第16話 二つ目の世界


 赤い夕焼け、校舎の屋上、そこにいるのは俺と美奈弥の二人だけ。


 ずっと好きだった幼馴染、ずっと好きだったって気づいた幼馴染。


 子供のころから側に居るのが当たり前で、でもこれからもそんな日々が続いてくれるのか不安に思った俺は、彼女に告白した。


 好きだ、と。


 ずっと好きだ、と。


 ずっとこれからも好きでいるから、これからもずっと側にいて欲しいって。


 美奈弥は涙を流していた。


 涙を流して、世界一嬉しそうな顔で俺の言葉にうなずいてくれた。


 

 だから、今でも思う。あの日、俺が異世界なんかに飛ばされなければ、あそこからどんな未来が続いていたのかって。


 いや、せめて俺が異世界からちゃんと真っ直ぐに元の世界に戻れていたら、きっと違う未来が続いていたんじゃないかって。



 俺は異世界アリストスでの物語に決着をつけ、元の世界に帰るはずだった。


 アリステアには申し訳ないが俺には約束がある。必ず帰って果たしたい約束が。


 そう思いながら俺は異空間、アリステアたちの言葉で言えば『時の海』を元の世界に向けて泳ぎ渡っていた。


 アリステアの世界に飛ばされた時よりも時間がかかるなと思っていると、俺の目の前に金色の文字群が浮かび上がっていく。


『言い忘れておったが、従僕を釣り上げた時と違って安全性に配慮して転送しておるので転移完了までで少々時間がかかるのじゃ』


「なんだこれ、アリステアのやつアフターケアのつもりかよ」

 あいつなりの気遣いに思わず笑みがこぼれる。


『それとこれが大事なことなのじゃが、時の海の移動はそれなりの危険がある。従僕が元の世界に戻るぶんには問題ないが、ルートを外れると妾では何もしてやれないので注意しておくように』

 アリステアの危機感を煽る言葉に俺も気が引き締まった。

 確かに今の俺は当たり前の環境なんかにいない。文字通り一歩間違えば簡単に道を踏み外すような状況なんだ。油断していいはずもなかった。


『とはいえ、妾もそれなりに帰りの転移の安全性に気を遣ったのでな。具体的には昨夜の1時間ほどを準備に使った程度じゃが』

 1時間、それを聞いてたったそれだけかよと思ってしまったが、よく考えれば一晩で簒奪された王の座を確固たるものにするほどの才女が割いてくれた1時間だ。彼女からしてみれば相当に考えてくれたんだろう。


『なので、じゃ。黙って目をつぶっておれば10分もせぬうちに従僕の世界に辿り着く。当然ながらこちらの世界で過ごした時間は、従僕の世界でも同じように過ぎている。その辺りは妾の力不足で申し訳ないが、』

 それは、まあ仕方ないだろう。少しだけ期待していたが、世の中そんなに都合よくはいかない。


『注意しておくことは、こと、じゃの。どんな呼び声にも応えてはならぬ。その海で聞こえる声は只人のものではない。──────だから、絶対に応えてはダメよ、タツヤ』

 最後に途切れ途切れの文字が、彼女の精いっぱいの心遣いとなって消えていった。


「ありがとな、アリステア。もしこっちの世界でまた会えたら、その時は美味いご飯くらいおごってやるよ」

 ま、学生の自分に思いつくのは、ありきたりなファーストフード店ばかりだけど、きっとあいつはその方が楽しそうな顔をするんだろう。


 そんな他愛もない想像をして笑えるだけの余裕が、その時まではあった。


 俺はアリステアの言葉に従って、口を結んで目をつぶる。不思議空間の移動で色々気になることはあったけど、確かに彼女の言う通り、余計なモノに手を出して元の世界に帰れなくなるのは絶対に嫌だ。




 後から振り返れば、俺には覚悟が足りなかった。『誰の声にも応えてはいけない』、その言葉の重みを、俺はもっと深く考えておくべきだった。




『……か、誰か』


 目をつぶる俺の耳に、かすかな声が響いた。

 そうか、これがアリステアの言っていた呼び声。決して応えるものかと口をさらに強く閉じる。


『……がい、誰か、いませんか!』

 大人の女性の声、必死さを感じる。でもダメだ、この声に応えちゃいけない。人間の声に擬態して冒険者を罠に引き寄せるなんて、創作作品じゃよく目にするものだしな。


 そう自分に言い聞かせて、俺は聞こえてくる声を無視し続けた。


『お願いですっ、誰か、誰かっ。この声が聞こえている方がいるのなら応えてくださいっ!』

 鬼気迫る声だった。切迫した声。でも、ダメなんだ。この声に反応したら俺は帰れない。あともう少し、あとほんの数分我慢するだけで、俺は元の世界に帰れるはずなんだっ。


『ぁがっ! 誰、か。お願いです。せめて、この子、だけでも。助けて、あげ、て』

 聞こえてくる声が急に弱々しくなった。きっと、何か大変なことになってるんだろう。でも、だけどっ。


『っ、フィン。ごめ、んね。あな、たは、どうか、生き、て……』

 声が、急に遠のいていく。その時、


『ダメッ、死んじゃダメッ。フィンを置いてかないでっ、ダメだよ、死なないでお母さん!!』

 幼い少女の慟哭が、俺の胸の奥をズタズタに引き裂いた。

 誰にだって分かる。この声は、必死に心の底から吐き出した真実の叫びだ。


「っ、誰だっ!? アンタたちは誰なんだっ? おい、どこにいんだよっ! 声だけじゃわからないっ」


『誰か、誰かお母さんを助けてっー!!』

 少女の叫びが、時の海に響き渡る。


「っ、わかった。わかったよ俺を呼べ! 俺が───助けてやるよっ!」

 その声に、俺は思わず応えていた。


 ここに、召喚は成立する。


 俺はアリステアの用意していた元の世界へのルートから外れ、ものすごい勢いでどこか別の場所へと飛ばされていった。



 意識が反転し、時の海では感じなかった確かな重力と地面を実感する。



 俺が目を開くと、巨大な祭壇のような場所にいた。

 数えきれないほどの人たちが、突然現れた俺を見ている。


「だ、誰?」

 背中から声がかかり振り向く。


「……なっ、」

 そこにいたのは、柱に縛り付けられ、身体を幾多もの剣と槍で刺し貫かれた白い髪をした美しい女性と、


「……お願いっ、お母さんを助けて」

 神々しいほどの白い髪、生まれた時からそうであったとわかる狼のような獣耳、こぼれ落ちそうになる涙を必死にこらえる、水色の瞳をした幼い少女だった。



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