第二世界サーヴァニア

第15話 獣人フィンリル


「タツヤありがとう!! フィンすっごく楽しかった」

 日曜日の昼下がり、俺は白狼の獣人少女フィンリルと散歩から帰るところだった。


「お、おう。フィンが楽しかったのなら、俺も、嬉しいぞ」

 あがった息を整えながら彼女の元気に応える。よくよく考えればあれは散歩なんかじゃなくてだったな。河川敷や堤防を朝から昼まで町を3つくらいまたいで走り続けてようやく彼女は満足してくれたんだから。

 俺は約3時間もの間400m走くらいのペースでずっと全力ダッシュしていたものだから、今は足がガクガクになっていた。


「タツヤの封印を解けばもっと速かった?」

 フィンリルは期待に目を輝かせながらこっちを見ている。


「あのな、俺は基本的にこの世界で封印は解かないって言っただろ。封印してる今の状態だって、こっちの世界の常識で考えれば異常なくらいに速いんだからな」

 明らかに異世界出身のフィンリルならともかく、一般人であるはずの俺が異様な力を持っていると知られたら今後生活しにくくなる。


「そういうもの? タツヤ、なんだかこっちの世界だと窮屈そう」


「別に窮屈ってことはないぞ。俺にとっては元々それが当たり前だったんだからな。俺よりフィンの方が窮屈な思いをしてるんじゃないか?」


「う~ん、そうかも。でもタツヤが帰ってきてからは今日みたいに遊んでくれるから楽しいよ。美玖ママも小鳥もフィンに優しいし」

 少しだけ考えるようにして、すぐにフィンリルは無邪気な笑顔をこちらに向けていた。


「そうか、それならよかった」

 フィンリルが俺の家族と仲良くしてくれていて嬉しいし、母さんと小鳥の2人には本当に感謝してる。


「フィンは母さんと小鳥のこと、好きか?」


「うん、大好きっ。フィンのせいでタツヤが帰ってくるのが遅くなったのに、一度も怒られなかったよ」


「あのなフィン、何度も言ってるだろ。あれはフィンのせいなんかじゃないって。俺が弱いのがいけなかったんだ」


「そんなことないっ、タツヤ強いもん。あの時は魔王がおかしかっただけ、じゃなきゃタツヤ……」


「いいんだ、フィン。俺はお前が元気でいてくれて嬉しい。それでいいだろ」

 何か言いかけたフィンリルの言葉をさえぎって、俺は彼女の頭を優しくなでる。


「ん~、うん! そういうことにする。フィンも、タツヤが元気で嬉しいよっ」


「……まあ、その元気はさっきので結構削られてしまったけどな」


「ごめんね。フィンはしゃぎすぎちゃった」


「悪い、言い方が良くなかったな。俺もフィンとたくさん遊べて楽しかったって言おうとしたんだ。家の中での生活はフィンにとってはストレスが溜まるだろ。たまにはこうやって発散しないとな」

 口にしながら、本当に犬の散歩みたいなことを言ってるなと自分で苦笑する。


「ありがとタツヤ。でもムリしないでね、フィンはちゃんとお留守番できるから。美玖ママと小鳥はフィンの大切な家族だから、絶対に守るよ」

 フィンリルの純真な瞳が俺を見上げている。

 彼女を、俺の家に送り出して本当によかった。あの選択は決して間違いなんかじゃなかったと、自分自身に言い聞かせる。


「あ、龍弥、お帰り」

 自分の家の前に辿り着く直前、お隣の家から出てきた美奈弥とばったり出会った。


「お、美奈弥、ただいま」

 俺も軽く手をあげて彼女に挨拶する。


「フィンちゃんもお帰り。散歩に行ってたの?」


「うん、タツヤにたくさん遊んでもらった。ミナミはどこか行くの?」


「私、は……」

 元気よく答えるフィンリルに対し、美奈弥はどこかはっきりしない。


「美奈弥、どうかしたのか?」


「小鳥ちゃんに龍弥は今お家にいないって聞いて、フィンちゃんと散歩してるからお昼頃には帰るんじゃって言ってたから」

 聞き取りにくい小さな声で、美奈弥はごにょごにょと言いよどむ。


「それじゃ俺を探してたのか? 普通に電話かメッセージくれれば、ってそうか俺は携帯を家に置いてたな」

 フィンリルと全力疾走することが目に見えたから、なくしたり壊すとまずいと思って持っていかなかったんだった。


「もうっ、ちゃんと携帯しててよ。─────あと絶対引かないでね。たくさん、履歴残ってるから」

 何やら美奈弥は必死に言い訳してくる。もしかして俺にオニ電でもしたのか?


「ちなみにどれくらい履歴残ってんだ? ちょっとやそっとじゃ俺も引いたりしないぞ」

 そんなことでいちいち驚かなくなるくらいにはとんでもない人生体験をしてきたつもりだしな。


「よ、よん……」

 はっきり口にする勇気が出ないのか、まだ美奈弥はどもっている。


「4回、もしかするとか40回か? まあちょっと多いけど、そのくらいのこと気にするなよ」

 焦った時はそれくらいのことは誰だってするかもしれない。と思っていると、


「よ、4桁、くらい」

 予想以上の答えが返ってきた。


「…………おお」

 1000回の大台に乗ったってことか。いや、一応9999回のカンストの可能性もあるが。


「途中で龍弥の携帯、繋がらなくなっちゃったから」

 なるほど、途中で電池が切れたんだろう。限界なんかはとっくに越えてたらしい。


「まあ、人生一度くらい、そんなことも、あるんじゃないか?」

 少なくとも俺は経験したことはないが。


「ご、ごめんね。龍弥がまたどこかに行っちゃうんじゃないかって、心配になって」

 そう言われてしまうと俺からは何も言い返す言葉がない。美奈弥からすれば、俺が突然異世界に消えたあの日の出来事はトラウマになってもおかしくないくらいのことだ。


「なんていうか、心配かけて悪かったな。それで、どうしたんだ? 何か用事があったんだろ」

 そこまでして急いで連絡を取りたかったのなら、よほどの用件なのかもしれない。そう俺が身構えていると、


「う、うん。今度の連休、遊びに行かないかなって。その、キャンプとか」

 思っていたよりもずっと気楽な遊びのお誘いだった。


「キャンプ? いいなそれ、俺もちょうど息抜きしたかったとこだったんだ」


「息抜きって、おじさんじゃないんだから。龍弥が普段どんな生活送ってるのかはすっごく問い詰めたいとこだけど。でも久しぶりだよね、キャンプ行くの」

 さっきまで口ごもっていたのがウソみたいに美奈弥は嬉しそうに話し出した。


「懐かしいな、あの時は小鳥が溺れかけて助けようとした俺も一緒に溺れたんだったな」

 俺の死にかけエピソードの一つだけど、死ぬ思いはその後もたくさんしたから今じゃ笑い話だ。だけど、


「─────なに、言ってるの龍弥? あの時溺れたのは、だよ?」

 それを聞いていた美奈弥からは、笑顔が消えていた。


「えっ? あ、ああそうだったけな。海でも溺れたことがあったから、記憶が混ざったみたいだ。結構前のことだしよ」

 記憶違いに俺は慌てて言い訳をする。


「もう、たった5年前のことなんだから忘れないでよ。私にとっては、龍弥に助けてもらった大切な想い出なんだから」

 一瞬感じた不穏な空気が消える。危ない、どうやら俺は美奈弥の地雷を踏みかけていたらしい。


「悪かったって。それでキャンプだったな。そうだ、フィンも連れて行っていいか? 自然の中ならフィンも気晴らしになるだろうし」

 本人は我慢できるなんて言ってるけど、我慢なんてしなくてすむならその方がいい。でも、


「────なんで?」

 美奈弥の答えは、俺が想像していなかったほどに冷たいものだった。


「なんで、フィンちゃんも一緒なの?」


「え、いや、だってさ」


「やっと、2人きりでデートできるのに、なんで他の人を誘うの?」


「あ、その、ゴメン、な?」


「龍弥、何に謝ってるの? 私って、誰と話してるの? ねえ、龍弥、私たちって、?」

 弾劾するような美奈弥の言葉。それに俺は、


「……ああ、そう、だよな」

 ただ、そう答えることしか、できなかった。


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