柱に生贄のように鎖に縛り付けられ、剣と槍で刺し貫かれている女性も、おそらくは母であろう女性に涙こらえてすがる少女も、その光景を平然と笑いながら見届けている大衆も、なんでこんなことになっているのか俺には何一つわからなかった。


「おお、おお、成功しましたよ皆さん。我々は異世界の勇者を呼び出すことに成功しました!」

 そこに、落ち着いた男性の声が響き渡る。

 俺が前を向くと、そこには丸眼鏡をした温和そうな男性が一歩前に進み出ていた。


「異世界の、勇者? いやそんなことはいいっ。早くこの女の人を下ろしてやってくれっ!」

 俺はすぐさま女性を助けるように彼に言った。けど、


「?? 彼女を、ですか?」

 俺の言葉に、眼鏡の男性は不思議そうに首をかしげているだけだ。ちっ、らちがあかないっ!

 俺は女性が張りつけられた柱に駆けよって、彼女を縛り付けている鎖を全て千切り捨てた。


「なんと、神獣を縛り付ける鎖をいとも容易く引きちぎるとは流石勇者だ。やりましたね皆さん、我々はどうやら大当たりを引いたようだ」

 後ろで聞こえる男の声と歓声を無視して、女の人の状態を確認する。いくつもの剣と槍が突き刺さっている彼女は、


「……っ、くそっ」

 既に、息をしていなかった。心臓を貫いている剣からも、もう血が流れ出ることはない。


「お母さん、お母さんっ」

 そんな母親の状態がわかっていないのか、少女は母に駆け寄って必死に何度も声をかけ続けている。


「ああ、せっかく下ろしていただいたのですが、彼女はもう死んでいたでしょう? 最期の断末魔はすごかったですからね。はは、何を言っているのかまったく聞き取れませんでしたよ」

 朗らかな顔で、男は俺に歩み寄ってくる。


「なん、なんだっ。あんたらはいったいなんなんだっ!」

 俺は男を殴り飛ばしたくなる怒りを全力で押しとどめ、睨みつける。


「いやいや、勇者どのがお怒りになるのも当然です。何も説明できていませんからね。私はこの街の市長を務める、ガマルという者です」

 しかし男は飄々とした態度を崩すこともなく、スラスラと言葉を連ねていく。


「実は今、我々の世界は数年前に異世界から現れた魔王によっておびやかされているのです。我々の力では魔王に対抗することもできず、やむなく最後の手段として異世界からの勇者の召喚にかけた次第でして」

 男、ガマルは心底困ったような顔で説明をしていく。その様子に、俺のはらわたはさらに煮えくり返っていた。


「っ、それはわかった。なんで呼ばれたのが俺なのかとかまだわからないが、でもそれよりなんでっ、この子の母親が殺される必要があった!?」

 一番理解不能なことを、この男は何も説明していないっ。


「なるほど、そこの説明が必要でしたか。確かに、客観的に見れば我々が非道な行いをしたように見えますよね。これは配慮不足でした」

 俺の怒りの形相にも、ガマルの流暢な語り口は変わらなかった。


「まずはじめにですが、そもそもそこの彼女は奴隷でして、我々の世界では奴隷の殺害が罪に問われることはないのです。まずここはよろしいですか?」

 男は、当然のように意味不明なことを言ってくる。


「そこから意味がわからねえよ! なんで、奴隷は殺していいってなるんだよっ。そもそもなんで奴隷なんてあるんだ!」


「おお、もしかすると奴隷の制度がない世界から来られたのですね。確かにそれは驚かれるかもしれません。ですが、我々の世界は奴隷ありきで成り立っていまして、そこを否定されると立ち行かないのですよ。まずそこだけはご理解いただけないでしょうか」

 申し訳なさそうにしながらも、こっちに理解を押し付けるような語り口だった。


「……だとしても、この子の母親が殺されることはなかっただろっ」


「いえいえ、そこも誤解があります。我々とて彼女の死を望んでいたわけではないのです。彼女はSSランクの奴隷でして、何百もの奴隷の犠牲をもってようやく捕えることができた貴重種なのですから」


「……だったら、何で殺したんだ?」

 さっきから、この男と会話が成立している気がしない。前提とする常識が違いすぎる。


「彼女の一族はですね『神狼族』と言いまして、彼らの遠吠えは異世界からの勇者を招くという伝説があるのです」


「勇者を、招く?」


「あなたも、その声に呼ばれて来てくださったのではないですか?」


「まさか、あの声、が?」

 思い当たるのは時の海を渡っている最中に聞こえてきた女性と子供の声だ。


「いやぁ、苦労しましたよ。なにせ彼女は勇者を呼び招くことをずっと拒み続けましてね。代々伝わる掟がどうだの、異界の希人まれびとを巻き込むべきではないなどと言い張られまして。私も普段奴隷からそこまで反抗されることがなかったもので悩みましたよ」

 恥ずかしそうに頭をかきながらガマルは笑う。まさか、今の言葉に共感して欲しかったのか。


「だってですね、何回剣を刺しても彼女は首を縦に振らないんですから。必死に口を噤んで声を出さないようにするんですよ? だから我々も最後の手段で、この子を引き合いに出して、勇者を呼ばなければ次は子供に同じことすると言ったんです」

 ガマルは母親の死体に泣きすがる少女を指差して、平然とそんなことを言った。


「あ、あんたらは、最低のクズだっ!」


「う~ん、まあ言いたい気持ちはわかりますよ。ですが我々も魔王に命をおびやかされている被害者ですからね。非協力的な彼女の方が悪いと思いませんか? ま、そういうわけでそこの子供に剣を向けたところでようやく彼女は遠吠えをあげてくれましてね」

 俺の背中で、少女のすすり泣く声が聞こえてくる。


「しかしこれがまた困ったもので勇者どのがいっこうに現れないじゃないですか。我々も刺激が足りないのかと焦りましてね。思わず彼女の心臓に剣を突き立ててしまったのです。いやぁ、危なかったですよ。母親で失敗したら、子供でもをしないといけないところでしたから」

 わけが、わからない。こいつにも子供に手を出してはいけないくらいの良識は、あったのか?


「だって子供ですよ? 大人より成功の確率は下がっちゃうじゃないですか。今から大人になるまで待つわけにもいかないですし、かなり厳しい悲鳴をあげさせないといけないと思っていたところでした」

 そんなことを、この男は平然と、口にする。


「クズ、すぎる。そんなんだったらもう滅んでいいだろ、あんたら」

 俺の口からも心からの本音が出ていた。


「なんと、勇者どのは随分と高潔な世界から参られたようだ。どうやら私も接し方を間違えてしまったのかもしれませんね」

 ガマルは態度だけは申し訳なさそうに眼鏡の位置を整え直す。その時、


「……かえ、して。返して、返してっ。お母さんを、フィンのお母さんを返してよ!」

 少女の慟哭に思わず振り向く、フィンと名乗った彼女の瞳はどうしようもないほどの憎しみに濡れていた。


「お前の、せいだっ。お前なんかを呼ぶために、お母さんはっ」

 少女が襲いかかってきたのは、俺に対してだった。

 彼女は俺の腕に鋭い牙で噛みついてくる。


「ん、ん~っ」

 だけど、彼女の牙は1ミリも俺の腕に食い込むことはない。アストラルギフト『エンカウンター』の効果は今も生きていて、俺の防御力を彼女の力では突破できないようだった。


「おや、すいません。奴隷たちには我々市民に反抗できないように術をかけてあるので、勇者どのの方に矛先が向いてしまったようですね」


「別に、いい」

 俺に対して必死に牙を突き立てる少女。母親を、こんな理不尽な連中に奪われた女の子。


「……っ」

 でもそんな彼女に、俺は何も返してあげられる言葉がなかった。

 確かに、俺を呼び出すために彼女の母親は死んだ。それか、俺がもっと早くあの声に応えていればあるいは……。


 だが、丸眼鏡の男ガマルは泣きじゃくりながら俺の腕に噛みつく少女が気にもならないようで、

「勇者どの、先ほどの非礼をお詫びします。あなた様をこの世界にお招きするにあたり、最上級の品物を送らせていただけないでしょうか。もちろん、私どもの流儀ではありますが」

 優雅に俺に対して一礼し、同時に俺の周りを魔法陣のようなものが回転し始める。

 前の世界でアリステアにされたことを思い出して身を固めて警戒するが、俺自身には何の変化もない。

 ただ、俺の腕に噛みつく少女が苦しそうに口を離した。


「あ、うっ」

 一瞬だけ、彼女の首に首輪のような光が浮かぶ。


「大変失礼しました、奴隷の管理が行き届いておらず申し訳ありません。差し出がましいとは思いますが、たった今そちらの神狼族の子供を奴隷として勇者どのに献上させていただきました」


「は? 何を言ってるんだ?」

 あまりにも唐突な言葉に理解が追い付かない。


「子供とはいえSSランクの奴隷になりますので、我々にとってはこれ以上のない礼節ととらえていただけるのなら幸いです。すでに隷属の契約は済ませましたので、あとはあなたが絶対服従の命令さえ出してしまえばその子供が勇者どのに牙を剥くこともありませんよ」

 まるで店員が店の商品の説明をするように、ガマルは懇切丁寧に話してくる。


「ふざ、けるなよお前っ。この子の母親を殺しておいて、次は商品みたいにプレゼントだと? 人の命をなんだと思ってるんだ!」


「おや、私はまた何か間違ってしまったみたいですね。しかし私どもは他に生き方を知りません。我々人間は弱い生き物ですので、強い命をどうにか隷属させることでしか生きていけないのです」

 ガマルは、その目に一切のくもりなくそんな言葉を言い切った。自分たちの弱さを認め、弱いからこそ強者を食い物にすることをためらわない覚悟がそこにあった。


「それにほら、早く絶対服従を言いつけないからまた子供が噛みついているじゃないですか」

 彼の言葉どおり、気が付くと神狼の少女がまた俺の腕に噛みついていた。ただ違ったのは、


「痛っ」

 俺が痛みを感じ、腕からは赤い血が流れていたことだった。


「ん~? おやおや?」

 その光景を見て、ガマルの丸眼鏡が不穏な光を反射させる。


「不思議、ですねぇ。隷属の契約を結んだ途端に神狼族の奴隷の力が上がったのか、それとも勇者どのの防御力が落ちたのか。ちょっと契約書でも読んでみましょうか、失礼しますね」

 ガマルが何もない空間に手をかざすと、そこに光り輝く文字群が魔法のように走っていく。


「ああこれですか? 我々は弱い代わりに奴隷術という魔法に特化していまして。わかりにくければ奴隷魔法と覚えてもらっていいですよ。まあ奴隷魔法と言っても契約ありきですから、こういったお互いの条件を照らし合わせた書面が作成されているんですよ」

 俺に説明しながらも男はものすごい早さで長く難しい文面を読み解いていく。


「なるほど、おそらく問題はここですね。勇者どのがこの世界、サーヴァニアに召喚された際にアストラルギフトなるものが付与されていたようです。ギフトの名前は『リアンフォール』、絆という意味でしょうね。どうやら召喚者との関係性に応じて能力値に変動を与える効果があるようですが……」

 そこまで読んだ上で、男はこちらを見てくる。


 当然男が見ているのは、母親を殺された恨みを俺にぶつける少女と、母親の死のきっかけになった俺。


「関係性が最悪の場合には、このギフトはマイナス方向に作用するようですね」


「なん、だって?」

 少女に噛みつかれている腕が、ズキズキと痛み続ける。


「勇者どのの力は100分の1、1000分の1、もしかするともっと弱くなってしまったのかもしれません。はて、どうしましょうか?」

 どうしましょうかと言いながら、ガマルの心の中はすでに決まっているように見えた。


「そうですね~、勇者どの。ちょっといいですか?」


「……なんだ?」

 俺はガマルの声に警戒して、自然と俺の腕にいまだ噛みつく少女を庇うように動いていた。


「そちらの奴隷なんですけれど、差し上げるといった手前恥ずかしい限りなのですが…………返していただけませんか? もちろん代わりの奴隷は用意しますので」


「─────、」

 絶句する。まさに恥も外聞もないってやつだ。ただ問題は、言葉とは裏腹にこの男ガマルはまったく自らの発言に恥じを感じていないことだ。


「返したら、この子はどうなる?」


「いえいえ、そんな警戒なさらずとも大丈夫ですよ。どうやら勇者どのを召喚したのも母親ではなく子供の方だったようですし、丁重に扱いますとも」

 丁重に扱った結果、この母親と同じ末路を与えるとでも?


「それに恐ろしい想像なのですが、神狼族の奴隷と勇者どのの契約を断ってもアストラルギフトとやらの効果が切れない場合が、ですね」

 そうか、この子との関係値が最悪である限り、俺の力は著しく低下したままってことだよな。


「その時には、新しく異世界から勇者を喚ばないといけませんので、いずれにしても彼女は我々にとって必要かと思いまして」

 弱体化した俺には用はないってことか。


「俺が断った、場合は?」


「え~、そんなパターンは想定していませんよ。─────そうですね、その時は代わりに用意していた奴隷をあなたを捕獲するために使わざるを得ませんね」

 ガマルの言葉と同時に、大きな翼を持った鳥人とライオンを百倍凶悪にしたような合成獣キメラが俺の前に飛び出てきた。

 そうか、獣耳の女の子がいる世界なんだ、そりゃ他の亜人とかファンタジーっぽい生き物だっているよな。こいつらも奴隷なのか?


「随分と、用意がいいなガマル」

 初めから、話がうまく運ばなかった時は強引に魔王退治をさせるつもりだったのか。


「いやぁ、我々にとっても一世一代の交渉ですからね。万が一に備えてカードはたくさん用意していますとも」

 眼鏡の男ガマルの、人の良さそうな笑顔だけは今も変わらないのが恐ろしい。


「もしあんたらに捕まったら、俺も奴隷か?」


「おお! そういうことを言われますか。高潔な世界からいらしたかと思えばどうやらあなたもこちら側の人間のようだ……実に勘が良い。う~ん、そこはあなたの選択次第と答えておきましょう。それで、どうなさいますか?」

 選択を、ガマルは迫る。

 このままこの世界に迎合して彼らの仲間となるか。


 それとも、


「悪いけどな、この子は俺がもらったんだ。お前らに返す気はねえよ」

 俺の腕に噛みつく少女を見る。年齢的には10歳程度の小柄な女の子だ。いくら『エンカウンター』の力が落ちたとはいえ、今の俺でもこの子を抱えて走るくらいはできるはずだ。


「おい、名前を教えてくれ」

 俺の問いかけが彼女に対する命令に該当したのか、噛みついた腕から口を離して少女はしぶしぶながら名を告げた。


「……フィン。フィンリル・ロウ」


「そうかフィンリル。俺は龍弥、今日からお前のご主人様だ。ちょっとだけ、俺の無茶に付き合ってくれよ」

 俺はため込んでいた鬱屈を爆発させるように、フィンリルと彼女の母親の遺体を抱えて祭壇から駆けだした。


「おやおや、そういう選択をされるのですか。実に残念だ。おいお前たち、あの男と奴隷を捕えろ。できるなら2人とも生かしてだ。それがダメなら……神狼族の子供の方だけでも殺さず捕まえるんだ」

 男の命令に呼応して、2体の奴隷が俺を確保するために動きだした。


「ちっ、俺の方はほとんど用済みみたいな言い方だな」

 祭壇に集まっていた人々の間を走り抜けながらも俺の耳には遥か後方にいる眼鏡の男の言葉が聞こえていた。とりあえずは全力で逃げるしかない。アリステアを抱えて200kmマラソンをした経験を活かしたいところだけど、


「うう、離して、離してっ」

 俺は暴れる少女を抱えながら、どこまで走り切れるか?


「頼むからフィンリル動くなっ。子供の足じゃすぐに追いつかれるだろうが」

 フィンリルの母親の遺体にも気を遣いながらでは自然と速度も遅くなる。俺は祭壇からはどうにか抜け出して、少し広い街の通りに出た。ちょうどそのタイミングで、


「ひゃっほーっ、ご主人様の命令こなして忠誠ポイントゲットだぜぃ!」

 俺の背中に鳥人奴隷の鋭い爪が襲いかかってきた。


「がっ」

 俺は背後からの一撃を受けながらも止まることなく、フィンリルと母親を離さずに走り続けるが、背中にズキズキと強い痛みを感じていた。これは、直接傷を見ないほうが精神的に良さそうな感じだな。


「なにが忠誠ポイントだ、精神までもが奴隷に甘んじるとは情けない。それに標的の足は止まっていないぞ。こういった輩は足を食いちぎるくらいはせねば止まるまい」

 鳥人奴隷に遅れてライオンキメラもやってきて、俺の足元めがけて喰いかかってきた。


「危ねえっ」

 かろうじて牙を躱すが、バランスが崩れて急ブレーキを余儀なくされる。くそっ、随分と流暢に言葉を話すライオン野郎だ。


「完全に、追いつかれたな。フィン、お前の母さんを頼んだぞ」

 俺はフィンリルを下ろして、母親の身体を彼女に預ける。奴隷2人の間合いに入ってしまったからには、これ以上走って逃げきることは不可能だ。この辺りの判断はアリストスでの逃亡生活の経験が生きていた。


 ただ、今の俺にこいつらを追撃不能にまで弱らせることができるか? 時間をかければすぐに追手も増えるはずだ。


「……っ」

 新しいアストラルギフトの影響で俺の身体は死ぬほど重い。

 背中に受けた傷も、フィンリルに噛みつかれた腕の痛みも悪化する一方だった。


「でも、俺はこんなところで死ぬわけにはいかないんだっ!」

 気持ちを奮い立たせて渾身の力で鳥人奴隷に殴りかかる。


「おっと、まだ元気がありやがるぜ。ギャハハッ」

 しかし俺の拳は大きな翼で舞い上がった鳥人に当たることなく大きく外れていた。そこへ、


「活きが良いのはいいことだ。喰いでがある獲物の方が我にとっては好ましいからなっ」

 攻撃を外して隙だらけの俺の腕にライオンキメラが噛みついてきた。


「ぐぁっ」

 普通だったら簡単に食いちぎられるだろう獣の牙、だけど弱体化したとはいえ前の世界で1億の軍勢を相手にして強化された『エンカウンター』の力はまだ死んじゃいないっ。


「痛ぇだろうがクソライオン!!」

 俺は腕を噛みつかせたままライオンキメラの巨体をそのまま振り回して地面に叩きつけた。


「ぐほっ、流石は異世界の勇者。腐っても喰いごたえがあるわっ」

 ライオンキメラはたまらずに口を離し、俺から距離をとる。


「勝手に、人を腐らせてんじゃねえ、よ」

 ちょっと、無茶をしすぎたな。ライオンキメラに咬まれたのがフィンリルに噛まれてた方の腕だったこともあり、傷口は100倍くらい無惨に悪化して筋肉とか骨とか見えてる。今も腕がくっついてるのは奇蹟ってレベルだ。


「なんで、そこまでするの? だってもう、お母さん、は」

 俺の後ろで、神狼族の少女フィンリルの声が聞こえた。彼女自身、母親がもう死んでることには気づいてる。でも、


「……わかってる。だけどこんなところじゃ、お前の母さんがゆっくり眠れないだろ。ちょっと待ってろよフィン、すぐにこいつらを片付けてやるから。────そしたら、お母さんが眠れる静かな場所を探そうな」

 どれだけ痛くて苦しくても、守らないといけないモノがある。俺は痛みと出血で朦朧とした頭で彼女の声に答えていた。


「────、」

 俺の背中で彼女がどんな顔をしているかは知らない。だけど、母親の感情を利用して自分たちの保身を図ったこの世界の奴らを俺は怒らずにいられない。


「ほう、墓を希望していたのか? じゃあ遠慮はいらねえよ。ここに異世界の勇者の墓標を立ててやるぜ、ギャハハッ」

 大きな羽音をたてながら、鳥人奴隷が俺を見下ろしている。


「待て待て、墓を立てるのはよいが埋めるのは骨だけでも構わんか? 勇者の血肉、我が臓腑でじっくり味わってみたい」

 ライオンキメラも恐ろしいことを口にしながら、大きな咆哮をあげた。


「さすがに、殺さなきゃ、殺されるよな」

 殺意を隠すことのない2体を前に、俺も自身の覚悟を問い直す。

 このままじゃ勝ち目はない。だとしたら、自分のために誰かを殺してでも道を切り開くしか……。


 アリストス世界ではついぞ手にすることのなかった覚悟を心に決めようとしたその時、


「が、頑張ってっ」

 俺の背中に、幼い少女の声がかかった。


「えっ?」

 思わず俺は死闘のさなかに後ろを振り向く。そこには、


「し、死んじゃ、ダメ。ま、負けないで」

 涙をこらえながら、自分にできる精いっぱいの心を示した少女フィンリルの姿があった。

 瞬間、俺の内側から力が湧き出てくる。


 身体の重さが、消えた。

 腕と背中の傷はそのままだけど、血と痛みは止まっている。


 誰かの応援が力になるとか、そんなフワフワした理由じゃなかった。


「アストラルギフト『リアンフォール』、絆の深さによって影響されるギフト、か」

 これはきっと、そういうことなんだろう。


 少なくとも、彼女の俺に対する悪感情が薄れてくれたのなら、俺は『エンカウンター』の効果を十全に引き出せる。


「じゃあな異世界の勇者。一応生け捕りを命令されてるんだ、せいぜい抵抗してくれよ。そしたら俺らがお前を殺しちまっても面目が立つ」

「さぁ、辺り一面に血しぶき舞う、凄惨な戦いにしようではないか。まあ、実際はただの食事なのだがなっ」

 鳥人とライオンキメラが俺に迫ろうとする。でも、


「やる気を出すのがちょっと遅かったな。今さらお前らとじゃ命のやりとりにならねえよ」

 すでに俺たちは対等な天秤の皿の上に乗ってない。


「はぁっ!」

 俺は無事な方の腕を使って全力で地面を殴りつけた。

 巡航ミサイルでも着弾したかのような衝撃によって舗装された路面は打ち砕け、前方100mにかけて破壊の余波が広がっていく。


「…………」

「…………」

 さっきまであれほど流暢に喋っていた2体は、ただの動物になったかのように押し黙っていた。


「ご主人様に伝えとけ、二度と俺たちに手を出すなってな。それともさっきの続きをまだするか? サービスだ、お前たちの墓穴を掘るくらいはしてやるぞ」

 俺がそう告げると、鳥人とライオンキメラの奴隷はブルブルと首を横に振るわせてどこかへと逃げ去っていった。


 奴らが完全に離れたのを確認して、俺は後ろへ振り返る。そこには目を驚きで見開いた少女の姿が。


「フィン、大丈夫だったか? ああいや、すまない。お前の名前はフィンリルだったな」

 戦闘の勢いでつい彼女の名前を省略していたことに気付く。


「────ううん、フィンでいい。お母さんも、フィンのことそう呼ぶから」

 母親の亡骸を大切そうに守り、彼女は俺に言った。


「そうか、フィン。俺に、ついてきてくれるか?」


「──うん」

 白い狼少女は、俺の言葉に小さく頷いた。


 俺と彼女の関係値はマイナスからようやくゼロに至る。


 こうして、奴隷世界サーヴァニアにおける俺とフィンリルの長い旅が始まることになった。


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