第9話 檻からの脱出


「おま、えは……」

 朦朧とする意識の中で、目の前の女が俺をこんな場所に追いやった元凶、アリステアであることをどうにか理解した。

 だが、彼女はどこか様子がおかしい。

 玉座の間で見た時の覇気なんて微塵も感じない。それこそ、どこにでもいるような女の子にしか見えなかった。


「アリストス王、いや国賊アリステア。貴様は終身牢獄刑の身だ、脱獄など考えないことだな。食事と水が与えられるだけでもアルステッド王に感謝するがいい」

 牢の外、兵士らしき男がそう言い残してどこかに消えていく。

 女、アリステアの前にはおそらくは食べ物と飲み物が乱雑に載せられたトレーが置いてあった。


「ぐ、あ……」

 微かな食べ物の匂いに、お腹が苦しいほどに鳴り響いた。全身の細胞が、アレを喰わなければ死ぬと訴え出す。


「……ここにいたんだったわね、あなたは。いいわよ、コレを食べて。ここに閉じ込めた私が言うのもなんだけど、飢え死に寸前でしょ?」

 アリステアはトレーを俺の方向へと差し出してきた。俺は、プライドとか憎しみとかを思い出す余裕もなく、ただ無心で目の前の水と食事に飛びついていた。


「がっ、ごほっ、んっ」

 勢いよく口にしたせいで、久しぶりに使ったノドがむせる。


「少しずつ食べた方がいいわよ。身体が低栄養の時にいきなりたくさん栄養とると、死ぬらしいから」

 俺の隣で膝を抱えて座るアリステアが平坦なトーンで忠告してきた。なぜだか彼女はひどく落ち込んだ様子だ。

 だけど俺はそれを追及する余裕もなく、少しずつ身体に栄養を染み込ませるように食事と水を摂っていった。


「はぁ、廃棄都市への流刑。しかも異世界人の男と同じ牢屋、か。兄様、私のこと嫌いだったのね」

 食事に必死な俺の横で、アリステアの独り言が二人きりの牢獄に響いた。


「お、まえ。本当にあの女、なのか?」

 あまりの違和感に、俺は思わず彼女に問いかけていた。


「ええ、そうよ。どう、ちょっとは話せるくらいには落ち着いた?」

 口調こそ違うけど、赤いウェーブがかった長い髪、金色の瞳、間違いなく俺が玉座の間で見た女だった。


「落ち着く、わけねえだろっ」

 ひとまず食事を終えた俺は、牢の格子に背中を預けてどうにか姿勢を保つ。久しぶりに食べ物と水が摂取できた喜びと、身体の中をそれらがせわしなく駆け巡る動悸とがせめぎ合って、気分はぐちゃぐちゃの最悪だった。


「言葉が口にできるのなら、私はあなたが落ち着いたと理解するわよ。それで、聞きたいことはあるかしら?」


「聞きたいことだらけだよっ。なんなんだよお前はっ、なんで俺をこんな目に合わせやがったんだっ。殺す、テメエだけは殺してやるっ」

 殺意を口にしたが、今はまだ身体が上手く動いてくれない。だけど、あともう少しすれば。そう思いながら俺は必死でアリステアを睨みつけていた。


「……そう。それじゃあ、あなたに飛びかかられる前に色々説明を終わらせなくちゃね。私がなんでここに投獄されたかとか、聞いておきたいでしょ?」

 アリステアは殺意を隠そうともしない俺に動じる様子もなく、状況説明を始めようとしていた。


「確かに、な。なんでお前がここにいるんだ。この世界の王様なんだろ?」


「王様、だったわ。私の兄、宰相アルステッドに謀叛を起こされるまでは、ね」

 淡々と、感情を乗せずにただ起きた事実のみを彼女は口にした。


「は? お前はクーデターをやられてここに投げ込まれたのかよ? 自業自得だな」


「いい言葉ね、自らの業が自らに還る。もしがそうだったのならどれほど良かったかしら。私はね、たった1人の人間に知らないところで嫌われていた、ただそれだけで今ここにいるんだから」

 たった1人の人間って、さっきの話からするとこいつの兄アルステッドって奴のことだろう。


「知らないところって、結構わかりやすくギスギスしてただろ。まさかお前あれで好かれてるとでも思ってたのかよ」


「好かれてるなんて思ってなかったけど、まさかとは思わなかっただけ。今の状況じゃ関係ない話だからこれ以上は言わないけど、とりあえず私がなんでここにいるかは理解できた?」


「ああ、お前に何の同情の余地もないことはわかったよ。遠慮する必要が何もないってこともな」

 俺は立ち上がって、アリステアへと一歩前に進んだ。どうやって殺すかなんて決めてなかったけど、心の内で煮え滾る憎しみをこいつにぶつけられるならとりあえずそれでよかった。


「あら、私は何をされるのかしら。一応聞いておくけど、私に協力して外に連れ出してくれる気はない?」

 おびえた様子もなく、彼女は冷静に協力を求めてきた。


「もちろん外には出る。だけどお前に俺が協力する義理はないし、この後お前が外に出れる身体かもわかんねえだろ」

 俺はアリステアの要求を断り、まずはありったけの憎悪を右こぶしに込めた。だが、


「もし、私に協力してもう一度玉座に就かせてくれるなら、あなたをわ」


「っ!? おまえっ」

 憎しみで満たされたはずのこぶしが止まる。


「どう? 少しは協力する気になった?」


「……いや、よく考えたら今ここでお前をボコボコにして、俺を元の世界に戻させる方が早いだろ」

 限界ギリギリまで精神と肉体を追いつめられたせいか、普段の俺だったら思いつきもしない暴力的な発想が自然と口から出てきた。


「残念ね、ここじゃどんなに頑張ってもあなたを帰すことはできないわ。魔力が足りないもの」


「魔力?」


「そう、エネルギーリソースって言った方がわかりやすいかしら。あなたをこの世界に召喚できたのも、この廃棄都市に強制転移させることができたのも私があの玉座にいたからよ。あそこにはこの世界中の魔力が集まってくるの」


「なんだって、それじゃあ」


「私の望みとあなたの望み、どちらを叶えるためにもアリストスの王城を目指す必要があるってことね」


「それは、本当なんだろうな。もしも嘘だったら、絶対にゆるさないぞ」

 今の話は、彼女にとってあまりにも都合が良すぎるように聞こえた。


「あら、もしこの話が本当だとしても、結局あなたは私を赦さないのでしょ? だったらあなたは赦す赦さないに関わらず私を信じるしかない。違う?」

 金色の瞳が、俺を試すように見つめている。


「っ、詐欺師みたいな女だな」


「おあいにくさま、私は王様よ。交渉の手練手管は誰よりも身に着けてますとも」


「偉そうにするなよ。元、王様だろ」


「言ってくれるわねあなた、でもその通りよ。王様だったころの私はなんでもできたけど、今の私にできることはすごく限られてる。だから、あなたの助けを借りたい。理屈は通ってるはずよ」


「1度はゴミ箱に捨てたモノに、よく平気で手を伸ばせるな」

 めいいっぱいの皮肉を込めて俺はアリステアを睨みつける。


「……そうね、もうそれしかないんだもの。誰だってそうするわ」

 アリステアは立ち上がり、無造作に牢屋の格子に触れる。すると信じられないほど容易く、頑丈だったはずの格子が砕けていった。


「お前っ、そんなことができるなら俺なんかいらないだろ」


「─────そうかしら、私にはあなたが必要に思えるけど。来てくれないの?」

 檻から簡単に脱出したアリステアは、何故か俺が出てくるのをしおらしく待っていた。


「……俺は俺のために、お前に協力するだけだ。勘違いするなよっ」

 あまりにも身勝手なこの女に同情なんてしない。だけど俺は元の世界に帰るために、こいつへの憎しみを一旦棚上げしようと心に決めた。


「勘違いなんてしないわよ。人は常に自分のために行動する。わかりやすくていいじゃない。今後もそれを心がけなさい。くれぐれも誰かのため、なんて思わないことね。自分で自分の首に縄を括りつけるようなものよ」

 アリステアは何の感慨もなく、その言葉を口にする。彼女にとっては当たり前の生きる指針なんだろう。この言葉を胸に刻んでおけばよかったと、俺はのちに後悔することになる。


「止まれ、お前たちっ!」

 牢から出た俺とアリステアに強い声がかかった。声の方へ振り向くとそこには武装した兵士がいた。


「ま、牢を破壊すれば警報は伝わるわよね。あなた、アレを倒してみせなさい」

 アリステアは当然のように俺に命令してきた。


「は? ふざけんな、相手は普通に武器を持ってんだぞ。俺なんかがかなうわけないだろっ」


「そう? 別に私が相手することもできるけど、あなたがどの程度戦えるか確認しておかないとのちのち困るでしょ?」

 そう言ってアリステアは俺の背中を押して、兵士の目の前に突き出した。


「ってめえ」

 俺は兵士じゃなくてアリステアの方を殴ってやりたい気分だったが、目の前にそれどころじゃない状況が迫っていた。


「抵抗するのであれば鎮圧する。死んでも恨むなよ小僧」

 兵士は腰の剣を抜いて大きくと振りかぶった。

 あれ、なんだ? まるで子供を相手するようなスピードだ。これなら俺にだって。


「っ、」

 俺は振り下ろされる剣を、兵士の横に転がり抜けるようにしてかわしていた。危ねぇっ、服を掠めたぞ。


「なに!?」

 俺のカッコ悪い回避に驚く兵士。不思議だ、そのリアクションすら遅く感じる。俺は無我夢中で立ち上がって兵士の頭部に手の平を当てて強く押し出す。


「ぐぁっ」

 すると想定以上のスピードで兵士は地面に向けて叩きつけられていた。


「え、なんだ今のは?」

 あまりの手応えのなさに自分で驚く。また兵士が立ち上がるのではと警戒して距離をとるが、いっこうに起き上がる気配がない。


「もう気を失っているわ。ギフト持ちが相手とはいえ、さすがに不甲斐なさすぎるわね。誰も来ない辺境勤めの兵のせいかしら、ちょっと質が悪いわ」

 アリステアは後方で腕組みをして、今の一連の攻防を見ていたようだ。


「気絶した? たったあれだけで?」


「そうよ、あなたのギフト、アストラルギフトだったかしら。それの効果量を確かめたかったけど、一般兵士との1対1ならどうにか打倒できるようね」


「だからなんなんだよそのアストラルギフトってのは!?」


「残念だけど私も初めて見るモノだからなんとも言えないわ。普通は異世界から呼び出した人たちにはマテリアルギフトと言って特別な肉体や武器・防具、他にも神具・呪具などが与えられるの」


「それがないから、お前は俺をここに飛ばしたんだよな」


「そうね、だって弱いんだものあなたのアストラルギフト。確か『エンカウンター』だったかしら、その効果は兵士一人を打ち倒すのせいぜいの力よ。マテリアルギフトの所持者たちならそうはならない、アレはたったひとつで軍や城、国や世界を相手取れるものよ。そもそもマテリアルギフトなら譲渡ができるから色々と便利なの」


「悪かったな、不便極まりなくて」


「それ以前の問題だけど、まあいいわ。あなたが自分の身はある程度守れることくらいはわかったから。アルステッドの兵隊との接触を極力避けながらいけば王城まで辿り着けるわ。…………かなり厳しいけどね」


「お前が俺をここに飛ばしたみたいに一気にはいけないのか?」


「言ったでしょ、あれは世界中の魔力リソースの流れが集中するあの城だからできたことよ。今の私じゃせいぜい2,3キロメートルくらいしか転移できないわ。1日に5回も転移すれば魔力もからになってしまうの」


「十分すぎるだろ。1週間もあれば城まで行けるんじゃないか?」

 単純計算で70キロメートルは移動できる。あとは歩きも加えればもっと移動距離は延びるはずだ。


「残念ね、このロストダストからアリストス城までは5000キロメートルはあるのよ。個人の転移だけではどれだけ時間がかかるかわかったものじゃない。それともそんな長旅に付き合ってくれるの?」


「冗談じゃない。それじゃあどうするんだ?」

 5000キロメートルって、マジか。逆に言えば、召喚された直後の転移はたった一瞬でそれだけの距離を飛ばされたってことだよな。


「この世界での長距離交通手段には転移駅ってものがあるわ。大地を走る魔力の流れ、龍脈に沿ってしか移動できないけど、それなら一度に100キロメートル以上の転移ができる」


「……すげえな、そんなのが公共交通機関にあるのかよ」


「だけど当然、王城へのルートは常に厳重な警備がされているわ。私の脱獄が知れ渡ったならなおさらでしょうね」


「それを、どうにか突破しないといけないわけか。俺とお前だけで」


「だからかなり厳しいって言ったでしょ。ほら、早速追加が来たわよ」

 アリステアが促した方向に目をやると先ほどの兵士と同じような装備をした連中が20人ほどの隊列を組んでやってきていた。


「おい、早速詰んでるだろこれ。あの人数はどうしようもないぞ」


「このくらいでうろたえないで、ここから先はもっと厳しいんだから。とりあえず30秒くらい稼いでくれる? ちょっと離れた場所に転移するわ」


「30秒、か」

 訓練を受けた兵を前にさっきまで餓死寸前だった学生が30秒もたせる。さっきは無我夢中だったからこそどうにかなったけど、多少の冷静さを取り戻した今、それがどれだけ無謀なことなのか自分にも想像がついた。


「1対1を20回やると思いなさい。死んでなければちゃんと一緒に転移してあげるから」


「っ、信じるぞ、絶対置いていくなよ!」

 俺は覚悟を決めて迫る20人の兵士に向けて突貫していった。


「置いていかないわよ……絶対に」

 離れていく俺の背中に、アリステアから何か小さく声がかかった、そんな気がした。


「おおおおおおおおおっ!!!!!」

 後のことは考えず、俺はなりふり構わずに近い相手から殴りかかっていく。


「─────座標固定、位相軸調整、あと5秒は持ち堪えなさいって……あら?」

 アリステアの戸惑った声が聞こえる。まあ、当然だろう。


「おい、アリステア。……なんか、倒せてしまったぞ」

 俺の目の前に転がっているのは20人の兵士たち。もちろん俺が殴り倒した相手たちだ。


「どういうこと? あなたのステータスじゃこの人数を相手にできるわけがないのに」


「そう言われてもな」

 自分でも驚いているんだから仕方ない。なんでだかさっきの兵士1人を相手にした時よりも身体が軽かった。力も込められたし、相手の動きも良く見えた。何度から打撃も喰らってズキズキするけど、動けなくなるほどじゃない。


「ちょと待って、確かめるから」

 アリステアは指で輪っかを作り俺を覗き込む。玉座の間でした時のようなギフトの確認だろう。


「アストラルギフト『エンカウンター』、は変わらないわね。ステータス上昇は、各パラメーターに+22?」


「ん、どういうことだ?」


「この短時間でギフトの効果が上昇してる。条件は、おそらく……」

 口に手を当て考え込む様子のアリステア。


「おい、説明しろよ」


「まだ確証が持てないから断言はしないわ。だけどあなたのアストラルギフト、もしかしたら当たりかもしれない」


「外れって言ったり当たりって言ったりわからないヤツだな」


「あなた、名前は?」


「……小鳥遊、龍弥」


「そう、じゃあタツヤでいいわ。行きましょうタツヤ、から王城に向かうわよ」

 そう言って、傲岸不遜な女王は俺の手をとって歩き出した。



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